市への道中 3
「あなた、そのロザリオ」
「あっ、これですか? えへへ、今日は特別に院長が貸してくださったんです」
「見せなさい」
「わっ。ちょ、ちょっと待ってください」
見せるのは構わないが、引っ張られては手綱が持ちにくい。揺れで落とされても大変だと、リリーはロザリオを外し、コーネリアの首に掛ける。
「……ふうん。面白いわね」
ロザリオをじっと眺めるコーネリアの薄紫の瞳が、興味深そうにきらめいた。
(面白い?)
リリーの目には長年見慣れた院長のロザリオだが、コーネリアの目にはなにか違って映るのだろうか。
「古いですが、高価なものではないはずです。なにか由緒があるとも聞いていませんけれど」
「ぱっと見はそうでしょうね。でも、このロザリオの……」
メダイに嵌まっている小粒の透明な石を指先で撫でながら、コーネリアは言葉を探すように考え込んでしまった。
続きを待っていると、なにかの気配を感じる。
見上げると、今にも雪を落としそうな灰色の雲で埋まっている空に、チカと輝く光が見えた。
(鳥? ……違う。えっ、弓矢!?)
狩りの時期はとっくに終わっている。
密猟者の可能性も無くはないが、もともと獲物も多くないここでその可能性は低いうえ、弓矢はまっすぐにリリーたちへ向かって落ちてくる。
――避けられない。そう思った瞬間、勝手に体が動いた。
「危ない!」
「きゃっ!?」
手綱を放してリリーはコーネリアに覆い被さる。
ガタリと揺れた車体と抱きついた勢いで、二人一緒に後ろの荷台に倒れ込む。衝撃を受けた背中が熱い。
「あなた、なにを――」
「く、ぅ……っ」
逃げて、と言いたかったが、口から出てきたのは血が混じった息だった。
すぐ近くにあるコーネリアの顔から、ザッと血の気が引いた音が聞こえた気がする。
「う、嘘。そんな……リ、リリー……?」
道に沿って流れているこの川の橋を越えれば山は終わり、その先は街道だ。開けた道は辺境領の中心部に続いている。
(麓まで、もう少しだったのに)
これまで何度も行き来しており、小型の魔獣や野生の猪に驚かされたことはあっても、賊が出たことはなかった。
あの矢は、確実にリリーたちを狙っていた。
昔から悪意に敏感で、そういうことはなぜかよく分かるのだ。
痛みを堪えるリリーの目の端に、細い山道から現れた数名の荒くれ者の姿が映る。
「あーあ、なんだよこの尼さん。くっそ寒い中待ってたのに、邪魔しやがって」
荷車に倒れ込んだままの自分たちのもとに、首領とおぼしき男が近付いてくる。
隣国イスタフェンからの侵入者かと思ったが、言葉も服装もこの国のものだ。
「一発で死ねたらラクだったのになぁ? コーネリア・ウォリス侯爵令嬢サマ」
「あなたたち……!」
下卑た笑みを浮かべて自分たちを見おろす男に、コーネリアは状況を理解したようだ。
(コーネリア様、相手が誰だか知っているの……?)
抱きついているせいか、不思議とコーネリアの感情が伝わってくる。
どうやら彼女は、不審者に対して恐怖ではなく、怒りを感じているようだ。
「どなたの差し金?」
「詮索はナシだ。どうせすぐ死ぬんだから、聞いても意味がないだろ」
愉しげに白い息を吐きながら、男は目を細めて鞘から剣をゆっくりと抜く。
このまま二人まとめて斬り捨てようという魂胆らしい。
「恨むなら自分の小賢しさを恨むんだな」
「あら。わたくしは小賢しいのではなくて、事実賢いのですわ。あなた方のような低能な無頼漢には違いが分からないのも仕方ありませんけれど」
「……てめえ」
煽るようなコーネリアの態度に、相手の殺気がぶわりと膨らむ。
(ああ、だめ。コーネリア様だけでも逃げて)
どんどん視界が暗くなって体が冷えていく。もう意識を保つのも無理そうだ。
(院長先生、みんな……せめて、冬越しの支度をしてから死にたかったな。ごめん)
おみやげを持って帰る約束は果たせそうにない。コリンに怒られるだろう。泣かれるかもしれない。
「あばよ、お嬢様。運の悪いシスターと一緒にあの世で後悔しな」
大きく舌打ちをして、野盗が振り上げた剣が鈍い光を放つ。
迫る白刃にコーネリアの瞳が炎のようにきらめいた、ように見えた。
「後悔するのはそちらよ!」
リリーを抱きしめるコーネリアの腕に力がこもる。消えていく意識の最後に、轟音と閃光を感じた。
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