発覚 1
冷たい風が吹く中、お互いを誰何した二人の間に沈黙が落ちる。
「だ、誰って、その、私は、コーネリア――」
「俺はディラン・フォークナーだ」
「ディラン……えっ、ご領主様!?」
どうにか誤魔化せないかとあがいてみたが、遮られて名乗られた。
つい反射で発した言葉は、「旦那様」ではなく「ご領主様」――これでは、リリーの身元詐称を疑ってくださいと言っているようなもの。
失言が飛び出した口を慌てて押さえるが、黒髪の下でアイスブルーの瞳がすっと細くなる。
(ああ、本当だ。最初の日に見た人で……って、そうじゃなくて!)
悠長に納得している場合ではない。
デリックだった人が領主を名乗り、リリーの身元を疑っている。これは本格的にまずい事態だ。
焦りを裏付けるように、ディランが平坦な声で断定する。
「お前、やはりコーネリア・ウォリスではないな」
「な、なにを根拠に――」
「往生際が悪い」
言葉では否定しても、代わりに表情で認めてしまっていたらしい。ディランに鼻で笑われた。
――無理だ。
もともと、嘘もごまかしも必要ない修道院という特殊な場所で、年長のシスターと無邪気な子どもたちに囲まれて過ごしてきたのである。
ジョークとしてなら方便も使えるが、本格的に誰かを騙ることなど、リリーにできるはずがなかった。
すべてを見通すようなディランの視線に逃げ出したくなるが、魔力暴走を起こした時に抱えられた体は今もそのままだし、走ったところでこの一帯はディランの領地。
つまり、逃げ場などない。
(うわあん! コーネリア様、ごめんなさい! 私、やっぱりダメだった……あ、あれ?)
怒り出すかと思ったが、今にも泣きそうなリリーを横抱きにしたまま、ディランはすっくと立ち上がる。
「え……?」
急に高くなった視界に驚いて丸くなったリリーの目が、アイスブルーの瞳と改めてしっかり交わる――なにこれ、恥ずかしい。
血の気がなかった頬が急に熱くて思わず顔を伏せたところに、別のほうから聞き覚えのある声が掛けられた。
「ディラン!」
「そっちは済んだか、カイル」
(カイル? ……あっ、魔術団のメガネ団長さん!)
治癒の魔法で怪我を治してくれたり、リリーに渡す裁縫道具に一風変わった制限を加えたりした、辺境領魔術団の団長だ。
「射手は?」
「二人と、隠れていた指令役が一人。がっちり拘束して本館へ送ったところだよ……で、コーネリア嬢? さっきの火柱、あなたの魔力暴走ですよね」
「そ……っ」
覗き込むようにしてカイルが近付く気配に、ますます身を縮こまらせて下を向く。
(いや無理だって! ご領主様一人でも手一杯なのに、魔術団の人まで加わって二人相手なんて、ぜったいムリ!)
見るからに気まずそうなリリーにディランは軽く息を吐くと、深く抱き直した。
「カイル。先に本館へ行って、アーサーと一緒に尋問を始めておいてくれ。俺はコイツの話を聞いてから向かう」
「んー、魔力関連なら僕こそこっちがいい気がするなあ。それにディラン。さっきあいつらとやりあっていた時に、また光ったように見えたけど」
(光った? 敵襲以外に、なにかあったの……?)
カイルの人差し指が示したのはディランの胸あたり。指摘されて、ほんの僅かディランの腕が揺れた気がした。
ディランはずっとリリーを庇って、こちらに背を向けて敵を処していたし、その後の魔力暴走でそれどころでなくなってしまったから、実は最中のことはよく覚えていない。
「何か気づいたことは?」
「……カイル」
俯いたままのリリーの頭上から落ちる声は、記憶の中の「デリック」と同じもの。ああ、本当に同じ人なんだと実感する。
(なんでわざわざ変装なんて……まあ、コーネリア様と入れ替わっている私が言えたことじゃないけど。でも……待って。デリックが「ご領主様」っていうことは――)
外歩きに付き合い、リリーの求めに応じて裁縫道具を差し入れ厨房も使わせてくれるよう取り計らってくれたのは、デリックだ。
ぶっきらぼうだが根は優しい人だと思ったのは、実は一兵士ではなくフォークナーの領主で、つまりコーネリアの夫。
会いたいと思っていた人に毎日会っていたことに気づいて、さあ、と青くなる。
啖呵を切ったり、厨房でこき使ったり。
ほぼ無表情ながら、なんだかんだ要望通りにしてくれることが嬉しくて、仲良くなれた気がして、たわいない冗談まで口にしていた。
冷酷魔王と呼ばれるディランに対して。
(そ、そうならそうと……! いや、それこそ私が非難できる立場じゃないけど、ええっ、ど、どうしたら!?)
リリーの役目はコーネリアになりきり、再会できる春まで生き延びることだった。
その間、少しでもコーネリアの味方を増やそうと思ったのはリリーの勝手だが、もしかしたら逆効果だった可能性はないだろうか。
心の中で冷や汗を流して取り乱しながらあれこれ考えているうちに、二人の話はついたらしい。
カイルは仕方なさそうな口調で「また後で」と手を振って、リリーたちを置いてほかの兵士と合流して去っていった。
少しだけ見送って、ディランは何事もなかったかのように塔の入り口に向かって歩き出す。
「あ、あのっ、自分で歩――」
「無理だな」
ぱっと顔を上げて言ったら、呆れたように却下されてしまった。
実際、手も足もまだ震えていて力が入らないし、腰も抜けているに違いない。
けれど。
(今だけは自分で歩きたかった……!)
コーネリアではないとバレている、しかも一番知られたくなかったディランに。
その本人にこうして運ばれるなんて、心の底からいたたまれない。
「で、で、でも、ご領主様の手を煩わせるのは」
「歩けるようになるのを待っていたら日が暮れる。毎回運んでいたし、なにを今さら」
「今さらって……!」
言われて思い出す。日課の散歩でも厨房でも帰り道は大概、抱えられて部屋に戻った。
その時はまだ平気だった。だってデリックだったから。
でも今は、なんだかものすごく恥ずかしい。どうしてかと言えば外見が変わったせいではなく、この体勢だろう。
「そ、れは、だって、こんなお姫様っぽい抱え方じゃなく、もっとこう、荷物みたいに担がれてたし!」
「荷物か。間違いではないな」
やっぱり降りたくなってじたばたと暴れたつもりが、リリーを抱える腕は頑丈でなんの影響もない。
「っていうか、どうして変装なんてしてたんですか!?」
「変装じゃなくて変身魔法だ」
「どっちも一緒!」
せめてとすぐそばにある胸を叩いても、力の入らない拳では、ぽす、と柔らかな音がしただけだ。猫パンチよりも威力がない。
ダメージどころか抗議の意も伝わらなかったようだ。ディランはどこ吹く風で、なんだかますます恥ずかしい。
しかもよく見ると、僅かに口角が上がっているではないか。
「な、なんで笑うのっ」
「いや……我ながら呆れている。どうしてこれで今まで侯爵令嬢だと思っていられたのかと」
「頑張ったのに……!」
「お前、隠す気ないな?」
(うわっ、忘れてた!)
言われて、はっと我に返る。慌ててお嬢様っぽくツンと澄ましてみるが、今度こそ声を出して笑われてしまった。
馬鹿にされている感じはなく嫌な気分にはならないのだが、気まずさは大盛りだ。
笑い止まないディランをそろそろと目だけで窺う。
「もし私がコーネリア様じゃなかったら……こ、殺します?」
「なんでそうなる」
「じゃあ、殺さないでくれますか?」
縋るように訊くリリーに、ディランは少し考えるように斜め上に目を向ける。
「……なにを吹き込まれたのかは知らないが、処遇に関してはお前の話を聞いてから考える」
「そんなあ! 殺さないって約束しないと話さない!」
心からの叫びである。
リリーの失敗でコーネリアと二人分の命を取られてはかなわない。
けれどディランはすっと真面目な顔になってリリーを見おろした。思わずこくりと喉が鳴って、胸に下がるロザリオを外套の上から握る。
アイスブルーの眼差しは、そんな仕草ひとつも見逃してくれない。
「いいや、全部話してもらう。逃げられると思うなよ」
――言葉そのものは剣呑なのに、リリーを追い込むディランの声はどこか楽しげで。胸元のロザリオがなんとなく温かい気がして。
リリーの肩からふっと力が抜けた。
「……やだ。私、帰ります」
「どこに」
「修ど……き、聞きたいなら約束が先!」
「隠しごとに向いてないな。誰だ、お前のような奴を送り込んだ無能は」
「ひどくない?」
せめて態度くらい殊勝にしたいと思うのに、さっきから口調ひとつ取り繕えない。いくら動揺しているからって、これはない。
自分の至らなさに頭を抱えながら、リリーはディランの腕の中で最大限そっぽを向いた。




