遠隔密議 5
フォークナー領館の執務室、テーブルの中央に置かれたロザリオからふっと光が消える。
話していたディランのほか、息を詰めていた三人は誰からともなく顔を見合わせた。軽く落ちた沈黙の中、口火を切ったのはリリーだった。
「……びっくりしました……」
「その様子だと、本当に知らなかったんだな」
「知りませんよ! シスター・マライアが魔力を持っていたなんて!」
「そっちか」
「えっ、あ、王妃様のこともびっくりしました。もちろん!」
広いソファーにちんまりと座ったリリーは、正面にいるディランに向かってぶんぶんと手と振った。
――ディラン一人で連絡してこいというコーネリアの指示に、ディランは従わなかった。
夕食後、ディランが塔の部屋を訪れたのはロザリオを借りるためだと思ったら、あまりにも自然に「お前も来い」と言われ、なんのことかと首を傾げている間に本館に連れてこられていた。
実務的でありながらどっしり重厚な家具が並ぶ執務室で所在なく狼狽えているうちに、アーサーとカイルも集まってくる。
リリーがいても驚かなかったから、彼らは最初からそのつもりだったのだろう。
(こんなにナチュラルに約束を破るなんて、って思ったけど……ちゃんと約束はしていなかったかも……うう、貴族のコミュニケーションって分からない!)
よくよく思い出すと、コーネリアが一方的に指示をしただけでディランは了承していない。
だからセーフなのかもしれないが、リリーとしては非常に気まずい。
だって、コーネリアがわざわざリリーを遠ざけるのなら、それ相応の理由があるはずだ――そして実際にその理由というのが、想像をはるかに越えて重かった。
「しっかし、アラベラ妃が正妃様を殺したとはね……捕まえた襲撃犯の証言ともほぼ一致するし、信憑性は高いと見ていいだろう」
「だな。奴さんは『かなり偉い御方』としか聞いていなかったようだけど、まあ、そういうことだろうね」
同じ会話を一緒に聞いたアーサーとカイルは、まるで夕飯のメニューを相談するような気安さだ。
そんな呑気に話し合う内容ではない、絶対に。
「ああぁ、もう! メアリー王妃様は病死じゃなくて殺されて、コーネリア様はその証拠を見つけてしまって、アラベラ妃に命を狙われて……って、なんでそんなにぽんぽん『殺した』とか『殺されそう』とか出てくるんですか?!」
人の命の扱いが軽い。軽すぎる。
耐えきれなくて吐き出してしまったリリーに、二人が微笑ましい視線を向ける。
「あはは、新鮮な反応だなあ」
「これが普通なんだって。内政担当の僕はともかく、カイルは慣れすぎじゃないか?」
「いや、魔術界隈も似たようなものだから」
同情よりも同意がほしい。
見習いシスターとして、今ある命は大事にしてほしいと切実に願う。
しかし、途中で耳を塞ぐか部屋を出て行くこともできたのにそうせず、コーネリアとの話を最後まで聞いたのは自分だ。
「ご領主様、やっぱり私は聞かないほうがよかったかもしれません……」
「ここでのお前は『コーネリア・ウォリス』として扱われる。知らなければ怪しまれるし、対処もできない」
「それは……そうでしょうけれど」
「王妃のほうは、知識として頭にいれておくだけでいい。それで、修道院にいるシスター・マライアはどんな人間だ?」
「ど、どんなって言われても」
「事情に対して情報が足りなすぎる。知っていることを全部話せ」
ずい、とディランに正面から迫られるが、教えられることなどほとんどない。
シスター・マライアが好きな食べ物や鼻歌のレパートリーならいくらでも紹介できるが、訊かれているのはそういうことではないはずだ。
「……修道院に来る前のことは分かりません。本名もですけど、詮索しないことになっていますので」
リリーのように赤ん坊の時点で預けられたり、自ら信仰の道を志願して入ったりした場合は別として、やむにやまれず修道女になる場合もある。
そしてその理由は、院長以外は知らないのが普通だ。まれに、院長ですら知らされないこともある。
「聞いているのは、裕福なお家の出身で、ご主人とは離婚したか死別されたかっていうことくらいです」
「既婚者か。彼女に魔力があることは誰も知らないのか?」
「知っているとすれば院長くらいじゃないでしょうか。修道院では魔力があっても使い道がないですから、話題にもあがりません。辺鄙なところすぎて魔獣も出ないですし、怪我や病気は薬で治……あっ、そういえばシスター・マライアは薬に詳しいですね」
「薬?」
ディランは意外そうだが、修道院と薬が結びつけられることは珍しくない。
修道院は自給自足を目指し菜園を作っていて、その一環で、薬草も育てるのは自然の流れだ。薬を調剤する修道院も古くから各地にある。
(ただまあ、シスター・マライアはギルベリア修道院に来た時にはすでに色々知っていたんだよね)
だが、当時まだ少女だったリリーは深く考えず、感心するばかりだった。
「薬草とか調合とか。ギルベリア修道院に来たのは十年くらい前ですけど、シスター・マライアが薬草畑を作ったりして、私もいろいろ教えてもらいました。子どもたちの風邪も酷くならないので助かります」
「十年前か……彼女もほかのシスターと同じくらいの年齢か?」
「あ、いえ。修道院では私の次に若手です。なので、私と一緒によくフォークナーの市に来ていますよ」
「市に……あっ、僕、見かけたことがあるかも。すらっとした金髪のシスターかな」
「たぶんそうです。姿勢がいいから背が高く見えますよね」
リリーの話に、アーサーが反応する。ちゃんと実在する人物だと確証が取れたようだ。
話していて思い出したが、学校の先生とか家庭教師のような、人になにかを指示したり教えたりすることをしていたと言っていた気がする。
薬草のことにしても礼儀作法にしても、教え上手だったから妙に納得した。
「孤児院の子の言葉遣いを直してくれたりして、それでティナみたいにお城で働けるような子もでてきました」
「多才だな。なんだって修道女になったんだ?」
ディランは不思議そうに言う。修道院やシスターの存在を貶されたように感じて、リリーはちょっとムッとした。
「修道院だって悪くないですよ」
「ああ、卑下したつもりはない。そう聞こえたなら悪かった」
「えっ、あっ、そ、そうですか……」
素直に謝られて驚いた。王都の高位貴族と肩を並べるほどの辺境伯領主が、一介の見習いシスターに謝罪するとは思わなかった。
(……やっぱり、悪い人じゃないんだよね)
ここにいるのが本物のリリーなら、本来、こうして面と向かって会話をするのも憚られるくらいの立場の人だ。
コーネリアの中に入っているから違うだけで、もともと遠い人である。その事実になぜかすっと胸が冷え、同時に、ディランも魔力持ちだったことを思い出した。
「……私こそすみません。ご領主様はずっと魔力を使ってこられたのですから、疑問に思って当然でした」
十歳になる前から魔剣士として魔獣や隣国の侵攻を前線で食い止め来たディランにとって、魔力があるのに、それを使う必要のない修道女になるという選択自体がありえないだろう。
「ご領主様やフォークナー軍の皆さんが守ってくれるから、ギルベリア修道院も安全に暮らせます。領地に下りた子どもたちもいますし。本当にありがとうございます」
つまらない八つ当たりをして申し訳ないことをした。が、ぺこりと下げた頭を上げると、ディランが呆気にとられた顔をしてリリーを見ていた。
「あの……?」
「……っ、いや、なんでもない」
さっと横を向かれる。なんとなく耳が赤い気がするが、暖炉の火勢が強くなったのだろうか。
「あー、ディランはねえ、直接礼を言われることがないから慣れてないんだ。気にしないで」
「えっ」
「特に若い娘さんだと、怯えられることのほうが多いから。この無表情だから仕方ないけどね」
「いえ、無表情とは思いませんけど……?」
アーサーが言うように表情の変化は大きくないが、見れば分かる程度には違っていると思う。
「一緒に食事をすると、お好みのものとか分かりますし……あっ、それはデリックのほうですが、ご領主様も一緒ですよね」
「ほんとに?」
身を乗り出してくるカイルにコクコクと頷くと、慌ててディランが止めに入る。
「おいカイル」
「えー、いいじゃん。ディランの好物の話、聞きたい」
「鴨肉のオレンジソース、お好きですよね? 干し鱈のオムレツも」
最近口に合ったようだったメニューを言えば、ディランはぐっと口ごもった。眼鏡の奥できらりとカイルの目が光る。
「なにそれ、旨そう!」
「今度作りましょうか」
「やった!」
アーサーまで加わってしまった。料理は好きだし材料はディラン持ちだし、作るくらいならリリーはいつだって構わないのだが、ついでに揶揄われるディランは堪ったものではないようだ。
「おい、お前ら――」
「ディランばっかり美味いもの独り占めしてずるいぞ。なあ、カイル?」
「そーだ、そーだ」
新しいオモチャを見つけたように騒ぎ出す二人に、ディランが立ち上がる。
「あーもう、今日は終わりにする。帰れ!」
「あははっ、リリーまたね!」
散会を告げられると、アーサーとカイルは逃げるように執務室を出ていった。
ぽつんと一人残されたリリーにも、ディランが退室を促してくる。
「どうした、お前も帰っていいぞ。付き合わせて悪かったな」
「あ、いえっ」
(おお、また謝った!)
どこか気まずそうで視線は合わせてくれないが、しっかりとした謝罪をまた受けてしまった。
「では、私も失礼し……たいのですが、ちょっと、その、困ったことがありまして」
「なんだ」
「ええと、非常に言いにくいのですが……」
そんな殊勝なディランに頼むのも気が引けるのだが、これは言わねばならないだろう。
「……帰り道が分かりません」
「は?」
「だ、だってこちらの本館に来たの初めてですし!」
ソファーの上で体を小さくして恥を忍んで言う。
リリーがいる塔は城館から離れて建っている。ここからはけっこうな距離があり、道順の意味でも体力的にも、一人で帰り着ける自信がない。
その上、塔の部屋から連れ出されて、階段の途中でまだるっこしくなったらしいディランに担がれてここまで来たのだ。
城の使用人たちともたくさんすれ違ったが、抱き運ばれているのが恥ずかしくて照れくさくて、ずっと顔を伏せていたから、リリーはなにも見えていない。
今、この部屋を出たら右に行けばいいのか左に行けばいいのかも分からない。
「もう遅いから、ティナを呼び出すのは可哀想です。今、近くにいる使用人の誰かに、塔が見えるところまで案内してもらると……」
必死に頼み込んでいると、上からため息が降ってきた。
と、バサリと頭から外套が被せられる。
「……?」
不思議に思って顔を上げると、そのまま抱き上げられた。
「はっ、えっ?!」
「面倒だ。連れて行く」
「あ、その……アリガトウゴザイマス……」
片言になったのは仕方ないと思う。帰りもまた顔が上げられなかったから、やっぱり道は覚えられないままだった。
本日5月17日(金)より、本作のコミカライズ連載がスタートしました!
池泉先生が素敵な漫画にしてくださっていますので、ぜひご覧いただければと思います。
連載はBookLive様で(https://booklive.jp/product/index/title_id/10009754/vol_no/001)
現在、ログイン不要で第1話が無料で読めます。この機会にぜひ。




