裁きのとき 2
「――ウォリス侯爵家が一女、フォークナー辺境伯夫人であるコーネリアが証言いたします。わたくしは、メアリー妃の私室に仕掛けられた毒を見つけました」
リリーの発言に、ざわりと室内の空気が揺れる。
「場所は浴室。壁が二重になっており、奥側に塗り込まれている緑色の顔料が毒物です。また、王宮の本宮にて現在閉鎖されているマクシミリアン王子の部屋にある浴室にも、同じ毒が」
メアリーの残した医学書を読みに部屋に入ったコーネリアは、たまたま足を向けた浴室で、割れた壁の向こうに建物の素地ではなく鮮やかな若草の緑色を見た。
それこそが、メアリーとマクシミリアンがどれだけ探しても見つけられなかった毒物である。
原料鉱石の産地は国内では一箇所、ステットソン伯爵領だけ。
採掘には王宮の許可が必要だが、申請すらせずに秘密裏に売りさばいていた。
「銅塩に酢酸銅などを加えて作られる顔料で、湿るとヒ素を放出する性質を持ちます。毒性は高く、吸入すると腹痛や嘔吐、発熱に見舞われ、次第に脾臓や骨髄がうまく働かなくなり、多機能不全で死に至ります。けいれんや喘鳴なども……当時の、メアリー妃やマクシミリアン王子に現れた症状と同じですわね?」
彼らの身に起きた様々な症状は、伝染病ではなく毒によるものだと、科学者と宮廷医の書面も掲げて断言する。
「そして王宮の設備管理には、皆様ご存じの通り、ギレット伯爵が深く関わっております」
ここ二十年近く、新宮の建設や既存設備の改修まで、王宮内の建物を管理しているのはギレット伯爵である。
どんな小さな工事も彼の最終決定を経なければ行うことはできず、反対に言えばギレット伯爵さえ許可を出せば、どのような改築も思いのままだ。
毒を塗った壁は表から見える壁に隠されていて、そこが二重だということは気づかれない。巧妙に組まれた隙間や目地を通って湿気が入り込み、またそこから毒素が排出される仕組みであった。
たとえ壁を疑われても、見える表側にはなにもなく、しかも乾いた状態では毒素の検知は難しい。そういう盲点も突かれた。
「思えば、わたくしが医学書を求めてメアリー妃の部屋に入った日は、アラベラ妃からよく話しかけられました。わたくしがあの部屋で何を見たか、もしくは見ていないのかを、確かめていたのですね」
そして、浴室の壁が割れていたと答えた直後に、王太子ルーカスとの婚約を破棄し、ディランと政略結婚するよう告げられた。
自分が見たものが何を意味していたのかを知ったのは、ギルベリア修道院でメアリー妃と再会してから。
お互いの身の上を開示し合う中で、偶然にも毒壁の存在が発覚したのだ。
「毒の壁が今も残されていることは調査済みです。証拠保全のため、フォークナー辺境軍の兵士をメアリー妃とマクシミリアン王子の私室に立たせています」
この場から指示を飛ばして隠滅を図ろうとしても無駄だと言い添えると、アラベラ妃の形相がいっそう険しいものになった。
「王宮に近衛兵以外の兵を入れたですって? 陛下、これは明らかにフォークナー辺境軍によるクーデターです!」
「いいえ、許可をいただいています」
「嘘おっしゃい! 誰がそんな馬鹿な許可を出すというの」
「そうだ、いい加減なことを言うな! コーネリア、お前はいつもそうやって賢しらぶって、可愛げのない……!」
「婚約者でなくなった女性を名前で呼ぶなど、相変わらずですこと」
ここぞとばかりに責めてくるルーカスをちらりと眺めて、リリーはさっと出入り口へ顔を向ける。
「許可をくださったのは、国王陛下、並びにマクシミリアン第一王子でございます」
「なにっ!?」
いっそうのざわめきの中、アーサーが開けた扉からマクシミリアン王子が現れる。その姿に部屋にいた全員が目を疑った。
メアリー妃と同じ病の後遺症で余命幾ばくもないと思われていた第一王子が、すっと背を伸ばして健康そのものの足取りで部屋の中央へ進んだのだ。
実母であるメアリー妃の面影がある彼は、捕縛されたアラベラ妃ら三人を冷たく睥睨すると、国王の前で礼をとる。
「御前失礼いたします。陛下、長きに渡る久闊をお詫び申し上げます」
「よい。……マクシミリアン、苦労をかけた」
「滅相もございません。私こそ力及ばず」
マクシミリアン王子をまじまじと眺める国王の瞳に、隠しきれない安堵が浮かぶ。それにカッとなったのはアラベラ妃だ。
「あなた……病などと謀ったのですね! この恥知らずが、よくも陛下の前に顔を出せたこと!」
だが、その糾弾は筋違いだと、マクシミリアンに慌てる様子はない。
「そなたの申し開きは後で聞く。だがその前に、もうひとつ罪状を加える必要がある」
「な、なんですって」
「私と、母であるメアリー妃に使ったのと同じ毒を、そなたとギレット伯爵は陛下にも使った。証拠はこの目で、ここに来る前に確認してきた」
皆が法廷に集まっている隙に、国王の洗面室の壁を破壊したのだとマクシミリアンは言う。
緑色の壁が現れた現場には兵士を残してあると威圧を載せて言われ、ギレット伯爵が卒倒しアラベラも頽れた。ルーカスにいたっては、理解できていないのか呆けたままだ。
「国王の弑逆はなによりの重罪だ。沙汰は厳しいものになる……司法官長、異論がなければ罪状を確定し閉廷を」
徹底的に罪を暴かれて、ステットソン親子もアラベラ妃たちも反論のしようがない。
放心し蹲る被告人たちに向けられる目は冷たいもので――こうして、王宮での断罪は幕を閉じたのだった。
その後、 少しでも己の処罰を軽くしようと、ステットソンとアラベラたちはお互いに犯した罪をなすりつけ合った。
おかげでぞろぞろと追加の証拠と罪状が上がり、彼らには罪に見合った罰がくだされた。
ステットソン伯爵とギレット伯爵、アラベラ妃には極刑が。親に流されるまま、自らの罪を意識することすら怠ったルーカスとブリジットには、籍を剥奪し庶民とされてのち収監が言い渡された。
ルーカスの行き先はマクシミリアンが入れられていた離宮、そしてブリジットは辺境よりもっと遠い、離島の矯正施設だ。
十分に反省が見られれば、監視付きではあるが市井に戻る道は残されている。
コーネリアは「甘い」と不服そうだったが、メアリー妃から妥当だと宥められていた。
王太子にはマクシミリアンが復帰した。イスタフェンとの関係は、これから時間を掛けて折り合いをつけていくつもりだと言うが、いくら相手が大国であろうと虚仮にされたままでいるつもりもないと宣言もしているのでなにか考えがあるらしい。
とはいえ、何年も病気療養と称して引き込もっていたマクシミリアンは、厄介な隣国よりもまずは国内の迅速な掌握が第一である。
早速、宰相であるウォリス侯爵を味方につけ、春からの議会に向けて準備を万全に整えているところだ。
件の壁を取り除き、解毒処置が行われた国王の症状も改善傾向に向かっている。
年齢のこともあり回復に時間がかかっているが、原因となる毒素発生源が消えたことと、なんといっても最愛の妻であるメアリー妃の生存が確認されたことでかなり気力が戻ったそう。
一方のメアリー妃はロザリオで一度話しただけで、「修道院が楽しいから、王都に戻るのはどうしようかしら」などと言って国王をヤキモキさせている。
マクシミリアンだけでなく国王もディランやコーネリアに恩を感じているらしく、リリーとの入れ替わりについて王宮魔術師長にも問い合わせてくれた。
そうまでしたが、分かったのはやはり前代未聞の現象だということ。
解消するには、入れ替わったときを再現するのが最も確率が高いだろうと、コーネリアと同じ見立てだった。
王宮の魔術研究室の職員たちはもっとリリーを調べたかったようだが、マクシミリアンとディランがそれを防いでくれた。
実験動物扱いは勘弁だったので、ほっと胸を撫で下ろしたリリーである。
別日に、コーネリアの父であるウォリス侯爵がタウンハウスを訪ねてきた。
ロザリオを通じて会話をしたが、久しぶりの父娘対話だというのに漂う寒々しい業務的な雰囲気に凍りそうになったが、それが普通であるとコーネリアは取り付く島もない。
それより修道院の手作業のほうが忙しいのだと、余計な気を回すなと怒られてしまった。
――光が消えたロザリオをリリーに渡しながら、ウォリス侯爵と少しだけ話をした。
ギレット伯爵やアラベラ妃の企みには勘づいていたという。しかし尻尾を出さない敵に、娘コーネリアを人質に取られていたようなものだったと打ち明けられた。
ルーカスとの婚約が破棄されたコーネリアを、アラベラ妃はギレット伯爵家縁戚貴族の後妻にさせようとしていたそうだ。
そのまま時期を見計らってコーネリアを「処分」するつもりだというアラベラの魂胆を見抜き、せめて遠くの地に――フォークナーへ送ったのは、親としてのせめてもの抵抗だったそうだ。
ディランが王都貴族から反感を買っていたことは本当だし、事実上の追放でもあり、アラベラ妃の反対も抑えられたのだという。
そこでも命が狙われるのは予想できたが、自分の娘は弱くない。
そもそも辺境に送られるような刺客など、中途半端な腕の裏稼業の者だろうと、むしろ分のいい賭けだと思ったそうだ。
「いや、あの、コーネリア様のお父様? なんというか、その――」
「さすがに入れ替わりは予想外で驚いたが」
「驚いている表情でも声でもないんですけど」
面会に立ち会ってくれたディランも額を押さえている。
「……しかし、無茶なことをしてくれましたね」
「結果的にアラベラ妃たちは罪に問われ、娘も君たちも生き延びた。問題なかっただろう」
事実だけ見ればそうだが、と顔を顰めるディランにどこ吹く風な宰相はコーネリアとよく似ており、いかにもな貴族仕草でリリーたちに別れを告げたのだった。
そんなふうに面々の行く末を見送って、リリーたちがフォークナー辺境領に戻ったのはまだ真冬の最中。
入れ替わりが解消できる春は、まだもう少し先である。




