遠隔密議 4
「リリーは向こうでもなんとかやっているようね」
メアリー……いや、シスター・マライアの声にはっと意識を戻す。今は、先ほどのディランとの対話について話していたのだった。
亡くなったはずの王妃は、辺境の修道院に極秘で逃れていた。
様々な事情と思惑が絡み合った結果で、院長のシスター・エヴィでさえ詳細は知らされていないとのことだが、コーネリアにとっては王妃が生きてくれていたことだけで十分に嬉しい。
「辺境伯は王都の貴族への当たりがよくないから、どうかと思ったけれど」
「王妃さ……シスター・マライアは、最初から心配なんてなさらなかったじゃないですか」
死んだ名で呼ばれても困ると言われて「シスター」呼びにしているが、まだ慣れない。
ちなみに「マライア」は「メアリー」を少し変えただけの名だ。修道女の名前としてはごくごく平凡なので、関連付けようともしなかった。
(それに、王都やご実家の領地の修道院ならまだしも、こんな僻地にいらっしゃるなんて)
王都の貴族は誰も知らない。きっと宰相であるコーネリアの父でさえも知らないだろう――などと、生きて王妃がここにいることが今でも時々信じられなくなって、話しながらどうしても気が散りそうになる。
「あら。リリーならどうにかなるって、ネリーも思ったでしょう?」
「わたくしは気が気じゃなかったですわ。たしかにあの子は他人に警戒心を抱かせないタイプですけれど、それとこれとは別です」
素直に頷けなくて、反論を口にする。
リリーに対しては、なぜか最初から用心しようという気が起こらなかったのは事実だ。貴族は警戒心と猜疑心を忘れたら生きていけないと身に沁みているのに。
どこからどう見ても田舎の修道女という出で立ちだったこともあるが、それだけが理由ではないだろう。
(本当に、どうしてかしら)
リリーに対しての自分の感情は我ながら不思議である。長年仕えている使用人にさえ、そこまで気を許したことはないのだ。
(……きっと、あの緊張感のない顔のせいよ。あまりに人を疑わないから)
表情を取り繕うことをしない緑の瞳は、感情が丸写しになる。
だからディランも、リリーのことはそこまで虐げることはできないだろう。子犬を喜んで虐めるような人間だったら別だが。
(でも、だからといってリリーをまるごと信用するのは無理よ)
見習いシスターは政争に関わるよう訓練された人間ではない。素人を頼りにするのはあまりに危険だ。
しかも今は、魔石でしか繋がれない。目を配ることもフォローもできない状態で、呑気に全てを預けることもできるわけがなかった。
「結局、入れ替わりが知られてしまいましたし」
「そうねえ。でも、あの子にしては頑張ったほうだと思うの。きっとネリーに心配をかけたくなかったのね」
「……」
早ければ翌日にでもバレていたはずだとシスター・マライアは軽く言う。お人好しなリリーは馬鹿正直でもあるだろうから、コーネリアもそれは否定できない。
「あの辺境伯は、リリーみたいに裏表のない人間は庇護する対象だと考えるはずよ。中身が別人と分かれば、いつまでも冷遇しないわ」
「自信がおありのようですが」
「交流がないとはいえ、長いこと見てきましたからね。それに、辺境伯には長年の想い人がいるの。王命で妻を迎えても、そういう意味では相手にしないはずよ」
予想外の情報に、コーネリアは目を丸くした。
「想い人? それは知りませんでしたわ」
「秘密にしていますもの」
「でも、ご存じなのですね」
「お若い方の恋愛話なんて、ここでは珍しくて」
秘密に絶対はない、と言って、シスター・マライアは茶目っ気のある笑みを浮かべる。
「お相手は、ステットソン領のブリジット嬢。なんでも昔、大怪我をした辺境伯が彼女に助けられたのだとか」
「ステットソン……?」
「私がここに来る前のことだから、詳しくは知らないのだけど。普段はフォークナーにばかり出る魔獣がステットソン領にも出没して、その討伐に駆り出されたのですって」
「それで怪我を?」
「ええ。魔剣士だからといって、当時はまだ子どもなのに。不憫なことね」
二人が顔を合わせたのは、その一時だけ。ディランが感じた恩は、時を重ねるうちに熟成されて恋になったらしい。
隣り合う領地は相互に助け合うことが多いが、その頻度が高く、しかもステットソン領はフォークナーから支援を受け取るばかりだという。
(隣領への援助偏重はそういう理由でしたの。ちょっと純情過ぎる気もするけど、それなら納得ね)
冷酷魔王にも人間らしいところがあったと、少しだけ微笑ましい気持ちになったのに。
でもねえ、とシスター・マライアはどこか不満そうな顔をする。
「ステットソンは一応この修道院の支援をしてくれているから、ブリジット嬢もたまーに来るのだけど。『困ったと言えばいつでもフォークナーが助けてくれるから、領内の整備や食料の備蓄なんかしなくていい』って従者に豪語していたのを聞いてしまったのよねえ」
「……たいした想われ人ですこと」
「歳が近いリリーにいつも突っかかるし、子どもたちにも怖がられて。あのお嬢さんは怪我人の手当てなんてしそうにないのだけれど、相当手が足りなくて駆り出されたのでしょうね」
がっかりな相手である。ディランは女性を見る目がない。ならば、コーネリアとリリーの入れ替わりに気づくのが遅れても納得だ。
「せっかく援助を受けても、消費するだけでなにも生み出せていないだなんて。片手落ちじゃない」
「非難するのはそっちですか」
「だって、いつ見限られるか分らないのに呑気だわ」
「いっそフォークナーに領地を併合してもらえば良いのでは?」
「そうなったほうが領民は安心でしょうね。ステットソンの領主は抵抗するでしょうけど……父娘揃って欲深いこと」
付け足すように小さく零された呟きは、コーネリアの耳には届かなかった。そうこうしているうちに、マライアの部屋に着く。
「さ、向こうのことはいったん置いて、こちらのことを考えましょうか」
「ええ」
キィと音を鳴らしてドアを開けると、マライアはごく自然にコーネリアを部屋に招く。
小さなテーブルの上には裁縫道具が置いてあった。
――ディランには警告とヒントを与えた。それをどう彼らが利用し、対処するかを見極めてからでないと、次の情報は渡せない。
(襲撃者は捕まえたと言っていたけれど、フォークナーに内通者が潜んでいないとも限らないわ……)
リリーの扱いについて当面の心配はなさそうだが、相変わらず全体の状況は楽観できない。
最善は、辺境領に送り込まれる襲撃者を完全に退けてアラベラたちの企みを暴き、その魔手を辺境からも王からも引かせること。
次善は、王都のほうは保留にして、ひとまず春まで無事にコーネリアとリリーが生き延び、入れ替わりを解消すること。
雪に閉ざされたここから出て本来の体に戻れば、コーネリア本人が動くことができる。ディランの協力も取り付けられれば、冬の間に彼にだけ任せるよりもよほど確実だ。
懸念事項は、王の健康と修道院の困窮具合。
諸々が解決する前に王が亡くなってしまえばアラベラたちの思うつぼだし、修道院が破綻してしまえばリリーは帰る家を失う。
王のほうは、今すぐの対処ができない以上、本人の生命力に掛けるしかない。
そしてこちらは――。
「向こうのことは辺境伯にいったん預けて、私たちにできることを進めましょう。差し当たっては修道院の経営改善ね。助かるわ、私はそちら方面はどうにも不得手だから」
「シスター・マライアの専門は薬学でしょう。おかげさまで、わたくしの傷痕もほとんど消えましたわ」
ギルベリア修道院の周辺は人の手がほとんど入っていない。そこは薬草の宝庫だった。
それまでも多少は活用していたが、希少種も多いことに気づいたマライアが採取して、本格的な薬草園を敷地内に作って増やしたそうだ。
以来、シスターだけでなく孤児院の子どもたちも病気や怪我で苦しむことが少なくなった。マライアの薬の効果は、コーネリアも実感している。
地元医師たちとの兼ね合いもあって市には薬草酒しか出していないから、修道院の薬のことを知る人はほとんどいない。
(本当は、薬を売ることができればいいのだけど)
効果の高い薬草は栽培が難しく、量産できない。気候にも左右されやすいため安定供給が難しい。修道院経営が軌道に乗っている時なら試してもいいが、後がない今それに賭けることは無謀だろう。
だから、違う方向で考えた。
不可抗力とはいえコーネリアは、リリーの体に傷を、そして今現在は精神的な重荷を負わせてしまっている。魔力が暴れる体で、警戒されながら慣れない領主館で暮らすのは負担だろう。
だから自分も春まで無為に過ごすのではなく、なにかを残したいと思った。
詫びというわけではないが……そう、借りを作るのはコーネリアのプライドが許さない。
「それにしても。人が入れ替わる魔法なんてありえないわ。リリーと入れ替わったのも、ここにコーネリアが来てくれたのも、きっと神様のはからいだと思うの」
「いいえ、ただの事故と偶然です」
「修道女は信仰心が大事よ?」
「わたくしはリリーではありませんので」
「まあそうね、実は私も神様なんて信じていないの」
テーブルに裁縫道具と一緒に並ぶのは、製作途中の守り袋と、干した薬草や木の皮などだ。
マライアはその中から、見本にしている完成品を拾い上げる――施されている刺繍は、リリーの刺したもの。
大事そうに手のひらに載せて、そっと刺繍に触れる。マライアの眼差しは、自分の子に向けるもののようにも見えた。
「でも、この修道院の新たな収入源の可能性を見つけてくれたんだもの、そう思わせて。もう少しだけ確かめたら、院長にも報告しましょう」
「……リリーが戻ったら驚くかしら」
「きっとあの大きな目をまぁるくするわね。はしゃいで飛び上がっちゃうかも」
リリーがぽかんと口を開け、次いで大喜びする姿が二人の頭に浮かぶ。吹きだしそうになって、慌てて声を潜めた。
お読みいただきありがとうございます。
本作のコミカライズが、2024/5/17よりBookLive!様のCOMICエトワール様でスタートします!
作画は池泉先生がご担当くださいました。繊細であたたかなタッチが素晴らしく、生き生きとリリーたちを描いてくださっています。
漫画のタイトルはWeb原作から少し変わって、『入れ替わりの花嫁~見習い修道女リリーはお家に帰りたい~』となります。ぜひお楽しみいただけたら嬉しいです!




