王都へ 1
リリーの体調が戻るとすぐ出立の準備は調い、ディランを始めとする一行とともに無事に王都に到着した。
フォークナーのタウンハウスは、洒落た王都の中にあっても浮かれた感じのない堅牢な館だった。どっしりとした佇まいは辺境領の城館にも通じる。
普段ほとんど使うことのないここに、連れてきたイスタフェンの上官兵やステットソン伯爵父娘を収容し、厳重に見張りを立てる。今日はもうすっかり日が落ちてしまっているので、引き渡すのは明日になるそうだ。
リリーは旅装からなぜか華やかな外出着に着替えさせられて、ディランとアーサーの三人でまた慌ただしく馬車に乗った。
「ゆっくり休ませてあげられなかったけど、体調は大丈夫そう?」
「はい、平気です」
向かいに座ったアーサーに聞かれて、問題ないと頷く。
相変わらず体力のないコーネリアの体だが、馬車の移動は慣れているようで、そこまで疲労を感じなかった。
長旅は初めてだったが適宜休憩を取ってくれたし、快適な宿屋でしっかり休めたのも大きいだろう。
(おかげで、観光気分になりそうだったけど)
月に一度、市に行くときしか修道院を出ないリリーは、こんなに遠くまで移動するのは初めてだ。
ついあちこちの景色に目を輝かせてしまい、それに気づいたディランやアーサー、時にはロザリオを通してコーネリアまでがいろいろ教えてくれた。
楽しくて、本来の目的である「敵国と内通していたステットソン伯爵を裁くため」ということをうっかり忘れそうになるところだった。
(しっかり気を引き締めないと)
息を深く吐いて背を伸ばすと、すっかり暗くなった外を馬車の窓越しに見つめた。
自分たちが王都に来ていることは、まだ王宮に伝えていないそうだ。その前にやることがある、とのことだが――。
(詳しく教えてもらってないんだよね)
王宮政治に力を入れていたステットソン伯爵は王都貴族に顔が広く、アラベラ妃とも繋がりが深い。
ただ罪を訴えただけでは形ばかりの処分で終わる可能性もあるだけでなく、最悪、有耶無耶にして無罪放免されかねない。
それを防いで厳正に裁くには、ある人物の協力を取り付ける必要があるそうだ。
――というわけで、到着早々その人物に会いに向かっている。
なんでも、面会を成功させるには「コーネリア」の存在が欠かせないとのことで、こうしてリリーも一緒に行動しているというわけだ。
(その人の協力が得られれば、私の両親のことを調べるのにも役に立つって言われたけど)
貴族ということだけは聞いているが、一体どんな人なのだろう……とぼんやり考えながら、馬車の窓から外を眺める。
祭りでもないのに、街灯に照らされた夜の街を沢山の人が歩いている。さすが王都だと思ううち、賑やかな区画を過ぎてあたりが静かになってきた。
(……どこに向かっているんだろう?)
内密に話ができる飲食店か宿屋にでも着くのかと思っていたのだが、人気はなくなっていく一方だ。
「もうすぐ着くよ」
「もうすぐ?」
アーサーに言われて首を傾げる。
不思議に思って外を覗くと、かがり火を焚かれた大きな門が少し先にあった。
閉じられた門を守る兵と、掲げられた紋章がここからでも見える。
(え? あの紋章……)
「あの、ここってもしかして――」
「王城だ」
どうということもないように答えるディランに、リリーは目を丸くする。まさか城に来るなど、思いもしなかった。
「な、なんで教えてくれなかったんですか!?」
「別に陛下に会いに来たわけじゃないからな。だいたい、先に教えたらリリーは無駄に緊張するだろう」
「それはそうかもしれませんけど!」
「コーネリアは城の常連だ。黙っていればいい」
(そ、そう言われても……っ)
初めて上京したリリーは当然、王城を見るのも初めてだ。それなのに、侯爵令嬢コーネリアとして振る舞わなければならない。せめて心の準備をしたかったのに、と恨めしそうに睨んでしまう。
そうしているうちにも、馬車の外で門番の兵が馭者に確認を取っている声が聞こえた。と、扉が叩かれ、ディランが開けた窓から兵が覗き込んでくる。
(ひ、ひえっ)
内心で盛大に焦りながら、ぎゅっとロザリオを握って口元に自信ありげな笑みを浮かべ、馬車の中を窺う兵と一度だけ目を合わせる。
(私はコーネリア様、お城なんて慣れっこ! 兵士たちも気にしない!)
そのまま興味なさそうに視線を逸らして、ついでに扇で顔を半分隠す。門はあっさり開いてリリーたちを城内へ迎え入れた。
窓が閉まり、何事もなく進み始めると、リリーは溜め息を吐いて額を押さえる。
「ほら、問題なかっただろう」
「問題なくとも、心臓に悪いです……」
精神的負担が半端ない。ゆっくり走る馬車の揺れにぐったり体を預けながら、リリーは別の疑問を口にした。
「お城って、こんな時間に来ても大丈夫なんですか? 連絡もしていないって言ってましたよね」
「ディランはいつでも王城に入れるんだよ」
「いつでも?」
「貴族なら誰でもってわけにはいかないけど、辺境伯だからね」
アーサーが言うには、国境で国防を担う辺境伯という立場は蔑ろにできるものではないのだそう。
それに、王城は行政の場所でもある。文官たちも遅くまで働いているし、敷地内には貴族が宿泊するための施設もあるそうだ。
「へえ、そうなんですね。今さらですけれど、私、そういうことなにも知らないです」
そういえば「コーネリア」として振る舞わなくてはならないのに、リリーには相変わらず貴族令嬢の知識や常識がない。
こんな自分で大丈夫だろうかと不安になる。
「心配するな。お前はさっきみたいに『コーネリアらしく』ふてぶてしくするだけでいい」
『は? 聞き捨てならないわね、誰がふてぶてしいですって?』
ディランの言葉に真っ先に反応したのは、ロザリオの向こうにいるコーネリアだった。間髪を容れずリリーの胸元から響いた声に、ディランが顔をしかめる。
「なにも間違っていないだろう」
『失礼な男ね……でも、リリー。弱気なところを見せたら駄目なのは、その通りよ。王都の貴族の前でわたくしの情けない姿をさらすなど許しません』
「は、はいっ」
『城内では言葉も最低限になさい。姿はわたくしなのですもの、黙っていれば早々バレないわ』
口を開けばボロが出る。だからもし何か聞かれても無視しろと言われるが、それはそれでなかなか難しくはないだろうか。話しかけられたのを無視して澄ましている自信がない。
『リリー、返事は? 王都は敵の本拠地なのよ。わたくしたちが入れ替わっていることを見抜かれるわけにはいかないのだから』
「は、はいっ、頑張ります!」
(そうだった! コーネリア様は命を狙われていて……王妃様たちから)
きりりと窘められて背筋を伸ばす。わざわざ辺境まで刺客を送り込んでくるような者たちを相手にしなければならないのだ。隙を見せるわけにはいかない。
今夜は幸いにも、終課の祈りも終えたコーネリアは密会に付き合ってくれることになっている。
(しかも、修道院のロザリオの魔石が魔力切れにならないように、シスター・マライアもいてくれるっていうし)
シスター・マライアが魔力持ちだったこともそうだが、今もまだコーネリア側の様子を詳しく聞けていない。
だが最近は、ディランからマライアについて質問をされることはなくなったので、疑念は解けたのかもしれない。
コーネリアの口ぶりから、修道院ではロイの次にマライアと仲良くしているように感じられる。
(まあ、シスターの中では一番年齢が近いし)
年齢も理由だろうが、コーネリアとマライアの二人は、すっと伸びた背筋とか、そこはかとなく滲み出る自信とかが似ている気がする。そういうところで仲間意識を持ったのかもしれない。
そんなことをつらつら考えている間も、馬車は走り続けている。
(……門の中に入ってからも長いなあ)
どれだけ広いのだろうと不安になったころ、ようやく馬車が停まった。
「着いたのですか?」
「ああ。降りるぞ」
促されて下りたそこは、かなり静かな場所だった。
宮殿からは離れているようで近くに建物は見当たらず、明かりも遠くにぼんやり見えるだけ。
ざわざわと風に揺れる葉擦れの音だけが響く中、リリーは周囲に目を凝らす。
「何にもない……もしかして、いつの間にかお城から出ちゃいました?」
「いや、端に近いがまだ王城の中だ。この木立の向こうに敷地内離宮がある」
「その離宮に、今夜の面会相手が住んでいるんだよ」
「えっ」
ディランとアーサーの言葉に耳を疑う。今、リリーたちは協力者になってもらう貴族に会いに来た。
そして、王城内に住む貴族とは、王族である。
今の王家は、国王とアラベラ妃、コーネリアの元婚約者だったルーカス王子……だが、彼らが協力者になってくれるはずはない。
(そうすると――)
残る王族はただ一人。
「第一王子殿下だ」
「!!」
マクシミリアン第一王子は伝染性の病の後遺症で、離宮に籠もっていると聞いている。
もう長い間、人前に姿を現したことがないという相手に会えるのだろうか。しかも、こんな夜更けである。
「あの、ご本人とお約束は……」
「いいや」
「嘘でしょう!? 本当に会えるんですか?」
『心配ないわ、わたくしがいるもの』
「え、あ、コーネリア様」
コーネリアは幼い頃から王宮に出入りしており、マクシミリアンとも顔見知りである。その自分が会いに来たのなら、断られることはないと断言された。
『挨拶の言葉は覚えたわね?』
「は、はい」
協力者に会ったら言うように、と馬車の中で不思議な挨拶文を覚えさせられた。もしかしたら、それはコーネリアとマクシミリアン王子だけが分かるなにかの符丁なのかもしれない。
「どうしよう、緊張してきた……」
顔を青くするリリーが弱音を吐くと、目の前に手が差し伸べられた。辿って見上げたディランは不敵に微笑んでいる。
「まさか、行くのが嫌だと言わないだろうな?」
「言いたいですし、言っていいなら言いますけど」
「正直すぎる。やっぱり侯爵令嬢の真似は無理だな」
「自分でもそう思います!」
断る選択肢があればそうしていた。自棄になって叫ぶと面白そうに笑われてしまった。
(なんか、いつも私だけ余裕がない気がする!)
自分ばかりが焦っていて不公平だと頬を膨らますと「ますます似ていない」と余計に楽しそうにされる。
『……あなたたち、いつまでそうしているつもり?』
「放っておいたら朝までじゃれてそうだなあ」
「じゃ、じゃれてって、アーサーさん、言い方!」
「はいはい、じゃあ行こうか。こっちだよ」
肩をすくめたアーサーがくるりと背を向ける。ディランから差し出されたままだった手を勢いよく掴んで、三人で木立の中に足を進めた。




