関係を改善したいです 1
雪が打ちつける窓の前に立ち、リリーはふぅと溜め息を吐く。
「よく降るわー……」
昨日は晴れて、それまでに積もった雪も少しは溶けたのだが、これでまた一面の雪原に逆戻りだ。
このまま陽気が続けば、もしかしたら山の道も歩けるようになるのでは……と、少しだけ期待したのだが、季節という自然の力は偉大であった。
(まあ、そうだろうと思ったけど!)
――意外なことに、塔での暮らしは、自由に動き回ることができないこと以外は快適だった。
雨漏りの心配がない暖かな部屋に、立派なベッド、清潔な寝具。好きな時間に起き、好きな時に眠る。食事は運ばれてくるのを受け取るだけ。
掃除も洗濯も、市のための雑貨や保存食作りも、子供たちや動物の世話も、なにもしなくていい。
(奥様同士のお茶会とか、夜会とかもなくて、ほっとした……でも)
貴族らしい華やかな催しが一切ないのは、元侯爵令嬢で今は辺境伯夫人であるコーネリアなら不満を言うところだろう。
しかし、ここにいるのは見習い修道女のリリーだ。パーティーを催せ、舞踏会に出ろ、などと言われたら逃げ出すしかないのだから、その点はむしろ歓迎している。
しかし。
「あー……暇だわ……」
リリーは冴えない顔色でぼそりと呟くと、頭を軽く振る。
ここで目を覚ましてから約十日。夕方の散歩のほかにすることがなさすぎて、すっかり退屈しきっている。
試行錯誤中の魔術操作は、なんとなく掴めてきたものの、痛みで眠れない夜はまだあるから、誰にも不審がられず日中に休めるのは助かる。
それにコーネリアを狙う敵に遭遇する機会を減らすという意味では、塔に引きこもっているのは好都合だろう。
(でも、暇なの、暇! ああもう、なにかしたい!)
リリーは山奥の極貧修道院で育った。
自分たちで畑を作り野菜を育て、牛の乳を搾り、季節になれば山中にも食料採取に行くという、ほぼ自給自足の生活だ。
古い建物を修繕し、服でも家具でも作れる物は自ら作った。子供たちの面倒を見ることも含めて全部、労働というより生活の一部である。
もちろん、修道女としての奉仕活動も、祈りの時間もある。
早朝から夜まで休む暇などない毎日が日常で、それはリリーだけでなくほかのシスターも孤児院の子供たちも同じだった。
でも今は、黙ってこの部屋にいることしかできない。
なにもしなくても暮らせるというこの状況が、リリーにはどうしても居心地が悪いのだ。
(こういうの、貧乏性って言うんだっけ)
一度、雑巾がほしいとティナに言ったことがあるが、信じられないものを見る目を向けられてしまった。お嬢さまは自ら掃除はしないのだと察して以来、頼めない。
修道女らしく祈りの時間に当てればいいのかもしれないが、残念ながらリリーはそれだけで一日を費やせるほどの信心は持っていなかった。
リリーが正式な修道女になりたいのは、神に仕えたいという純粋な信仰心からではなく、あのギルベリア修道院が家だから、という理由のほうが大きい。
院長をはじめシスターたちは家族で、これからも彼女たちと一緒に過ごしたいというささやかな願いのために、この先の人生を神に捧げるつもりなのだ。
息をするように聖典は口から出てくるし、祈りの姿勢も無意識に取れる。しかし神か仲間かどちらかを取れと言われたら、迷わず仲間を選ぶだろう。
リリーは胸に下がるロザリオを服の上から握った。
(……みんな、元気かな。コーネリア様も大丈夫かなあ)
コーネリアと話せたのは、あの晩の一度だけ。
修道院のシスターたちは道理のよく分かった大人ばかりだから、入れ替わったコーネリアのことを無碍にはしないと信じている。
ご令嬢におんぼろ修道院での暮らしは厳しいだろうが、そこはなんとかリリーの頑強な体で乗り切ってほしい。
(もっと話せれば、この状況も少しはよくできるはずなのに)
肝心のロザリオの魔石に魔力を注ぐやり方はまだ分からない。
両手で包んだり、息を吹きかけたり、魔力を流し込むところを想像しつつ指先で触れたりしてみたが、なんの反応もなかった。
(なにがいいのか悪いのかも分からないから、本当に難しいよ)
リリーは魔力に関しての知識がない。今はひとまず、肌身離さず身につけている。そうすれば、なにかの拍子に魔力が入るかもしれないと淡い期待を抱いて。
機会があればカイルにそれとなく聞いてみたいが、それも簡単ではないだろう。
(魔術団も忙しいだろうし。国境の森には冬の魔獣が出るっていうもの)
あれ以来、カイルもディランも塔に来ないし、散歩の時間にも見かけない。だから、討伐に行っているのだと思う。
今この部屋を訪れるのはコーネリア専任メイドのティナと、夕方散歩の相方であるデリックだけだ。
扉前を交代で見張っている兵士は絶対に部屋に入ろうともしないし、話しかけても返事もない。そうするように、きつく言い含められているのだろう。
(命令違反をさせて罰せられても申し訳ないから、無視されること自体はいいんだけど……)
その結果が話し相手に事欠いている状態で、やはり暇である。
白く煙ったガラスの向こうに修道院を思い浮かべて、もう一度息を吐いたところにノックが響いた。
「食事です」
「ティナ!」
ぱっと顔を明るくして、リリーはティナを迎える。
カゴを持って入ってきたティナだが、お仕着せの外套も髪の毛も濡れていた。リリーの食事を本館からこの塔に運んでくれて、そのまま雪を払わずに階段を登ってきたのだろう。
「雪の中、持ってきてくれたのね。こんなに濡れて……」
「あたしのことなんて気にしないでください」
「だめよ、風邪を引いてしまうわ」
まだカゴを持ったままのうちに、有無を言わせずタオルで拭くと嫌そうな顔をされてしまった。リリーの専属侍女になって日が経つのに、相変わらずの塩対応である。
(それでもこうして拭かせてくれるし、前より口もきいてくれるようになったもの。いい傾向だよね!)
関係改善に向けて前進していると思いたい。
「いつもありがとう。せめて、私が塔の下まで受け取りに行ければいいのだけど」
「階段も登れっこないのに、できもしないことを言わないでください」
「そんな」
「どうせ途中でへばって運ばれることになるんですから」
「わあ、そ、それは……!」
リリーは「部屋を気軽に出られないから」という意味で言ったのだが、もっと根本的なことを指摘されてしまった。




