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隣国の侵攻 3

 ディラン負傷の突然の報に、リリーは声を失った。

 イスタフェン軍を押し返したところに巨大な魔獣が現れて、部下を助けようとしたディランが犠牲になったらしい。


(ご領主様が魔獣の下敷きに?)


 部下を庇って魔獣を斬りつけた、というのがディランらしい。

 入れ替わりを告白する前、まだこちらをきつく警戒していたときでさえ、リリーを襲撃者から守ってくれたディランである。仲間の危機に身を挺したことは理解できる。


 実際、戦闘力でもディランに並ぶ者はいないだろうから、当然のようにそうしたのだろうし、いつものことだという。しかし今回は、それが仇となった。

 やっつけた魔獣の巨体が倒れて、ディランは押しつぶされてしまったそうだ。

 急ぎ搬送してきたというが、怪我の具合を含め、今ディランがどんな状態なのかまでは伝令では分からない。


「奥方様、こちらはいいですからご領主様のほうに行ってください!」

「そ、そうね」


 料理長たちから言われてティナに手を引かれて、ディランが運び込まれた部屋へと連れて行かれる。


「……大丈夫です、ご領主様は無事ですよ」

「うん……」


 早足で進みながらティナが言ってくれるが、リリーは心配でそれどころではない。

 何度か転びそうになりながら歩いていると、兵士や救護の面々が忙しなく行き交う廊下の向こうに、指示を出すアーサーが立っていた。


「あっ、アーサーさん!」


 駆け寄るリリーに気づいて、アーサーが近くにいた部下に下がるよう合図する。


「コーネリア様は、厨房を手伝ってくださっていたと聞きました」

「え、ええ」

「本来は塔にいてくださいとお止めするべきなのですが……助かりました。なにしろ、人手はあればあるほどいいですので」


 辺境では人材が大事なのだと悠長に話すアーサーだが、どこか焦りが見える。ディランの負傷は、側近にとっても緊急事態なのだろう。


「勝手なことをしてごめんなさい。それより、ご領主様が――」


 ディランは大丈夫なのか、と問いかけようとすると、前の部屋の扉が開いてカイルが出てきた。疲れた表情を隠さないカイルに、アーサーが詰め寄る。


「カイル、ディランは」

「あばらが何本か折れててね、あらかた治したよ」

「そうか、よかった」

「でも、意識はまだ戻ってないんだ」

「ご領主様、意識がないの……?」


 予想以上の重体に、リリーの息が止まるかと思った。顔色を悪くして問いかけるリリーに、こちらも沈痛な表情でカイルが説明をしてくれる。


「直接攻撃を受けたわけじゃないんだ。でも、雪が深く積もっているところで上から魔獣に押しつぶされたから。それがかなり大きい魔獣で、救助に時間がかかって……しばらく息ができなかったみたいだ」

「そんな……」


 治癒の魔法は万能ではない。

 そもそもディランのように体内に魔力を多く持っている場合、他人の――ここでは、カイルの魔力はどうしても反発してしまう。そのため、治癒も効きにくいのだそう。

 それでも、さすが辺境魔術団の団長である。どうにかディランの魔力をかいくぐって作用させ、骨折などの怪我はほぼ治したのだという。


「さっきまで医師もいたけど、呼吸や血圧は問題ないって。だから、そう深刻にならなくても大丈夫」


 ついでのように付け加えてくれるが、リリーの憂いは晴れない。


「でも――」 

「そんなわけで、コーネリア様。ディランが目を覚ますまでついていてくれませんか?」

「私が?」


 唐突にアーサーから話を振られて、リリーは驚く。


「はい。また襲撃されると厄介なので、ディランと一緒にいてください」


 奇襲は退けたものの、領内はまだ落ち着いていない。

 混乱に乗じて刺客が入り込まないとは限らず、ディランが動けない状態なら、リリーも一緒にして守ろうということだ。

 別の場所にいる二人にそれぞれ護衛をつけるより、手間は省けるだろう。だが――。


「ついでに看病も頼むね。骨はくっつけたけど、熱は出るだろうし」

「そんな、カイルさん。私より、お医者様とか看護師さんについてもらったほうが」

「コーネリア様はディランの妻だろ」


(いや、コーネリア様はそうだけど、私は違うし!)


 それに、リリーは一介の見習いシスターだ。孤児院の子どもたちで看病は慣れているが、そこまで信用してもらっていいのだろうか。


(第一、ご領主様が目を覚ましたら『なんでお前がいるんだ』って怒られそう!)


 慌てて辞退しようとするリリーに、カイルとアーサーがにこりと微笑む。


「大丈夫、なにか企むような度胸はないって知ってるから」

「なんか酷い!?」

「あはは、冗談だって。正直に言うと、人手が足りないんだ。それなりに怪我人はいるから、医師たちはそっちに専念してもらっているし」

「あ……それは」


 言いながら、アーサーは伝令を持って駆け寄ってくる部下のほうに目をやって、ここから指示を出している。本当に忙しそうだ。


「僕たちはディランの代わりにいろいろやることがある。領内のことをまだよく知らないコーネリア様が一番役に立つのは――ね?」


 そう言われるとぐうの音も出ない。料理程度しかできないリリーではお荷物だということは分かっている。


「わ、わかりました! でも、私はお医者様じゃないから、期待しないでくださいね!」

「コーネリア様がここでディランと大人しくしてくださっていたら問題ないですよ」

「僕か医師が見に行く前にディランが目を覚ましたり、なにか用事があるときは、枕元にあるベルを鳴らして。ああ、ティナはこっち」

「えっ、あのっ」


 話しながらアーサーが扉を開け、カイルがリリーの肩を押して部屋の中に入れる。と、ドアが閉まり外から鍵が掛けられた。


(か、鍵ー!)


 不審者対策としてはおかしくない。けれど、意識不明とはいえ成人男性と密室にされてしまった。


(中から開けたら……だめだよね。仕方ない)


 防犯第一である以上、勝手に解錠はできない。

 変に緊張する胸を押さえながら部屋の奥へ向かうと、ディランはベッドで眠っていた。


 ――心配したほど顔色は悪くない。けれど、身じろぎひとつしないで眠るディランはあまりに静かで不安になる。


「あの、おかえりなさい。お疲れさまでした……大丈夫です?」


 思わず声をかけるが、当然返事はない。


(……生きてる?)


 心配になって、腕を伸ばして手を口元にかざして、呼吸をしているのか確認してしまった。

 縁起でもないが、ちゃんと息が感じられてほっとする。しかし、カイルが言ったとおり熱が出始めているのか、呼気が熱い気がする。

 サイドテーブルにある水差しで布を濡らし、ディランの額に載せると、心なしか表情が安らいだ。それにほっとして変わらず静かな息をもう一度確かめて、リリーは寝台の傍にある椅子に腰掛ける。


「あんまり熱が上がらないといいけど……」


 見える範囲に怪我はなく、包帯の交換などの手当ての必要はなさそうだ。

 となると、異変がおきたらすぐ気づけるように、こうしてついていればいいだろうか。それで看病といえるか分からないが。


(……そういえば、ずっと前にもこんなことがあったなあ。あの時もイスタフェンが攻めてきて……)


 眠るディランをぼんやりと眺めていたら、昔のことを思い出した。

 いつだったか、同じように隣国が進軍してきて、そのときは珍しくステットソン領で争いになった。

 山の上にあるギルベリア修道院にまでは被害は及ばなかったが、リリーはブリジットに呼び出されて救護所でしばらく働いたのだ。


 領主の義務のひとつに、兵士たちの慰問や救護がある。

 ステットソン伯爵は自ら陣頭指揮を執らないので、本来ならその分も後方支援に注力すべきだが、それもおざなりだ。


(領民を大事にしない人だって、院長先生も困った顔をしてたな)


 親がそうなら娘もそうなる。ブリジットは領主の子として行うべき負傷者支援を嫌がり、歳が近いリリーに自分のフリをして働いてこいと命じて身代わりにしたのだ。


(あの頃はまだ、定期的に修道院に寄付金を入れてくれていたから、ステットソンからの依頼は絶対に断れなかったし)


 ブリジットとは髪の色も目の色も違い、顔立ちもたいして似ていない。

 けれど救護所にはブリジットを直接知っている者がいなかったことと、そもそも多くの負傷者で混乱していたため、髪をフードで隠しただけの変装でも別人と見破られることはなかった。


 薬も人手も足りていないのに、負傷者はどんどんやってくる。

 ブリジットとして働いているリリーも「領主の娘」という扱いをされたのは本当に最初だけで、すぐにそんな配慮もなくなった。


 怪我人の手当てをし、炊き出しの手伝いもして数日。

 援軍として駆けつけたフォークナー軍によってイスタフェン軍は撤退し、争いは一旦終結したが、前線での負傷者がたくさん運び込まれた。


 そのなかに、隔離部屋に置かれた少年兵がいた。


 怪我をしているが、魔力制御ができない状態かもしれないから、安全が確認されるまで放っておけという大人の言い分にリリーは憤慨した。

 だって領民を守るために戦った恩人なのだ。手当てもせずに放置していいわけがない。


(魔力のこととか、ぜんぜん分かっていなかったんだよね……)


 リリーの周囲には魔力を持つ人はいなかった。だから、止められるのを無視して、隔離されている部屋に行った。

 苦しそうにしていたのは魔力の影響ではなく、単純に怪我をしたところが痛いからだと思ったし、怖いとも感じずその子の手当てをした。


 コーネリアの体で魔力暴走を体験した今なら、大人たちの言うことも理解できる。たしかに、あれは危ない。周囲を巻き込んで大変なことになるだろう。

 だが、なにもせずに放っておくのは違うと、今でも思う。


 怪我人は自分より少し年上に見えたが本当に少年で、そんな年齢のうちから戦闘に駆り出されるなんて、と胸が塞がれるような気持ちになったのを覚えている。

 額や目の近くも怪我をしていたから、どんな顔をしていたかはよく覚えていない。


 怪我が重いうちは看病をするリリーにも警戒をしていた少年だが、傷の具合が落ち着いてくると会話も続くようになった。

 貴族令嬢のブリジットのふりをしていたから庶民的すぎる話題は避けて、話したのは当たり障りのないものばかり。となると、必然的に教会関連の話になる。

 だが、教会に通うよりも戦場にいる時間のほうが長いという少年は、説話や賛美歌に馴染みが薄かった。

 聖典については教会に都合のいい綺麗事だと眉を寄せられたが、孤児院の子も好きな季節の行事や加護の話は楽しく聞いてもらえたと思う。


(加護を持つ人は治癒の魔法を使わないで怪我や病気を治したり、豊作をもたらしたり……だもんね。おとぎ話みたいなものだから、抵抗がなかったのかも)


 基本的に無口な少年にリリーが話しかけるばかりだったが、それでも最後のほうには多少仲良くなれた気がする。

 少年の名は分からない。ブリジットとして救護所にいたリリーは、自分の名を訊かれても名乗れない。だからこちらからも尋ねなかった。


 後から聞いた話では、平民に混じって救護所で働く献身ぶりが認められて、ブリジットの株はだいぶ上がったらしい。

 けれどブリジットからだけでなく、替え玉をしたことを知った伯爵からも、リリーには礼のひとつもなかった。追加の寄付金をくれてもいいのに、と思ったものだ。


(……変なこと思い出しちゃった。イスタフェンはもう、攻めてこなければいいのに)


 隣国イスタフェンの王は野心家で、常に領土拡大を狙っている。エクセイア国に資源が多いのも、侵攻の原因のひとつだ。

 エクセイア国王や王都の貴族が外交でどうにかしてくれればいいのだが、フォークナーに任せっぱなしである。


 だからこの辺境はもうずっと、戦ってばかりだ。

 あの男の子のように、子どものうちから従軍する者も少なくない。

 ディランはそんな状況を変えたいと、父を討ったときに言っていたそうだ。そうなればいいとリリーも思う。


「ご領主様、はやく目を覚ましてくれないかな」


 コーネリアに対しては理想的な夫とは言えないが、ディランは領民から慕われている。領主不在では辺境軍の士気にも関わるだろう。

 それに、毎日のように顔を合わせて言葉を交わした相手だ。心配しないわけがない。

 時々、額の布を替えたり、看病には付きものの子守歌を歌ったりしているうちに、部屋には夕日が差す時間になっていた。




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