再度の敵襲 2
目覚めたリリーの目に映ったのは、慣れ親しんだ塔の部屋の天井ではない。まだ夢を視ているのかと思ったが。
「あっ、気がついた!」
「ティナ……ここは、けほっ」
声を出そうとしたら噎せてしまった。はっとした顔のティナに覗き込まれて、額や首を触られる。
「熱もないし、喉が腫れたりもしていないですね。飲み物をお持ちします、お話はその後で!」
ぱたぱたと足取り軽く部屋を出て行くティナの背中をぼんやり見送る。こほんと空咳をして、大人しく天井を眺めた。
(……どこだろう、ここ)
どのくらい眠ったのだろう。窓の外は明るいが、時間が分らない。首に掛けていたロザリオがなくなっているのは、ディランが持っていったのだろう。
もぞもぞと体を動かして、横になったまま強ばる腕を持ち上げた。本来リリーのものではない白い手を閉じ開きしていると、だんだん意識がはっきりしてくる。
(ブリジット様たちが連行されてからの記憶がない……ということは、あのまま寝落ちたということで……は、恥ずかしすぎる!)
ディランが抱き上げるからいけないのだ。何度も運ばれるうちにすっかり慣れてしまった腕の中で、安心して気が抜けたのだろう。
あまりの羞恥に両手で顔を覆いつつ、ほかのことも思い出そうと記憶を辿る。
(……そうだ。私の両親が、ステットソン伯爵に殺されていたって……?)
あまりに唐突な内容だった。
リリーは生まれてすぐ修道院に預けられた。当然、両親の記憶はなく、自分の生い立ちを知らないし、シスターたちも聞かされなかった。
修道院に預けたのがステットソン伯爵だったから、彼は何か知っているとは思っていたが、尋ねる機会がなかったのだ。
(本当の家族のことを考えなかったわけじゃないけど、院長先生やシスターの皆に可愛がってもらって、不満なんかなかったし)
ずっと縁がなかった肉親が実在していたと急に言われて、正直、戸惑う気持ちも大きい。
形見のようなものもなかったから、両親について思いを馳せてもあくまで空想の範囲。実感をもって考えたことはなかったのだ。
けれどディランが言うように、ステットソン伯爵がリリーの両親を手に掛けたのなら――。
(……どうしたらいいの)
両親について知りたいと思っていたが、その内容が不穏で素直に喜びにくい。
それに、疑問もある。
(つまり、ステットソン伯爵が、殺した相手の遺児である私を修道院に預けたってことだよね? それも自分で……なんのために?)
理由を考えるが分からない。
コーネリアのように魔力が高いとか美しいとか際立つものがあるならともかく、リリーはごく平凡で、自慢できるのは体の丈夫さと料理裁縫くらい。
伯爵と自分の両親の関係も、リリーを生かした理由も想像がつかない。
「うぅ、分からない……なんかもう、知恵熱が出そう」
横になったまま頭を抱えていると、ティナが戻ってきた。
「お待たせしました」
「ティナ、悪いけど起き上がりたいの」
動きの悪い体を起こしてもらい、顔を拭って冷たい水で喉を潤した。
そうして気がついたが、ここはディランの部屋だった。前に看病と称して二人一緒に隔離された部屋に寝ていた事実に動揺してしまう。
「私、どのくらい寝ていた?」
「そんなに長くないですよ。半時間くらいでしょうか」
「よかった、同じ日だった! でもその、どうしてこの部屋に?」
少しは体力が付いたのだろう。前よりも寝込む時間が確実に少なくなっている。しかし、塔の部屋ではなくディランの私室に運ばれた理由が分からない。
(塔よりこっちのほうが近いからかなあ。でも……)
だってこのベッドに実際に横になっているディランを見ている。シーツは変わっているだろうが、同じ毛布だ。
気まずさを隠せずに問うと、ティナはにっこりと頷いた。
「ご領主様が運ばれました」
「え、なんで」
「あの塔には今、イスタフェン軍の捕虜が収容されています」
「ああ……なるほど」
思い切り首を傾げるが、理由は聞いてみれば納得だった。
嘆きの塔は、本来、罪人や捕虜を収容する監獄だ。元々の使用目的に戻ったのだ。
収容環境は人道的に配慮されているとのことで少し安心したが、今回の襲撃には強引に徴兵された一般人ばかりが参加させられていて、投降して捕虜となったのも彼らだと聞いてやるせなくなる。
「ほとんど戦わずにフォークナーに逃げ込んだらしいです。このままイスタフェンに戻しても捕まってしまうし……っていうことで、むしろ保護ですよ」
「そうなのね」
二度にわたる侵攻について、国レベルでの話し合いの目処がついたらイスタフェンに戻す予定だという。
(あの塔、住むには快適だものね……怖がりさんでなければ、だけど)
血なまぐさい由来があるし雰囲気も明るくない塔だが、設備はしっかりしていて冬の寒さを感じないでいられる。
住みやすさを知っているリリーは、安心して過ごせると自信を持って言える。
「それと、準備ができ次第、ステットソン親子を連れて王都へ向かうそうです」
「そうなの?」
「侵入者への処罰裁量はフォークナーにあるのでイスタフェンの兵士は裁けますけど、ステットソンは自国の貴族ですから。罪を言い渡すのは王宮の役目になるそうです」
「それで王都に……そう。それなら、その……私の両親、については」
おずおずと問うと、ティナが申し訳なさそうに眉を下げた。
「聞いていないです、ごめんなさい。ただ、そのこともあって王都に行くと言っていました。なので、コーネリア様は今のうちにしっかり休んで元気になってください。一緒に行くんですから」
「うん、ちゃんと休む……って、え? 私がどこに行くって?」
中身はリリーだが、コーネリアの体だ。酷使して痛めてはいけない。素直に頷いたが、今なにか驚く言葉が聞こえた気がする。
「一緒に王都へ行くんです。コーネリア様の回復待ちですからね、張り切って元気になって王都に行って、さくっとステットソンを裁いてもらって、ご両親の話も聞いてきましょうね!」
「……ええっ!?」
まだ重い頭で数秒考えて、意味を理解する。
――私が王都に? いや、さすがに駄目でしょそれは!
王都はコーネリアが住んでいた所だ。アラベラ妃や元婚約者のルーカス第二王子を始め、知り合いばかりの場所である。
それに、宰相である父親のウォリス侯爵もいる。親子の交流は多くないとコーネリアは言っていたが、実の父親なのだ。リリーが少し真似たくらいで騙されてくれるとは思えない。
絶対にバレる。
(平民が貴族を謀ったら、重罪だよね!?)
入れ替わりを信じてもらえればいいが、コーネリアのそっくりさんだとして、ステットソンと同じように断罪されたらどうしたらいいのだろう。
狼狽えていると扉が開いて、ディランが入ってきた。身支度を整えたらしく、戦闘の汚れは見当たらない。
「目が覚めたか。具合は」
「お、おかげさまで……あの、王都に行くって――」
「聞いたか」
「どうしてですか? 私は行かないほうがよさそうに思うんですけど」
「ステットソンはイスタフェンとの内通のほかにも罪を犯している。この際だから、ぜんぶきっちり裁いてもらうつもりだ」
ほかの罪とはリリーの両親殺害のことだろう。しかしディランは固い口調で「それだけじゃない」と言う。
ステットソン伯爵はいったいいくつ罪を重ねているのか、リリーは頭が痛くなった。
「奴は王宮に味方が多い。どうにかして断罪を避けようとするだろう。その抜け道を塞ぐには協力者がいる」
「はい」
領地を放って王都に入り浸りのステットソンは第二王子派に所属しており、顔も広い。
アラベラ妃でさえ顔見知りだというステットソンに対抗するには、こちらの背後にもそれなりの人物が必要だとディランは話す。
「彼を動かすにはコーネリアに話しをさせるのが最適だが、ロザリオ越しの通話だけでは信用してもらえない相手だ。コーネリアを連れて行って入れ替わりを打ち明けた上で、協力を要請する」
「な、なるほど」
協力者がいったい誰なのか気になったが、そこまでは教えてもらえない雰囲気だ。
だが、持ち上げたロザリオを見せながらのディランの説明におかしなところはない。それだけでなく。
「自分の両親がどうして殺されたか、直接知りたくはないか」
(そんなの――)
知りたいに決まっている。
真摯に訊かれてしまえば、リリーに拒否権はなかった。
「……分かりました。一緒に行きます」
きっと断っても連れて行かれただろうが、リリーが頷いたことでディランはほっとしたらしく、分かりやすく表情を緩めた。
初めて見るその少し無防備な眼差しに、リリーの胸が音を立てる。
(え……っと、そ、そういう顔もできるんだねっ)
妙に気まずく感じるのは、最初の頃のつっけんどんな無表情とのギャップだろう。
そう言い聞かせるが、顔は熱いし、面白がっているようなティナの視線が痛くて、頬を押さえて下を向く。
「……まだ本調子じゃないな」
「え?」
リリーの肩にディランの手が伸びて、軽く押されて倒された。ぽすりとベッドに背中が就くと、やけに丁寧に毛布を掛け直される。
(は……!? え、ええっ?)
「魔力の乱れは……この程度か」
熱を測るようにリリーの額に手を当て、覗き込んでくるディランに揶揄っている様子はない。本気で心配されているようで、だからますます混乱する。
「リリーの具合がよくなり次第、出発する。気合いを入れて養生しろ」
「は、はい」
ようやく手が離されてコクコクと頷くと、ディランが満足したような笑みを浮かべた。それがまた気恥ずかしくて、リリーは毛布を顔の上まで引き上げる。
(なにこれ、ドキドキするんだけど!)
「……戻ったら、話したいことがある」
被った毛布の向こうからディランの声が聞こえた気がしたが、自分の心臓の音がうるさすぎて返事はできなかった。




