修道院のリリーとコーネリア 1
相談室にはリリーとディラン、コーネリアとロイ、それに院長、シスター・マライアの六人が集まることになった。
魔術師長のエイデンは同席を断った。リリーたちが話している間は、子どもたちに連れられて薬草園へ行くという。
屋外にある畑は雪の下だが、鉢に植えて屋内で越冬させている一部の薬草が気になるらしい。
相談室で待っていると、シスター・マライアが先に現れた。その後ろから、幼なじみのロイとともに到着した見習い修道女にリリーの目が引き寄せられる。
「わあ、ロイ! それに、あぁコーネリア様! っていうか、私!」
なじみ深い修道服、その下の平凡顔……のはずだが、真正面から他人の目で見る自分はなんだかキリリとしていて、自分ではないような、妙な気分になる。
ディランもまじまじと隣にいるリリーと見比べている。ほう、と小さく息を吐くのが分かった。なにか納得したらしい。
「……こっちが本物のリリーか」
「そうです。でもなんか違う人みたい」
「同じ言葉を返しますわ。わたくしに、そんなに気が抜けた顔ができるなんて」
入れ替わった同士で顔を見合わせて、なんとも言えない表情になる。
同じようにしげしげと二人を眺めていたロイも、「へえ」と感心した声を上げた。
「そっちが元々のネリーかあ。本当にお嬢様なんだな」
「ロイ……それがどうかしまして?」
「いや? 綺麗だなって見蕩れただけ」
「っ、そ、そう」
にこりと厭味なく言われて、ロイを振り返っていたコーネリアがばっと顔を伏せる。
おや、と思う空気が流れたが、コーネリアは赤く染まった目尻を一瞬で元の色に戻すと、誤魔化すようにリリーに近寄り手を取った。
「……無事に会えてよかったわ」
「本当です、コーネリア様」
お疲れさま、と挨拶を交わしたが、荒れた肌に眉を寄せられた気がする。
そんなリリーたちの隣では、メアリー妃であるシスター・マライアとマクシミリアンがほぼ十年ぶりの再会を果たしていた。
「母上、お久しぶりです」
「元気そうね、マックス」
「はい、お互いに」
さすが王族、駆け寄って熱烈なハグをするでもなく淡々と、しかししみじみと喜びが滲み出るような対面であった。
感動もそこそこに、古いソファーに落ち着くなり、マクシミリアンはディランとコーネリアに書類を手渡した。
「いろいろ話したいことはあるが、まずはこれを」
席順は院長の隣にマクシミリアン。向かいはディランとリリー、コーネリアとシスター・マライアはそれぞれ一人掛けに。辺境軍の一員であるロイは護衛としてドア前に立っている。
封蝋がされた書類をディランは無言で開け、中身を確認する。
「……確かに」
軽く頷いて、ディランはその書面をコーネリアに手渡す。さっと目を通すと「よろしいですわ」と頷いて、今度はリリーに渡してくる。
「えっ?」
「読みなさい。あなたにも関係のあることよ」
不思議に思いつつ再度促されて受け取ると、用紙の上には教会の印があった。
(教会発行の書類ね。ええと、『フォークナー辺境伯ディラン・フォークナーとウォリス侯爵息女コーネリアの婚姻は成立しておらず――』……!?)
そこにあったのは驚くべき内容だった。
王に命じられたディランとコーネリアの結婚は、見届け人も立ち会って婚儀は執り行われた。
しかしコーネリアが意識不明のままで本人の宣誓が成されていないこと、それに、今現在も領主館と塔に分かれて暮らしていることから、両者の婚姻は不成立と認定されたと書いてある。
見届け人はその任を全うしなかったとして戒告。王命を発した当時とは状況が変わったこともあり、もし改めて婚姻を結ぶなら手順を一からやり直すように、と国王の署名もされてあった。
リリーは書面とディラン、それにマクシミリアンを慌ただしく見比べて首を傾げる。
「……離縁?」
「違う。遡っての婚姻無効だ」
ディランに力強く訂正された。
「俺とコーネリアは結婚なんてしていない」
「当然ですわ。誰がこんな人と」
「そっくりそのまま返す」
見た目は非常に麗しい二人なのに、直接顔を合わせてもロザリオ越しと変わらない舌戦に不思議な気分になる。
「はあ、なるほど?」
「反応が薄いな」
「いえ、驚いてしまって」
向かいのマクシミリアンは、そんなやり取りを楽しげに聞いている。
「王家のゴタゴタに巻き込んでしまったからな。色々尽力してもらったし、なにか褒美をと尋ねたら、二人揃って王命の白紙撤回を求められた。ウォリス侯爵もそれでいい、と」
「もう、二人とも欲がないんだから。辺境領の完全自治権とか十年分の納税免除とか、もっとふっかければよかったのにねえ」
「母上、それは勘弁してください」
しとやかに笑うシスター・マライアに、マクシミリアンが額を押さえる。
「まあでも、そこにも書いてある通り、最初から不成立要素のある婚姻だ。そもそもコーネリア嬢とルーカスの婚約破棄や辺境伯との婚儀を裁可したのは、陛下ではなくアラベラだからな」
「ルーカスに嫁ぐのも不愉快でしたけれど、ディランも大概ですわ」
「気が合うな、俺もだ」
「ふ、二人とも落ち着いて」
バチバチに視線でやり合うディランとコーネリアに挟まれてオロオロする。が、しかし。
(そっか、婚姻無効……って、待って)
「コーネリア様、ご領主様とのご結婚がなくなっちゃったってことは、王都に帰るんですか?」
はっと用紙から顔を上げて、コーネリアをまっすぐ見つめる。
「私、これからもフォークナーの市に行けば、お会いできるかもって思ってたのに……領民の皆さんも、ようやくご領主様に奥様ができたって喜んで――」
「わたくしは王都に帰らないわよ」
「え?」
「今戻ったら、今度はこの人と結婚しろって命じられるに決まっているもの」
この人、と思い切り指を差されたマクシミリアンが苦笑する。
「まあ、そうだろうな。私としても、コーネリア嬢を妻に迎えるのはメリットしかない。王太子妃教育も済んでいるし、ウォリス侯爵家は今回の騒動で断罪されなかった数少ない家だし」
「冗談じゃありませんわ。せっかく面白くなってきたのに」
「面白い?」
「いいこと、リリー。わたくしはこのギルベリア修道院を国一番の豊かな施設に変えてみせますから」
ばん、と胸を張ってコーネリアは言い切った。
コーネリアがド貧乏修道院の経営改善に乗り出してくれていることは聞いていた。
しかし、こう自信満々に言い切れるなにかがはたしてこの修道院にあっただろうか。
「ようやく手応えを感じたところなのよ。ここで止めて王都に帰れと言われても、とても聞けないわね」
「本当にねえ、ネリーはよくやってくれているわ」
「そうそう。私も感心したのよ」
院長もシスター・マライアも手放しで褒めており、マクシミリアンの妻問いを応援する者はいないらしい。
「ええと……?」
「リリーには実際に見せたほうが早いよ、ネリー」
「そうね、ロイ」
「行ってらっしゃい。その間にこちらで話を進めておくわね」
「ええ、メアリー様。お願いしますわ。リリー、いらっしゃい。ディラン・フォークナー、あなたは ……まあ、来たければどうぞ」
向かう先は作業場だという。ロイは王太子の護衛のために残し、リリーとディランを連れて歩きながら、コーネリアは事の次第を説明してくれる。
コーネリアは幼少から、未来の王子妃として高度な教育を広く学んできた才女である。そんな彼女にとって、山奥の修道院の窮状は見るに見かねるものだった。
持続可能な収入源を見つけ、経済状態を正常にすることを目標にしたコーネリアが目をつけたのは、皆で作って市で売る「保存食」と「守り袋」だ。
値付けが安過ぎると怒られたこれらを、ギルベリア修道院特製のものとして人々に認知させてみせるという。
「守り袋?」
「ええ」
たしかに、守り袋をたくさん作るよう言われていたが、そんなに高価なものではない。
どうするつもりかと首を傾げるリリーに言い聞かせるように、コーネリアは話し始める。
「あなたたちの作るものは質は良いのに売り方が悪い、って言ったのを覚えているかしら」
「質が良いって、褒めてもらって嬉しかったです」
「そこで喜ぶだけだから駄目なのよ」
「でも、すごく頼もしかったですし」
もとから一定の人気がある保存食はともかく、コーネリアが守り袋に目をつけた理由を訊いた。
毎年、秋になると市で見かける守り袋は、この国で特別珍しいものではない。
しかし、ごく普通の守り袋が、特別な品に変わる可能性があることに気がついたという。
「わたくし、あなたの修道服を借りているのだけど」
そう言って、コーネリアはスカートを摘まんでみせる。
「上着も着ずにこの格好で外に出ると、凍えるほど寒いはずでしょう? なのに、そこまでじゃないのよ」
健康なリリーの体だから寒さにも強いのかと最初は思ったが、そうではなかった。
それが判明したのは、終課の祈りを終えた礼拝室で、シスターたちと残って少しだけ興じたお喋りの最中。誰が言い出したか、それぞれのウィンプルを見せ合うことになった。
修道服はどれも同じに見えるが、実はそれぞれの時代ごとに異なる仕様になっている。その違いをコーネリアに披露しようと してくれたのだ。
貧乏修道院は、制服だって贅沢はできない。多少古くなっても、あちこち繕いながら着られるうちは徹底的に着る。ワンピース本体だけでなく、もちろんウィンブルもだ。
薄くなったところには似た色の布を当て、小さな穴は刺繍で塞ぎ、時にはほどいて縫い直して――と、「よくぞここまで」というほど着倒す。
あちこちに丁寧に当てられた継ぎに、コーネリアは色々な意味で感心したものだ。
「驚きましたわ。ここまで予算がないのかと」
「あはは、予算があっても服に回すなら食費や建物の修繕費にしちゃうかもですねえ」
そんなわけで、皆のウィンプルを比べると、たしかに使っている布や染め具合などが微妙に違う。
工房の差なのか、時代性なのか。興味深く思いながら皆で取り替えながらウィンプルを被って比べ合っていた。
そんな中、リリーのウィンブルを被ったときだけ、やけに温かかったのだ。
「そうなんです?」
「ええ。それもウィンプルだけじゃないわ」
不思議に思って、ほかの衣類も調べみると、孤児院の子どもたちの服にも保温性の高いものがあると分かった。
それらに共通していたのは、刺繍や繕いなどでリリーの手が入っていたことだ。
そういえば、リリーは崖から落ちたのに軽い怪我で済んだ過去もある。
かなり高い位置から転落したにもかかわらず、呑気に干しキノコを作っていたのは修道院でも語り草になっている。
シスターたちがよくよく思い返すとその一度だけでなく、立ち枯れた木がすぐ脇に倒れてきたり、古い足場が崩れたり、とリリーはまあまあ危ない目に遭っては運良く回避していた。
「リリー……」
「ぐ、偶然です! たまたま! そんな、鈍くさいわけでは!」
暴露されたそそっかしい過去に、ディランに溜め息を吐かれてしまった。忘れていたが、いろいろやらかしていたようだ。
それに転ぶことの多い子どもたちも、リリーに繕われた服や守り袋を身につけているときは、間一髪で大事故を免れたりしている。
それらのことからコーネリアが導き出した答えは、ディランたちと同じ――つまり。
「リリー、加護って知っているわね」
「ええ、まあ……えっ、もしかしてコーネリア様――」
「その通りよ。わたくしはあなたに加護があるのではないかと思っているわ」
「いやそんな、まさか」
加護は本人だけでなく、刺繍などの手仕事に効果が付与されやすいという。
だが、体感温度の調整も怪我の防止も多少の範囲で、寒い暑いの感覚が消えるほどではないし、まったく怪我をしないというわけでもない。
それらのことから引き出された結果は「リリーには加護がある。しかし、そこまでの力ではない」ということ。
「加護って、そんな……」
「ええ、本当に加護があるのかどうかは、この際どうでもよろしいの。『加護っぽいなにか』があるかもしれない、という事実があればいいのよ」
「ええぇ、それってどうなんですかねえ?」
それはそれで微妙である。しかしコーネリアはそんなリリーに肩をすくめた。
「加護者のようだ、と公表してもよろしいのよ? でも加護者が現れなくなってもう何十年と経っているわ。ほんの僅かな加護でも『ある』と認められてしまったら、リリー、あっというまに教会に取り込まれるわよ」
「え」
す、と真顔になったコーネリアにリリーも息を呑む。
「貧乏とは無縁になるわね。綺麗な服を着せられて、一日中信徒に付き従われ、かしずかれ、聖人と崇められ、分刻みの神事に行事。国同士の社交の場にも――」
「ごめんなさい間違っていました! 加護っぽいなにかがあるような、ないような、むしろなくていいでお願いします!」
恐ろしい未来を滔々と語られて、リリーの全身に怖気が立つ。
不特定多数に崇められるような生活、御免である。




