フォークナーへの来訪者 2
翌日。侯爵令嬢としての身支度をしっかり調えたリリーは本館の執務室にいた。
今日のブリジットとの対面は、隣の応接室で行われる。
実はこの執務室からは応接室がこっそり覗けるようになっている。まずはここで様子を見て、辺境伯夫人のコーネリアとして挨拶に出る予定だ。
物音がして窓からそっと馬車止めを見おろすと、記憶の通りのブリジットが現れた。
「本当に来やがりましたね」
「ティナ、言葉遣い」
「だってあの人、いっつもリリー姉さんに酷い態度じゃないですか! あたしたちのことも馬鹿にするし!」
孤児院出身のティナはブリジットのことを盛大に嫌っている。勤め先のフォークナーでまで顔を見ることになるなんて、と昨日からご立腹だ。
「最近は修道院への寄付金もちっとも払っていないでしょう。今年分は届きましたか?」
「それはまだ……でも寄付金は、ブリジット様じゃなくステットソン伯爵様が払うものだし」
「一緒ですよ。どうせ親子で領地のお金を使い込んでいるんです」
「お、落ち着いて、ティナ。誰かに聞かれたら――」
どうあれ、ブリジットは貴族令嬢である。こんなふうに悪口を言っているのを聞かれたら面倒なことになるのは間違いない。
「構いません、事実です」
「なるほど」
「わっ、ご領主様?」
ティナの容赦ない指摘にハラハラしていると、扉が開いてディランが入ってきた。
「ご領主様、ブリジット様のお出迎えに向われたんじゃありませんでしたか?」
「アーサーに任せた」
「そ、そうですか」
馬車の到着を確認しただけで姿を見せずに戻ってきたらしい。リリーたちの悪口を咎める気はないらしく、話の流れのまま問いかけられる。
「ティナ。ステットソン伯爵の領地運営が上手くないのは知っているが、領民もその認識なのか?」
「当然ですね。あたしは、ギルベリア修道院に預けられる前はステットソン領に住んでいました。孤児院を出てもステットソンに戻らなかったのは、向こうでは暮らしていけないからです」
「暮らしていけない? 具体的には」
「ステットソン伯爵は領民から高い租税を取るだけで、なにもしてくれません。もうずっとフォークナーのご支援でどうにかやっているんです」
「そうか……こちらでも一応調べてはいたが」
ティナが言うほど逼迫しているのかと、ディランは意外そうだ。
領地の経営状態がよくないのは把握していたが、領民の証言までは得られなかったらしい。
「よその人に打ち明けないのは仕方ないですね。文句を言うと、どこからかすぐに保安隊が来るんです。取り締まりが厳しいから、誰も外では話しませんよ」
堰を切ったように話し始めるティナに、リリーも言葉を挟めなくなる。
「孤児院を出る年齢になって、一応ステットソン領でも働き口を探したんです。両親のお墓もあるし……でも、戻らないほうがいいって言われました。あたしがいた時より、もっと住みづらくなっているからって」
親戚間をたらい回しにされて最終的に孤児院へ来たティナだが、両親が亡くなる前は伯父叔母との仲は悪くなかった。
ただ、彼らには自分の家族以外を養う余裕がなかったのだ。
親戚の中にはステットソン伯爵の指示で突然畑を取り上げられ生活が苦しくなった者もいたから、領主に対するティナの蟠りはますます大きくなった。
「フォークナーとは反対に、ステットソンは年々貧しくなっているそうです。もういっそフォークナーに合併してもらったほうがいいって、皆そう思っています」
言い切るティナに、ディランは考え込む様子を見せる。
「親戚が畑を取り上げられたと言ったな。そういうこともよくあるのか?」
もともと土地は領主のものであり、領民は借り受けて小作をする。だから担当する農地が変更になることはあるが、突然というのは珍しい。
「伯父のところはいきなりでした。麦が伸び始めたところで、出て行けって追い出されたんですって」
順調に生育していた畑を捨てさせられ、家からなにも持ち出せないほど急かされて、次の耕作地をあてがわれてもしばらく食べるのも事欠いたという。
「そうして取り上げたのに、あとから見に行ったらその畑は潰されて荒れ地になっていたそうです。なにがしたかったんでしょうね、まったく」
先日まで丹精していた畑が穴だらけで放置されているのを見て、かなり気落ちしたらしい。
生活の立て直しがままならないところに、ティナが孤児になった。自分たちがそんな状態で親戚の子の面倒などみられるわけがない。
冷たく当たられたのは、幼い子を見捨てる罪悪感もあったのだろうとシスターたちに言われたし、その通りだと思っている。
「ですから、ご領主様。ステットソン伯爵からしっかりお金を取ってくださいね。あの人たち、穴ぼこの畑も治さないんですから、絶対に貯め込んでいます」
「覚えておこう」
ディランの同意にリリーは目を丸くする。
(頷くんだ……)
辺境領主とあろう人が、一介の使用人、それも成人したてのメイドの意見を取り入れるなんて、なかなか考えられない。
しかも、隣領との関係にも影響する案件についてだ。
(考え方が柔軟なんだな)
それこそブリジットやステットソン伯爵なら、使用人の話などすげなく一蹴して終わりだろう。
ディランは冷酷とか言われているが、違う。
そういう一面もあるだろうが、領民や使用人のことを大事にしていないとこうはできないはずだ。
「リリー、なにをぼんやりしている。もうすぐだぞ」
遠い目をして考えているうちに、ブリジットが隣の応接室に到着する頃合いになったようだ。
リリーを呼びながら、ディランが壁に掛けてある額縁を下ろす。と、そこに、指先ほどの穴が現れた。
ブリジットの到着前に実際に向こうから見せてもらったが、この穴は応接室に置いてあるキャビネットの裏側に位置している。
棚の内部に貼られた鏡とガラスに細工をしてあり、応接室からは穴の存在がまったく分からなかった。
(すごい仕掛けだよね……領館って怖いなあ、もう!)
さらに、この執務室には防音の結界が張られている。ここで大騒ぎをしても外に音が漏れないから、バレずに応接室の様子を窺えるそうだ。
これこそが地の利のあるホームの特権であり、ステットソンの領館でも同じように細工をしてあるはずとのこと。
修道院で裏表なく育ったリリーとしては、ますます貴族とのギャップを感じる。だからといって、覗き見をしないという選択肢はないのだが。
「では、この先は打ち合わせ通りに」
「はい、ご領主様」
「……その呼び方はまずいな」
「え? あ、そうですね」
中身がリリーだとバレてからはさすがに「旦那様」と呼ぶには気まずくて「ご領主様」と呼んでいたが、さすがにブリジットの前では駄目だろう。
「気をつけます。じゃあ、ええと、旦那さ――」
「ディラン」
「へ?」
「ディランと名前で呼べ」
「で、でも」
戸惑うリリーに指を上げて見せ、ディランはふっと笑う。
「ご領主様でも旦那様でもなく『ディラン』だ。分かったな、ネリー」
「……っ!?」
それだけ言うと、リリーの返事を待たずにさっさと執務室を出て行ってしまった。遺されたリリーの目がこぼれ落ちるかと思うくらい丸くなる。
(な、なななに、いまの表情!)
最近、リリーに対するディランの当たりが柔らかくなったとは思う。けれど、こんなにはっきりとした笑みは『デリック』だった期間を通しても初めてかもしれない。
(……笑うと、やっぱり雰囲気が変わるなあ……)
大概冷たい印象のディランだが、ただの笑顔ではなく親しみが込められていたようにも感じた。
閉まった扉と赤い顔で唖然と見送るリリーを交互に眺めて、ティナがぽんと手を打つ。
「なるほど。名前と愛称で呼び合う仲良し新婚夫婦の姿を見せつけて、隣領のワガママお嬢様にはもうタダでは援助しないよーって分からせる作戦ですね」
「そっ、そう、作戦ね!?」
言われれば納得だ。結婚もしたことだし、これからは愛妻と自領に注力するから……というのは支援の手を緩める理由として自然だろう。
(だよね、びっくりした……!)
けれど、あの笑みはやはりどこかで見た気がする。
男性との接触なんて、月に一度の市でしかないはずなのだが。
(……いつだろう)
ふっと記憶になにかが掠るが、像を結ぶ前に掴みきれず消えてしまった。
「では、あたしも行きます」
「う、うん。ティナ、また後で」
妙に騒がしい胸を押さえて、リリーはどうにか顔の熱を引かせようと深呼吸を繰り返した。




