修道院のコーネリア 4
「まったく。リリーといい院長といい、あなたといい、ここの人はどうしてそう呑気なのかしら」
「ここが天国に一番近い修道院だからかも?」
「頭の中までお花畑では困る、と言っているのです」
ギルベリア修道院や孤児院の運営費は、修道会本部からほとんど得られていないという。幸いにも食事はどうにかできているが、この通り住環境は酷いものだ。
(こんな状態で孤児たちの面倒までみるなんて、どういう神経ですの)
シスターたちは、いわば自己責任だが、子どもたちはそうではない。ほかに行き場がないとはいえ、引き取ったからにはそれなりの対応が必要ではないか。
わちゃわちゃと子どもたちに揉まれながらツンと顎を上げるコーネリアを高い背で見おろして、ロイはくすりと微笑む。
「……なんですの、にやにやして」
「いや、ネリーはなんだかんだ言って、この子たちのことを考えてくれてるんだなあって」
「っ、なっ、なにを」
「ほらみんな、ネリーのスカートから手を離して。今日のお昼ごはんを一番お行儀良く食べた子から順番に遊んでくれるって」
「は? わたくし、そんなこと――」
「やったぁ! ぼくだよ!」
「ちがうわ、私だもん!」
「さあ、スタートは今からだ。廊下を静かに歩いて食堂まで行けるかな?」
その一言で、さあっと潮が引くように離れてしずしずと食堂へ向かった子どもたちの後をついて、コーネリアとロイも部屋を出る。
「くだらないことを言っていないで、最初からそうしてくれたらいいのに」
「はは、ネリーは今日も手厳しいなあ」
悔しいが、子どもの扱いはロイのほうが何倍も上手だ。
慰問で孤児院や病院に行った経験はあるが、子どもと同じ立場で触れあったことはなかった。
リリーと似ているというだけでコーネリアにも懐いてくるこの子たちの危機意識に疑問があるし、それ以上にやることなすこと突飛で、直情的。
あまりにも自分とかけ離れた「子ども」という存在に、コーネリアは戸惑ってばかりいる。
距離を取りたいのに、孤児院の子どもたちは甘える対象の年長者や遊び相手に飢えているようで、それも許してくれない。
「それに『遊んであげる』だなんて、勝手に決めないでくださる? わたくしだってやることがございますの」
「少しくらいいいだろ?」
「あの子たちの相手は、少しで終わらないから言っているのです」
――コーネリアを庇って傷を負ったこと、暴漢に襲われて市で売る荷が駄目になったこと。それらの詫びにと、領主からはたっぷりと見舞いの品を持たされた。
食料や燃料、それに新しい毛布や修繕に使う木材など。ロイの進言で、現金ではなく実際に今必要と思われる品々が新しい荷車に用意され、意識のない「リリー」と一緒に修道院へ戻らされた。
高価なポーションによる治療といい、支援を兼ねた慰謝料を惜しまなかったディランをコーネリアは少しだけ見直したが、裏がないとは言い切れない。
直接確かめるまで、信用することはないだろう。
積雪のために辺境領に戻れなくなった場合、ロイが春までここにいることは所属している辺境軍のほうも了承済み。
そして予想通り雪に閉じ込められた今、ロイはシスターたちでは手の届かない場所の修繕などを引き受けてくれている。コーネリアは、女子専用の修道院区画に入りづらいロイの代わりに、修繕が必要な箇所と優先順位を調べて回っていた。
(この寒さは早急にどうにかしなくてはいけないわ。いえ、別に……ほかにできることがないからというわけでは……)
先立つものがなければ壁一つだって直すことは難しい。ここは道も険しい山頂近くで、簡単には大工や左官も呼べないから、支援物資はありがたかった。
けれど、今年だけどうにか過ごせても意味がない。
「ロイ。なにか手立てを考えないと、この修道院に先はないことはお分かりでしょう」
「まあね。オレの軍での稼ぎじゃあ到底足りないしなあ」
はあ、と溜め息を吐きながらロイは両手を首の後ろで組む。窮状は外部から来たコーネリアに言われるまでもないのだろう。
孤児院出身者は毎月自主的に、給金の中から仕送りをしているそうだ。しかし全面修理となるとかかる費用は莫大で、とても現実的ではない。
ロイの顔に浮かんだ困ったような笑みに、コーネリアの胸が変によじれた感じがした。
(……偉そうに言うわたくしは、もっとなにもできないわ)
修道院でコーネリアができることは多くない。
ウォリス家の令嬢としてなら多少の支援もできようが、今の自分は修道院のリリーだ。
でも、本物のリリーのように水瓶も運べなければ、箒のかけ方も分からない。
薬品の調合はできても、野菜を刻んだりの普通の料理はできなかった。
自分がこれまで必死に覚え、身につけてきたことがここでは少しも生かされない。
そのうえ、孤児院の幼い子に雑巾の絞り方をやって見せられたときは、あまりのことに言葉もなかった。
(このわたくしが……!)
だが、そんなふうに無力感に苛まれることばかりではなく、入れ替わって良かったと思えることもある。
もとのコーネリアの体だったら、こんな環境ではあっという間に風邪を引いて寝込んでいたに違いないが、そうはならない。
どれだけ動いても「少し疲れた」くらいで済むし、なにより魔力による体調不良がないことは驚くばかりだった。
(こんなに体が軽いのは、生まれて初めて)
そのぶん、コーネリアになったリリーは不便を感じているだろう。
自分が生きているから向こうも大丈夫だと判断しているが、魔力が溢れる前にどうにかして手を打ってもらわないと、今度こそ命の危機だ。
院長が貸したロザリオは、幸いにも「コーネリア」が掛けていた。そして、ここの祭壇に置かれた十字架にも同じ石が嵌っているのを見つけた。
あれを使えば少しだが連絡が取れるはず――そう思って毎晩呼びかけているけれど、まだ反応がない。
(ロザリオが手の届かないところにあるのか、まだ目覚めていないのか……知るすべがないというのはもどかしいものね)
不慮の事故とはいえ、自分が原因で怪我を負わせ、トラブルに巻き込んでいることが一番不愉快だ。
「ネリー?」
黙り込んでしまったコーネリアをロイが覗き込む。はっとして、コホンと咳払いでごまかして話を続けた。
「……孤児院の大きい穴は塞いだのでしょう。修道院の修繕箇所も決めませんと」
「そうだね。じゃあ食べながら打ち合わせをしようか」
「話しながら食べるのは行儀が悪いって、シスターたちにまた叱られますわよ」
「あははっ、懐かしくてね」
「あなた、わざとでしたの?」
ロイは時折、いたずらと言えないようなたわいないことをして、子どもたちと一緒にシスターから怒られている。
院長やシスターたちはどこか嬉しそうに叱って、その後はロイの子ども時代の話になったり、ほのぼのと笑って終わるのだが――。
「怒ると体温上がるだろ。風邪予防に」
「そんな理由で?」
「笑うのはもっといいよね」
「……そう」
――つまらない理由とは言えなかった。
誰かのためにそんなことをする人を、コーネリアは身近に見たことがなかったから。
「今日の昼食はまたスープ?」
「それと、グラタン。卵とトマトソースの」
「ああ、オレの好物だ」
「後片付けはロイに任せるってシスター・ヘレンが言っていたわよ。もしお皿を割ったら屋根の修理を頼むって」
「この大雪の中!?」
ロイは大工仕事が得意だし、火を熾したりパン生地を捏ねたりなども上手にするが、裁縫や皿洗いはなぜか手が滑って苦手なのだという。
「割らなければいいだけではなくて?」
「いや、まあそうだけどさ。あんま自信ないな……」
コーネリアより年上のくせに子どもみたいに口ごもるから、思わずくすりと笑ってしまう。
(……わたくし、今、笑った?)
計算しない笑みが溢れたのなんていつ以来だろう。
そう気づいたら頬が強張った。不自然に固まった顔を見られたくなくて、一歩前へ出る。
「さ、先に行きますわ」
「えっ、待ってよネリー」
「待ちません」
足早に進むコーネリアをロイが追いかける。
子どもたちの明るい声が響いてくる食堂へ向かって、二人で寒い廊下を歩いた。




