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フォークナーへの来訪者 3

「――というわけで、ブリジット様。フォークナーからの援助につきまして、今年は一般的な利率の十分の一で貸付。来年からは王都基準値の貸付率とさせていただきます」


 かしこまった挨拶が終わるとすぐ、アーサーが事務的に説明を始めた。

 今後の支援に関する取り決めの同意書をテーブルに出されて、ブリジットが不満そうに顔をしかめる。


(わあ……眉を寄せたのまでここから見えちゃうんだ。この覗き穴自体にも、なにか魔法が掛けてありそうだなあ)


 仕掛けの調子は上々だ。表情の変化が見えるだけでなく、声もよく聞こえる。

 ブリジットの後ろに控える老年の侍女は疲れた表情をしている。雪道の移動は堪えただろう、はやく会談を終わらせて休ませてあげたい。

 リリーはこっそりとロザリオに話しかけた。


「コーネリア様、聞こえていますか?」

『ええ。なかなか良好よ』


 昨晩、ブリジットとの面会においての対策を相談したところ、コーネリアは自分にもブリジットとの会話を聞かせろとリリーに命じた。

 もちろん、直接は割り込めないが、聞いておけば対応ができるだろうとのことだ。

 リリーとしても、たとえその場で援護してもらえなくても、コーネリアがついてくれていると思えるだけで心強い。一も二もなく了承して、こうして一緒に応接室を窺っている。


(それにしても、こっちの部屋に防音の魔法を掛けたのはカイルさんなんだよね。すごいなあ)


 魔法というものの守備範囲の広さに感心していると、穴の向こうからブリジットの声がした。


「どうしてですの? これまでと同じ無償でいいでしょう」

「そういうわけには……ご存じでしょうが、つい先日も魔獣の襲撃やイスタフェンの侵攻がありました。フォークナーも、領内の治安確保や設備の修繕をしなくてはなりません」


 幼子に言い聞かせるような説明に、ブリジットはつんと顎を上げる。


「それはフォークナー(そちら)の都合じゃない」

「ええ。ですが、支援が必要なのはステットソン(そちら)の都合ですよね」

「はあ? 平民風情が誰にものを言っているのかしら」


(うわあ、ブリジット様!)


 普段となんら変わりないブリジットに、リリーは頭を抱える。

 たしかにアーサーは貴族ではない。けれど、辺境伯領の文官トップで領主の右腕である。その彼にその言い方はないだろう、しかも親友であるディランの目の前で。それに。


(長年、援助をしてくれた人に向かって言うことじゃないでしょう……)


 ディランはこちらに背を向けて座っていた。怒っていても笑っていても肝が冷えるだろうから、顔が見えなくてよかった。


『まったく、敵にもならないわね』


 ロザリオから、コーネリアが鼻で笑う声が聞こえる。


「そ、そうですか?」

『五歳のわたくしでも充分言い負かせる程度のお嬢さんだわ』

「相変わらずの英才教育!」

『ねえ、本当にリリーと同じ歳なの? 物知らずのあなたのほうが、よっぽど話しがいがあるわ』

「ええと、お褒めに与り光栄です……?」


 侯爵家の令嬢教育に恐れおののいている間も、隣の部屋の会話は続いている。

 ブリジットに引く様子は見えず、しかも出した茶にまで「古くさい」などと文句を言い出すから、接遇したティナのこめかみがぴくりと引きつっていた。


「ティナの淹れるお茶はすっごくおいしいのに」

『リリー、そういう問題じゃないのよ』

「だって、たしかに珍しい茶葉ではないですけど、十分に高級茶ですよ。それに長く女主人がいらっしゃらなかった辺境に、王都の流行を求められても筋違いっていうか」

『ええ、つまりあなたを嘲っているの。辺境伯夫人がいるのにこの程度か、と馬鹿にしているのよ。お分かり?』

「そういうことなんですか? いやっ、貴族言葉怖い!」


 その後もアーサーの理詰めの説明も右から左へ流し、ブリジットは頑なに同意書へのサインを拒んでいる。

 膠着状態が長引きそうになって、こちらに背を向けたままのディランがごく自然に髪を掻き上げる。指先がリリーのほうを指して、すぐに戻った。


「あ、合図です。向こうに行きますね」

『リリー、昨日言ったことは覚えているわね?』

「はい!」


 執務室を出ると、廊下に立つ従者が応接室の扉をノックする。


(ブリジット様とは初対面。私はリリーじゃなくコーネリア様。王都育ちの侯爵令嬢で、ご領主様……違った、旦那様、でもなくて()()()()の妻!)


 軽く目を閉じ、息を整え、自分は辺境伯夫人のコーネリアだと暗示を掛ける。

 コーネリアの指示は「ブリジットの出鼻をくじけ」だ。


(できるかなあ……が、がんばる!)


 従者が扉を開く音に顔を上げ、部屋の中に進みながら視線だけで皆を見渡す。美しく着飾ったコーネリアを間近で見て、ブリジットが目を見開いている。ここまでは順調だ。

 体が揺れないよう気合いを入れて、頑張って暗記した最初のセリフを口にする。


「あら、まだ署名が終わっていなかったの? まさか、ご自分の名前も書けないご令嬢なのかしら」

「なっ……!」

「はじめまして。ディランの妻のコーネリアよ。わたくしに挨拶をする許可をあげるわ」


 いきなりな物言いに、ブリジットがいきり立つ。


「失礼ね! あ、あなたなんて――」

「まあ。書けないだけでなく、ご自分の名前を言うこともできないのね。本当に伯爵令嬢なのかしら」

「!」


 衣装や姿形だけではなく、位の差を表すようにすっと背を伸ばして立つリリーは、誰がどう見ても高位の貴族令嬢だ。

 憎々しげにこちらを見上げるブリジットに内心で怯えながら、美しい紫の瞳でしっかり視線を返した。


「もう一度だけ言うわ。ご挨拶をどうぞ?」

「っ……ブリジット・ステットソンよ……」


 威圧感を漂わせて微笑みながら再度促すと、言い返すのを止めたブリジットは悔しさに震えながらごく小さい声で名を名乗った。リリーは心の中でガッツポーズを取る。


(よ、よし! あー、緊張した。心臓に悪い!)


 第一ミッションはクリアだ。孤児院の子どもたちに披露する人形芝居並にがんばった。口調がわざとらしくなってなければいのだが。

 歯を食いしばって憤るブリジットの正面のソファー、ディランの隣にリリーは何食わぬ顔でしゃらりと腰を下ろす。

 新婚らしくぴたりと密着して、ディランを見上げた。


「ねえ、ディラン。フォークナーがこんなに親切にしてあげているというのに、こちらのお嬢さんはなにがご不満なの?」

「さあ。俺にはさっぱりだ」

「だ、だって! お父様もいないのにサインなんてできないわ!」

「五歳のお子様でもないし、書面を読んで署名するくらいできるでしょう」


 ステットソン伯爵の一人娘であるブリジットは、当主不在時の責任者にあたる。

 それに、この件は事前に通達をしている。訪問を要請する手紙を出してからこれまで、親子で相談する時間は充分にあったはずだ。今さら分からないとは言わせない。

 軽すぎるブリジットの言い訳に、リリーは首を傾げる。


「だいたい、こちらをよく読まれました? ほら、なにもすぐに利息を払えとは書いていないでしょう」


 テーブルの上の文書をつい、と指差すと、アーサーも頷き「それに」と付け加える。


「お支払いの時期については、もちろんご相談に応じます。ですが、まずは同意をいただきませんと、用意している物資すらお渡しすることはできかねます」

「わ、分かったわよ! 書けばいいんでしょう!」


 これ以上は引き延ばせないとようやく理解したようで、ブリジットは渋々同意した。乱暴に署名をすると、ふて腐れたように頬を膨らます。

 変わらないなあと思いながら、リリーは何気ないふりで次の話題に進める。


「ところで、ステットソン伯爵はどちらにいらっしゃるのかしら」

「……王都よ」

「そうなの? 王都にはいないとアーサーから聞いたのだけど」


(はい、私の役目はここまで!)


 実際、伯爵は一年のほとんどを王都で過ごしている。コーネリアが最後に王宮に上がったときに姿を見たそうだが、どうやら今は不在らしい。

 そして、このセリフでひとまずリリーの役目は終了だ。

 書面にサインをもらい、話題を移した後の進行はディランたちに任せてあるから、つんと夫人らしく澄ましているだけでいい。ようやく少しだけ気が楽になる。


「ディランもそう聞きましたわよね?」


 バトンタッチしましたよ、の気持ちを込めてディランを見ると、まっすぐに目が合った。


「ああ。リ……ネリーの言うとおりだ」


(ちょ、今、リリーって言いかけたでしょ!?)


 リリーが必死で頑張っているのに、ディランがミスをしそうになるとは。

 キッと睨むものの、言い間違いを誤魔化すために軽く咳払いをしたディランの眼差しがどこか甘い、気がする。


(……もう後は知らないっ)


 気を抜くのは、ブリジットがいなくなってからにしてほしい。

 バレるかもという心配と意外な表情の両方にドギマギしながら、リリーは打ち合わせ通り「妻らしく」ディランにぴたりと寄り添った。



 §



(……怒ってるな)


 後は任せたと言いたげなリリーの気の抜きっぷりに笑いをかみ殺していたら、うっかり名前を言い間違えるところだった。

 今さら「コーネリア」と呼ぶより、まだ「ネリー」のほうがリリーと似ているから口に馴染むかと思ったのだが、そうでもなかったらしい。

 さっきまでの威厳を台無しにする勢いで、素の表情を出してしまっているリリーだが、その変化に気づかないほどブリジットは動揺している。


「お父様が王都にいない? そんなわけないわよ、嘘を吐かないで」

「いいえ。私は先日まで王都に行っておりましたが、マイルズ・ステットソン伯爵をしばらく見ていないと皆様おっしゃっていました」

「だって王都にいるって聞いているもの! ど、どこかに小旅行にでも行っているのよ、きっと」


 ディランは諸々の確認のために、アーサーを急ぎ王都まで行かせた。その際、向こうにいるはずのステットソン伯爵の姿がなかったのだ。


(まあ、それも予想通りだが)


 食い下がるブリジットに向かって、アーサーは首を横に振る。


「実は、ステットソン伯爵家のタウンハウスにご挨拶に伺ったのです。ですが、どなたもいらっしゃいませんでした」

「え……誰も?」

「はい。小旅行ならタウンハウスに使用人が残るはずでしょう? ですが留守番も、管理人もいなかったのです。それに、ちょうど家の前を通った食材店の配達員に尋ねたら、空き家なのだと言っていました」


 タウンハウスがもぬけの殻だったと聞いて、ブリジットはますます顔を歪ませる。その彼女を見るディランの目は、恩人に向けるものとは思えないほど冷えたものだ。


(……たしかに、あの少女とは別人だ)


 十年前の侵攻で負傷した自分を救ってくれた人物は、ブリジットのはずだった。

 リリーと話して齟齬に気づいたが、確証がほしかった。思い違いだったと完全に言い切れるよう、直接本人に会う機会が得られたのは幸いだ。


 リリーが言ったとおり、ブリジットは美人なのだろう。多くの女性が羨むような金色の髪をして、明るいブラウンの瞳。勝ち気そうな顔立ちも整っており、王都に多いタイプの令嬢だ。

 だがそこに、感謝の念を抱き続けた少女の面影は見当たらない。

 年数が経ち、少女から女性へと成長した変化の範疇ではない。そもそもディランの記憶の少女の瞳は、明るい緑色をしていた。


 ――魔物の下敷きから回復した晩、ディランはロザリオでコーネリアと話して、ひとつの予測を立てた。そして、伯爵の王都不在はそれを裏付けるものだった。

 コーネリアから得た情報を反芻するディランの耳に、アーサーの声が入ってくる。


「不思議に思って王宮の出仕簿も確かめましたが、しばらく登城をしている様子はありませんでした。ブリジット様、最後にお父君と連絡を取ったのはいつですか?」

「い、いつって」

「お嬢様にではなく、家令や使用人へ届いた手紙でも構いません」


 そう言われて、ブリジットは今回の件を相談した手紙に返事がなかったことを思い出した。

 父から返事が届かないことは珍しくなかったから気にしなかったのだが、返事を書かなかったのではなく手紙を読んでいないのだとしたら、話は違う。

 直接会ったのはかなり前だ。手紙はその後一、二回はあったはず。


「手紙は……雪が降ってからは、ないわ」

「となると、だいぶ前ですね」


 アーサーが呆れたように言う。

 親子としての交流が薄いことは貴族にはよくあるが、領地とはもっと頻繁に連絡を取り合う必要があるはずだ。


「な、なによ、それがどうしたのよ! あたしは悪くないわ!」

「別に責めてはいないですよ。ただ、そうすると、冬支度の指示もせずに音信不通になって、この状況になっていらっしゃるのですね。さすがに領主の行動としてどうかと疑問に思うだけです」

「関係ないでしょう?!」

「いや、関係ありますよ。ステットソンに支援しなければ、その分フォークナーに余裕ができますから」


 肩をすくめるアーサーにブリジットは鋭い目付きを向けるが、先程までの覇気は無い。

 いくら普段から没交渉とはいえ、絶対的な保護者である父伯爵の所在不明はさすがに不安だろう。


(もう少し聞き出せたらよかったが、知らないようだな)


 動揺の具合を見るに、ブリジットは本当に父伯爵からなにも聞いていないようだ。これ以上の情報は取れないと判断して、アーサーに視線で伝える。


「……失礼しました。ご署名もいただき、本日ご訪問いただいた目的は達成できましたので、これ以上は余談でしたね。では、書類は整えて一部をお渡しします。本日はこのままこちらでお休みいただき、支援物資は明日――」


 アーサーの説明に鐘の音が重なる。イスタフェンの侵攻を受けた時と同じ、物見の塔からの警告だった。




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