春は多分すぐそこに 3
「え……っと?」
「本来ならば、リリーが次のステットソン女伯だ。陛下も王太子も認めているし、望むなら公的に立場を取り戻せる」
「わ、私が伯爵様に? 無理です! 駄目です、お断りします!」
「そうか?」
「向き不向きがありますよ。そんな大事なお役目、血筋だけで決めていいことじゃありません」
実際、領地を危険な状態に陥らせたのは直系男子のマイルズだ。
リリーはコーネリアのような教育も受けておらず、貴族令嬢としても育っていない。爵位を継いだところで、また領民が苦労するだけだ。
「私は、市に物を売りに行けたらそれでいいです」
「欲がないな」
「堅実って言ってください」
「それなら、ステットソンの名前は?」
「名前?」
「爵位は要らないというのは分かった。けれど、リリー・ステットソンに戻るのはどうだ」
身寄りがないとして修道院に預けられたリリーには名字がない。両親が判明したのだから、それだけでも取り戻したらどうか、ということをディランは言っているようだ。
(名前か……)
「その後にリリー・フォークナーになってくれれば一番いいが」
「え? ごめんなさい、聞こえなかったです」
考え込んでしまって聞きそびれたディランの呟きを尋ねるが、「いや、いい」と首を横に振られてしまった。
「まあ、ともかく。家名を取り戻して、公にステットソンの実子と認められるのにも抵抗があるか?」
「それは、ええと……」
生きていくには今の「リリー」で十分だ。
けれど、貴族の身分とは関係なしに、名字を引き継ぐことで両親を身近に感じられるかもしれない。
愛されて、望まれて生まれたのだと知った以上、それは素敵なことに思えた。
「名前は、嬉しいかもしれません」
「なら、そうしよう。両親が領主だったという出自が役に立つこともあるだろうし」
「ふふ、なんでご領主様が乗り気なんですか。それに、『役に立つ』って、たとえばどんな時に?」
「そうだな、修道会への支援請求が無視されにくくなるとか、修道院を出たメアリー妃やコーネリア嬢とも付き合いやすいとか」
「あ、それはいいですね! そっか、王妃様も侯爵ご令嬢も、本当は平民が気軽に話していい方じゃなかったです……」
気性の荒い貴族だったら、馴れ馴れしいと叱責されるだろう。平民の見習い修道女だと認識した上で最初からリリーを許容してくれたコーネリアは、やはり優しいと思う。
「あとは、まあ、俺……というか、フォークナーにとって都合がいい」
「都合ですか?」
「俺自身は、リリーが平民でも貴族でも一向に構わないが。『貴族の血筋でないと領主夫人と認めない』なんてほざく面倒な奴はどこにでもいるからな。いちいち相手をしなくて済む」
なにを言われたのか分からなくて、リリーは首を捻る。
「……何度も戦場に行ったが、あれほどの怪我をしたのも、誰かが手当てをしてくれたのも、あの時だけだ」
真剣な声で、まっすぐに見つめられて、暖を取るために繋がれた手が必要以上に熱い。
「ディラン様?」
「助けてくれた少女が忘れられなかった。名前も知らないのに、また会いたくて」
今、告白めいたことを言われなかったか。
「フォークナーがステットソンを支援していたのは、『ブリジット』がいたからだ」
「え、と、その」
「十年前の礼をしたくて。だが、俺を助けてくれたのはリリーで、ブリジットではなかった」
間違えていた、と訥々と語る。
「守り袋を作ってくれていたのも、リリーだった」
「あ……あー、そうだったんですね!」
つまりディランは、昔の手当ての礼に、これまでステットソンを助けてくれていて――恩返しだったのだ。
だが蓋を開けてみれば、ディランを助けたのはリリーで、ブリジットではない。支援をするなら修道院にするべきだったと、ディランは悔やんだと、そういうことだろう。
(やだ、勘違いしちゃいそうになった……ディラン様もまぎらわしいんだから)
告白された気になってしまった。そんなことがあるわけないのに。
――でも。
勘違いだったと分かると、胸のあたりがちくりと痛む。
(……変なの)
心の中で盛大に動揺しながら、リリーは語り続けるディランの話に耳を傾ける。
マイルズもブリジットも、ディランの勘違いには気づいていたはずなのにそれを訂正することはしなかった。むしろどこまでも支援を引き出そうとしていた。
見抜けなかったことへの自責に加えて、今日こうして修道院の窮状を見て、ますます申し訳ない気分になったとディランは言う。義理堅い人だ。
「気にしないで大丈夫ですよ! そもそも、私がブリジット様のフリをしていたのが悪いんですから」
「それは置いておいて。リリー、明日一緒にフォークナーに戻らないか?」
「戻る?」
「前ステットソン伯爵をよく知る使用人をフォークナーで預かっていると言っただろう。彼らから直接、両親の話を聞きたくはないか」
「それはもちろん、聞いてみたいです。でも……」
急に予想外の提案をされて、リリーは返事に詰まる。
知りたくないわけがない。どんな人だったのだろう。外見だけでなく、性格や好きなもの――なにか自分と共通点はあるだろうか。
しかし。
入れ替わりが解消されて本当のリリーに戻った以上、自分のいるべき場所は修道院だ。フォークナーではない。
だが、揺れる心を見透かすように、ディランは誘い文句を重ねる。
「コーネリア嬢は、まだしばらく修道院から離れるつもりはなさそうだ。ロイも残すし、リリーが抜けても人手が足りなくはならないだろう」
「それはそうでしょうけど」
「むしろ、リリーが残るほうが問題じゃないか?」
「どうしてですか」
「食料は保つのか? 春まで買い物にも行けないのだろう」
「あっ」
いくらディランが補償代わりに持たせてくれたとはいえ、備蓄の保存食も、燃料も余裕があるわけではない。
一人少なければその分助かるのは事実で、もっともな指摘に、頭がすっと冷えた。
「そ、そうでした。みんなのごはんが足りなくなっちゃうのは困る……」
「無事だと顔を見せられたんだ。入れ替わりも解消したし、今はそれで満足したらどうだ」
春に修道院に戻るときにはまた、荷車いっぱいの食料や木材を積んでやる、とまで言われてしまう。
そんなありがたい提案までされたら、抗えるわけがない。
分かったと頷くと、ディランは嬉しそうにする。
「よし、決まりだ」
「でも、いいんでしょうか。私、そんなに親切にしてもらう理由がないですよ」
「言っただろう、恩を返したかったのはブリジットじゃなくてリリーなんだ。好きになったのも」
なにか、耳がおかしくなった気がする。
聞き返そうとして、でも、声が出なかった。あっけにとられるリリーに苦笑して、ディランがまっすぐ見つめてくる。
「あの少女が本当にステットソンのブリジット嬢だったら、一生言うつもりはなかった。アーサーが言い出すまで、会うはずもなかったし」
ただステットソンを支援して、そこで無事に過ごしてくれたらそれでいいと思っていたとディランは言う。
けれど、忘れがたい恩人は自分の前に現れた。
疑わなくてはならない敵なのに憎みきれず、無視をすればいいのに関わってしまう。
そんな自分に苛立ちもしたが――。
「結局俺は、リリーが救護所の少女とは知らないまま、また惹かれていたんだ」
姿が違っても、記憶に残しているのは自分だけでも。
「そして、その相手がただのリリーとして目の前にいるなら、手を伸ばすのに躊躇う必要はないだろう」
「あ、あの、ちょっと、待って」
「どうやらリリーには直接言わないと通じないらしい。フォークナーに帰ったら、疑問に思う隙がないくらい春までじっくり口説くから」
つっかえながらの言葉を遮って、思わせぶりに手を握り直される。重なる手の大きさの違いを実感して、急に逃げ出したくなった。
「いくら中身がリリーでも、コーネリアの体に積極的に触れる気はしなかった」
「っ、な、なに言って……っ」
離す気など無さそうに繋いだ手を見つめながら呟かれて、頭のてっぺんまで暑くなる。真冬の夜中だというのに。
慌てふためくリリーから目を離さないまま、ディランは満足そうに微笑む。
「十年越しだからな。今さら急ぎはしないが、諦めるつもりはない」
「だっ、な――もう知らない!」
繋がれた手はどんなに揺らしても解けない。どうしようもなくなって、持っていたブランケットを頭から被ると、布越しに笑い声が聞こえた。
くぐもって、でも幸せそうに響く声がどうしようもなく恥ずかしくて、胸が熱くて、ぎゅっと目を瞑る。
「リリー」
呼ばれても、素直に返事ができない。
「望みはまったく無さそうか?」
さんざん強引なことを言ったくせに、こうして窺ってくる声は気遣いが滲んでいるから、拒否しきれない。
(し、心臓が持ちそうにない、から……!)
「…………お手柔らかに……してもらえたら、少しは、たぶん」
ごく小さく呟いたのに、しっかり聞こえていたらしい。逆の手に繋ぎ直されて、ブランケットの上から肩を抱き込まれた。
温かいのは魔力のせいだけではないだろう。
「……婚姻式はギルベリア修道院でするか」
「気が早い!」
即座に突っ込むと、盛大に笑われた。ディランの思いにリリーの心はまだぜんぜんついて行けてないが、決して嫌ではない。それだけは分かる。
とはいえ。
(……目が覚めたら雪が溶けて春になってないかなぁ)
そんな叶わないことを願っているうちに、快い眠りがやってきたのだった。
お読みいただきありがとうございます!
「入れ替わりの花嫁はお家に帰りたい」完結となります。リリーとディラン、コーネリアたちのお話を楽しんでいただけましたら嬉しいです。
原作は終わりましたが、池泉先生のコミカライズ『入れ替わりの花嫁~見習い修道女リリーはお家に帰りたい~』はBookLive!様先行、各電子書店にてとっても素敵に連載中です。ぜひご覧くださいませ!
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