春は多分すぐそこに 1
入れ替わりは解消したものの、コーネリアの体内魔力はかなり不安定だった。魔石への魔力補充もままならず、移動魔法が使えないためその晩は修道院に泊まることになった。
麓のフォークナー領では、ディランやマクシミリアンたちを心配しているだろう。だが、ロザリオも魔石もこちらにあるため通信手段がない。
「とはいえ、今日中に戻ると約束したわけではないからな」
「殿下、それは詭弁です」
「ははは、いくら気を揉んでも無理なものは無理だろう!」
朗らかに笑い飛ばすマクシミリアンにディランとコーネリアが眉を寄せるが、言われる通り、魔力補充が終わり次第戻る以外に方法はない。
体内魔力を安定させるには休息が有効、というわけで、夕食を終えると早々に休むことにした。
急に増えた人数に予備の寝台を出しても足りないので、体を寄せ合って眠る。リリーはコーネリアと一緒に寝台に入った。
「コーネリア様と一緒に寝るなんて、なんだか不思議です」
「わたくしも誰かと寝るのは初めてよ。この固いマットには慣れたけれど」
「あぁぁ、本当にもう、ご苦労をおかけして」
「よして。もとはといえば、わたくしの魔力のせいで入れ替わってしまったのだし」
「守ってくれようとしただけじゃないですか。誰かが悪いのだとしたら、コーネリア様じゃなく、襲ってきた奴らが悪いんです」
「命じたアラベラ妃たちもね」
「ええ。でもみんな罰せられましたから」
「……そうね」
謝り合うのはお終いにして、毛布を深く被る。
くったりと横になって、コーネリアが長く息を吐いた。
「この倦怠感も久しぶり……わたくしの体ってこうだったわね。でも、なんだか前よりいい気分よ」
「そうですか?」
「心地よい疲労感っていうのかしらね。目が回るような具合の悪さもないし……」
話すコーネリアの声が細くなっていく。
あっという間に眠りに落ちたコーネリアをしばらく眺めていたが、さすがにリリーも疲れていたらしい。いつのまにか、ふっと意識が落ちていた。
まだ暗い早朝、朝の祈りの鐘が鳴る。黙想や朝食を済ますと、午前の仕事に取りかかるのが修道院の日課だ。
しかし今日は、王太子や辺境伯、魔術師長などイレギュラーな客人がいる。そのため、リリーは院長から客人の相手をするよう申しつけられた――のだが、なぜかディランとふたりきりで厨房にいる。
(どうしてこうなった……いやでも、仕方ないよね?)
外はあいにくの吹雪だ。子どもたちは孤児院のスペースでシスターたちが面倒を見ており、調子が戻ったコーネリアとメアリー妃は魔石へ魔力補充をしている。魔術師長とマクシミリアン、王太子を護衛するロイも一緒だ。
ひとりフリーなのはディランだが、修道院の中の案内が終われば、もうすることがない。
「ご領主様は、魔石に魔力補充をしなくていいんですか?」
「あの魔石は王族の所有物だ。使用するのも魔力を補充するのも、あらかじめ許可された者だけができる」
貴重な魔石は濫用を防ぐために様々な制限がつけられていて、触れることが許されているのは基本的に王族と魔術師長のみだという。
王太子の婚約者だったコーネリアは、準王族として扱われていた実績がある。それを以て王太子が許可を出したが、辺境領主のディランはいくら魔力量が多くとも部外者である。
「はあ、そうなんですね。コーネリア様とご領主様で補充をしたら、一瞬で終わりそうですけど」
「いや、それは無理だろう」
王家の魔石には、リリーが持っていたロザリオの魔石よりも多くの魔力を溜めなくてはいけない上に、数もある。そう簡単には終わらないだろう、とディランは言う。
「じゃあ、まだしばらく掛かるんですね」
「そういうことだな」
(そっか。それじゃあ、なにしようかな……)
シスターの仕事は山のようにあるが、まさか客人である彼を放って掃除に精を出したり、守り袋を縫ったりするわけにはいかない。
どうしようと考えた結果、リリーは菓子を焼くことにした。
厨房なら、デリックとして塔での調理に付き合ってくれたディランも暇を持て余さないだろうし、気楽に過ごせるだろうと思ってのことだ。
そんなリリーの思惑通り、そこそこ和やかに作業が進んでいる。今はオーブンに一台目のりんごケーキが入っているところだ。
「――ところで、魔石の魔力補充ってどのくらい掛かるんですか?」
「エイダン卿が持ってきた魔石は、魔力保有量が特別大きいタイプのものばかりだ。一番小さい石で、リリーが持っていたロザリオの数倍は入るだろうな」
「そんなに!?」
魔力操作ができるようになってからは頻繁に行っていた魔力補充だが、慣れるまではあの小さな石に魔力を込めるのでさえ、疲労困憊になったものだ。
まだ本調子ではないコーネリアの負担が大きくなければいいが、と心配になる。
「私がお役に立てれば……」
「リリーに魔力はないだろう」
「そうですけど、気持ち的になにかできないかと! なのでやっぱり、お菓子をもっと焼きます!」
せめて甘いもので労わせてほしい。たくさん焼けば、大人だけでなく、子どもたちも喜んでくれるだろう。
次は何のケーキにしよう、それともクッキーやマドレーヌ、はたまたパイに、などと考えながらパントリーに入ると、そこはいつになく充実していた。
(……いつもはこんなに詰まってないのに)
「お砂糖も粉もたくさんある……これって、ご領主様が持たせてくださったんですよね。ありがとうございま――」
礼を言おうと振り向くと、面白くなさそうな表情のディランと目が合った。
「ご領主様じゃない。ディランだ」
「え」
このギルベリア修道院は、フォークナーの領地ではない。
領民でもないリリーから「ご領主様」呼びをされる筋合いはないと咎められる。ついでに、敬語もいらないと言われてしまう。
「そんなわけにはいきませんよ、ご領――あ、はい、ディ、ディラン……様」
無言の圧を掛けられて、つい受け入れてしまった。
「敬語もいらない」
「無理でしょう?!」
いくらなんでも、そんなわけにはいかない。リリーはぶんぶんと首を横に振る。
「私、フォークナーの領民でも臣下でもありませんけど、年下として年長者は敬いたいですし」
「今まで散々だった気がするが」
それは侯爵令嬢のコーネリアとして精一杯虚勢を張っていたのだ。
ディランだって分かっているだろうに、引く気はないらしい。
「……努力目標ということで」
「まあ、ひとまずはそれでもいいか」
「すぐは絶対無理ですからね」
「絶対?」
「ぜったい!」
力一杯訴えたが、ディランはリリーの困り顔が面白いのか楽しそうにするだけで、通じている気がしない。
(そんなに馴れ馴れしくしてるところをアーサーさんあたりに聞かれたら、怒られそう)
叱られることを早速覚悟して、諦めて粉と砂糖を用意する。棚の上にある天板を取ろうと踏み台を探すと、ディランが先に気付いてくれた。
「あれを取りたいのか?」
「あ、うん。そうで……うわっ!?」
取ってくれるのかと思ったら、ひょいと持ち上げられた。
地面から高く浮いた足にも、うっかり近くなったディランとの距離にも驚いて鼓動が跳ねる。
「これで届くだろう」
「取れるけど、な、なにも私を持ち上げなくてもっ」
どうしてリリーが持ち上げられる必要があったのか。ディランは自分が妙なことをしている自覚はないようで、軽く小首を傾げるだけだ。
「……そうしたかったから?」
「は、」
「いくら中身が違うと分かっていても、コーネリアの姿だと触れるのには抵抗があったんだな」
腑に落ちたというように話すディランは、自分も今気がついたと言いたげだ。
よく分からないが、ひとまず目の前に迫った天板を手に取り地面に降ろしてもらう。危なげなく地に着いた足に、ほっと息を吐いた。
「ええと、ありがとうございました」
やり方は妙だったが、手伝ってくれたおかげで欲しいものが取り出せたのは事実である。礼を言うと、ディランも軽く頷いた。
「ああ。他にもまだなにか必要か?」
「もう大丈夫です、厨房に戻りましょう」
そう言ってパントリーを出ようとしたところ、なにかに躓いた。咄嗟に踏みとどまろうとしたが、両手に荷物を持っていたせいでそのままバランスを崩してしまう。
「っ、わ!?」
「……リリーに戻っても危なっかしい」
後ろから腕を回されて転ばずに済んだが、この体勢は塔の階段から落ちそうになったのを助けてもらった時を思い出す。
ディランもそのことを言っているのだろう。
「あ、ありがとうございました……ディラン様」
「なんだ」
「助かりました。もう離してくださって大丈夫ですよ」
「……」
「あの?」
なぜか手が緩まない。不思議に思って首を後ろに見上げると、なにか言いたげなディランと目が合った。
(……?)
なかなか発されない言葉を待って、しばらく。ようやくディランの口が開いて、返事が来る――寸前、厨房から自分を呼ぶ声が聞こえた。
「おーい、リリー……あれ、いない?」
「そんなはずないわ。厨房にいるって院長先生が」
「ロイ、それにコーネリア様?」
はっと自分たちの距離に我に返って、慌てて離れる。今度こそ転ばないように小走りでパントリーを出ると、ロイに支えられたコーネリアの姿があった。
「ああ、そっちにいたんだ」
「材料を取りに行っていて。どうしたの、魔石に魔力を補充していたんじゃ?」
「ネリーの顔色が悪くてね。休憩させにきた」
「なんでもないと言っているのに、余計な気を回したのよ」
コーネリアはたしかに軽く支えられているが、自分の足でしっかり立っているし、顔色も悪いようには見えない。
けれど休ませると言ってロイが強引に連れてきたらしい。
だが、椅子に座らせられると、コーネリアの体からくたりと力が抜けた。怠そうに背もたれに寄りかかって、自分でも驚いたように小さく震える指先を見つめる。
「平気だと思ったのよ……頑丈すぎるリリーの体に慣れてしまって、同じ調子で動いていたのね」
「ゆっくりでいいんだから。無理はしない」
「……そうね」
ロイから膝掛けを渡されて、コーネリアは諦めたように深く息を吐いて瞳を伏せた。
「ディラン様、分かりました?」
「いや、外見からはなにも。ただ……魔力のほうは乱れている。少しだが」
小声で尋ねれば、そんな答えが返ってくる。
「ええと、ケーキはもうすぐ焼けるけど、先になにか飲む?」
温かいものがいいだろう。休憩用の茶葉の缶に手を伸ばそうとしたところ、ロイに止められた。
「オレが淹れるよ。リリーはまだなにか作るんだろ」
「そう? じゃあ任せるね」
「ああ」
ロイはリリーが取ろうとした缶を戻し、ハーブティーを手にする。
「あれ、ロイ。ハーブティーは苦手じゃなかった?」
「ネリーは好きだから」
「……へえ」
入れ替わって一緒に暮らす中で、好みを知るくらい親しくなったのだろう。
だが、それだけだろうか。
カップを差し出すロイとそれを受け取るコーネリアが、やけにしっくり見える。
「……なんですの」
「いえ、なにも」
リリーの視線に気づいたコーネリアが、ぱっと頬に朱を走らせる。
(なるほど……?)
本人でも分からなかった不調を察し、自分の好みより相手の嗜好を優先する。ロイは基本的に気が利くが、幼なじみのリリーでもこういう態度を取られた記憶はない。
「リリー、そろそろ焼き上がるんじゃないか」
「あ、本当だ!」
ディランに指摘されて、オーブンへ向かう。開けてみればちょうど良い焼き色で、思わず笑みがこぼれた。
「わー、上出来!」
「他人のことは分かるんだな……」
うきうきとケーキを取り出すリリーの後ろでディランがなにか言ったが、よく聞こえなかった。
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