束の間の平穏 1
「んー……爽快っ!」
入れ替わっていたことがバレて、ディランから魔力操作を教わってコーネリアと話したり、王宮の裏事情を知ってしまったりしたあの盛りだくさんの日からしばらく。
リリーは入れ替わり後、初めてと言っていいほどの目覚めの言い朝を迎えていた。
(今なら空も飛べちゃいそう……っていうか、今日こそ階段を自力で上れそう!)
寝起きの伸びをしたまま、にっこにこで両手を高く上げるリリーに、部屋に入ってきたばかりのティナが声を掛ける。
「おはようございます、コーネリア様。ご機嫌ですね」
「ティナ、おはよう! だってね、ここに来てから初めて一晩ぐっすり眠れたの。どこも痛くないし苦しくもないの!」
本当は「リリー姉さん」と呼んで普段通りに話したいティナだし、そうされたいリリーだが、コーネリアとの入れ替わりはあくまで秘密事項。
どこで誰が聞いているか分からない状態での漏洩やうっかりを防ぐため、呼び名は公式を貫き、態度も入れ替わりが発覚する前と同じに、一定の距離を保つようディランたちから厳命された。
切り替えに自信のないティナとリリーはその指示に従い、これまで通りにすることにした。
時々、親しげな視線を交わしてしまうのは見逃してほしい。
(まあ、呼び名や言葉遣いはどうでも、ティナはティナだし、私は私だし!)
それより、このすがすがしさのほうが今日は重要だ。
あの日以来、リリーは空き時間の多くを魔力の操作訓練に費やして、ロザリオの魔石にも頻繁に魔力を入れた。
その結果、なんとか、かろうじてではあるが、コーネリアの体が持つ大量の魔力を一定量に抑え、暴走を防ぐことができるようになった。
魔力操作の訓練に体力をごっそり奪われてはいるが、痛くないというのは本当に素晴らしい。
実際に痛みがある間だけでなく「そろそろ痛くなりそう」という気配だけでげんなりしてしまっていたから、精神衛生に悪かった。
それが自分で対処できるし、なんなら予防できるという安心感はものすごい。
(ようやくちょっとは魔力操作ができるようになった! コーネリア様、遅くなりましたけど、私がんばりました!)
今すぐにでもロザリオで報告したいが、緊急時以外の情報交換は終課の後にするとディランとコーネリアの間で取り決めがなされた。なので、夜までの我慢である。
リリーは実にすがすがしい気分でティナに笑みを向けるが、逆にティナは申し訳なさそうに表情を曇らせてしまった。
「あの、ティナ?」
「……ごめんなさい。入れ替わってしまっただけでなく、魔力暴走でもずっと苦しんでいたのに、あたしはコーネリア様がリリー姉さんを怪我させたって思い込んで、酷い態度で」
「そんな、ティナ。だって知られないようにしていたんだもの」
じんわりと涙を浮かべて下を向くティナの手を取って、リリーはどうにか慰めようとする。
「でも、使用人としても最低の行動でした。アーサー様からも叱られました」
「えっ」
一介の使用人が身分が上の者に取っていい態度ではなかったと、ティナはしおしおと反省を述べる。
ディランたちがコーネリアを軽んじていたからだが、自分まで彼らと同じようにしてはいけなかったと諭されたのだそうだ。
コーネリアがティナの態度を不満に思って攻撃する可能性もあったし、それ以前に、ティナはコーネリアの世話を領主に命じられたのだから、私情は排して仕事に徹するべきだったのだ。
今後も、身分の高い厄介な客がフォークナーを訪れる機会があるだろう。そんなとき、使用人の不手際でこちらを非難するきっかけを与えてはいけないと教えられたという。
「これからは誠心誠意お仕えするって約束しました。そうして立派なメイドになって、いっぱいお仕事を任せてもらえればお金もたくさん稼げますし、孤児院の後輩もお城で雇ってもらいやすくなりますよね。あたしも早く、ロイ兄さんくらい修道院に仕送りができるようになりたいです」
「ティナ……」
まっすぐな眼差しでそう言うティナの成長ぶりに、リリーは思わず涙ぐむ。
「気持ちは嬉しいしロイにも言っているけど、ティナのお給料はティナのものよ」
「家族のために使いたいんです。あたしはこの城館に住まわせてもらって制服もあって、食事も出ますから、あんまりお金は必要ないですし」
ギルベリア修道院が本部から運営費をほとんどもらえず、いつも経営が火の車なのは事実だ。余計な心配させないよう子どもたちには内緒にしているが、一緒に生活していて困窮具合を知らないわけがない。
でもそれは、修道院の問題だ。
ロイを筆頭に、孤児院出身の皆がしてくれている援助に助けられているが、頼ってはいけないのだと院長ともよく話している。
子どもたちを孤児院に受け入れたのは縁があったから。
一時、神の名のもとに保護をしたのであって、将来の収入源にするために引き取ったわけではない。巣立っていった子どもたちの枷になるのは本末転倒である。
それに孤児院で預かる子どもは、フォークナーよりステットソン領からが多い。ここでもやはり、ステットソンからの援助金が勝手に減額されていることが無念だ。
前にも話してあるそんなことを改めて伝えるが、ティナは納得していない表情だ。
「それにこの冬は、ご領主様のおかげで安心して過ごせるのよね。春になって戻ったら、私がもっと頑張るからティナは心配しないで」
「いやです、除け者にしないで下さい」
「そうじゃなくて、お給金は自分のために使ったり貯めたりしてほしいんだけど……」
「この話はおしまいです。さあ、顔を洗って食事をしてください。いつまでも寝間着だと、コーネリア様に怒られますよ」
「はっ、忘れてた!」
指摘されて笑い合う。こんな穏やかな朝が嬉しくて、リリーもティナもずっと笑顔だった。
§
「ティナ、なんか僕に用だって?」
「あっ、すみません。コーネリア様から、こちらをアーサー様とカイル様にって預かっていたんです」
伝言を聞いたアーサーが、廊下を行くティナを見つけて呼び止める。
廊下の隅に寄ってそっと渡されたのはリリーが作った守り袋だった。
「お世話になった方たちへお渡しした残りの守り袋は、修道院に持って帰って市で売ってもいいか、訊いてほしいって……」
リリーからの言伝もこっそり耳打ちすると、アーサーは面白そうに目を細める。
「あー、本当にシスターなんだね。いいよ、作ったものは好きにして構わない。これもありがとうって伝えて」
「はい!」
パッと顔を輝かせて、次は厨房に行って料理長たちに届けるのだとティナは駆け足で去って行く。
ディランのものと同じくらい細かな刺繍がされた守り袋を眺めつつ歩いていると、ちょうど訓練から戻ってきたディランとカイルに行き合った。
「おっ、アーサー」
「ちょうどよかった、カイル。これ、塔のコーネリア嬢から」
「守り袋? あ、ディランとお揃いか」
「そうそう……って、おいっ!?」
受け取るなり、カイルは守り袋に魔力を流す。驚くアーサーが凝視する中、リリーが作った守り袋は何事もなく沈黙している。
「うーん、魔術はなにも掛かってないみたいだねえ」
「いきなり魔術精査なんてするなよ、カイル。驚いたじゃないか」
「ああ、悪い。ディランの持っている守り袋がたまに光るだろ? もしかしたらこれもかなーって思って。僕は守り袋を持っていないから、ブリジット嬢の守り袋が光るのか、守り袋ならどれでも光るのか知りたくてさ」
もしなんらかの魔術がかけられていたら、それなりの反応がある。それを確かめたかったと言われても、もし攻撃的な魔術が掛けられていたら防御が必要だったのだが。
いきなり精査を始めたことをアーサーから諫められても、カイルはしれっとしたものだ。
「だってさあ、気になるじゃないか。この前の魔獣討伐のときも襲撃のときも、確かに光ったんだ。守り袋そのものが光っているかどうかは分からないけど、一番これが怪しい」
まったく反省していない様子のカイルにアーサーは渋い顔だ。
「せめてひと言断れ」
「悪い、悪い。でも魔術付与はなにもないって確認できたし」
なので、今渡されたこの守り袋は魔術的に無力であるとカイルは結論付けた。
「だとすると、光る原因はブリジット嬢の守り袋かな。なあ、ディラン。やっぱりそれ調べさせてもらえ――」
「断る」
「早っ。いいよ、本人が来たら頼むから。そういえばアーサー、ステットソンから返事は?」
「いや、まだだ」
「そっか。じゃあ、連絡が来たら教えて」
そう言って、カイルは先にその場を離れる。黙ったまま見送るディランの目の前で、アーサーは自分の守り袋をポンと高く上げて胸元で受け止めた。
「料理長にもティナが渡しに行ったよ。あと、扉前の兵士にもあげているようだから、最終的には結構な人数が彼女の守り袋を持つだろうね」
「……それがなんだ」
「ちなみに最初に作ったのは、ティナが貰ったらしい」
「アーサー、なにが言いたい」
「あれだけ気にされたら僕だって無視できないだろ。カイルが止めないってことは危険はないんだろうけど、ディランは本当にこの守り袋に関してなにか感じないのか?」
「……」
まったく無くはないが、言いたくないという表情だ。
このまま問い詰めても話さないだろうということは、長い付き合いでよく分かっている。アーサーは軽く肩をすくめて話題を変えた。
「ところで、彼女をいつまで塔に置いておくんだ?」
あの塔に入れられるのは基本的に罪人か、よほど厳重な監視が必要になる者だ。だが、コーネリア本人ではないと確認できた後もリリーの扱いはそのままだ。
身元確認が取れ、脅威ではないと判断されたなら速やかに居室を移してもいいのに、ディランからその指示はない。
修道院にいるコーネリアと魔石で連絡を取ることもあり、持ち主であるリリーは近場にいたほうが都合がいいはずなのだが、いちいち本館と塔を行き来している現状だ。
「慣れたから今のままがいいそうだ」
「えっ、まさか本人の希望?」
そんな理由で、あの不便で薄気味の悪い塔に居続けたいと言う気持ちは分からない――と思ったのだが。
「本音は、本館で猫を被り続ける自信がない、と」
「……ははっ」
「アーサー」
思い切り腑に落ちた。たしかにあのリリーでは、春になって本物のコーネリアに戻ったときにギャップが酷いだろう。
入れ替わりが解消された後、リリーが演じていない本物のコーネリアとの差異に、城館の者たちは違和感を抱くに違いない。それを防ぎたいという気持ちは理解できる。
素直すぎる理由に笑ってしまったアーサーを、咎めるようにディランが見てくる。
「いや、悪い。これ以上ないくらいに納得した。正反対なくらい違うもんな、あの二人」
「それに、コーネリアを狙った襲撃者がまた来る可能性がある。同じ環境のほうが対処しやすい」
「ああ、それもあったか」
あの塔にはカイルが魔術攻撃を無効化する術をかけているし、出入り口も一か所だけ。常に警備兵がいて、監視だけでなく安全の点でも申し分ない。
頷きつつも、本当にそれだけだろうかとアーサーは内心で首を傾げる。
ディランは今も毎日、午後になると塔を訪れて厨房や散歩に付き合っている。危険人物ではないと分かったリリーの監視は、ディランでなくても十分なのに。
「……ま、いいか。経過観察ということで」
「なんだ?」
「いいや、なんでも」
守り袋をもう一度高く上げる。つられて見上げた窓の向こうの遠くには、リリーがいる嘆きの塔が見えた。




