ギルベリア修道院の見習い修道女 1
新連載よろしくお願いいたします。
今日と明日は、12時/21時の2回更新です。
2023/10/26 小鳩子鈴
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冷たい北風に吹かれ、木々はすっかり葉を落としている。
冬前最後の市が開かれる日の朝。フォークナー辺境領と、ステットソン伯爵領の領地境となっている山中には、子供たちの陽気な賛美歌と元気な声が響いていた。
はしゃいでいるのは、聖ギルベリア修道院に併設されている孤児院の子供たちである。
「あっ、リリーおねえちゃん!」
納屋から荷車を出し、今日の市で売る荷を準備し始めた灰色修道服のリリーの周りに、子供たちが集まってくる。
「今日はふもとの町にいくの? ひとりで?」
「そうよ、マギー」
リリーは、スカートにまとわりつく子供たちを安心させるように笑いかけた。
「おみやげ! おみやげ!」
「もちろん。いい子でお留守番してくれたらね、コリン」
「やったあ! じゃあ、ぼく手伝うよ!」
「嬉しいな。そっちのカゴを取ってもらえる?」
ぽん、と藁色の髪を撫でると、そばかすだらけのコリンがニッと笑う。
(ふふ。かーわいい)
一緒に笑い合いながら、さて今日はどれくらい売れて何が買えるだろうかと、リリーの頭の中は忙しい。
(たくさん売れるといいけど)
集まった子供たちが手伝ってくれたおかげで、荷物の積み込みはスムーズに終わった。
最後の仕上げに、ロバのポピーに着けたつぎはぎだらけのハーネスを調節する。
(この手綱も古くなったなあ。そろそろ新しいのにしないと……うん。今日はどうしたって稼がなきゃ!)
改めて気合いを入れるとリリーは立ち上がる。
灰色のワンピースについた土埃を払っていると、背後から声を掛けられた。
「リリー、本当に一人で行くのですね」
「あっ、院長先生」
振り向くと、黒い修道服を着て杖をついた老齢の女性――聖ギルベリア修道院の院長である、シスター・エヴィ――が、心配そうな面持ちで立っていた。
優しげな面立ちの院長の顔には大きく「不安だ」と書いてある。
(そんなに心配しなくても……!)
普段、麓の市には必ず修道女二人で向かうのだが、同行予定のシスター・マライアがぎっくり腰になってしまい、リリーが一人だけで行くことになったのだ。
確かに、まだ19歳の自分はこの修道院で一番若いし見習いだしで、頼りないかもしれない。
そうはいえ、一番動けるのも自分だという自負もある。
リリーは自信たっぷりに、にっこりと微笑んでみせた。
「シスター・マライアは仕方がないけれど、ほかに誰か一緒に行ける人はいないの? シスター・ヘレンはどう?」
「行くって言ってくれたんですけど……今日の市は特に人出が多いですから、きっと忙しくなるので、その――」
「ああ……そうねえ」
老眼が進んだシスター・ヘレンは、お金を取り違えてしまうことがままある。
これまでも支払いをごまかされたり、お釣りに白銅貨ではなく銀貨を渡してしまったりといったことがあり、どれも泣き寝入りをするしかなかった。
(いや、シスター・ヘレンのせいだけじゃなく、お客さんだって悪いけど!)
世の中、信心深い人ばかりではない。賑わうがゆえにガラが悪い者も多くなりがちな市では、隙だらけの老シスターは絶好のカモだ。
そんな過去のトラブルを院長も知っている。高齢のシスターを無理に連れて行くより、身動きが取れないシスター・マライアの介助をしてくれたほうがいいのは自明で、それ以上シスター・ヘレンの同行を勧めてこなかった。
「では、シスター・アン……は風邪気味でしたね。やはり今日は私が一緒に――」
「いやいやいや! 院長先生には子供たちを見ていただかないと」
(いくら院長先生がお達者でも、この寒い峠道を荷車で往復させるなんてとんでもない!)
修道院の最古参である院長は年齢のわりに闊達だが、この夏の暑さが堪えたようで伏せることが増えた。それに最近は、杖がないと躓くことも多い。
「私は一人でも大丈夫ですよ。ほら、こんなに元気!」
両手で握りこぶしを作ってみせるが、院長の憂い顔はまだ晴れない。
「リリー、でも」
「市に行けば、ロイにも会えるから大丈夫です。あと、ティナやマックの様子も見てきますね」
彼らは、かつてこの孤児院で過ごし、今はフォークナー辺境領で自活をしている者たちだ。
孤児院にいられるのは成人となる16歳まで。
その後は自立し、多くは近くのフォークナー辺境領か、ステットソン伯爵領で働くようになる。
名前が出たロイはリリーの一歳上で、兄妹のように育った仲間だ。十五歳で孤児院を出て、今はフォークナー辺境軍の志願兵として自活している。
王都とは違い国の警備隊が常駐しない辺境領では、領地内の巡回警備もロイたちの任務のひとつで、市に行くたびに顔を合わせていた。
同じように修道院から巣立っていったティナは領主館で、マックは下町の宿屋で働いている。みんな、気のいい仲間だ。
そのことを思い出させると、院長の顔に少し明るさが戻る。
「そうだったわね、ロイたちが……」
「だから、心配いりません。そもそも一人で行くのが初めてなだけで、フォークナー辺境領までの道は慣れっこです」
リリーは修道院の古い建物を振り返って仰ぎ見た。
「今日は冬前最後の市ですから。どうしても行って、冬越しの支度をしないと」
――ここは、神の教えを広めた聖人ギルベリアにその名を由来し、大陸でも古い歴史を誇る会派の流れを汲む女子修道院である。
だが、王都や町中と違って北の辺境、しかも山中という俗世と切り離された場所にあり、戒律も厳しく、本格的な求道の場と認識されている。
険しい山道のため町の人が気軽に礼拝に通うことはできず、行儀見習いと称して貴族の令嬢が短期間だけ入るようなところでもない。
それらのことは信仰そのものには関係ない。
だが、通いの信徒も貴族の支援者もいないので寄進が集まらない。
さらに、修道会の本部から渡される運営費はごく僅か――と、くれば、お分かりだろう。
このギルベリア修道院、たいへん貧乏なのである。
聖堂をはじめ、施設はどれも年代物。
いつ崩れてもおかしくないようなありさまの修道院にいるのは、平均年齢60歳を越えるシスターたちと、ヤギとニワトリ、牛と運搬用のロバが一頭ずつ。
それと、ほかにどこにも行き場のない十数名の孤児たちである。
畑も耕しているが、そもそも山だけに斜面が多く、そこまでの耕作面積は取れない。
市は収入を得られる数少ない機会であり、そこで修道院で作った菓子や雑貨などを売ることで、どうにか食いつないでいる。
(油や干し肉をもっと貯めておかないと。子供たちに厚い毛布も買ってあげたいし……)
山道はまもなく雪に埋まり、修道院一帯は春まで孤立する。
なんとしても今日の市に行って品物を売り、春までの備えをする必要があった。
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