遠隔密議 3
コーネリアはシスター・マライアと二人で連れだって礼拝室を後にした。廊下は壁の穴や窓のひび割れを直したことで隙間風も気にならなくなったが、人気がなく静まりかえっている。
明かりを片手に私室に戻りながら、小声で言葉を交わす。
「はあ、それにしても寒かったわ。ウィンプルを膝掛けにしていたけど、やっぱり夜の礼拝室は冷えるわね」
「ろうそく以外に火の気がないし、窓も大きいですからね。また腰を痛めますよ」
「ああ、あれはもうこりごり!」
ほほほ、と明るく笑い飛ばされて、コーネリアは小さく肩を竦めた。
「早く治って助かったわ。去年シスター・ヘレンが腰をやっちゃった時は、ひと月以上も動けなくて大変だったの」
「そんな、『やっちゃった』なんて俗っぽい言い方をなさって」
「ここは王宮じゃないの、郷に入っては郷に従えと言うでしょう。場に馴染むための労力を惜しむのは愚かなことよ。そう思うでしょう、ネリーちゃん?」
軽やかに愛称を呼ばれ、コーネリアはぐっと言葉に詰まる。
「おっしゃる通りです、王妃様」
「シスター・マライアよ。ネリーはもうちょっと柔軟にいかないとね。まあ、毎日子どもたちと遊んでいたら自然とそうなるだろうけど。ああ、あとロイともね。今日も一緒だったんでしょ?」
「そ……っ、お、お揶揄いにならないでください」
思わせぶりなマライアに、コーネリアは動揺を見せまいと顎を引く。
「慣れてちょうだい。今の私にも、あの子たちにも」
「……善処します」
「ふふ、お願いね」
――先日、ぎっくり腰が回復したシスター・マライアと顔を合わせて、コーネリアは驚いた。
挨拶をしに行った部屋にいたのは、病気で亡くなったはずの正妃メアリーだったから。
最後に会ったのはもう十年も前。王宮でも目を引いた明るいブロンドと湖のような薄青の瞳は、地味な修道服でも隠しようがない。
なにより、おっとりとしながらも高貴さが滲み出る特徴的な口調がそのままだ。
コーネリアが正体を見抜いたことにマライアも気がついて、人差し指を唇に当てて「内緒」と意味深に微笑まれた。
その後、改めて事情を聞いたのだが……まあ、頭を抱える内容であった。しかし、おかげで婚約破棄の理由と、自分の命を狙う相手が判明した。
「それにしても、まさか私の腰のせいでリリーが一人で市に行って、ネリーを拾って、入れ替わっちゃうなんて。びっくりよねえ」
「すごく軽く聞こえますが」
「どう言ったって事実は同じでしょう」
そうですねと片言で返しながら、こういう人だったと思い出す。
(明るくて気さくで、つかみ所のない人……変わらないわね。姿も中身も)
病に倒れる前のマクシミリアン第一王子もよく似ていた。
どこか飄々とした母子は、権勢を強めていく側妃のアラベラとギレット伯爵父娘に対しても、正面から対峙するのではなく、かといって避けるでもなく、巧みに立ち回っているように思えた。
病で表舞台から退場となったのが意外だったのだが、それも政争の結果だと知れば納得だ。
――コーネリアの父は宰相という職に就いているため敵が多く、自宅もよく狙われる。早くに母を亡くしているコーネリアは、父に連れられて登城することが多かった。
仕事中の父が娘を構えなくても、自宅に警備を置くより人目のある王城にいるほうが安全だったのだ。
そうしてコーネリアも毎日のように王城に通った結果、王族や官僚とも顔見知りになり、最終的に王子妃として白羽の矢が立てられたという経緯がある。
父が第一王子派だったこともあって、コーネリアはメアリー妃とも交流があった。
王妃が一貴族に肩入れをすることは良しとされないから、あからさまに可愛がられたことはない。
しかし、幼い娘が安心して王城にいられるようにそれとなく気を配ってくれていたことは、コーネリアも知っていた。
だから、メアリーが亡くなったと知らされたときはショックを受けた。
急速に悪化する伝染性の病で一番症状が重かったとはいえ、数日前に宮殿内の回廊でばったり会ったばかりだったのだ。
健康そのものだった王妃の命をあっという間に奪う病など恐ろしい。コーネリアが通常の令嬢教育だけでなく、薬学の勉強も始めることになった理由のひとつだ。
(まさか、それが毒によるものだったなんて)
メアリー妃と同じ病で後遺症がのこったマクシミリアン王子は離宮に籠もってしまった。侍医長が定期的に診ているが、公務や政務に就けるほどの体力はないらしい。
症状は良くなったが完全に治ったとはいえない状態のため、まだ誰かに伝染すかもしれないとマクシミリアンや周囲の者は危惧している。
そのため外部との接触を拒み、離宮は立ち入り制限が掛けられている。父である王でさえ、扉越しに短い会話を交わすのみだという。
原因不明の伝染病だったが、封鎖が早かったため被害は王妃の周辺だけで済んだ。
あれ以来、類似の症状は報告がないから、もうマクシミリアン王子から感染する心配もないはずだと皆も理解しているのだが、恐怖心というのはそう都合よく書き換えられないのだろう。
とはいえ、十年も怖がるのはさすがに大げさだとコーネリアも思っていたのだが、先日、マクシミリアンが危惧したとおりに王が病に倒れた。
メアリー妃やマクシミリアン王子と似た症状が現れた王に、侍医たちは死病の感染を恐れた。今、王の治療をするのはマクシミリアンも診ている侍医長だけだ。
怖がる侍従たちの代わりに、アラベラ妃が王の身の回りの世話もしている。
王の病状については箝口令が敷かれる中、コーネリアは古い文書を調べることにした。
メアリー妃の生まれ育った領地は薬草の産地であり、薬学も盛んであった。王妃を死から救えなかったことで薬学の聖地としての威信は落ちたが、それまでの研究が否定されたわけではない。
先人が苦労してまとめあげた薬や症例についての本は、輿入れの際に王宮に持ち込まれ、メアリー妃の私室に収められている。
今は立ち入りが禁止されたそこに、コーネリアは特別な許可を得て足を踏み入れた。
王妃が亡くなった時は幼すぎてなにもできなかったが、近く王太子妃となる今の自分ならば、王のために治療の手がかりだけでも探せるのではないかと思ったのだ。
部屋は主がいなくなっても当時のままだった。幼なじみの妃を愛した王がそう命じたのだという。
中の物の持ち出しは禁じられているため、コーネリアはそのまま室内で薬草や医学の本を読みあさった。
基本的に書き物机やソファーで読んでいたが、気分転換に座る場所を変えたくて部屋の中を歩いた。
来客と会うための応接室、広いベッドルームに秘密のブドワール、今もなお多くのドレスがワードローブに掛かる衣装室、そして洗面室。
水は止められているようで、蛇口をひねってもなにも出なかった。長年放置された浴室はさすがにタイルが欠落していたが、それでも意匠も美しく見蕩れたものだ。
その浴室で、コーネリアは病の原因――毒殺の証拠を見たのだった。




