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修道院のコーネリア 3

 ギルベリア修道院の生活は厳しかった。

 戒律に則った行動や奉仕活動が、ではない。侯爵令嬢として、さらには未来の王太子妃として厳しい教育を受けてきたコーネリアには自由のない生活など当たり前のものだ。

 神経をすり減らす公賓への対応を含む分刻みのスケジュールに比べれば、修道院生活などむしろ楽でさえある。


 だから厳しさを感じるのはもっと違うこと、つまり環境のほうで――つまり、有り体に言って「寒さ」だ。


(室内でつららが下がるって、どういうことなの!?)


 厨房の隣にある食品庫が天然の氷室になっているのを見て驚愕したのを皮切りに、どこもかしこも隙間風だらけ。

 孤児たちが過ごすスペースは比較的まともだが、それだって十分とは言えないだろう。


 しかし高齢の院長をはじめ、修道女も子どもたちも平然としている。コーネリアも、リリーの体のせいか肉体的にはそこまでつらくないのだが、心のほうは衝撃を受けまくっていた。


(これまでに訪れたどんなに古い修道院でも、ここまでボロボロではなかったわ)


 穴の空いた壁を横目に、溜め息を吐く。

 ウォリス侯爵邸は敷地内に礼拝室があるため普段はいちいち外に行かないし、王子の婚約者であるコーネリアが視察に訪れるのは、その地で一番広い教区を管轄する大教会が多く、小さな施設に足を運ぶことは稀だ。


 一方で、貴族としてご多分に漏れず寄進をしているため、支援をしている修道院には時折顔を出している。

 王都郊外にある、女子修道院もそのひとつだが――。


(こんなに違うなんて……)


 その女子修道院は、貴族や豪商の令嬢が行儀見習いを兼ねて、短期間過ごす場所として認識されていた。

 奉仕後は「聖女補」という独自の称号が得られ、敬虔で貞淑な令嬢として彼女たちの価値が上がるシステムになっている。


 多額の奉納金を伴う形ばかりの修道生活に不自由などはなく、もちろん、そのまま奉献の道に入る者はいない。よりよい縁組みを前提とした還俗までがセットだ。

 修道院や教会の上層部に必要なのは、修道の志よりも政治的手腕である。そのため、あらゆる意味で彼らとその施設は「行き届いて」いた。


 新しく、設備の整った修道院は余裕がある雰囲気が漂っており、中庭では楽しげにおしゃべりをする若いシスターの姿が常時見受けられた。

 もちろん、修道服を着た彼女たちが話す内容は流行のドレスや芝居、そして結婚相手の品定め。夜会にいる令嬢となんら変わりない。


(わたくしも、それが普通だと思っていたわ)


 だから、このギルベリア修道院のすべてに目を疑った。

 まっとうに信仰の道を歩んでいることも、施設の惨状にも。


「あら、惨状だなんて。せめて窮状と言ってくれないと」

「言葉だけ言いつくろっても無駄ですわ、シスター・ヘレン」

「ほほほ、厳しいわね」

「シスター・エヴィ。院長である貴女がそんなふうだから――」

「ねえ今、鐘が鳴らなかった?」

「シスター・アン、耳が遠いのをいいことに話を逸らさないでくださいまし。建物がこんな状態でよく冬を越せると思いましたわね。その楽観さが命取りだと、わたくしはっ」

「さあ、そろそろ昼食も出来上がるわ。『ネリーおねえちゃん』は、子どもたちを呼んでおいでなさい。ね?」

「シスター・エヴィ、もう!」


 調子よく話を遮られ、ほらほらと重ねて促され、厨房での手伝い――といっても、皿を並べたり、カトラリーを数えたりといったことだが――を中断したコーネリアは渋々子どもたちの元へ向かう。

 冷気が漂う廊下をずんずんと歩きながら吐いた息は白くて、思い出したように両腕をさすった。


 院長だけでなく、ほかのシスターにも、コーネリアはリリーと別人だとあっという間に見抜かれた。腰を痛めたシスター・マライアにだけはまだ顔を合わせていないが、そちらも同じだろう。


(わたくしを見て驚いて転んだりして、また腰を痛めると危ないからって、まだ会っていないのよね。少しは話の通じる人だといいのだけれど)


 魔法の衝撃で入れ替わってしまったらしい、というコーネリアの仮説をあまりにもすんなりと信じられすぎて、こちらのほうが戸惑ってしまう。

 人里からも隔絶された生活のせいか、すべてを受け入れるシスターたちの呑気さが少々危うく感じられた。


 もちろん、併設されている孤児院の子どもたちにも、すぐにリリーとは違うと気づかれた。

 全員にこんなにあっさり見抜かれるなんて、もしかして外見も変わっているのではないかと心配になるほどだが、何度ロイに確かめても「外見だけは間違いなくリリー」だという。


 寄せるつもりもない口調が違うのは当然だが、声はリリーのものなのだから、もう少しくらい気づくのが遅れてもいいと思うのだが、そうはならない。

 それに「似ているけど違う」「リリーおねえちゃんはどこ」と泣きだされてしまうと、それどころではなかった。


 泣いてリリーを探す子どもたちを院長が宥める傍らで、語り上手なシスター・ヘレンによって、コーネリアは『リリーによく似た従姉妹のネリー』で『秘密の用事ができたリリーの代わりに、ギルベリア修道院を春まで手伝いに来た』ということになってしまった。

 平民の孤児であるリリーに最近見つかった唯一の身内で、これまでは貴族の家で働いていた――という設定だ。


 ここの子どもたちの大部分は、魔法を身近に見たことがない。

 そんな幼子を相手に入れ替わりの現象を説明したところで理解されるとも思えず、分かってくれたとしても「元に戻して。リリーおねえちゃんを返して」と、さらに大泣きされるだけに決まっていた。


 それにコーネリア自身、暴漢に襲われる程度に不特定多数から命を狙われている。

 まだ分別のない子どもに、コーネリア・ウォリスという名を告げることも危惧された。


(万が一、入れ替わりを敵に知られたら、辺境領にいるリリーだけでなくこの修道院も危険になるかもしれない)


 だから作り話も仕方がないと頭では納得しているが。


(……誰がネリーよ。そんなふうに呼ばれたことなんてないわ)


 幼いうちに王子妃に内定したコーネリアは、名前や愛称で呼び合うような友人を持つ機会がなかった。

 交友関係は完璧に大人たちの支配下にあり、関わる相手は最初から理由と目的が明示されていた。


 友好的にふるまうこともその逆も、ただ遂行すべき任務であり、コーネリア自身の心は関係なかった。

 だから、必要以上に親密になる相手もいなかったし、いたとしてもそれはそういう役割が当てられているにすぎなかった。


 家族だって同じだ。

 有能な宰相である父はコーネリアに無関心で、公の場以外で名前を呼ばれた記憶がない。

 王太子であるルーカスとの婚約が破棄になり、辺境領に嫁げと命じられたときだって、目も合わなかった。


(名前に識別記号以上の意味はない。それなのに……)


 親しみを込めて「ネリー」と呼ばれ、まるで昔からの仲間のように扱われている。

 そのことが妙に落ち着かない。

 寒い廊下で頬を赤くしたコーネリアが孤児院のフロアに着くと、扉をあけるなり、わっと子どもたちが寄ってきた。


「ネリーおねえちゃん! これ見てー!」

「コリン、わたしが先なの! ご本読んで!」

「あなたたち、昼食よ」

「ちょっとだけ!」


 描いた絵や本を持ってわらわらと集まってきた子どもたちに囲まれて、コーネリアは転びそうになってたたらを踏む。


「ちょ、ちょっと! 落ち着きなさい、もう、ロイ! どうにかして!」

「あはは、みんなー、ネリーが困ってるよ。順番にしようね」

「順番じゃなく、昼食の時間だって言っているでしょう!」


 部屋で子どもたちの面倒をみていたのは、辺境領から「リリー」を連れて帰って来たロイだ。

 まとわりつく子どもたちを引き剥がしてほしくて声をかけたのに、逆にコーネリアと遊ばせようとしてくる。


「まだ慣れない?」

「ええ、ちっとも」

「まあ、まだ三日目だしね」

「何日経とうと慣れる気がしませんわ」

「そうかなあ」


 おっとりとした笑みを浮かべるロイは、この孤児院の出身だそう。

 リリーやコーネリアの一歳上の二十歳。茶髪に茶褐色の瞳というごく平凡な色を持つ彼は辺境軍に属しているわりに荒々しさがなく、宿屋の主人や食堂の店主のほうが似合いそうな雰囲気の持ち主である。


 コーネリアとリリーが入れ替わっていて、しかも中身の自分は領主に嫁ぐために王都から来た侯爵令嬢だと打ち明けても、「へえ」の一言で済まされた。

 さすが()()リリーの幼なじみ兼、兄貴分だけあると妙に納得してしまったが。


(少しは疑うってことを……この修道院の人たちは、まったく!)


 こんなに素直に信じられると、こちらのほうが心配になる。

 最初は、シスターもロイも、コーネリアを信用したふりをして試しているのかと疑った。

 しかし、ものの半日もするとこちらだけ警戒しているのも馬鹿らしくなってしまうほど、彼らに裏表はないと認めざるを得なかった。

 


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