深夜の情報交換 1
ティナも出て行ってしまった扉を見つめて、しばらく。
のろのろと動き出したリリーは木箱を開けるとロザリオを取り出し、そっと首に掛けた。
追いかけて引き止めたい。けれど、今の状態ではリリーの話を聞いてくれなそうだ。
(部屋を出てもいけないみたいだし……)
おとなしくしていろと、脅しのように繰り返し言われてしまった。うっかり出歩いて、見張りの兵士とやらに怒られたり捕まったりするのも遠慮したい。
多少気がかりなことがあっても、修道院では休む暇なく作業があり心が紛れるのだが、ここでは畑作業も調理も刺繍もできない。
だとすると、今のリリーにできるのは祈ることだけだ。
ロザリオのチェーンに付いた小さな珠をひとつずつ指先で繰りながら、心の中で祈りを唱え始める。
(……首に掛けていると繰りにくいです、院長先生)
ロザリオは祈りを捧げるときに手繰るための数珠であり、ネックレスではない。使いにくいのは当然だ。
けれど、そそっかしい自分を心配して「必ず首からさげておくように」と言った院長に逆らう気持ちにはなれなかったし、これ以上約束を破るのも嫌だった。
やりにくいと思いながら、リリーは繰り返し祈りを唱える。いつもと同じ慣れた行為は、心を少しずつ落ち着かせてくれる。
ゆっくりと祈りを一巡唱え終わるころには、辺りはすっかり宵闇に包まれていた。
(……うん。やっぱりちゃんと説明しないと)
話を聞いてくれないかもしれないし、聞いてくれても信じてくれない可能性もある。
けれど、今のリリーがコーネリアだと彼らが思っているということは、コーネリアの側はまだ説明ができる状態ではないということだろう。
それならば、リリーが話すしかない。
(よし! ティナと領主様に会いに行こう)
顔を上げると同時に音もなく壁際のランプが灯る。初めて見る魔道具に、リリーはひゃっと声を上げて驚いた。
「びっくりした……ああ、暗くなると勝手に明かりが点くんだ」
聞いたことはあったが、なるほど便利だ。
これがあれば、目が見えにくくなったシスター・ヘレンがランプの油をこぼす心配もなく、安心だろう。
(でも、お高いんだよね。それがこの部屋に四つもある。すごいなあ)
そういえば暖炉に火が入っていないのに寒くないのも、きっと魔道具でどうにかしているのだろう。敷いてある絨毯も厚みがある。装飾がないからうら寂しいが、設備的には豪華な部屋だ。
だとすると、ここはリリーのような平民ではなく、貴族用の、つまりコーネリアの居室で間違いない。
「魔道具なんて早々買えるものじゃないし――って、感心してないで、着替えて領主様に会いに行かないと……っ?」
木箱からリリーが一人でも着られそうなワンピースドレスを見つけて手に取る。
立ち上がろうとしたところに、ざっと全身を寒気が襲った。下半身に力が入らず、カクリと膝が折れる。
「な、なに? お腹が、変」
体の奥がぞわぞわして、鈍い痛みに骨が軋み始める。嫌な予感がして服を木箱に戻し、這うようにしてベッドに上がった。
(これ、知ってる……!)
先日の、最高に具合が悪かったときを思い出す。まだあのときほどではないが、体の奥が熱い。
(なにかの病気なの?)
痛みはどんどん強まってきている。震える体を落ち着かせながら、冷えていく指先を握り合わせてどうにか呼吸をした。
(痛いって! やだもう。これ以上、酷くなりませんように……!)
ベッドの上で蹲る。嫌な汗を流して切実に祈りながら、リリーはロザリオを握りしめて目を閉じた。
§
――知らぬ間に眠っていたようだ。
壁の魔法ランプはごく細く、ぼんやりした光量で灯っている。たぶん今は真夜中だ。時間によって光量が変わるのかもしれない。
まだ熱はお腹の奥にくすぶっているし鈍痛はあるが、どうにか痛みの峠は越したと分かった。
(私、なんでそんなことが分かるんだろう)
これまでに同じような症状が出たことはない。
屈んだ体を緩めてどうにか仰向けになり、重いものが詰まった肺で精一杯呼吸をする。うんと腕を伸ばすと、指先は暗闇に紛れてしまった。
外は風が強いらしい。重い雪が打ち付ける独特の音が窓を鳴らしていた。
かなり冷えているようで、さすがにどこからか隙間風が入ってくる。だが、その冷えた空気が今のリリーには気持ちよかった。
ふう、と吐いた息がまだ熱い。
「なんの痛みだったんだろ……んん?」
と、胸の上のロザリオが淡く光ったように見えた。
「なーんてね、見間違い……えっ、本当に光ってる?」
正確にはロザリオそのものではなく、十字架の少し上にある楕円のメダイに嵌められた透明な石が朧気に発光していた。
重く怠い体を慌てて起こすとベッドの上で正座をし、ロザリオを両手で持つ。
(なんなの? やだもう怖い! でも、目も手も離したらいけない気がする!)
怖じ気づきながら声も無く見つめるリリーの目の前で、だんだんとロザリオの光は明るさを増し、なにやら人の声が聞こえてきた。




