話し合いは穏やかにいかないらしい 1
青い顔で呼吸も整わないままのリリーに、さすがのディランも気まずそうにした。
「慣れれば一瞬で終わるから、そこまで疲れることもない」
「ソウデスカ……」
ティナがかいがいしく水の入ったコップを差し出してくるのをどうにか受け取って飲み干すと、またロザリオを持たされた。
(いつもと同じように見えるけどなあ)
今の魔石には魔力が入っているらしいが、リリーにはさっきとの違いがよく分からない。やはり、魔力だけ身体が持っていても、使い方が分からなければ宝の持ち腐れなのだろう。
「これで繋がるはずだ」
「でも、どうすれば――わあ!?」
あの晩は、コーネリアのほうから話しかけてくれたから、このロザリオの使い方がリリーには分からない。
だが、言い終わる前に、前と同じように魔石が光り始める。慌ててロザリオを持ち直すと同時に声が響いた。
『リリー?』
「あっ、コーネリア様! 繋がったぁ!」
(で、でも、まだなにもしてないのに!?)
理由は分からないが、とりあえずまたコーネリアの声が聞けてほっとしたし、嬉しい。しかし、喜ぶリリーとは反対に、ロザリオからは怒声が飛んできた。
『遅いわよ! そんな小さい石に魔力を込めるだけなのに、いったいどれだけわたくしを待たせれば気が済――』
『まあまあ、落ち着いて。リリー、元気?』
まくし立てるコーネリアの声を遮ったのは、リリーの知っている男性の声だ。
「えっ、ロイ? うわあ、久し振り! ……あ、そっか。ロイが私を修道院に連れて帰ってくれたんだってね」
『うん。ネリーはずっと心配していてね。今もねえ、少しでも時間があればこうして礼拝堂にきて、魔石が使えるようになってないかって――』
『ちょ、ちょっとロイ、お黙りなさいっ』
「そうなのね! それでこんなタイミング良く……って、ネリー?」
ネリーとは、「コーネリア」の愛称だ。いつの間に愛称で呼ぶようになったのか。とはいえ、神の前では身分など意味が無い。信仰をまっとうするシスターたちにとっては、高貴な家柄の侯爵令嬢もただの一女性に過ぎないはず。
つまり、冬を供に過ごす家族として修道院の皆が受け入れたのだろう。
(よかった、仲良くしているみたい)
ネリーという名前なら、小さい子たちもきっと呼びやすい。
そんな想像をして満足するリリーだが、どうやらコーネリア自身は指摘されたくなかったようだ。いっそう焦った声が魔石から響いてくる。
『べ、便宜上仕方なくですわ! それに、リリーの心配なんてするわけがないでしょう! わたくしが気にしているのは暗殺者の動向と、冷酷魔王のディラン・フォークナーのことで――』
「コ、コーネリアさまっ」
ひゅっと血の気が下がる。リリーのすぐ隣では、ディランが青い瞳を剣呑に光らせてリリーが握るロザリオを覗き込んでいた。
「なるほど、そちらが本物のコーネリア・ウォリスか。随分と威勢がいい」
とたん、ロザリオの向こう側でも温度が下がったようだ。
『……あら。会話に割り込んでくるなんて、辺境育ちはマナーも知らないのね。そのご大層な爵位もお飾りではなくて?』
「お前にだけは言われたくないな」
(ひぃっ!)
一気に部屋の温度が下がった。
あからさまに溜め息を吐いて、コーネリアが低い声で話し始める。
『リリー。わたくしは、生き延びたかったら絶対に入れ替わりがバレないようにしろと言ったわよね。これはどういうことか説明なさい』
「そ、それが――」
「自分が送り込んだ斥候の能力不足を棚に上げるとは、見上げた上官だ」
『誰が上官よ。その言い方だとリリーはまだ口を割っていないか、聞いたけれど理解ができなかった、というところかしら。どちらにしろ、フォークナーの領主は自分で考えることができない残念な頭しか持ってないようね』
「なんだと?」
「あの、お二人とも、落ち着いて」
斬り合うような応酬に、ますます一触即発な雰囲気になる。ディランとコーネリアはなんとなく気が合うのでは……と前に思ったことがあったが、期待したのとは違う意味で呼吸が合っているかもしれない。
カイルとアーサーを振り返れば、火花が散って見える会話に関わりたくないとばかりに身を引いている。そこは側近として全力で止めてほしいのだが。
どうにか二人を宥めようと手を出したり引っ込めたりするリリーと光るロザリオを交互に眺めて、ディランもまた長く息を吐いた。
「……本当に入れ替わっているんだな」
『あら、今頃。本物のコーネリア・ウォリスが、そこにいるような愚図であるわけがないでしょう』
「どうりでこれには警戒心が湧かないわけだ」
「ご領主様っ、愚図は否定してくれないんですかっ? いや、早々にバレちゃいましたし、そう言われても仕方ないですけど!」
『そうね。魔力操作を覚えるのにもこんなに時間がかかったし』
「これでも頑張ったんですよぅ……」
とたんに意見が一致する二人にしおしおとなりながら、それでも諍いがいったん落ち着いたことにほっとする。この隙に、リリーは打ち明けることにした。
「ええと、その……コーネリア様、ごめんなさい。実は、魔力暴走を起こしてしまって」
『なんですって?』
「す、すみません! それで、入れ替わりがバレたついでに、魔力操作の仕方も教えてもらって、それでこうして……」
『なにをやっているのよ、馬鹿なの?』
「で、でも――」
『あなたじゃないわ、馬鹿なのはディラン・フォークナーよ。どこの世界に敵認定している相手を手助けする間抜けが……ああ、そこにいたわね』
度しがたいと鼻で笑われて、ディランの まとう空気が物騒になる。
「コーネリア様! わ、私、こちらでかなり良い待遇にしていただいておりまして!」
『信じないわよ。そう言わされているのでしょう』
「違いますよう! 料理や刺繍もさせてもらえて――」
『つまり、働かされているということ? コーネリア・ウォリスたるわたくしが、平民のような労働をっ』
「ああっ、逆効果!?」
安心させようと思ったのに、さらに深い墓穴を掘ったかもしれない。コーネリアの声が一段と低くなってしまった。
あわあわと狼狽えるリリーの視界の端に、ついていけずにぽかんとしているティナと、笑いを堪えているカイルとアーサーが映った。ティナのあどけない表情に和むが、側近二人はそろそろ助けて欲しい、真剣に。
ところが、アーサーたちに加勢を頼むまえに、呆れた溜め息まじりのコーネリアが話を切り替える。
『それで、ディラン・フォークナー。人質を取ってロザリオを使わせて、わたくしから何を引き出すつもり?』
「えっ、人質?」
リリーの待遇は領主の妻としてのものでも、客人としてのものでもないが、最初の不信感丸出しだった頃に比べるとかなり改善している。人質ではないはずだ。
(さっきも助けてくれたし、料理のときは手伝ってくれるし……)
だが、客観的に言って、状況――罪人が収監されていた塔に部屋を与えられ、見張られて、行動を制限されて――は、立派な人質かもしれない。
『相も変わらず抜けているわね、リリー。そこにいるコーネリア・ウォリスの中身はあなたでも、容れ物はわたくしよ。殺さずに対話を望むなんて、脅す以外になんの意図があると思うの』
混乱するリリーを置いて、コーネリアとディランが話を続ける。
『言っておきますけれど、わたくしが持っている情報の対価は、人質の身柄の安全だけでは釣り合わないわよ。見くびらないでいただきたいわ』
「決定権も選択肢もお前にはない。今日、コーネリア・ウォリスを狙った刺客が来た。心当たりを言え」
『あら、今頃来たの。遅かったわね』
「コーネリア様っ?」
こともなげに返されて、リリーのほうが動揺する。
『リリー、なにを驚いているの。言ったでしょう、「嬉々として殺しに来る」と。だから魔力操作を覚えて、入れ替わりがバレないようにしなさいと命じたのに』
「聞きましたけど!」
「想定内というわけか」
『そちらこそ、「予想外」だなんて間の抜けたことを言うつもりじゃないでしょうね。刺客の身元は調べていないのかしら。もしや、逃げられたなんて失態は――』
「全員きっちり捕縛してある。お前こそ、こちらを見くびるな」
『見習いシスターと侯爵令嬢の区別も即座につけられなかったくせに、偉そうですこと。足を掬われたくなかったら、身の程を知ったほうがよろしくてよ』
「なんだと?」
(ひいっ、また!)
口論が再燃してしまった。
シスター同士のとぼけた言い合いや、子どもたちの幼い口喧嘩にはない、ピリピリとした空気が漂っている。実際にコーネリアがここにいてディランと顔を合わせていたらと思うと、背中が寒くなる。この塔と修道院が離れていてよかった。
「お、お願いですから落ち着いて、穏便に話し合いをですねっ」
『お黙り』
「引っ込んでろ」
「こんな時ばっかり意気投合!? 実は仲良しでしょう、お二人!」
「っ、あっははは!」
「たしかに仲良しに見えるね」
不本意と言いつつ息の合った二人のやり取りに、これまで黙っていたカイルとアーサーが我慢できなくなったようだ。盛大に笑われて、リリーは涙目でそちらを睨んだ。




