話し合いは穏やかにいかないらしい 2
「お二人も、笑ってないで止めてください!」
「いや、いくら面と向かってではなくとも、ディランにここまで平気で返せる令嬢がいるなんてね……って、いや、そういう意味では君もなんだけど……ぷぷっ」
冷酷魔王のふたつ名も形無しだと、アーサーは呑気に笑う。
『失礼な側近がいるようね。それこそ上官の器が知れるわ』
「は?」
ディランは不愉快そうだが、コーネリアの声からは張り詰めた雰囲気が消えていた。
『……それでも、そうね。ロイが嘘を言っていないことは確かめられたわ』
『はは、それならよかった』
「ロイ、嘘って?」
『いいのよ、リリーが気にすることじゃないわ。むしろ忘れなさい』
「は、はいっ」
『リリー、あなたね……そんなになんでも簡単に受け入れていては、いつか痛い目に遭うわよ。少しは警戒なさい』
「どうしろと!?」
呆れられたが、リリーはコーネリアを信じると決めたし、そう本人にも伝えてある。盲目的に従うことは信じることとは違うが、今の「気にするな」は受け入れて問題ないはずだ。
そう言うと、コーネリアがなにやら口ごもる向こうで、ロイがまた笑っている。笑うよりも取り成してほしいのだが。
やがて、こほんと小さく咳払いをして、コーネリアが話を元に戻す。
『こちらとしても、情報を共有するのはやぶさかではないのよ。修道院への援助物資の恩もあるし。ただし、そこにいる危機意識の薄い見習いシスターには聞かせられない内容だわ』
「危機意識が薄いという点は同意だな」
(それって、私のこと? でも援助物資って?)
仲間はずれにされたようだが、実際に貴族の政治的なあれこれを聞かされても、それを自分事と考えるのはリリーには難しいと思う。それに、疎外感を持つ前に、修道院への援助という言葉が気にかかった。
目を瞬かせていると、はっとしたティナがリリーの腕にそっと触れて、小声で「後で」と言ってくれた。
と、なにか言おうとしたコーネリアの声に、懐かしい鐘の音が重なってロザリオから響く。
祈りの時間だ。
『ここまでね。続きは今日の夜……そうね、終課が終わった頃に、今度はディラン・フォークナー、貴方が一人で魔石を起動なさい』
「終課?」
「一日の最後にする祈りのことです」
それにより奉仕に一区切りがつき、その後は各々就寝の支度をする。視線をよこされてリリーが答えると、ディランが頷いた。
「その時にはすべて白状してもらうぞ」
『対価次第ね。これだけは今言っておくわ。いいこと、ディラン・フォークナー。そこにいるわたくしを、春までくれぐれも丁重に扱いなさい。かすり傷一つ許さなくてよ』
コーネリアの声はリリーの安否を本心から気遣っているように聞こえて、まさかそう言われると思わなかったリリーはぎゅっと両手を胸の前で合わせた――のだが、その手指を見おろしてはっと息を呑む。
「あっ、コーネリア様。じ、実は、擦り傷とか、あかぎれとか、もうすでに……」
『……リリー、今なんと言ったのかしら?』
「すすすすみません! ついうっかりいつも通りに掃除したり、お皿洗ったり、して、しまって!」
もじもじと擦り合わせる両手に皆の視線が集まる。
侯爵令嬢に似つかわしくないカサついた肌を認めて、リリーの勘違いでなければディランも気まずそうにしている。
(だ、だって、こんなに肌が弱いなんて知らなかったし……!)
濡らした布巾を強めに絞っただけで真っ赤になった手のひらに驚いて、最初はなにかの病気かと思ったくらいだ。
コーネリアの珠のような白肌は、クリームも香油もないこの塔での暮らしでなにもしなくても傷んだだろうが、リリーが楽しみにしている料理の時間がよけいに状態を悪化させたことは間違いない。
「あと、転んだときに青あざとかも……」
『わたくしの身体は繊細なのよ! 頑丈にも頑丈すぎるあなたと同じに扱わないで!』
「そうですよね、気をつけます!」
『――あら、ネリーとロイしかいないの? 今、ほかの誰かの声が――』
『院長! なんでもありませんわ!』
被せるような返事とともに、ロザリオの魔石の光も消える。通信が途絶えたことが目にも見えて、リリーの肩から力が抜けた。
「今の声……」
「院長先生だったね、姉さん」
日数はそんなに経っていないのに、もう何年も会っていないような気がしてしまう。急に寂しさを覚えたが、これがホームシックというものなのだろうか。
「……そういえば、ティナ。援助って?」
「あ、冬支度のために、姉さんが市に出すはずだった荷物が全部だめになっちゃったでしょう。それで、ご領主様が代わりにいろいろ持たせてく――」
「当然の補償をしただけだ」
「いろいろ? ティナ、詳しく!」
「お、おい」
話に食いついたリリーに焦ったように、ディランがティナを遮った。が、その程度でティナが話を止めるわけもない。
「保存食や油だけじゃなく、新しい厚い毛布とか、修繕用の木材や釘なんかもたっぷり積んでくれたんです」
「新調した荷車にいっぱいの冬支度!?」
「それにロイ兄さんも、春まで遠隔地勤務の扱いにしてくれたから、ずっと向こうにいられるでしょう。きっと、あたしたちじゃ手が届かなかったところも直してくれて、ずっと住みやすくなってると思うの」
そう言って、ティナは自分の手柄であるかのように胸を張る。ティナの「御領主様」と呼ぶ声にはいつも敬いと親しみが感じられたのだが、実家である修道院にそんな支援をしてくれていたのなら納得だ。
「なんてこと、ああ神様……!」
「大げさだ」
手を胸の前で組んで目を輝かせたリリーに、いよいよディランは居心地が悪そうだし、そんなディランが珍しいらしくアーサーたちはにやにやと面白そうだ。
仲間のはずの側近から助勢は得られないと判断して軽く舌打ちをすると、ディランは部屋を出て行こうとする。
「待ってください、ご領主様! ありがとうございます!」
扉前のディランに駆け寄り、手を引き止めて礼を言う。ぎょっとされたが、構うことはない。感謝の気持ちは全身全霊で伝えるに限る。
「よかったです。私、あんなことになって冬支度ができなかったから、本当にもう心配で、心配で」
「あ、ああ」
「院長先生もお歳ですし、子どもたちも小さいですし。でも、ご領主様のおかげで安心して冬を越せますね、本当にありがとうございます! 今日からは毎日毎時間、ご領主様とフォークナーの幸いも祈りますし、また皆様にお食事も作りますね!」
「……その手で?」
「だ、大丈夫です。コーネリア様も分かってくださいますきっと! 優しい方なので!」
「お前、今の会話を聞いてアレを優しいと言えるとは、相当だな」
「え? どう考えても優しいですよね?」
首をコテンと傾げるリリーに、ディランだけでなく側近二人も疑問の眼差しを浮かべている。
おかしい。リリーが知っている貴族の令嬢はあと一人、ブリジット・ステットソンだけだが、同じ令嬢とは思えないほど優しいではないか。
「コーネリア様、私のことばっかり気にしてくださっていたじゃないですか。ご自分のことは後回しで」
「……そうだったか? 俺は随分、不遜なことを言われた気がするが」
「でも、売り言葉に買い言葉みたいなものでしたよ。私、またコーネリア様に矢傷の具合を聞けなかったです」
「それは……」
治療に当たったカイルがはっとした顔をする。
リリーの体が負った傷は高性能なポーションや治癒魔術で治療してもらったが、時を戻して「傷を受けなかったことにする」ことはできない。傷痕は完全には消えないし、痛みがぶり返すことだってある。
厳しい環境での慣れない暮らし。いくらリリーの頑丈な身体でも、体調だって万全ではないはずだ。
(私がそうだったように、他人の身体を動かすのってやっぱり疲れるし)
普段、無意識にしている動きが馴染んでいないからだと思うが、疲労度が高い。基礎体力があってもなくても、それは同じだろう。
「王都のお嬢様が、雪に埋もれた山奥の修道院で暮らすなんて、どう考えても大変です。それなのに、今日も訊かれたのは私のことばっかりでした。私だったらきっと、自分の文句ばっかり言ったと思います」
「……こっちでの、お前の情報が必要なんだろう」
「それだけじゃないと思いますよ」
言い切るリリーに、ディランたち三人は懐疑的な視線を寄越すが、曲げる気はない。
前の通話のときも、コーネリアは最後までリリーに「自分の心配をしろ」と言ってくれた。
今日、連絡が遅かったと責めたのはリリーを案じてくれたから。そこに罵倒の意がないことは、声を聞けば分かる。
「一緒におんぼろ荷車に乗って麓まで来る間、私、楽しかったんです。貴族のご令嬢とあんなに気軽におしゃべりできたのも初めてでした。だからご領主様、次に話す時はあんまり怒らないでくださいね」
「向こうの出方次第だ」
「そんな、いちおう奥様なのに」
「認めていない」
「またそんなこと言って……でもまあ、新婦が意識不明のままでの挙式でしたから、正教会もまだ婚姻を認めていない かもですよね!」
「……」
コーネリアに対して頑なすぎるディランの態度に、つい軽口が出た。
いくら王命で強制的にあてがわれた結婚相手とはいえ、さすがに投げやりな式だったという後ろめたさがあるのだろう。
言葉に詰まったディランは、反論の代わりに自分の袖口を引き止めていたリリーの手を解く。
「……アーサー、カイル。本館で襲撃者の尋問の続きだ。ティナもいったん戻れ」
「は、はい」
「あっ、ご領主様! コーネリア様と優しく話すって約束してくださいね!」
ディランの背中に声を掛ける。返事はないが、たぶん大丈夫なんじゃないかと思えた。




