修道院のリリーとコーネリア 2
「そう言うと思ったわ」
「だな」
大急ぎで全力否定すると、コーネリアだけでなくディランまで腕を組んで頷いている。すっかり見透かされている。
「それでわたくしは考えましたの。あなたの刺繍がついた守り袋を、加護を前面に出さず修道院の売りのひとつにします」
守り袋はどこにでもあり、珍しいものではない。けれど誰もが知っていて、年ごとに取り替え、所持するのに抵抗がないものでもある。
つまり恒久的に需要が認められる。
その守り袋に多少の加護があったなら――これはもう、誰もが手にしたくなるに違いない。
もちろん加護は公言しない。怪我を防ぐおまじないの効果があるかも……程度に匂わせおけば、実感する者が出るだろう。
「それって大丈夫なんでしょうか」
「嘘は言っていないし、こういった謳い文句はどこにでもあるものよ」
コーネリアはそう言って、辿り着いた作業室の扉を開く。
作業台の上にはたくさんの布や糸、そして製作途中の守り袋があった。本気の量産体制である。
「わあ、たくさんある……」
「守り袋だけを作っているわけではなくてよ。ちゃんと他の作業もしていますわ」
「そこは心配してないです。すごくカラフルで驚きました」
「色も大事なポイントね。布を染めたの」
コーネリアはもうひとつ、修道院周辺に自生する植物にも目をつけた。
ロイや子どもたちとともに火付けに使う用の枝を拾いに行ったとき、冬でも枯れない木やその幹に付く、灰色のコケのようなものを見つけたのだ。
幼い頃から英才教育を受けてきたコーネリアには、そのコケ――地衣類を使って、今は廃れた古い方法の染色ができるという知識があった。
灰色のコケとともに布や糸を煮出すと、元の色からは想像もつかない美しい赤紫色に染まるのだ。
だが、空気の綺麗な山奥でないと自生しないコケであり、近年はすっかり廃れた手法でもあった。
コケだけでなく、マライアが育てている薬草にはサフランや紫根、ヨモギなどもあった。これらの植物もまた、鮮やかな色に染めることができて希少性も高い。
「守り袋はもともと、素朴で質素な見た目が多いわね。多色で染めたら目を引くだろうと考えたのよ」
「さすがです。私、思いつきもしませんでした」
リリーはコーネリアの発想に目を見張る。刺繍の図案は工夫したが、そもそもの布や糸をどうにかしようと思ったことはなかったのだ。
それに綺麗な色糸は値が張る。結果、毎年落ち着いた仕上がりになっていた。
ディランも感心したように、守り袋を手に取って眺めている。
「しかも加護があるかもしれない修道院周辺の植物由来となれば、話題性も抜群よ。十分に差別化が図れるわ」
「確かにな」
「なんだかすごい話です……」
実際、ここにある試作品はとてもよくできていた。懐に忍ばせる守り袋ではなく、持ち歩いて見せたい小物としても通用するほどで、これならばどこに出しても人気がでるだろう。
数年も経てば真似をする者も現れ、似たような守り袋が市場に並ぶだろう。しかし、加護の効果を実感できるギルベリア修道院製に勝るものはそうそう出ないはずだ。
「同じようなもので溢れかえる頃には、すっかりうちの守り袋がスタンダードになっているでしょうね」
コーネリアがギルベリア修道院を「うち」と言ったことに驚きつつ、リリーは嬉しくなる。
「それで私にも、守り袋をたくさん作るようにって言ったんですね」
「ええ。今は年に一度、秋に売っているそうだけど、別に年中売って悪いわけじゃないもの。実際王都ではそうしているし、常に在庫は用意すべきよ」
そして主力製品である保存食は、ラベルを見栄えのするものにしてリニューアルするという。その準備も着々と進んでいる。
「ラベルデザインは、孤児院の子どもたちにも手伝ってもらうわ。王都の奥様方が喜んで買うでしょうね」
「王都の?」
「ええ」
コーネリアのウォリス家は商会も営んでいる。その販売網を使って、これまで細々と近くの市でのみ売っていたこれらを王都まで運び、売るというのだ。
(そんなことが……)
修道院はここから動けない。それなら周囲や物のほうを動かせばいいとコーネリアは軽く言う。
「これまではその手段がなかったでしょうけれど、わたくしが関わったのですから。数ヶ月を暮らした修道院を、辺境でちんまり商ってお終いになんかさせないわ」
これらの品をマクシミリアンにも贈り、王族に献上した実績をつければ完璧だと断言する。
ちなみに、院長たちからはもう許可を取っているとのこと。手回しの良さに感激してリリーは胸を押さえる。完璧だ、素晴らしい。
「売り方が悪いって言った意味が分かったかしら」
「最高です、コーネリア様!」
困窮にあえいできた修道院が、活気づく様子が目に見えるようだ。ディランも感心したようで、賞賛する。
「とんでもないやり手だな。王子妃より経営者のほうが向いているんじゃないか」
「自分でもそう思うわ。でも、そもそも修道会がちゃんと運営費を支給していれば、ギルベリア修道院がここまで困ることはなかったのよ」
信仰を忘れ、中央の貴族向けになってしまった修道院の改革を待つより、自分たちで稼ぐほうが早いし、得た金の使い道に文句もつけられる心配もない。
だがもちろん、修道会本部にも梃入れをするとコーネリアは言う。
「そちらへの対応は、シスター・マライア……メアリー様もご協力してくださることになったの。内情をよく知るメアリー様なら、誤魔化されることもないわ」
「なんて心強い! あ、でもそうか……シスター・マライアはここからいなくなっちゃうんですね……」
マクシミリアンは「陛下の命で母上を迎えに来た」と言っていた。
アラベラ妃やギレット伯爵の脅威がなくなった今、身を隠すために辺境にいる理由がない。
(仕方ないし、それが当然だけど)
修道院で長く一緒に過ごした人に会えなくなるのは、寂しく感じてしまう。
「それにやっぱりコーネリア様もいつかは……」
「わたくしは王都に帰らないと言ったでしょう」
「えっ?」
涙ぐむリリーだが、コーネリアはばっさり否定する。
「人の話を聞いていた? こんなに面白いことから身を引くつもりはない、って話したわよ。そもそもこの計画はわたくしが立てたのだし」
「で、でも、王都で皆様が待っていらっしゃいますよね? お父様も……」
「ああ、父ね。わたくしのことを待たせてばかりいたのだから、たまには待つ側になったらいいわ。それに、メアリー様もここに戻るかもしれないわよ」
「ええっ!?」
「だって『また正妃だなんて、面倒ね』ってぼやいていらしたもの」
王太子が直々に迎えに来ている以上、一度は王都に戻らねばならない。しかしそのうち、シスター・マライアとしてギルベリア修道院に帰ってくるのではないかとコーネリアは予想しているようだ。
国王は、アラベラ妃やギレット伯爵を抑えられず、正妃と息子を危険にさらしたことを負い目に感じている。時勢が許さなかったとはいえ、それを持ち出して願われたら断り切れないだろう。
「ありそうな話だな」
「でしょう」
国王がメアリー妃を愛していたのは有名な話だ。罪悪感と惚れた弱みで、ある程度の自由を認めるだろうと予測するコーネリアに、ディランも頷く。
「さあ、リリー。これで安心かしら」
「は、はい。よかったです。コーネリア様もシスター・マライアも大好きなので、お別れしなくちゃと思ったら寂しくて」
「あなた、またそんなことを」
涙目で伝えるとコーネリアは気まずそうに視線を逸らして、こちらに手を差し出してくる。
「……じゃあ、安心したところで、ほら、魔力を流しなさい」
「えっ?」
「え、じゃないわ。入れ替わりを解消するわよ」
――そうだった。
春まで、との意識が強すぎて忘れていたが、せっかく会えたのだから、元に戻っていいはずだ。
「戻りたくないの? わたくしは、この風邪ひとつ引かない図太い体のままでもよろしいですけれど」
「そんな! これ以上手荒れが進む前にお返しします!」
「リリー、あれほど言ったのに!」
言葉では咎めながらも、コーネリアの目は笑っている。怒りきれないコーネリアは、やはり優しいと思う。
握り合った手のかさつきに微かに眉を寄られせたが、それ以上の文句は言われなかった。
「……ハンドクリームも開発しようかしら。たしか薬草園には甘草もあったわね。炎症緩和と肌の弾力に――」
「コーネリア様?」
すっかり研究者目線になってしまったコーネリアに目を瞬かせると、気まずそうに咳払いで誤魔化された。
「……失礼。ほら、外に行くわよ」
コーネリアは作業室から外に通じるドアを開け、屋外へと誘う。冷たい空気に全身が包まれて、興奮してのぼせ気味だった頭がすっと落ち着いた。
「魔力操作は多少できるようになったのでしょう? 遠慮しなくていいわ、全力で放出しなさい」
「が、頑張ります」
リリーは手を引かれるまま、さくさくと雪を踏む。
建物から離れたところで足を止めたコーネリアは、黙って付いてくるディランを振り返った。
「ディラン・フォークナー、あなたは介助を。あなたの魔力が混ざらないように、リリーの魔力だけを引き出しなさい」
「ややこしいことを……」
「あら、できないの?」
「やれないとは言っていない」
挑発に分かりやすくムッとしたディランは、コーネリアと向き合って手を握り合うリリーの背後に立ち、両の手でリリーの頬を包んだ。
「へ?」
「皮膚接触が必要だ。ここしか肌が出ていないだろう。いいから集中しろ」
(集中しろって言われても!?)
背中側にはディランが、真正面にはコーネリアがいて、それぞれ密着している。サンドイッチの具になっている状態で、おかげで寒くはないがどうにもこうにも気恥ずかしい。
なにをどうしたら、と焦るうちにディランの手から魔力の流れが伝わってくる。
「……コーネリアの体には大量の魔力がある。一度体の中心に集めて、一気に放出しろ」
ディランは魔力を動かして、集めるのを手伝ってくれているようだ。教えられるまま体内の魔力の動きに集中していると、だんだん体の真ん中になにかが溜まってくる。
「コ、コーネリア様。もし失敗したら――」
「さあ? またしばらくその姿のままかもね。そもそも、入れ替わる現象はあくまで理論上ですもの。わたくしにだって確信はないわ」
今は王宮魔術師長もいるから、試して駄目だったら助言を請おうと励まされる。
「そうですね……がんばります。あ、でも、それなら魔術師長さんがいるところでやったほうがいいんじゃないですか?」
「わたくしは研究対象になるつもりはないの。あれこれ調べられながらなんてお断りよ」
「でも」
「そうね。もし暴発したとしても、ディラン・フォークナーが責任持って鎮火するわ」
「おい」
「まあ、力不足かしら? 残念な辺境伯ね」
「……やる」
(コーネリア様! 強い!)
ディランのさらなる協力をさくっと取り付けて、また集中するように指示される。
感心しながら魔力に専念し、ある程度魔力が溜まったところでディランの手が離れてサポートしてくれていた魔力もふっと抜けた。
「そのまま集め続けろ」
ディランが離れても魔力の流れは止まらない。どんどん強まってくる中からの圧力に耐えきれなくなって――
「今よ」
「今だ」
重なった二人の声に、暴漢に襲われたあの時を思い出す。
薄くなっていく意識の中で確かだったのは、しっかりと守ってくれた細い腕と瞼越しの眩しい光、衝撃。
(同じように、集中して)
静かに息を吐くと、リリーは全力で魔力を放出した。
天を突く閃光と轟音。その中心にリリーとコーネリアを残し、ディランは弾き飛ばされた。危なげなく雪の上で態勢を整え、衝撃から目を守った腕を下ろす。
「……えっと」
気が抜けたリリーの声がする。煙が晴れてくると、手を繋ぎ合ってきょとんとした二人が顔を見合わせていた。
あまりの音に、屋内にいたマクシミリアンたちも駆けつけてくる。
「どうした!?」
「すごい音がしたわねえ」
「ほんと。建物が壊れるかと思うくらい揺れたわ」
焦っているのはマクシミリアンだけで、院長はじめシスターたちはのんびりしたものだ。
全員の目が、ぼんやり立ち尽くすリリーとコーネリアに集まる。と、二人がゆっくりとこちらに顔を向けた。
「リリー、ネリー?」
「院長、先生……」
リリーの体が院長を呼ぶ。コーネリアの体が、大きくひとつ頷いた。
「戻ったわ」
わっと上がった歓声の中、ディランと目が合うと、確かめるように凝視される。
「……ああ、リリーだ。間違いない」
満足そうに微笑まれ、リリーもぱっと笑みを咲かせた。




