修道院のコーネリア 1
山中で暴漢を撃退した後、気を失ったコーネリアは、固い寝台の上で目を覚ました。
しんと冷えた空気に何度か瞬く――無骨な石造りの壁に見覚えはない。殺風景な室内に家具は少なく、壁のくぼみを利用した小さな聖壇があった。
(……寒い)
今は朝なのだろう。隙間風に揺れる薄いカーテンの向こうはそれなりに明るい。
しかし、部屋の中は暖かいとは言い難い。毛布から出ている顔や髪はすっかり冷たくなっていて、これでは庭の物置小屋にいるのと変わらないかもしれない。
コーネリアはまだ覚醒しきらない頭を無理に働かせる。
(わたくし……フォークナーへ向かう山道で……矢、が――)
「……リリー!?」
暴漢に襲われたことが鮮明に蘇る。
ギシリと板の音を軋ませながら勢いよく起き上がると、肩に鈍い痛みが走った。反射的に手を当てようとして、違和感に包まれる。
「魔力を感じない……どういうこと?」
生まれつき高い魔力持ちであるコーネリアは、常に自身の魔力に苛まれ、持て余し、手懐けながら過ごしてきた。
けれど今、あれだけ体内に満ちていた魔力が消えている。
枯渇とは違う。それならば、こうして意識を保っていられるはずがない。
長く伸ばした髪をばっさり切り落としたような身軽さと、底知れない物足りなさを同時に感じて、思わず自分の体を見おろした。
目に入ったのは古びた薄い毛布、質素な寝衣。荒れた手肌に、特徴的なローズベージュの髪。
引きつれたように鈍く痛む肩は「矢が刺さったところ」だ。
(まさか……!)
さっと部屋を見渡しベッドを下りると、小ぶりなキャビネットに近付く。
壁の鏡を覗くと果たしてそこに映ったのは、緑色の瞳をまんまるく見開いた、コーネリアと道中を共にした見習い修道女だった。
(これはあの子の……リリーの体? どうしてわたくしが……いいえ、夢ではないし、死んでもいないわ)
易々とは信じられないが、これまで様々なトラブルに見舞われてきたコーネリアには、自分の身に起こっていることが現実かどうかくらい瞬時に判別がつく。
すっと細められた新緑色の瞳が理知的な色を帯びた。
――精神と肉体は本来切り離すことはできない。もし、肉体が生命活動を止めれば中身も同じく消えるし、逆もまた然り。
つまり、今現在二人の体と魂はそれぞれ生きている。
ただし容れ物を変えて――ならばコーネリアの体には今、リリーが入っているのだろう。
「入れ替わって……リリーもわたくしも生きている。それは間違いないわ」
声に出すと、自分らしくなく取り乱した心も落ち着いた。
そうすると次は原因追及に意識が向くが、寒さでぶるりと体が震え、慌ててベッドに戻った。
(ここは、診療所ではなさそうね)
矢が刺さったはずの肩は、動かすと多少痛みがあるものの治っているといって差し支えない。治療が終わった患者をいつまでも診療所に留め置かないだろう。
宿屋の一室か個人の部屋のように思えるが、それにしてはかなり質素だ。
しかし、コーネリアは平民の暮らしぶりに詳しくない。ひとまず悪意や殺気を感じないから、現在地について考えるのは後回しにした。
(それより問題はあの襲撃と、この入れ替わりについて。でも、リリーが謀った可能性はないわね)
自分が王都からフォークナー辺境領へ向かうことを知っていたのは、限られた者だけだ。
当事者であるディラン・フォークナーにさえ伝えていない情報を、僻地の一修道女が知るわけはない。そもそも、リリーと行き会ったのは完全に偶然だ。
それに、コーネリアを待ち伏せていた暴漢は「邪魔しやがって」とリリーを詰っていた。
襲撃者にとっても想定外だったとすれば、リリーだけでなく、修道院やその母体の教会も関与していないと思っていい。
(当然、わたくしが計画したことでもない)
コーネリアが第二王子ルーカスとの婚約を破棄され、辺境領との結婚が言い渡されたのは、本当に突然だった。
もともと王子との婚約も政略である。だから相手がいつ誰に変わってもおかしくはないのだが、王太子妃としての教育をかなり施された後で、というのは前代未聞である。
父のウォリス侯爵は宮廷政治で力を持つ宰相だ。妬まれ、疎まれる立場にあり敵も多い。
派閥間の力関係を調整するためとはいえ、娘であるコーネリアが王家に入り、さらにウォリス家が力を増すことについても問題視されてきた。
しかし、ほかに王太子妃が勤まる適当な令嬢がいないこと、優秀なコーネリアを国内に留まらせたいことなどの理由から、長年婚約者の座に居るしかなかったのだ。
ルーカス王子は自意識が強く、自分だけが一番でありたいタイプである。
自分より優秀なコーネリアに対して嫉妬を募らせており、当てつけのように他の令嬢をエスコートしたりといった問題行動も多かった。
ルーカスの母であるアラベラ王妃がコーネリアを認めていなければ、とっくの昔に婚約者ではなくなっていただろう。
打算に打算を重ねた婚約は破棄の可能性が最初からあったから、それぞれの場合に応じた対処法を用意していた。
しかし、魔法で入れ替わってどうこうしようなど考えたこともない。
(ルーカス王子にも王太子妃にも未練なんてないけれど、後手に回ったのは不愉快だわ)
ルーカスは権力に固執するが、それを使う器ではない。ずる賢い一方で抜けており、突然婚約破棄を申し渡すまでコーネリアに気取らせなかった、というのは彼らしくない。
(誰かが背後で糸を引いているわ。こんな辺境に飛ばされては、調べようもないのが悔しいわね)
父侯爵の政敵やルーカスなど、コーネリアの存在を邪魔に思う者が、あの暴漢たちを差し向けたに違いない。
だが、入れ替わりに関しては事故を疑うのが順当。
さらに、あの場には自分以外の魔力を感じなかったから、コーネリアが放った魔法が影響していると考えるのが理に適う。
(わたくしが放ったのは、間違いなく攻撃魔法よ。それにそもそも、肉体や精神を取り替える魔法なんて存在しない)
倒れ込んだリリーにのし掛かられて繊細なコントロールができなかったせいか、普段よりも威力が高く出た気はする。
密着した状態で、想定以上の出力で魔法攻撃を行ったため、その衝撃で精神が入れ替わった……という線が濃厚だろうか。
(魔法や魔力に関して、わたくしの知らないことがまだあったなんて)
必要から学び続けたため、コーネリアが持つ魔力についての知識は膨大で、今や魔力研究においては専門家も一目置くほど。それでも未知の現象があったのは驚きだ。
それにしても。
(わたくしを庇うなんて。とんだシスターがいたものだわ)
屈託のない笑みを自分に向け続けたリリーを思い出して、コーネリアは眉を寄せる。
ウォリス侯爵家に恩を売ろう、などという思惑があったのではない。反射的に体が動いただけだろう。
コーネリアがどんな力を持っているか知っていたら、恐れこそすれ、身を挺して守ろうなどとは思わないはずだ。
「無駄なことを。いくらシスターだからって、お人好しにもほどがあるでしょう」
コーネリア自身にも想定外のことがあった。普段なら魔力を使って倒れることなどありえないのだ。
意識をなくすなんて、魔力制御が甘かった幼いころ以来である。
(長旅で疲れていたせいかしら。なんにせよ、イレギュラーなことばかり……情報が足りなすぎる)
考えをまとめかねていると、扉が叩かれた。コーネリアの返事を待たず、黒い修道服姿の老女が杖をつきながら入ってくる。
「ああ、起きていたのね。具合はどうかしら、リリー?」
(修道女……年齢からいって、院長かしら)
我が身に起こったからこそ、この「入れ替わり」などという信じがたい現象を受け入れたが、他人はそうではない。
どう説明したらいいか、それ以前に、入れ替わった事実を明かして安全だろうか。
咄嗟に判断できず、返事が遅れた。
それを、まだ具合が悪いからだと思ったのだろう。優しげな面持ちの修道女は、毛布を巻き付けてベッドに起き上がっているコーネリアに向かって心配そうに再度呼びかける。
「リリー?」
「……わたくしは――」
「わたくし?」
いつもと違う口調だとすぐに気づかれたようだ。
修道女はまじまじとコーネリアを眺めて「まあ」と驚いたように頬に手を当てた。
「リリーが戻ってきたと思ったのだけれど、違ったのね。ギルベリア修道院へようこそ、迷える子羊のお嬢さん。あなたのお名前を教えて?」
年内の更新は今話が最後で、次話は年明け1/2の予定です。
本年もお読みいただきありがとうございました。
どうぞよいお年をお迎えください。 小鳩子鈴
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