前途が多難すぎる 1
(う、うううう嘘でしょ!? なにがどうしてこんなことに?)
盛大に焦りながら、リリーは鏡を置いてぱたぱたと両手で体に触れる。幻じゃない。
手のひらを、腕を、足を見おろして、もう一度髪を目の高さに持ち上げる。何度見ても鮮やかなブロンドに目眩がする。
着ているのはつやつやした肌触りのネグリジェだ。そういえばこんなに高級そうな布地の服など生まれてこのかた触ったこともない。
ちらりと胸元を開けて覗けば、豪華なレースの下着がお目見えした。
「わっ、これぜったいお高いやつ!」
いつもの石けんで洗濯したらいけない気がする。着替えのときも、決して破らないようにしなくては。
(いや、今気にするのはそこじゃないでしょ、私!)
染みついた貧乏性を発揮してしまったが、そうではない。
自分がコーネリアになっている。
これを異常事態と言わずしてなんと言おう。
「……また熱がでそう」
落ち着いて聞けば、声も違う。
ふらふらとその場にしゃがみ込むと、顔を両手で覆った――薄い手のひらは柔らかく、滑らかだ。
フォークより重いものなど持ったことがなさそうなこの手は、毎日の作業で鍛えられたリリーの手ではない。
そんなところでも、いちいち違う体を実感する。
(なんで私がコーネリア様の姿に? それなら私の体は今どこに……)
死んではいない。なぜかその確信だけはある。
(……もしかして、コーネリア様が私になってたりする?)
天啓のように【入れ替わり】という言葉が頭を掠めた。
孤児院のマギーが好きな童話のひとつに、ある国の王子様が、自分そっくりな貧乏な男の子と服を交換して立場を取り替える話があったのを思い出す。
もちろんあれは創作の話だし、コーネリアとリリーはちっとも似ていない。だから、入れ替わったのは「中身」だけ。
とても現実的ではない。だが――。
(……貴族って魔力持ちが多かったよね)
孤児のリリーは魔力もないし魔法の知識もさっぱりだが、コーネリアが魔法を使える可能性はある。人と人が入れ替わってしまう魔法があるのかもしれない。
「確認しなきゃ……で、コーネリア様はどこにいるの?」
なにはともあれコーネリアに会って、リリーの仮説――二人が入れ替わっているかどうかを確かめなくては。
だって、リリーの背中には矢が突き刺さったのだ。コーネリアがリリーになっているとすれば、矢傷で辛いはず。
こんなにきれいな手のお嬢様は、転んだことだってないだろう。弓矢で射られたなんて、考えるだけで可哀想だ。放置なんてしていられない。
(えっと、そうすると、領主様に会えばいいのかな)
コーネリアはディランの妻になる人だ。自分がコーネリアではなく、見習い修道女のリリーであることを説明しなければならないだろう。
なんにせよ、ネグリジェではよろしくない。窓の外はどんよりしていて今が何時か分からないが、冬は日暮れが早い。とりあえず着替えなくては。
動揺しっぱなしの心としんどい体に鞭を打って動き、この部屋唯一の収納家具である木箱を開ける。
そこにはコーネリアのものだろうドレスが数枚、きちっと畳んでしまわれていた。
けれど、あの純白のファーコートは見当たらない。荷台に押し倒したし、リリーの血も付いて汚れたのだろう。
覆い被さったリリーに驚いて、目を見開いたコーネリアの顔が浮かぶ――無事だろうか。自分と同じように、混乱しているに違いない。どれだけ不安に思っているだろう。
「……あれ。毛皮の汚れって洗濯で落ちる? 弁償しろって言われたらどうしよう!」
コーネリアが心配な一方で、またも現実的な心配が頭をもたげる。
あたふたしていると、木箱の中に院長から渡されたロザリオも入っていたのを見つけた。
「あ……そういえば」
(コーネリア様がこれを見ている途中で、弓矢が飛んできて――)
このロザリオを見て言った「面白い」の先は聞けなかった。
コーネリアの首に掛けていたから、そのままここにくっついてきたのだろう。古いロザリオは貴族令嬢のアクセサリーにはとても見えないが、信仰のものだから疑問に思われずに一緒にしまわれたのかもしれない。
『お守りですよ。主と精霊の護りがありますように』
顔に大きく「心配」と書いた院長の別れ際の言葉が耳元に蘇って、ぺたりと木箱の前に座り込む。
(院長先生……)
無事に帰るという約束は果たせていない。
しかも、なぜか貴族令嬢の姿になっているし、仲の良かった妹分に敵意を向けられている。
本当に、わけが分からない。
胸がぎゅうと押しつぶされそうになったのは、まだ体に残る具合の悪さだけではなく、急に心細さが込み上げたからだ。
と、ノックがして、リリーは反射的にロザリオを箱に戻して蓋を閉じ、立ち上がる。
悪いことはしていないはずなのに、木箱を開けていることを後ろめたく感じたのは、凡庸な自分なんかが美しいコーネリアの体に入っているせいかもしれない。
「……はい」
弱々しかったが、今度は声が出た。
扉が開き、今も険しい表情のティナと共に二人の若い男性が入ってくる。
(うぅ、ティナまだ怒ってる……で、そっちは誰と誰?)
先に入ってきた黒髪の男性が、まずはリリーの目を引いた。
背がすらりと高く、濃色で立て襟の貴族服を隙なく着こなしている。人の上に立ち慣れているのだと一目見て分かる風貌だ。
初めて会うはずのその男性が、リリーを探るように見てくる。硬質なアイスブルーの瞳には温度がない。
(この人も怒ってる……でも、なんで? それに、怒っているのはコーネリア様のこと? それとも、中にいる私? やだもう、何もかも分からない!)
整った顔は彫像のように冷たくて、腰に下げた長剣にも気圧されて、リリーはそっと視線を外す。
目を動かした先にいる、もう一人にはうっすらと見覚えがあった。
(魔術団のローブ……あっ、この人って、もしかして)
明るい栗色の髪に眼鏡、ちょっと垂れた目元。ロイと一緒にいて、あのとき治癒の魔法をかけてくれた魔術団の人のような気がする。
「あの――」
「来る早々、とんだ問題を起こしてくれたな。関係のない者まで巻き込んで満足か?」
「えっ?」
なにはともあれ救助の礼を、と思ったのだが、黒髪の男性に遮られてしまった。
「と、とんだ問題?」
「とぼけるな」
(問題って、中身が入れ替わっちゃったこと? それなら私のほうが困ってるんだけど!)
入れ替わりに関しては、自分はなにもしていないと神に誓って言える。
リリーに過失があるとすれば、麗しい貴族令嬢であるコーネリアを修道院のおんぼろ荷車に乗せたことだろう。そのことなら、分不相応でわきまえがないと怒られても仕方がないが、一応緊急事態だったし本人の要望によるものだ。
(それとも、私みたいな見習い修道女のお喋りに付き合わせたこと?)
敬語は使ったが、宮廷マナーなどはさっぱりなリリーである。知らない間に無礼を働いた可能性は高い。
己を振り返って首を傾げるリリーに、黒髪の男性が立てた指を突きつけてくる。そこに殺気を感じて背中が冷える。
「王命なればこそ一旦は受け入れたが、お前のような者がフォークナーで自由に振る舞えると思うな」
「は、はあ」
よく分からないが、そもそも自分はフォークナーの領民ではないのだが。
そう言える雰囲気でもなくて、ただ呆気にとられたまま頷く。
「生きて王都に帰りたければ、この塔で大人しくしていることだ。分かったな、コーネリア・ウォリス」




