新たな事実 1
「ええと、では。お大事に」
「ああ」
ロザリオをディランに預け、こちらの体調を気遣いながらカイルに連れられて部屋を出るリリーを見送る。
残ったアーサーはベッドのすぐ傍に陣取ると、ディランの様子をしげしげと眺めた。
「しばらく意識不明だったわりには、元気そうでよかったよ」
治癒の魔法は怪我を治すかわりに大きく体力を削る。重傷で、さらに他人の魔力が効きにくいディランはもっと疲弊しているはずだった。
しかし多少顔色が悪い程度で、ベッドの上にしっかりと身を起こしている。
「魔獣の下敷きになるなんて、さすがに今回は心配した。まあ、部下を助けて負傷っていうのはディランらしいけど、もう少し慎重になってくれ」
「悪かった」
ため息まじりのアーサーに向かって、ディランは素直に謝る。
辺境軍のトップであるディランは、フォークナーの守護の要である。領主にも就いた今はますます代わりのいない存在だというのに、自ら先陣を切る戦闘スタイルは昔のままだ。
だが、そんなディランだからこそ兵士たちも士気が上がるし、そもそも自重しろと言ったところで効果がないこともよく分かっている。
話を切り替えて、アーサーは現状を報告することにした。
「ディランが庇った兵士は無事だよ。イスタフェン軍は退いたままだし、魔獣もあれ以上は現れていない」
怪我人は出たが死者はなく、自軍の被害はさほどなかったと知らせるとディランは安心したようだ。
「領内に入り込んだイスタフェンは一掃できたか?」
「何人かは捕縛したけど、そもそも入ってきた兵士の正確な人数が分からないから。しばらくは警戒を続ける必要があるだろうな」
領内の警備を増やしたと言うアーサーにディランが頷く。
「ところで彼女、塔に戻して良かったのか?」
唐突に話題を変えたアーサーにディランが眉を寄せる。
「本人からも聞いたかな、リリーは本館の炊き出しを手伝いに来てくれたんだよ。厨房はすごく助かったって喜んでいるし、避難してきた領民からの評判も上々。このままこっちに置いてもよかったのに」
「ああ、そのことか」
リリーはあの塔に慣れたと言っているが、血生臭い過去と噂がある場所だ。敵軍の来襲もあった直後で、塔に一人では心細いだろう。
人の多い城館で過ごすほうがいいのではないかとアーサーは思ったのだが、ディランの考えは違うようだ。
「今は塔のほうが安全だ」
「……それもそうか」
避難住民のために城館を開放している今、警備はしていても不審者が入り込みやすい状況だ。
イスタフェンの残党のこともあるが、コーネリアは刺客に狙われている。
だが、塔には出入り口がひとつしかない。大きな窓もないため、入り口を塞いでしまえば外部からの侵入を防ぐのは容易である。
要人の収監に使われた建物だけあって頑丈だ。カイルの魔法攻撃を防ぐ魔術は健在だし、もし攻撃を受けても被害の心配は少ない。
「本館でなにかしたいのなら来ればいい」
さらに付け加えられたひと言にアーサーは驚いた。
(へえ、自由に動くのを認めたか)
中身が別人だと判明して以来、ディランのリリーに対する態度は和らいでいるように見える。
リリーのほうも、とっつきにくい性格で雰囲気にも圧があるディランに慣れたらしく、怯えることもない。
本人たちは否定するが、二人であれこれ言い合っている様子は十分に親しい間のそれだ。
だが、見習い修道女のリリーと打ち解けたところで、ディランの本当の妻はコーネリアである。
それに子どものころから想っている隣領のブリジット嬢への遠慮もあるのだろう、物理的に距離を取ろうとする態度も理解できた。
(リリーが本物のコーネリア嬢だったらよかったのにな)
修道院にいるコーネリアとの会話を思い出して、アーサーは内心で息を吐く。本物のコーネリアは噂の通り優秀でプライドが高い、令嬢らしい令嬢だった。
春になったら入れ替わりを解消できるという話だが、コーネリアとディランはロザリオ越しでさえしょっちゅう言い合っている。
忖度なく討論できる関係は貴重かもしれないが、毎回殺伐とした雰囲気で、この二人が夫婦としてうまくやっていけるとは思えない。ちなみにコーネリアも同じ意見だ。
王命である以上、結婚は仕方ない。しばらく仮面夫婦で過ごして、ほとぼりが冷めた頃合いで離婚するのがいいだろうというのが、アーサーとカイルの最近の考えである。
(コーネリア嬢は入れ替わりが解消しても、フォークナーに住むつもりはないって言ってるけど)
どうせ名ばかりの妻ならいなくてもいいだろう、という言い分は理解できる。
王都に帰ることはさすがにできないが、このままギルベリア修道院で過ごすのも一興だ、と豪語して「修道院にいるほうが、フォークナーでディランの妻として大人しく過ごすよりずっとマシ」だと言い放ってまた場の空気を凍らせていた。
頭の回転が早く胆力もあるコーネリアは仲間としてなら心強いが、ディランと結婚という点においては、どう考えてもミスマッチだろう。辺境を見張るための政治的な婚姻に他ならない。
本人のどちらも望んでいない結婚など不毛なのに、王命を退ける手立てがないのがもどかしい。
(……今、考えることじゃないか)
なんともならない現実をじれったく思いながら、アーサーはひとまず思考を今に戻した。
「ああ、そのリリーのことだけど。炊き出しで彼女の作った料理を食べた何人かが、料理長に『懐かしい』って礼を言いに来たそうだよ」
「懐かしい?」
言ってきたのは、避難してきた領民のなかにいるギルベリア修道院の孤児院出身の者たちだった。
まさか領主夫人の中身がリリーだとは思っておらず、ただ非常時に懐かしい味に触れて安心できたと伝えに来たのだそうだ。
「修道院で食べたのと同じ味がしたって、こんなときだけど嬉しいって喜んでいた。リリーは小さい子たちの面倒もよく見てくれたそうでね。避難中ってトラブルが起きやすいはずなのに揉め事もなくて、むしろ和やかだったらしい」
「そうか」
修道院で孤児たちの面倒をみていたというリリーは、子どもの世話はお手の物。嫌な顔をせず楽々と雑務をこなす領主夫人に現場はいたく感激した。
王都の貴族令嬢など見たこともない辺境の領民は「料理や子守りが得意な侯爵令嬢」という不自然さまでは気が回らなかったようだ。
「それと、もうひとつ報告が上がっている。リリーは塔の警備をやっていた兵士にも守り袋を渡していただろ。今日の戦闘の最中に、その『守り袋が光った』そうだ」
「守り袋が?」
アーサーの言葉に、ディランは自分の胸元、ポケットに入った守り袋に服の上から手を当てた。
「ディランも前に指摘されていたよな。それに今回、お前が魔獣の下敷きになる直前にも光ったって、カイルから聞いた。魔獣が倒れてきてそれどころじゃなくなったけど」
「……」
「守り袋が光った兵士たちは、すんでの所で魔獣やイスタフェンの攻撃を躱せたり、運良く弓矢が逸れたりしていた。ディランも魔獣に潰されたわりには軽傷だったな」
「アーサー、なにが言いたい」
思わせぶりなアーサーに、ディランが口調を強めた。
「今回の襲撃で致命傷を避けられた者は守り袋が光っている。ディランも含めて全員だぞ? そんなの、なにか関連があるとしか思えないじゃないか」
巨大魔獣の下敷きになって救助にも時間がかかったディランが骨折だけで済んだのは、運がよかったというだけで済むものではないとアーサーは言う。そしてカイルも同じ疑問を持った。
「だから、ディランが寝ている間に、その兵士たちと僕たちの持っているリリーが作った守り袋を、改めて魔術で解析したんだけど……」
「どうだった」
「それがさ、なんの魔力反応もなかった」
防御魔術などが付与されていたなら簡単に分かったのに、と言いながら、アーサーは自分の懐から守り袋を取り出した。
ディランのとも少し違う刺繍が施されたその守り袋を、見せつけるように持ち上げる。
「防御の魔術もそれ以外も、なんの痕跡もない。それならこの守り袋には加護が掛かっているんじゃないかって、カイルは仮説を立てた」
「……加護か」
「そう。リリーが加護持ちなら、この不可思議な状況が説明できるからね」
加護とは神が人に与える恩恵だ。加護者の周囲には様々な幸運がもたらされるという逸話がある。
魔力は肉体に宿るが、加護は魂に宿る。
それなら他人と入れ替わっていても効力を発揮できる。さらに、刺繍などの縫い物には加護の力を込めやすいと言われている。
「……実は俺もそう考えた」
「そうなのか?」
「ああ。今回は光ったのも見えたし、無事で済んだのが自分でも信じられないくらいだったからな。辻褄は合う」
意外なことにこちらの仮説を肯定したものの、ディランは眉を寄せる。
「だが、加護なんて昔話だろう。最後に加護者が現れたのはいつだ? もう何十年も『加護持ちが見つかった』なんていう報告は、どこの国でもないぞ」
「ここしばらくいないからといって、今後一切現れないとも限らないだろ」
加護持ちは貴重な存在だ。強い加護がついていれば、一人で一国が栄えるほどの影響があると言われている。
もしリリーに本当に加護があるのなら、それこそ教会が聖人として引き立てるはずだ。こんな辺境のギルベリア修道院に放置しているわけがない。
「それに、加護のことを本人からひと言も聞いていないが」
秘密にしていたコーネリアとの入れ替わりだって、自然とバレてしまったリリーである。嘘も下手で馬鹿正直な彼女は、隠しごとに向いていない。
自分に加護があると分かっていたら、言葉や行動に現れるだろう。
ディランの疑問はもっともだ。同じことをカイルとも話し合ったとアーサーは話を続ける。
「リリーは加護に無自覚なんだと思う。使う機会がなかったんだよ」
守り袋が光った兵士たちは皆、当たっていたら死んでいたという事態をぎりぎりで避けられていた。そしてディランもそうだが、無傷で守られたわけではなく、軽い怪我は負っている。
そのことから、国を繁栄に導くような伝説的な加護ではなく、本当に危険なときに命だけを助けてくれるような控えめな加護なのではないか、とカイルは推測を立てた。
「強い加護なら自然と気がつくだろうけど、修道院の周りには、魔獣も滅多に現れないって聞いただろう。加護の使いどころがない暮らしなら、周囲も自分も知らなくてもおかしくない」
実際、ディランの守り袋が光ったのも、乱戦や急襲の際ばかりだ。機会がなければ無自覚だろう。
「ただ、この仮説には大きな穴があるんだ。ディランの守り袋は今回だけでなく、前から――リリーから渡される前にも光っていただろ。そうすると、古いほうの守り袋を縫ったブリジット嬢にも加護があるっていうことになる。それはさすがにありえないからね」
滅多に現れない加護持ちが同時代に、しかも同じ国に複数人存在するなんて、奇跡以上の事態だ。さすがにそれはありえない。
「だから、まあ加護っぽいなにか別の理由だろうっていう結論になったんだ……ディラン?」
そう言って加護の話を切り上げたアーサーに、ディランがなにか言いたげな顔を向けた。なかなか切り出さないディランに水を向ける。
「そういえば、さっき『話がある』って言ってたけど」
「……ああ」
「言いにくそうだな。なに、もしかして守り袋に関係することとか?」
気を軽くさせるための冗談だったのに、分りやすく顔色を変えたディランに驚いてしまう。
身を乗り出してさらに促すと、ようやくディランが口を開いた。
「昔……瀕死の俺を助けたのは、ブリジット嬢ではなかった」
「えっ?」
「ギルベリア修道院はステットソンの支援を受けている。十年前の侵攻のとき、リリーはブリジット嬢から『自分の身代わりとして働いてこい』と命じられて、領内の救護所に駆けつけたそうだ」
「は?」
唐突なディランの話に、アーサーは腰を浮かせた。
「そして、これまでステットソンから俺に送られてきた守り袋を作っていたのも、リリーだ」
「はあぁ!?」
さらに予想外な事実だった。目を丸くしたアーサーに構わず、ディランは話を続ける。
「守り袋を作るよう、毎年ステットソンから頼まれると言っていた。タダ働きだが、支援されている関係上、断れないと」
「えっ、なに、つまりそれって――」
「人違いをしていたっていうことだ。俺を助けてくれたのも、守り袋を縫ったのもリリーだ。ブリジット嬢じゃない」
言い切るディランにふざける様子はない。真剣そのものの友人をアーサーは呆けて見つめた。
「……本当か?」
「目が覚めてから記憶に被るところがあって、本人に確認した。救護所で看病したのが俺だとは分かっていないようだが、それ以外は俺が覚えていることと一致する。まあ、物理的な証拠を出せと言われたら、なにも無いが」
「はあ……そう、か」
驚きの告白に力が抜けて、アーサーはすとんと椅子に腰を落とした。
「……ディランがずっとリリーの守り袋を持っていたのなら、いつ光ってもおかしくない。同じ作り手だもんな。じゃあ、リリーはやっぱり加護持ちってことか」
「加護と決まったわけじゃない」
「でも、今の話でかなり信憑性が上がったよ」
ディランが持ち続けた〈ブリジットが作った〉守り袋を縫ったのが〈修道院のリリー〉なら、矛盾はない。その一点だけが引っかかっていたのだから。
「大勢を一気に癒したり、砂漠を森に変えたりっていう、昔話にあるような派手なものではないけど。加護だというのが一番しっくりくる」
「……アーサー、あいつを利用するつもりか?」
加護持ちは聖人として祭り上げられる。リリーに加護があると明らかにされれば、今の修道院生活とは比べものにならないくらいの好待遇を用意されて神殿に迎えられるだろう。
反面、制約も多く、ほぼ軟禁生活になる。それだけでなく、神殿や国の意向に沿った養子縁組や結婚が強制されることは間違いない。
コーネリアとの入れ替わりを解消して、ギルベリア修道院に――自分の家に帰るのだ、と張り切っているリリーは果たしてそれを望むだろうか。
「いや、もし本当に加護だとしても発表するつもりはないよ」
ディランの問いにアーサーは首を横に振った。
「彼女には今までどおり、守り袋作りに精を出してもらいたいとは思っているけど。領民にも渡せたら、森を通るとき少しは安全になるだろ」
「そうか」
利用する気はないと言うと、ディランはあからさまにほっとした様子になった。
いくらでも利用価値があるのに、そうはしないとあっさり言い切るアーサーにディランは小さく息を吐いた。




