フォークナーへの来訪者 1
突然のイスタフェン侵攻からしばらくが過ぎた。あれ以来、脅威は現れず、魔獣もおとなしい。
(私が知らないだけかもしれないけど……)
ティナやディランに訊いても「なにもない」と言われるばかり。
本当になにもないのか、怖がらせないようにしているのかは、刺客が来たのに気づかなかった実績のあるリリーにはいまいち判別がつかない。
とはいえ、刺客よりは隣国軍も魔獣も分かりやすいはずだ。
(昨夜も明け方も、外からなんの音も聞こえてこなかったから大丈夫よね)
そんなことを考えながら朝食を食べ終わると、皿を片付けながらティナがリリーに伺いを立てた。
「コーネリア様、今日も本館に行かれますか?」
「そうね、できれば」
にこりと返すと、護衛態勢を確認するから少し待ってくれと言って、ティナが塔の部屋を出て行った。
あの日から変わったことがいくつかある。
まずひとつは、リリーの行動範囲の大幅な拡大だ。
(本館の厨房に自由に出入りできるようになったのは嬉しいなあ)
避難してきた領民向けの炊き出しが功を奏したようで、警備兵と一緒ならば塔の外に出られるようになった。なので、毎日のように城館にお邪魔している。
塔にある旧式の厨房も修道院を思い出して気に入っているが、広々とした本館の厨房でわいわい料理をするのはとても楽しい。
料理長は色々な調理法をよく知っているし、食材を運んでくる商家の使用人にはギルベリアの孤児院出身の子もいた。
コーネリアの姿でこちらから「久しぶり! リリーだよ!」とはさすがに言えないが、元気そうな姿を遠くから見るだけで嬉しくなる。
(最初は、非常時じゃないときに本館に行って、たくさんの人と交流することに抵抗があったけど……)
リリーとコーネリアの性格はかなり違う。どんなに演技をしても、入れ替わりが解消されて本当のコーネリアに戻ったときに、違和感を持たれるのではないかと心配したのだ。
そんな不安を吹き飛ばしてくれたのは、当のコーネリアだった。
『わたくしが欺きたかったのは使用人などではなく、ディラン・フォークナーよ。本人にはばれてしまったし、むしろあなたの場合、無理に演じるほうが、わたくしから遠のく気がしてきたわ』
リリーの演技力にはもう期待していない、とため息まじりに慰められてしまった。
『それにわたくしは厨房になんて直接行かないから、今リリーが関わっている使用人とは話す機会もないわね』
それでも疑問を持つ者が多いようなら、魔法の影響で入れ替わっていたことをそれとなく噂で流すとまで言ってくれた。
そのまま信じる人は少ないかもしれないが、ディランやアーサーたちも口裏を合わせるなら、あからさまに指摘する人はいないだろうとのこと。
だから今は、侯爵令嬢らしい言動ではなく、麗しいコーネリアの姿に不釣り合いにならない程度のしとやかさをキープするようにだけ気をつけることにした。おかげでかなり気が楽である。
(魔力操作のほうは相変わらず低空飛行だけど、暴走しない程度には抑えられるようになったし、ロザリオに魔力をいれるのは上手くなったと思うんだ)
それと、指先に光を出せるようになった。手元が明るいと裁縫の時に助かるので、リリーは嬉しい。
魔法の習得は必要に応じるのが最も早道だそうだが、カイルからはリリーの動機と結果について「平和すぎる」と面白がられてしまった。
フォークナーでの生活にこれまで以上に馴染んでいく一方で、入れ替わりを隠すもうひとつの理由である、コーネリアへの襲撃の脅威はまだある。
けれど、そもそも中身がリリーだと露見する前から襲ってきているのだ。
護衛が常にいるし、魔術操作も多少できるようになった今、その点は気にする必要はないという判断である。
とはいえ、入れ替わりを内緒にするのはそのままだ。
中身が見習い修道女のリリーだと知られ、本物のコーネリアが修道院にいると分かれば、雪道を押して向かう敵がいないとも限らないからだ。
崖にへばりつくような急な道もあって危険極まりないが、そもそも命を大事にしていない人間なら無謀なことをするかもしれない。
修道院は無防備だ。辿り着かれてしまえばコーネリアを守る手立てはない。それだけでなく、きっと子どもたちやシスターも巻き込んでしまう。
(今ならロイがいるけど、武器もないし……)
辺境軍の一員であるロイだが、意識不明の幼なじみを連れ帰る役目の彼が持っているのは短剣くらいだろうし、修道院には防具すらない。
以前の刺客たちが弓矢や長剣を使っていたことを考えると、とても太刀打ちできない。
それに、成人男性であるロイは孤児院のスペースで過ごしているはずだ。女子修道院の建物内に入れるのは作業や食事のときだけだから、ずっとコーネリアのそばにいることも難しいだろう。
コーネリアとリリーは一蓮托生で、どちらかの死亡は二人の死に繋がる。危険の芽はなんとしても摘まねばならなかった。
(私もコーネリア様も、できることって限られているものね)
二人とも自分の力だけでは自分を守れない。周囲の人の協力や、環境を整えることが必須だ。
そしてそれは、ひとりでできることではないと実感している。
(ご領主様たちが守ってくれているから)
幸いにも、入れ替わりが発覚する前も後も、ディランはコーネリアに危害を加えることはなく、安全を確保してくれている。
初対面で脅されたし放置もされたが、仕方がない状況だったと納得しているし、修道院の冬支度を整えてくれたことですべて許している。
さらに、魔力の暴走を抑えてくれて、操作の仕方まで教えてくれた。むしろ恩人だろう。
(なんだかんだ、優しいよねえ)
冷酷魔王なんて呼ばれるが、身を挺して部下を庇ってしまうような人だ。
軍を率いるトップとして、領主として、厳しい決断をしなくてはならないから冷たくも見えるが、本当は温かい心の人だと思う。あの迫力と威圧感に慣れるまで時間はかかったが。
それにしても、デリックだと大丈夫だった距離も、ディランだと構えてしまうのは自分でも不思議である。
(まあ、でも。リリーがご領主様に慣れたところで、春になったらまたお別れなんだけど)
ディランの妻はコーネリアであって、リリーは近くの山に住む見習い修道女だ。リリーとディランの人生はこれまでもこれからも、どうやったって交わらない。
そんなことは分かっているのに、なぜか胸が重い。
「……感謝を込めて、毎日祈ろう」
口に出したら、ますます気分が落ち込んだ。
ロザリオを通して、コーネリアとディランは頻繁に話し合っている。むしろ最近は、リリーよりディランのほうがコーネリアと話している時間が長い。
政治的な問題が多いらしく内容は教えてもらえないが、二人はいつも対等に渡り合っていて、すごく「釣り合っている」と感じる。
(当たり前だよね、辺境伯と侯爵令嬢だもの)
孤児の平民であるリリーとは、そもそもの立場が違うのだ。
彼らとの繋がりは祈りの場でだけ残るもの。それが正解なのに笑って頷けず、春の別れを思うと今から喉が詰まったような気分になる。
(これが「寂しい」っていう気持ちのかな……修道院に関係ない人たちと、こんなに長く一緒にいたことってなかったから)
生まれてすぐ修道院に預けられたから、リリーはいわゆる普通の家庭生活を送ったことがない。
孤児が巣立って行くのは成長の証だし、彼らとはその後も関係が残る。シスターが減ったことはないから、別離に慣れていない。
霙に降られたように冷えた胸元をぎゅっと掴む。
もし血の繋がった家族や友達がいたなら、彼らと別れるときはきっと、こんな気持ちになるのだろう。
「お待たせしました! 今日は午後から本館に行けるそうですよ!」
「っ、ティナ。ありがとう」
元気よく部屋へ戻ったティナに慌てて笑顔をみせる。我に返ると場違いな感傷で、なんだか恥ずかしい。
「どうかしました?」
「ううん、なんでもないの」
(な、なんか妙なこと考えてたね!? 変なの。疲れてるのかな)
両頬を軽く叩いて、改めて現実に戻る。
襲撃や魔獣の脅威が完全に消えたわけではないから不安はあるものの、救いもある。
時間というものは前にしか進まない。
こうしている間にも少しずつ春が近付いている。リリーはフォークナーで、コーネリアはギルベリア修道院で、お互いできることをして過ごして春を待とう。
(結局、それしかできないし!)
シンプルに考えたら気持ちがすっきりした。
「ええと、午後ね。じゃあ、それまではまた守り袋を縫っていようかな」
「疲れたら呼んでください。肩とか揉みますよ」
「ふふっ、ティナのマッサージを楽しみに頑張っちゃおっかな!」
裁縫道具を用意しながら、手をわきわき動かしてみせるティナと笑い合う。
手慰みと諸々の礼に作り始めた守り袋は予想外に好評だった。
(アーサーさんとカイルさんも受け取ってくれてよかった)
追加の布も差し入れられ、たくさん作ったら市で売っている価格で引き取るとの申し出に、ますます作業意欲が湧いている。
(守り袋なんて気持ちのものだけど、喜んでもらえると嬉しいし)
自分にはコーネリアのような有能さはないが、誰かの役に立てるのなら何よりだ。
リリーは気分を切り替えて、午後まで守り袋の刺繍を刺した。
午後になって厨房へ行く途中、本館の廊下でよく知った顔を見つける。ここ最近、姿を見かけなかった人だ。
「アーサーさん! なんだかお久しぶりですね」
「ああ、コーネリア様。ご無沙汰しております。しばらく城を空けていまして、今戻ってきたところでして」
リリーが小走りで駆け寄ると、アーサーはこれからディランに会いに行くところだと言う。
「着いた足ですぐ報告に? 相変わらず忙しそうですね」
「ははは、仕方ないです。魔獣やイスタフェンがいつまた来るかわからないですから」
苦笑するアーサーは、前回の奇襲が最後だと思っていないようだ。
「コーネリア様は厨房に?」
「はい。またお手伝いをさせてもらおうと」
「そうですか、ありがたいことです。ところで、こちらに戻る途中で情報が入ったのですが、少しお耳を拝借しても?」
「え? はい」
なんだろうと首を傾げながら了承したリリーに、アーサーは軽く屈んで耳に口を近づける。
「……明日、ブリジット・ステットソン嬢がフォークナーに来る」
「えっ!?」
「顔を合わせることになるだろうから、先に伝えておくよ」
(ブリジット様が、来る!?)
ステットソン領からの支援物資を受け取りに来るよう伝えてあると聞いていた。けれど、ブリジットの性格を知っているリリーとしては、素直に出向いてきたことに驚く。
「リリーはブリジット嬢と面識があるよね。けれど、『コーネリア』としては初対面だから、くれぐれも態度に出さないように」
「は、はい」
言われて真顔になるが――正直、自信がない。
ブリジットを前にしたら、いつものリリーが顔を出してしまいそうだし、これまでの令嬢風仕草はディランたちにそこそこ通じたが、本物の伯爵令嬢には通じるか分からない。
(私の態度で見抜かれたら……)
侯爵令嬢であり辺境伯夫人であるコーネリアとして、ブリジットの前でどう振る舞ったら正解なのか、急に不安になる。
では、と立ち去るアーサーを思わず引き止めた。
「……ご領主様に『今夜はロザリオを返してください』って伝えてもらえますか?」
「ええ、そのほうがいいですね」
コーネリアに相談しよう、そうしよう。
切羽詰まった顔でアーサーに頼んで、リリーは厨房へと向かった。




