王都へ 3
『ふふ、正解。あなたの声が聞けて嬉しいわ』
(は、母上!? シスター・マライアが王子殿下のお母様!? )
マクシミリアンの母といえば、かつて正妃であったメアリー妃だ。
亡くなったはずだが……実は生きていて、ギルベリア修道院にいたというのだろうか。
(で、でも、言われてみれば……)
シスター・マライアの整った顔立ちや美しい仕草。博識で、教えるのが上手で……と、王妃らしい特徴がいくつも浮かぶ。
修道服で茶目っ気のある冗談を飛ばしている記憶しかないから、その彼女が実は王妃だなんて急に言われても実感が持てないが。
(礼儀作法とか詳しいなーって感心して、字も綺麗で外国語も知っていて……待って、王妃様直々に教えていただいていたっていうこと?)
貴族女性の最高位である王妃が作法に通じているのは当然で、どうりで分かりやすく的を射た指導だったと今さらながらに恐れおののく。
院長やほかのシスターが、シスター・マライアの正体を知っていたかどうかは分からない。
死亡を偽装するために修道院に避難したのなら、誰も知らない可能性のほうが高いかもしれない。けれど。
(コーネリア様は、王妃様をご存じだった……)
リリーとして偶然運び込まれた修道院で王妃に再会して、どれだけ驚いただろう。
口で言うほど修道院での暮らしに不満がなさそうだったのはきっと、王妃のおかげもあるはずだ。
貴族としての話も通じるし、王宮を不本意に追い出されて辺境に来た同士、共感することも多かったに違いない。
――なんにせよ、驚いただけで裏切られたとかそういう気分にはならないが。
マクシミリアンにあれこれ昔話を始めた手元のロザリオを見つめていると、ディランが耳に口を寄せた。
「知っていたのか」
「まさか!」
「だろうな。コーネリアは『切り札がある』と言っていたが……そうか、このことか」
ディランもしらなかったようだ。
小声でやり取りをしているうちに、母子の確認は済んだらしい。マクシミリアンは、母親本人に向けるような眼差しをロザリオに注いでいる。
魔石に魔力を足して王子に手渡すと、震える手で受け取られた。
『それでね、マックス。そちらにいる人たちは信用できるわ。でも、まだ彼らに話していないことも当然あるの。一緒に聞いてもらえるかしら』
「はい、母上」
姿が見えないデメリットをものともせず、シスター・マライア……メアリー妃は、淡々と事情を説明し始めた。自分が流行病で死んだとされた少し前から、今までのことを。
その中にはリリーが知っていることもあったが、まったく予想外のことも多かった。
一通り話し終わるまで、実際はさほどの時間ではなかったはずだが、中身が詰まっていて数時間も聞き続けていたかのように頭がいっぱいになった。
マクシミリアンからは、話の最中で何度かリリーやディランにも確認を入れられたが、それは単純に疑問を解消するためであって、話そのものを信じていない様子は見受けられなかった。
『――で、可愛いリリーとコーネリアが不運にも……いいえ、幸運にも入れ替わってしまったおかげで、こうして断罪のチャンスを迎えられたわ』
「なるほど……」
メアリーに語られると、不測の入れ替わりもまるでおとぎ話のようだ。
リリーは魔力の暴走で危なかったり、コーネリアは極寒極貧暮らしを強いられたりと、現実はそんなに優しくはなかったが。
『素敵な奇跡よね』
『ご自身が一番大変な目に遭っていらっしゃるのに、軽く言われても困りますわ』
コーネリアの呆れ声も聞こえる。が、どこか楽しそうだ。
本当は、コーネリアたちは春になって入れ替わりを解消してから、王都でアラベラ妃たちを罪に問おうと考えていたそうだ。
しかしイスタフェンの侵攻にステットソン伯爵が関係していると判明した。
国王も病床にある今、それならば引き延ばさないでまとめて片をつけてしまうほうがいいと判断したのだという。
『そうは言っても、呑気な見習いシスターに任せるのは、わたくしだって不安なのよ』
「コーネリア様、私も自信ないです。しかもいろいろ初耳です」
『リリー。わたくしの姿で弱音は許しません』
『あらあら、仲良しなんだから』
『なっ、王妃様っ』
『んもう、シスター・マライアよ、ネリーちゃん? 今度間違ったら、ロイにあのこと教えちゃうんだから』
『~~~っ』
ほほほ、と楽しげに笑われて、言葉なく焦るコーネリアが目に見えるようだ。
「……楽しそうですね、母上」
『おかげさまでね。古いし寒いところだけど、よくしてもらっているわ。ごめんなさいね、私だけ逃れて』
「そのような言い方はやめてください。母上のおかげで、私も生き延びられたのだから」
――メアリー妃とマクシミリアンは、流行病に見せかけた殺害の危機にさらされた。
黒幕はアラベラ妃とその父であるギレット伯爵 だと分かっていても、証拠が見つけられない。
そうして手をこまねいているうちに、一時危篤状態になったメアリー妃は、実父ノリス公爵の手を借りて死亡を偽装し、王宮から脱出した。
そのまま姿を隠したが、敵の目を欺くためダミーを含めて人間や仲介組織を間に複数挟んだことで、父のノリス公爵でさえメアリー妃の最終的な居場所は掴めなくなってしまったそうだ。
無事だとの手紙が差出人不明で一通届いたきり。
生存を信じているが、探せばアラベラ妃たちにも見つかる。もどかしい思いで、何年も時期を待っていたのだという。
マクシミリアンを隔離することに決めたのは、ノリス公爵と国王だ。同じ病に罹り、快復したものの後遺症が重いとして王宮から離し、身の安全を確保したのだ。
それしか手がなかったとメアリー妃は悔やむが、そんな殺伐とした状態で殺されずに済んだだけで満点ではないだろうか。
(それに、陛下がマクシミリアン王子を守ろうとしていたなんて)
食事や衣服の差し入れはきっちりされており、それらに紛れて差し入れられた教本で、マクシミリアンは自学自習ながら帝王学も修めているとのこと。
問診に訪れる侍医長は数少ない事情を知る仲間で、彼の勧めに従い屋上で密かに体を鍛え、医学の手ほどきも受けたそうだ。
この建物の有様を見て、愛情がないのかと思ったが、国王は忘れたふうを装うことで、アラベラ妃の目を誤魔化したのだ。
マクシミリアン王子本人も、そんな父王の微妙な立場は理解していて、恨んだりはしていないと言う。
父王がたまに来て扉越しに会話をするのは、アラベラ妃とギレット伯爵へ向けてのパフォーマンスでもあった。
マクシミリアンは、病の後遺症に怯える軟弱な王子として認知され続ける必要があったのだ。
「本当は あと数年のうちに、私も死んだことにして王宮から出る予定だったのだが」
そして母メアリーを捜し出し、ギレット伯爵とアラベラ妃による毒殺未遂と王権簒奪の罪を暴くつもりだった。
だがその前に、リリーたちがやってきた。
「その計画を陛下にも話していた。しかし、コーネリア……ではないな、リリーか。君の言った『孔雀』は、私たちの中でアラベラ妃を指す隠語だ。そして『若草』は、母と私に使われた毒の色だ」
「!」
若草を見つけた、孔雀を捕まえたいなら――その言葉の意味は。
(毒を見つけた、アラベラ妃を捕まえたいなら……っていうことだったんだ)
唐突にやってきた令嬢からこんなことを言われたら、顔色を変えるのも当然だ。
しかも、少し前までアラベラ妃の息子である第二王子の婚約者だったという、いわく付きの令嬢から。
あのタイミングでメアリー妃が発言してくれたことが大きいが、よく信じてくれたと、今さらながら思う。
だが、マクシミリアンは捉えどころのない笑みを浮かべて、軽く首を傾げる。
「新しいフォークナー辺境伯が、アラベラ派ではないことは知っていた。宮廷政治には興味がなさそうだとも」
自分の父を下ろして領主の座に就き、領地をまっとうに導いていると侍医長は話していた。その彼も同行しているなら信じてみようかと思ったと王子に言われ、ディランが軽く目を伏せた。
「残念ながら、情報は早くなくてね。父が倒れたことで、侍医長もしばらくこちらには来ていない。受け取れる内容も少なくて……おかげで、コーネリア嬢とルーカスの婚約がなくなったことは知らなかった」
『あなたがご存じでも関係ありませんわ。なにもできないのですもの』
「まあ、そうだが……変わらないな、コーネリア嬢」
『お互い様ですわ、殿下』
色々話して警戒心は抜けたらしい。コーネリアを揶揄うマクシミリアンは、さきほどよりずっと余裕のある態度に見えた。
人前に出ず何年も一人で過ごしてきたのに、王族らしい貫禄があるのがすごい、とリリーは感心する。もう少し健康的になって立派な服を着せたら、そのまま王太子に戻れそうだ。
そんな空想から、コーネリアの声がリリーを現実に引き戻す。
『それで、よろしいかしら。昔を懐かしむためにそこの者たちを向かわせたわけじゃありませんのよ』
「ああ、もちろん。フォークナー辺境伯。ステットソンの引き渡しはいつを予定していた? それと、証人は」
「証人は安全な場所に留めてあります。引き渡しに関しては、アラベラ妃側に準備する時間を与えたくないですから、殿下がよろしければすぐにでも」
「なるほど。では、明日か明後日に」
『そんなにすぐでよろしいの?』
あっさりと返されて、コーネリアのほうが戸惑う声を上げた。リリーたち三人とロザリオを順番に眺めて、マクシミリアンが頷く。
「心の準備だけはしていたからな。……もうずっと、何年も」
足りなかったのは物証だけだった。
刺し違える覚悟ならいつでもあったが、そうすると逃げ延びた母メアリーや祖父のノリス公爵も巻き込んでしまう。
だが、今なら。
「ありがたく力を借りようじゃないか」
お互いのために、と言うその口元は、優雅に弧を描いていた。




