再度の敵襲 1
「この音はなんなの!?」
物々しく響く鐘にブリジットが騒ぎ出す。そこに、慌ただしく伝令の兵士が走って来た。
「失礼します、国境の森にイスタフェン軍が現れました!」
「イスタフェンか。魔獣は?」
「現時点では未確認です」
会談に同席せず外で警戒に当たっていたカイルが、いち早く敵軍の侵攻してくる気配に気づき鐘を鳴らしたとのことだ。
さっと表情を改めたディランがリリーを振り返る。
「リリー、アーサーの言うことを聞いて動け。いいな」
「あっ、ちょっ――」
(またリリーって呼んだ! っていうか、行っちゃったよ、あの人……)
完全に言い間違えたディランに物申したかったが、返事すら聞かずに出て行ってしまった。
まあ、突然の襲撃にパニックになったブリジットは侍女に大声で当たりまくっているから聞こえていないだろうが、「ご無事で」のひと言も伝えられなかったのはいただけない。
(怪我も……ちょっとはしちゃうかもしれないけど、できるだけ無傷で帰ってきますように)
この前みたいに、意識不明で担ぎ込まれてくるのは嫌だ。足でまといにしかならないから、リリーはここで待っているのが最良だと分かっているが、待つだけというのもなかなかに気が重い。
自然と手を組み、祈りを捧げていたリリーの耳に、アーサーの声が届く。
「なんてタイミングだよ……ああ、ブリジット嬢を客間にご案内を。ここにいない従者や馭者は、今いる控え室から客間近くの部屋に移動させて。コーネリア様とティナは――」
アーサーは疲れたように額を押さえるが、指示を請う文官も次々に集まってくる。
切り替えて仕切り始めたアーサーに、ブリジットが駆け寄って詰る。
「こんなところにいられないわ、あたしはステットソンに帰るから!」
「は? 今移動するのは大変危険ですよ。この領館の中は安全です。護衛もつけてお守りしますので、部屋でお待ちください」
「嘘よ、信じられるものですか!」
話を聞かず喚くブリジットに、さすがのアーサーも手を焼いている。
こんなことをしている場合じゃないのに、とハラハラしながら、兵が集まり始める外と揉める中を見比べていると、リリーの胸元のロザリオから呼ぶ声が聞こえた。
慌てて握りしめると、ブリジットたちにくるりと背を向け顔を近づける。
「コーネリア様? 今はお話している余裕が――え? は、はあ。いやそんな……っわ、分かりました、やってみます。は、はい!」
ひそひそ話を終えると、リリーは言い合う二人の傍にまっすぐ歩いて行った。
(できるかなあ……ええい、どうにでもなれ!)
「――だからあたしは帰るって言ってるでしょ!」
「危険ですし、馬だって怯えて走れないですよ」
「うるさいっ! 平民が偉そうにするんじゃないわ!」
ブリジットの金切り声と同時に、ぱんと破裂音が響く。リリーの平手打ちが見事にブリジットの頬に当たった音だ。
(た、叩いちゃった! ごめんなさい、痛いよね!? 私の手も痛かった!)
呆然とするブリジットを、リリーは自分の動揺が伝わらないよう全力で仮面を被って冷ややかな目で見おろす。
「うるさいのは貴女よ。帰りたいなら帰ればいいわ。ただし従者を連れて行くことは、辺境伯夫人たるわたくしの名において許しません」
「なにを言って――ひっ!?」
ブリジットの目の前に指を立て、魔力を流して目が眩むほど明るく光らせる。リリーと同じで魔力とは無縁なブリジットは突然の魔法に驚き、血の気を失った顔で後退った。
「出ていくならお一人でどうぞ。それとも、わたくしの魔法で追い出してあげましょうか?」
さらに凄みを効かせてにっこり優雅に微笑むと、ブリジットはさらなる恐怖で頬を引きつらせた。
「い……行かないわよ!」
「あらそう。では、気が変わらないうちにご案内を。危なくないよう、しっかり鍵をかけてあげてね」
護衛にも笑みを向けてひらひらと手を振る。
ブリジットたちが見えなくなってようやくほっとして、心の底から湧き上がる溜め息を盛大にこぼした。
仕事を割り振られた文官たちが出ていくと、アーサーがくるりと向き直った。扉は開けているので対外的な部下モードは外さないまま、リリーに小声で話しかける。
「助かりました。お見事です。コーネリア様の指導ですか?」
「はい、そうなんですけど……」
『やればできるじゃない! でも、まだまだ甘いわね、リリー』
パニックになっている人は衝撃を与えれば落ち着くと言われても、人を叩いたのなんて初めてだ。
まさか貴族令嬢に手を上げるわけにいかなかったアーサーからは感謝され、コーネリアに褒められても、じんと赤くなった手のひらを見つめて泣きそうになる。
(も、もう無理……)
ふらふらとソファーに座り込んでしまいたくなるが、イスタフェンが攻めてきたのだ。ここで休んでいる場合ではない。リリーはなんとか堪えて両脚を踏ん張る。
「私、塔に戻ったほうがいいですか?」
「……いえ、今、外に出るのはよくないでしょう。安全が確保されるまで、隣の執務室で待機していただきます」
リリーの質問に少しだけ考えて、アーサーは首を横に振った。
外はちょうど出兵の準備でごった返している。たしかにこの中を通って塔まで行こうとすれば邪魔になるだろう。
執務室は参謀本部となり、状況も確認しやすい。ひとまず落ち着くまで、ということで、リリーは先程までいた執務室に戻ることになった。
§
中庭に集まった辺境軍は、ほどなく出兵の支度が整った。
カイルが率いる魔術団とともに森へ進む。イスタフェンの隊列と遭遇する前に、また魔獣が現れた。前回と同じで、魔獣同士はお互いが目に入っていないように、人間だけを敵視してくる。
その異様さに遅れを取った一度目と違い、今日の辺境軍は落ち着いたものだ。陣形を取り、攻撃の間合いを計る。
「メインの魔獣はグリズリーか。前回より小さい個体だな」
「あー、もしかしてこの前、僕たちが大物をあらかた討伐しちゃった?」
「かもしれないな――来るぞ!」
落ち着いて状況を判断するディランとカイルの指揮により、辺境軍は混乱なく魔獣を倒していく。魔獣にしては異例な行動も、前もって分かっていれば戸惑うこともない。
(あとは普通の討伐と同じだ)
魔術攻撃を当て、剣を振ることを繰り返す。中、大型の魔獣をあらかた倒したところで、カイルがディランのそばに戻る。
「ディラン、そろそろいくよ」
「ああ。予定通りに頼む」
カイルが目くらましの術をディランに掛ける。
魔獣たちの向こうにイスタフェン軍が隠れていることは捜査魔術で確認していた。奴らが攻め込んでくる前に、こちらから不意打ちで叩いてしまおうというわけだ。
イスタフェンが魔獣を使っているのは明らかだ。その背後には、以前コーネリアから聞いた学者と内通者の影がちらつく。
(そう何度も好き勝手に攻め込まれてたまるか)
同じように目くらましの術を施された数人の兵士を引き連れて、ディランは自ら敵陣に乗り込んだ。
前回も質が落ちたと感じたが、今回のイスタフェン軍の士気はますます低い。
奇襲にも魔獣の攻撃にも対応してしまう辺境軍に圧倒的な実力差を見せつけられて、戦意を喪失したことも大きいだろうが、それ以上に兵士の質が正規軍とは思えないほど低下していた。
予定が違う、などと言ってイスタフェン兵は逃げ惑う。しまいには戦う前に武装を解き、自ら進んで捕虜となる者もでてきた。
彼らが口走った内容をまとめると、今回の侵攻軍のほとんどが軍人ではなく一般人で構成されているらしい。
魔獣を利用して攪乱することを前提にしているため、本職の兵士や魔術師は少なく、徴兵された市民による隊構成であった。
道理で、とディランは納得する。にわか仕込みの軍隊であれば統率が甘いのも当然で、態度だけが大きい指揮官を無力化すると、次々と兵士たちは投降してきた。
(……いないか?)
イスタフェン軍の制圧が完了する直前、ディランの目が探していた人物を捕らえる。
兵士の陰に隠れて逃亡を謀る上官らしき男に向かって声を上げた。
「そいつを逃がすな!」
ディランの声を聞きつけたカイルから、瞬時に捕縛の魔術が伸びる。振り回す剣をものともせずに締め上げると、そのままディランの前に身柄が投げ出された。
雪の上に転がされ、悔しげに歪められた口元から「こんなはずでは」という怨嗟が漏れる。
「く、くそ……っ」
「おや。まさか我が国の貴族が敵国軍と連れだっているとは驚きだ。なあ、ディラン」
「ああ。嘆かわしい」
「こ、この化け物たちめ!」
芝居がかって煽る口調のカイルとディランを、男は憎々しげに睨みつける。
「化け物ねえ。腹の内が醜いのはさて、どちらでしょうね」
「なんだと……ぐっ!」
「はい、高い高ーい」
「あまり遊ぶな、カイル」
顔の下まで伸びた魔術の縄が口を塞ぐ。モゴモゴと抵抗する男をそのまま、カイルが高く吊り上げた。
「申し開きは後ほど聞かせていただく……ステットソン伯爵」
魔法剣士と実力派魔術師の二人の凄みのある視線に、吊られた男――マイルズ・ステットソンはいまいましそうに顔をしかめた。
§
「戻ってきた!」
「ほら、大丈夫だと言ったでしょう。落ち着いてくださ――あっ、コーネリア様!」
イスタフェン軍制圧の報がもたらされてしばらく。
捕虜となった人数が多く、帰路は時間がかかっていた。リリーはひたすらロザリオに魔力を注ぎ続け、コーネリアに対し実況のようなことをして、どうにか堪えて待っていた。
ようやく遠くに辺境軍の姿が見えて、窓に張りついていたリリーは雪が小やみになった外に向かって駆け出す。
「はあ……仕方ない。くれぐれもコーネリア様から目を離さないように頼みます。ティナも」
「はいっ」
「はっ!」
護衛兵二名とティナに追いかけさせ、アーサーは反対方向に足を向ける。
制止されないのをいいことに、リリーは全力で駆けていた。
(みんな、無事だって……よかったぁ!)
この前の帰還は本当に心臓に悪かった。ディランもカイルも兵士たちも、一刻も早く姿を確認して、もう大丈夫だと実感したい。
コーネリアの体に体力がないのは相変わらずだ。力尽きそうになる直前で、なんとか彼らの元まで来られた。
息を荒げながら、戻ってきた隊列に突進する。
「リリー」
「お帰りなさい! ……あ、あれ、足の力が……」
ディランの前で足を止めると、どっと疲労が襲ってきて膝の力が抜ける。それはそうと、またリリーと呼ばれたように聞こえた。
(ディラン様って、名前覚えるの苦手なの?)
それなら、リリーもネリーも誤差の範囲ということにしておこう。
へたり込んだリリーに、ディランは仕方ないなというように息を吐いた。
「また無茶をしたな」
それはこちらのセリフだ。差し伸べられた腕には、魔獣のものであろう返り血がついている。見上げれば上着の身頃もそれなりに汚れていた。
けれどリリーは構わず笑顔でディランの手を取る。
「あはは、すみません……ご無事で、よかった」
「ああ、問題ない。守り袋の出番もなかったぞ」
「守り袋? 出番ってどういう――」
軽く胸元を叩きながら言うディランに首を傾げると、背後から悲鳴が聞こえた。
「あ、悪魔!」
「ブリジット様?」
振り返ると、アーサーに連れて来られたブリジットが青い顔でディランを指差している。
たしかに頬にも血がついていていつも以上に迫力があるが、魔獣を討伐して隣国の軍を退けてきた人に向かって「悪魔」呼ばわりはないだろう。
不服に感じていると、珍しくディランのほうからブリジットに声を掛けた。
「ブリジット・ステットソン。父親と連絡が取れないと言っていたな」
「それがなによ! 近寄らないで、野蛮人!」
怖がりながらも護衛兵にもしっかりと両肩を押さえられて逃げ出せないブリジットに、ディランが一歩近付く。
「再会を喜ぶがいい。彼はイスタフェン軍と共にいた」
「はあ? なにを言って……お、お父様!?」
カイルが魔術縄で縛り上げたまま運んできた男性に、ブリジットとリリーは目を丸くする。
(ステットソン伯爵?)
最後に会ってからだいぶ経つが、年齢より若く見える、ブリジットとよく似ている整った顔を見間違えはしない。
リリーは驚くばかりだが、胸元のロザリオからはコーネリアの満足げな感嘆が小さく聞こえてくる。
『蛇を捕まえたわね』
(蛇って、前に言ってた……?)
ディランへの伝言で聞いた気がする。詳しく思い出そうとしたが、ディランの声で意識を今に戻された。
「マイルズ・ステットソンには内通の疑念がかけられている。敵軍と共謀しフォークナーに攻め込んだこと、これだけ大勢に現場を見られては言い逃れもできまい。断罪を覚悟しろ」
「な……っ」
口を塞がれたままのステットソン伯爵が唸り声だけで抗議する中、ブリジットは護衛兵に腕を摑まれて、逃げ出そうにも動けないでいる。
二人を冷ややかに見おろして、ディランがさっと腕を払うように伸ばす。
「ステットソン領主マイルズ・ステットソンと、その娘ブリジット。敵国に通じた容疑で、辺境伯ディラン・フォークナーが捕縛する。牢に繋げ」
「ちょ、ちょっとやめて! 離してよ!」
しゅるりと魔術の縄が伸び、ブリジットも両手を拘束されてしまう。
リリーがぽかんとして目を瞬かせているうちに、ステットソンの父娘は連行されていった。
「はー、スッキリしましたね! ご領主様、あの人たちの悪事は全部暴いちゃってください」
「ああ」
「ティナも、二人してそんな!」
強烈なことをにこやかに頼むティナに、ディランは軽く頷いている。
「大丈夫ですよ、コーネリア様。神のご加護は平等ですから、信心があれば救われるはずです」
「そうそう。無罪だったら、ちゃんと放免されて補償金も出るから」
アーサーとカイルからも言われて、おろおろするリリーにティナが苦笑する。
「リ……コーネリア様は優しいから」
「優しくないよ? 私だってステットソンにいい思い出はないけど、でも……」
『悪人を野放しにしているほうが、後味が悪いわ。それでも気にするなら、贖罪後の彼らの更生を修道女として手伝えばいいでしょう』
「は、はい……そうですね」
コーネリアにまで諭されてしまい、いちいちごもっともで反論ができない。気持ちの問題だから自分で納得しなくては呑み込めないだろうということも分かっている。
ロザリオから顔を上げると、こちらを見おろすディランと目が合った。一拍おいて、形のいい口が開く。
「……マイルズ・ステットソンには国に対する離反以外にも、嫌疑がかかっている」
「と、言いますと?」
「ギルベリア修道院の見習い修道女リリーの両親を殺害した罪だ」
「!?」
(な、なんて……!?)
驚いて息を呑んだ拍子に、また足元がふらついた。
危なげなく抱き留められた腕の中で、今聞いた言葉を反芻する。
「わた、私の両親……?」
「集められたのはまだ状況証拠だけだが、罪に問えると判断した」
「待ってください、なにがなんだか」
「……後で話す。少し休め」
「休めなんて無理ですって。こんなこと聞いて、寝てなんかいられ――あ、あれ……?」
言うそばから気が遠くなる。そういえば、ブリジットとの対面への緊張から、昨晩はよく眠れなかった。
それだけでなく、今日は一日中気を張っていたし、ロザリオを繋げておくために魔力を流し続けた影響でそちらの疲労も溜まっている。
くらりと目眩がする。額を押さえたリリーをディランが抱き上げた。
体にだけではなく精神的にも負担が大きかったのだと気がついたときには、リリーの瞼は落ちていた。




