辺境領主館の執務室 1
「――というわけで、山中で発現した光と音は、魔力の行使によるものだったとカイルが断定。多少延焼したけど、本格的に燃えたのは荷車の後ろ半分と、積んであった荷物だけ。雪が降ってきたことで自然鎮火し、山火事には至らず。具体的な場所は――」
フォークナー辺境領、領主の館にある執務室。
重厚なタペストリーが幾枚も掛けられた石壁の部屋で、主のディラン・フォークナーは側近のアーサーから報告を受けていた。
溜まっていた書類仕事を今日こそは片付けろと、執務室に押し込められたのは今朝のこと。
検分をする目と署名をする手がだるくなった頃合いで、遠くに雷が落ちたような音が聞こえた。
窓を背にしていたディランは見逃したが、同室にいたアーサーには一瞬だけごく細い柱のような閃光が上がったのも確認したという。
二人して外を眺めたときには、隣のステットソン伯爵領との境にある山の麓から煙が上がっている状態だった。
空は雪雲で埋まっており嵐の気配もないことから、天候によるものではなく、事件か事故だと判断した。
煙が上がった山は国境側ではない。隣国が関わっている可能性は低かったが、念のために辺境軍魔術団長のカイル、それに自身の側近であるアーサーも伴わせて軍の警備隊を現地確認に向かわせた。
そして今、降り出した雪のなか一足先に戻って来た部下の顔を見て、ディランは厄介事の気配を感じ取っていた。
雪で濡れた焦茶色の髪を拭きながら、アーサーは報告を続ける。
「――で、現場近くを流れる川の下流で、成人男性四名の溺死体を発見。裏取り中だけど、広域指名手配中の犯罪グループとみて間違いないだろうね。ほら、うちの領内でもちょいちょい暴れていた奴らさ」
「ああ、あいつらか」
「装備などから判断すると、襲おうとして返り討ちに遭ったってところかな。服に燃え移った火を消そうとして、道のすぐ下を流れる川に飛び込んだ可能性が高い。深いって分からなかったんだろう」
「川を甘く見たな」
ふもとに近いとはいえ渓流だ。緩く見えても流れは急だし、川幅も水深もかなりある。
川縁はほぼ崖で這い上がることができず、川底の砂利に足を取られたら流されてお終いだから、地元の者はあの川に近寄りたがらない。
「そ。生きたまま捕まえて、余罪や背後関係を追求したかったけど、まあ仕方ない。これ以上、あいつらによる被害が拡大しなくてよかったと思っておこう。で、生存者もいたんだけど」
犯罪者たちに関しては同情の余地はない。問題はその次だとアーサーが声のトーンを落とす。
「被害者とおぼしき意識不明の女性が二名。一人は重傷で、聖ギルベリア修道院のシスター・リリー。荷車も荷物も修道院のもの。今日の市に来るところだったみたいだね」
「シスターか……」
山の上の修道院から、フォークナーで開かれる市にシスターが度々やって来ることはディランも知っている。
修道院特製の菓子や保存食は、この城内でも楽しみにしている者が多く、厨房を預かる料理長もその一人だ。
聖ギルベリア修道院のある山中は領地ではないため、修道女たちは領民ではない。だが、併設している孤児院にはフォークナー辺境領から引き取られた子供もいるし、逆に孤児院出身の領民もいる。
縁ある者が被害を受けたことは遺憾でしかなくて、ディランは形のいい眉を顰める。
「残る一人が、魔法をぶっ放した張本人。コーネリア・ウォリス侯爵令嬢」
「……嫌な予感が当たった」
コーネリアの名前を聞いたディランが、思わずと言ったふうに舌打ちをした。
黒髪の下、アイスブルーの瞳が冷たさを増す。
「間違いなく侯爵令嬢本人か? 別人の可能性は」
淡々と報告するアーサーに、ディランは努めて冷静に問いかける。
「僕はコーネリア嬢って髪色しか知らないけど、噂どおりの金髪だった。服装もそれっぽかったし、気を失っていてもかなりの美人だったね。それに、あれだけの魔力攻撃ができる人間はそうそういない。平民のシスターには無理だろ」
貴族の多くは魔力を持っているが、実際に攻撃に使えるほどの魔力量と技量を持つものはごく少数だ。ウォリス家のコーネリアは、そのうちの一人として有名である。
だが、それだけで断定したわけではないとアーサーは説明を続ける。
「現場から少し離れたところにウォリス侯爵家の馭者がいて、面通しして確認もした。馭者が言うには、馬車の故障で立ち往生していたところに偶然、市に向かうシスターが通りかかって、二人で連れ立って行ったそうだよ。っていうか、シスターの荷車に令嬢が強引に乗り込んだらしい」
壊れた馬車には身分証明書なども積んであり、疑う余地はなかったとアーサーが請け合い、ディランは大きく息を吐く。
「……そうか」
「とんだ嫁入りになったねえ」
「他人事のように言うな、アーサー」
辺境伯ディラン・フォークナーのもとに、侯爵令嬢コーネリア・ウォリスと結婚するよう突然の命が下されたのはひと月半前のこと。
こちらの拒絶は一切無視する「王命」で、粛々と婚姻手続きは進められてしまった。
ディランはクーデター同然に実父を領主の座から引きずり下ろした。
喉元に剣を突き立てて権力を奪った自分を、中央の宮廷貴族たちが危険視していることは知っている。
王都から離れているとはいえ、強力な軍隊を持つフォークナーを警戒する貴族も多い。
そんな中、ディランの妻として名が上がったのが、宰相であるウォリス侯爵の娘コーネリアだ。
コーネリアは、王太子である第二王子の婚約者だった。
その彼女を、今結んでいる婚約を破棄させてまで辺境伯夫人として差し出してきたのは意外であったが、コーネリアの魔力の高さと優秀さは有名だ。王都にいる令嬢で間諜役が務まるのは、彼女くらいであろう。
(こちらの内部情報を探るため、もしくは俺を殺すためだと考えれば、納得がいく人選だ)
ディランは首輪を付けられるつもりも、コーネリアと結婚するつもりもない。
だが強硬に反発するのは得策ではないとアーサーたちに反対された。王命に反すればフォークナーを攻撃する名目を与えるだけだし、もし今回の縁談を断ることができても次の誰かが送り込まれるだけに違いないからだ。
それに、貴族の婚姻支度はどんなに急いでも半年はかかる。実際に婚礼へ向けて動くであろう春までに、どうにか回避する手立てを考えているところだった。
そんなディランの思惑を打ち破るように、コーネリアが予告なしで王都からこの地へ来たという事実には驚くしかない。
(来訪を事前に知らせれば、そのまま送り返されると思ったのだろう)
強引だし不愉快だが、やり口は理解できる。しかし、おかげで面倒なことになった。
「でもねえ、気にかかることがあるんだ」
むっすりと黙り込むディランに、アーサーが声のトーンを落とした。