隣国の侵攻 2
不意を打たれて起こった戦闘だったが、辺境軍に混乱はなかった。というのも、時期は分からないまでも近く侵攻があるだろうことは予測していたからだ。
(その判断材料をよこしたのが、修道院にいるコーネリアだというのが癪だが……)
つい最近まで次期王太子妃として王宮で権勢を振るっていたコーネリアの持つ情報は、どれも有用だった。
入れ替わってしまったリリーのことや、フォークナー領や隣のステットソン領の内政状況、時にはディランの個人情報までも対価に要求して、コーネリアは少しずつ手の内を明かした。
――アラベラ妃とギレット伯爵家には、たしかに力があるわ。でも、王位の簒奪を表向き平和に企てている今は、向こうで手一杯なはずよ。
だから、今後もコーネリアを狙った襲撃はあるだろうが、向かわせられるのは大した実力もない者ばかりになり、さほどの脅威ではないと言い切った。
そして、自分に向けられる刺客よりも、コーネリアは魔獣の異常行動のほうに興味を示した。
――複数が群れで? ありえないわ。それじゃあまるで……ああ、なるほど。そういうこと。
――心当たりがあるのか?
――少し前に、非道な実験を行ったとして魔術学会を追放された学者がいたの。彼の研究は、魔術による脳機能の解明で……簡単に言うと、洗脳を主題にしていたわね。
なんでそんなことを知っているのかというと、コーネリアは魔術学会に理事として在籍していたのだという。
本来は王子であるルーカスが担当すべき職務だったが、魔力量の多さと能力的な問題で、婚約者であるコーネリアが代わりにこなしていたとのこと。噂どおりのコーネリアの有能さに、正直舌を巻いた。
――魔獣の行動原理は本能だろう、洗脳などできるわけがない。
――あら、頭が固いのね。洗脳はできなくても、本能に働きかけることはできるかもしれないじゃない。
本能をいじって認識を阻害させたり、興奮状態に陥らせたり。
人間が思うままに操れなくても、普段と違う行動をさせるだけで混乱は作り出せると、コーネリアは平坦に話した。
――そして、その追放された学者が姿を消す直前に、接触した者がいるらしいの。相手は、イスタフェンの人間よ。
そこまで聞けば、イスタフェンがなにを目論んでいるかなど考えるまでもない。
どうしてそんな危険人物を野放しにしたと憤ったが、学会を追放された学者はただの一般人である。明確な罪がなければ捕らえることができない、その隙を突かれた。
魔獣の脅威さえなければ、イスタフェンは冬期の侵攻も辞さないだろう。むしろこちらが油断していることを見越して冬に仕掛けてくるはずだと踏んだが、当たりだったようだ。
(そうはさせないがな)
メアリー妃殺害に使用されたのは毒物で、フォークナー近郊で取れる鉱物が原料のひとつなのだとコーネリアは言う。
純度や組成を調べれば、同一かどうか判定できる、とも。
――あなたの父親はアラベラ妃ともギレット伯爵とも繋がっていなかったから、直接の関係はないでしょう。ただ、盗掘を見逃したり鉱物を横流ししたりした可能性はあるわ。
その犯人がアラベラと繋がっているのは間違いないだろう。そして同時に、イスタフェンと組んだとも考えられると、コーネリアは推理する。
――戦場にして領地を荒らせば、証拠を隠滅できるもの。それか、最終的に支配下に置けば、採掘権を公に手中に収められるでしょう。
イスタフェンとは現在、ほぼ国交を絶っており、アラベラが直に接触するのは現実的に難しい。
ほかにも王が倒れた時期やコーネリアが辺境に向かわされたことなど、一連の出来事を考えると、イスタフェンの内通者がエクセイア国内にいるはずだとコーネリアは断言する。
――隠れている裏切り者をあぶり出しなさい。
本当は自分の手で突き止めたいとコーネリアは言った。自分を今の状況に陥れた者への報復だけが目的ではなく、メアリー妃は害されていい人物ではなかった、と。
自分が動けないから不本意ながらディランに託すのだと、ロザリオ越しに響いた口惜しそうな声は、とても芝居には聞こえなかった。
(……言われなくても)
幼い頃から魔剣士として戦ってきた。何度勝っても、賞賛や感謝よりも畏怖されるほうが多かった。それでも――。
(フォークナーに仇なす者は、排除するのみだ)
魔獣や隣国、そしてディランの父によって、この地は何度も虐げられてきた。その度に被害にあうのは、力のない一般人や子どもだ。
その中には、ディランに手を差し伸べてくれたあの少女もいる。
「ディラン、そっちに行ったぞ!」
カイルの声に剣先を向け、なだれ込んでくる敵軍をなぎ倒す。自身の魔力を纏わせた剣はもはや腕と同様に動き、反撃させる隙も与えない。
「おー、さすが」
「カイルのほうはどうだ?」
「ほぼほぼ制圧完了かな。イスタフェンの兵はどんどん質が落ちて行っているね。魔獣がいないなら楽なもんだよ。ただ、先に森を抜けた奴らが町に入り込んだのがなあ、準警備隊が善戦してくれているといいんだけど」
カイルが口惜しそうに言う。イスタフェン軍の本隊を押しとどめる必要から、主要な戦力は森に集めてある。少数逃れた敵兵に町を蹂躙されないよう阻止したいが、そうするとこちらが手薄になってしまう。
準警備隊は、負傷して前線を離れた元兵士や、商店主などの有志が中心になってできた組織だ。窃盗や放火を防ぐことはできても、敵兵士との斬り合いは不得手である。
「そんな顔するなって。城館に避難するよう言ってあるし、昔に比べると被害は少ないはずだ」
城館には本隊の警備兵も残してあるから安全だ。
しかし、絶対はない。攻撃力を持たない城の使用人たちや料理人、それに――。
(……見習い修道女は、こんな状況は初めてだろうな)
ギルベリア修道院がある山では、凶暴な魔獣など見かけないと言っていた。人里から離れているぶん、自然以外の脅威はない場所だ。
塔からは距離があるとはいえ、ものものしい雰囲気は伝わっているだろう。
数人に襲撃されただけで、真っ青になって震えていたリリーを思い出す。敵兵に驚いて、また魔力を暴走させていないだろうか。
主立った魔術師は全員従軍している。彼女の魔力暴走を止められる者は、城にいない。
「……さっさと片付けて帰るぞ」
「当然! 僕、朝食まだだったんだよねえ」
話しながらも二人の動きが止まることはない。ドン、と音を立ててカイルの攻撃魔法が炸裂し、追い込まれた敵兵をディランたち歩兵が無力化していく。
振動で枝から落ちた雪で、敵が手放した武器も埋まっていく。次々と撃破していくディランたちの前からいよいよ敵軍の姿が消え、誰もが勝利を確信して一息ついたときだった。
「――ディラン!」
カイルの声に重なって、突然、一頭の魔獣が現れて狂ったように突進してくる。
逃げ遅れた兵士を守るため剣を振ったディランは、その巨体の下敷きになった。
§
「さあ、こっちもできた! ティナ、運んでちょうだい!」
「はい、コーネリア様!」
料理人たちが忙しく立ち働くフォークナー領主館の厨房に響く溌剌とした声の主は、先頃嫁いできた領主夫人――コーネリアのものだ。
大皿にどっかりと盛り付け、すぐに身を返して次の支度に移る。
姿はどこまでも麗しいのに、美しい長い髪をきちっとひとつにまとめ、料理人と同じようなエプロンも身につけている。
「奥方様、こっちも手伝ってください!」
「ええ、すぐに行くわ」
身分などないかのように気さくに話し、芋の皮むきなどの下ごしらえや、残飯の始末、皿洗いなど、下働きの仕事であろうものも厭わずにくるくると立ち働くコーネリアは、短時間ですっかり厨房と料理人たちに馴染んでいた。
「えっ、もう刻み終わったのですか? 人参、山盛りありましたよね」
「ふふ、張り切っちゃった。でも、皆さんのほうが手早いでしょう。さすが毎日作っている人たちは違うわね。さあ、次は?」
「あ、では向こうの――」
その手際の良さには、気難しい料理長も感心するほどだ。
イスタフェンによる奇襲にはすぐに辺境軍が向かったものの、敵の侵入を許してしまった。
敵兵は大勢ではないとはいえ、領民にとっては紛れもなく脅威である。非戦闘員の領民の避難場所として城館を解放したところ、多くの者がほとんど着の身着のままで逃げてきた。
成人男性や動ける者は警備隊に加わっているため、避難しているのは老人や女性、子どもが多い。その彼らや、交代で休憩を取る隊員たちのために、厨房では慌ただしく炊き出しが行われていた。
そこに、これまで離れの塔で暮らしていた領主夫人であるコーネリアが突然現れ、手伝いを申し出たのだ。
国王の命で、王都貴族の令嬢であるコーネリアをディランが娶ったのはつい最近。
しかし、婚儀はスムーズに行われなかった。フォークナーに来る途中で、コーネリアが暴漢に襲われたからである。
その場は切り抜けたが、また襲われる可能性があるとのことで、しっかり警備できる塔にしばらく匿うことにした――と知らされた。
そんな状況のため結婚式も内々で行ったから、コーネリアの容姿も人柄も、領民たちはよく知らない。
だが、コーネリア・ウォリスは宰相の娘であり、王太子の元婚約者であった。高い身分と魔力を振りかざした傲慢で気位の高い令嬢だと、まことしやかに囁かれていた。
しかし日が経つにつれ、その噂が変わってくる。
不吉な過去を持つ塔で怖がりもせずにのびのびと暮らしていること、不便な待遇にも不満を言わないこと、使用人を虐げたりもしないことなど、それまでと真逆の噂が警備兵やメイドの口から少しずつ広まったのだ。
塔での暮らしが落ち着いてからは、見事な刺繍で守り袋も縫っているらしい。どれもこれも、傲慢からはほど遠く、むしろ無害である。
そういった噂の中で本館料理長の気を引いたのが、塔の古い厨房で様々な料理を自分で作っている、というものだ。
辺境の地で長年調理を担当している料理長は、研究熱心で、新しい食材や調理法に目がない。
コーネリアの作る料理がおいしいと聞けばなおのこと興味津々で、塔で一緒に調理をしている専属メイドのティナからレシピなどを聞いていた。
なかなか手の込んだものも作っており、一度、お手並み拝見といきたいものだと思っていたが、それは平時にすべきこと。
緊急事態の今はお嬢様のご機嫌を伺いながらの作業などできないし、お行儀良くもやっていられない。厨房がいくら忙しくて猫の手も借りたい有様だったとはいえ、突然やって来られて歓迎できるわけがなかった。
だが、料理長が断る前に、コーネリアは「お邪魔にならないようにしますので。下働きが一人増えたとお思いになって」などと言ってさっさと調理場に立ってしまったのだ。
最初はぎょっとした調理人たちだったが、コーネリアはさくさくと手を動かし、大人数分の調理もケロッとしてやっている。
料理長が大声で指示を通したり、うっかり乱暴な言葉を発したりしても咎めることもなく――となれば、あっという間に戦力として扱われた。
調理が一段落すると休憩もそこそこに食堂へ行き、自ら椀にスープをよそって配るなど、領民に対しても線を引くことなく親しげだ。
高貴な令嬢の登場に皆が驚いたが、微笑みかけられ、避難を労われると警戒心も解けていった。
「奥方様って、きさくな方だったんだな。本当に料理もできるし」
「俺、傲慢だって噂を信じてたよ……反省するわ」
「あー、僕も」
「私も。ああほら、あんなべったり涙とヨダレつけられても、全然気にしないのね」
親が前線に出ており、子どもだけで避難している兄妹たちもいる。
不安で泣く幼い子を慣れた手つきで抱き上げてあやすコーネリアを見て、調理人たちがしみじみと言い交わす。
「……いい方がフォークナーに来てくれたな」
「せっかく奥方様が本館に来ているんだし、イスタフェンなんてさっさとやっつけて、領主様が早く戻られるといいな」
イスタフェンの侵攻は突然だったが、ディランが負けるとは誰も思っていない。成人前から辺境軍を率いて常勝している領主への信頼は篤いのだ。
そんなふうに、束の間の休憩を楽しんでいるところに料理長の指示が飛ぶ。
「次の仕込みを始めるぞ!」
「あっ、はい!」
料理長の大声は、向こう側にいるコーネリアにも届いたようだ。泣き止んだ子を兄姉に戻して、自分も厨房に来ようとした、そのとき。
「た、大変です! 領主様が怪我を!」
息も絶え絶えに飛び込んできた兵士が、部下を庇ってディランが負傷したと告げた。




