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森の魔獣 1

 裁縫道具が手に入り、さらに厨房の使用許可が下りたことで、リリーの塔生活はかなり充実したものになった。

 とはいえ、見張りはなくならず、散歩に行くにも料理をするにもデリックの立ち会いが必要であることは変わらない。


 また、彼の都合で利用可能時間が決まるため、好きなだけ厨房が使えるわけではない。

 時間に余裕がなく、オムレツ一品しか作れない時や、慌ただしくパンにハムなどを挟んで部屋に持ち帰って食べる日もあった。

 それでも、ただ部屋の中に籠もって時間が過ぎるのを待つしかなかった当初から比べれば、雲泥の差である。


 しかも最初に聞いた条件では、厨房か散策かのどちらかしかできない場合があると言われたが、わりと毎日両方できている。

 これに関しても、デリックが融通を利かせてくれたに違いなかった。


(デリックは認めないけどね)


 礼を言ったら黙り込んでしまったのは、図星を指されて気まずかったのだろう。愛想はないが、やはり根はいい人だと思う。


(ちょっとずつ体力もついてきたみたいだし)


 より動くようになったせいか、体も少しは頑丈になった。デリックに担がれて戻るのは今もだが、その距離が短くなった……気がしている。


 そして、塔に押し込められた奥方様(コーネリア)が大喜びで厨房を使っていることは、ティナやデリックを通して本館に伝わったらしい。

 興味を持った料理長の命令で、ティナは「コーネリアが作った食事のレシピ」を書いて提出するよう、言いつけられたそうだ。


 仕事が増えたティナは「なんであたしが」と怒っていたが、レポートを書く必要から毎回一緒に料理をするようになったので、リリーとしては嬉しい。

 ティナには申し訳ないが、妹分といられる時間が増えたし、ともに食事もできる。大歓迎である。


 作った料理を、いつもティナは微妙な顔をしながら完食してくれる。

 貴族であるコーネリアと同じテーブルを囲むというシチュエーションにはまだ慣れないがらも、味は気に入ってもらえているようだ。


(私に対する態度も、ちょっとずつ柔らかくなってきてるし。このまま「コーネリア様」とも仲良くしてもらえたらいいな)


 春までにコーネリアの味方を増やそう計画は、絶賛実行中である。

 せっせと話しかけた結果、ティナは、あとはリリーの怪我についての誤解が解ければ心配ないと思えるところまできた感触があるが、夫であるディランに期待をしすぎないほうがよさそうだと、最近になって思い直した。


 それというのも、ディランは相変わらずちっとも塔に顔も出さないし、何度頼んでも取り次いでもらえないのだ。

 デリックやティナからでは、ディランがコーネリアを今現在どう思っているかを聞き出すこともできない。

 つまり、すっかり手詰まりなのである。


(こうまで取り付く島もないと、手紙を書いても読んでもらえないだろうなあ……っていうか、貴族の手紙の書き方なんて分からないから、それは無理だし)


 文字は書けても、リリーは貴族の文章作法を知らない。絶対ボロが出て、入れ替わりがバレてしまうだろう。

 こんな状況で、一足飛びにディランとの関係改善は無理だと自分を納得させるしかなかった。


(ええと、『まず馬を射よ』とか言うんだっけ)


 自分の周りから少しずつ、親しい人を増やしていこう。

 リリーには実質ティナとデリックだけだから、まずはこの二人との確かな関係を築きたい。

 懐かない猫のようだったデリックからも、明らかな刺々しさはだいぶ薄れてきているように感じるから、傾向としては悪くないはずだ。


(守り袋も渡せたし、ちょっとずつだけど打ち解けてくれてきているよね)


 支給された裁縫道具でリリーが最初に作ったのは、刺繍付きの守り袋だ。

 守り袋とは、身につけていると危険や難から逃れられると信じられている布製の護符である。


 護符といっても宗教色は薄く、秋の収穫祭では縁起物として親しまれている。信心深くない人でもひとつかふたつは持っている、非常にポピュラーなものだ。

 袋状になっており、中に小さなものや紙などを入れられる。兵士や子どもは、自分の名前や生年月日を書いた紙を入れて身につけていることが多い。

 もし戦いで命を落とした場合や、親とはぐれて迷子になった場合の身元確認にも使えるのだ。


 守り袋には守護紋様を刺繍するのが一般的だが、リリーはそれに少しアレンジを加えて刺している。

 毎年、大量に作るので、修道院にある古い刺繍図案の本を参考にして飽きないように少しずつ変えているのだ。


 山で育った草木で染めた布地と糸を使って、シスターたちが丁寧に作った守り袋は市でも人気の品だ。

 大事な収入源のひとつなのに、ステットソン伯爵の依頼で作った今年の分は、納め損になってしまっている。


 ひときわ豪華に作るようリリーが特別に指示されたひとつは、手のひらにすっぽり収まるくらいの護符の両面を、植物を図案化したステッチで埋めた。

 依頼に応じて手間も時間も掛けたのに労いのひとつもなかったことに、リリーは今も不満を持っている。


(院長先生からは、他人に対してそんなに怒るものじゃないって窘められたけど!)


 いつになったら院長のような広い心が持てるだろう。正式な修道女になっても無理かもしれない。

 現代では買うことの多い守り袋は、古くは家族や恋人がその人の安全や安寧を願って作り、贈り合うものだった。

 縁起ものだから、よっぽどでなければ贈って拒否されることはないのだが、やはりティナとデリックに受け取ってもらえたときはほっとした。


(たくさんあって悪いものじゃないし)


 ティナには日々の安全を、デリックには兵士としての無事を願って久し振りに刺繍をした。次は扉前に立つ見張りの兵や、本館の料理長にあげようとまた新しいのを用意しているところだ。


(たくさん作っておいて、また市で売れたらいいな)


 リリーと入れ替わってしまったコーネリアがいる修道院は隙間風も酷く、お嬢様が暮らすには酷だ。

 一方のリリーは軟禁状態で自由がないとはいえ、環境は恵まれている。

 自分だけ暖かな場所でぬくぬくとしているのが後ろめたかったから、こうして修道院のための手間仕事をしていると少しだけ気が紛れる。


 なので今日もベッドに腰掛けてちくちくと刺繍をする。手を休めて顔を上げると、窓の外に見える陽の傾き加減は、そろそろデリックが来る頃合いだ。


(雪もやんでいるから外にも行けるかな? それに、お料理はなにを作ろう)


 厨房の食材はまめに補充されている。領主館には食品を長期間保存できる便利な魔道具の保管庫があるそうで、そこから季節外の野菜や遠方の珍しい食材が運ばれてくるときもあった。

 修道院で季節に応じた自給自足生活をしていたリリーにとって非常に珍しい体験で、それもまた楽しみのひとつである。


 そんなふうにデリックの訪れをわくわく待っていたリリーの前に、ノックと共にカゴを持ったティナが一人で現れた。


「デリックさんは今日、来られません」


 リリーが訊くより先にそう言って、ティナは本館から運んできた食事を小さなテーブルに置く。カゴから出されたソテーとキッシュは、やはり冷えていた。


「なにかあったの、別のお仕事?」

「ええと、国境の森にいる大型の魔獣がこの近くに現れて」

「えっ、魔獣が!?」

「しかも複数だそうです。なので、辺境軍と魔術団が討伐に出ました。デリックさんもそちらに」


 フォークナー辺境領と、隣国イスタフェンとの境には森が広がっている。

 修道院の山に住む小型魔獣とは違い、国境の森にいる魔獣は巨大で凶暴だ。市のおかみさんからも、魔獣に身内が襲われた話をたまに聞くが、怖いなんてものじゃない。


(討伐に……いや、ロイからも聞いていたし、辺境軍の兵士が行くのは知ってたけど! それに一体でも大変なのに、複数って!)


「す、すぐ近くに魔獣が出たなんて、私ぜんぜん気がつかなかったわ」


 城塞を兼ねている領主館は、森と、領民が暮らす町エリアの間にある。

 その広い敷地のなかでも端っこにいるリリーには、物見の塔の喧噪も、討伐隊に掛けられる号令も聞こえなかった。


「それはそうですよ。この塔は本館から離れていて、どちらかというと城下町寄りですから」


 唖然とするリリーとは対照的に、ティナは淡々としたものだ。


「こっちまで魔獣が来たら、それこそ一大事です」

「……そうね」


(魔獣が……それは確かに、私のところなんかに来ている場合じゃないね)


 隣国との小競り合いが起きても絶対に現場には出てこないステットソンの領主と違い、フォークナーの領主であるディランは魔剣士でもあり、自らが先陣に立つ。

 そんな彼が率いる辺境軍は実力主義だ。徴用に身分は関係ないから、腕の立つデリックもきっと魔獣と対峙するだろう。


(デリック、大丈夫かな)


 魔術と剣術が得意だと聞いているし、実際そうだろう。でも相手は魔獣だ。

 そんな本当の危機に、守り袋など気休めでしかない。どうか無事に帰って来ますようにと、思わず手を胸の前で組んでしまう。

 心配して顔色を悪くしたリリーに、ティナが肩を竦める。


「魔獣が出るなんて、そこの森では珍しくもありません。この程度でいちいち怖がるくらいなら、王都に帰ったらどうです?」

「……それを決めるのは私じゃないの」

「それなら慣れてください。今日みたいな大掛かりな討伐は最近ちょっとご無沙汰でしたが、辺境(ここ)ではこれが普通なので」


 リリーは魔獣の恐ろしさを知っているものの、ほとんど実物を見たことがない。

 修道院の山では見かけにくいのも理由のひとつだが、特に大型の魔獣は縄張り意識が強く、普段は国境の森の中にだけいる。

 そのため、森に入っていかなければ滅多なことでは遭遇しない。


 それに魔獣避けの香もある。商人や医師など、どうしても魔獣の生息地を通る必要があるときは、それを使う。

 つまり、いちおう人間とは住み分けができている。

 一体を倒すのにもかなりの労力を使うため、基本的にわざわざ森の奥にまで探しに行きはしない。


 しかし、人里の近くに出没する魔獣は人間に危害が及ぶ前に排除する必要があった。

 討伐隊が出るのは、森の中でも人の生活圏近くで目撃されたか、被害が確認された場合。

 しかし今回は、森の中での遭遇ではなく外に出てきたという。滅多にない異常事態だとリリーにも分かった。



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『入れ替わりの花嫁~見習い修道女リリーはお家に帰りたい~』
漫画/池泉先生
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小鳩子鈴 Web site

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