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めいじのヒト  作者: ながた
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最悪な現実の終わらせ方

19xx年x月x日 門川駅ニテ身投ゲス。


当時、僕は出版社で仕事をしていた。高等学校を卒業して、しばらく実家にいたものの、体裁が悪いとて父のつてを頼りに東京に本社を置く宮影出版に働きに出された。やる仕事と言えば煙草を吹かすか、部署間のやりとりを手伝うくらいしかなく、いわば雑用係なのだ。それ以外の時間は午睡とも仮眠ともいえぬ睡眠を繰り返した。8月の暑い日だというのに、お腹は空かず絶えず、つばを飲み込んでいる。ちょうど、27を数えた所でようやく呼び出しの電話がかかった。声が裏返らぬよう咳払いをした。それはまるで出陣する者のようで格好だけは仕事に熱心だったろう。「ひとつ、出てってもらいたい仕事なんだが明日から1週間空けてくれるか」と前川と名乗るお偉いさんから頼まれ、僕は「はい、わかりました。それで、内容は」と心にもない返事をしてしまった。明日からは待ち望んだパパシガレッツの新フレーバーの発売なのである。僕は今夜、明日の煙草屋の開店に間に合うよう過ごすつもりだったのだが、午後9時半、小旅行の支度を済ませスーツのまま布団にいる。だが、布団に入ってからというもの全く眠れない。遠足の前日の小学生の気分なのではない。こんな仕事を引き受けた僕を恨んでいたのだ。幼い頃から頭の中で考えている事と言動が一致しない事には気付いていた。しかし、今回もミスをした。何時間も布団に入って口実を考えていたが、何も考え出せないまま明るい空を見つけてしまった。こうなっては仕方がない、観光のつもりで、そう決めたのだ。一睡もできないまま3日分ほどの用意を持ちふらふらと家出をした。最寄りの立花駅に着き切符を買い讃海線東京行き急行列車に乗り込んだ。この電車の揺れが僕をまた眠くさせ、次は昨夜眠らなかった自分を恨んだ。20分ほどで東京駅に着いて碧北新幹線に乗り込んだ。車内で朝食と便所を済ませ、あとは1時間半の間、眠りについた。前川から言われた丹野という駅名がコールされたと同時に目を覚まし、一面緑が広がる窓外に目を奪われた。長らくコンクリートの街で過ごしていたためか、久しぶりの緑に見惚れてしまった。駅に着いてドアが開くと同時に少しの暑さと湿気を感じた。あの感覚に似ていた、実家にいた頃の寝起きの朝だ。狭い駅に流れる湿気を含んだ風に押されるように改札を出て、タクシーを拾った。「お客、どちらまで」涼しい車内で鼻下に汗を溜めるふくよかな運転手に聞かれた。僕は「法留通りの3丁目まで、急ぎめで」と早口に言った。特別急いでいたわけではないのだが、住所だけ言って終わらすのも寂しいと思い一言付け足したのだ。その場所までは10分ほどで着き、お金を支払って外に降りた。用事まで時間を持て余してしまったために、近くの公園で時間を潰していると'タバコ'という赤看板が目に入った。「お、これはでかしたぞ」と独り言を呟き、一目散に20メートルほど先の煙草屋に小走りで向かった。千切れたポスターが貼られたガラスの手動ドアを開け人のいない店内を見渡すと、年20程の少女が立っていた。「いらっしゃいませ。」スーツ姿が珍しいのか少しの間凝視しながら、漏れたような声量で迎えてくれた。「あの、25番を」少女の美しさが珍しいのか情けないような拙い口調でそう言った。「490円になります」続いて落ち着いて言った彼女に僕は「煙草は好きかい」なんとも会話下手である。「いえ、私はまだ吸えませんよ」「なるほど、まだ未成年なのか君は」「僕は今年で21になるんだ。君は」とそれからは煙草屋に似合わぬ会話をした。10分ほどしてから腕時計をちらりと見、いい頃合いだと店を出た。なにか感じが良かった。彼女に会えただけでも、鬱憤とした会社勤めより少しはマシと思えた。前川から言われたのは「少しの間丹野の貴婦人の身の回りの世話をするように」とだけだった。どうも貴婦人は宮影出版の社長のおばのようであり、「お手伝いが一人寝込んでしまったから来てちょうだい」との事らしい。「これからは毎日あの娘の所へ通おうか」そう思いながらここ一帯でも二回りほど広い家の前に来て、戸を叩いた。「宮影出版より参りました、風間靖です。」と言うと四十代程の女性が戸を開けた。「お待ちしておりました。少しの間よろしくお願いしますね。」と笑顔を作り言った。「ははあ、よろしくお願いします。」とこちらも笑顔を作った。「さぁさぁ、中に入ってください。婦人の元へ行きますよ。」という言葉に押されるがまま貴婦人の元へ行った。「み、宮影出版より参りました、風間靖です。短い間お世話させていただきます。」と簡素な挨拶をした。「あら、こんな遠くまでご苦労様です。少しの間だけれど、お世話になりますね。」と柔らかな笑顔で言った。

「こちらそこ、具体的には私は何を…」と言うと「んー、キャサリンのお散歩とか、身の回りのお世話ね。」と先ほどの笑顔を保ちそう言った。こんな事のために僕が必要だろうか、やはり人の下につき命令を受けるのは嫌な事だ。そう思いながらも「分かりました。精一杯やらせてもらいます。」と頭の引き出しから出した典型文を声に出した。その夕べ僕はキャサリンを連れて早速仕事へ向かった。指定されたルートがあったが、僕はあの煙草屋に行くために道を外れて散歩をした。5分ほど歩き赤看板が見えてくると歩幅は大きく広がった。一日に二度も訪れる人はいないであろう煙草屋に僕は足を踏み入れた。「いらっしゃいませ、あ、先程の」接客に慣れているからなのか落ち着いて僕を出迎えた。「たまたま犬の散歩で通ったものですから」とそれらしい事を言ってごまかした。「また、パパシガレッツを?」と聞かれたのでこのまま買い続けては金がなくかると考え、「いや、本当にたまたま見かけたものだから挨拶でもしておこうと思って」と軽く笑顔をつくった。「ここら辺では見ない顔だけれど、なにの用事でいらしたの?」長いまつ毛の奥に輝く瞳をこちらに向け聞いてくる。「ここらへんに別荘を買ったんだ。避暑地としてね。」と脳内と言動が一致しなくなった。「ここを避暑地とするなんて、珍しいのね。」胸奥を突かれたような返しに思わず、「はは、そうだよね。でもね僕にはちょうど良いんだ。」と無理なごまかしを続けた。そして10分ほど会話を続け、明日の晩は時間を持て余していると聞いて「食事に行こう」直球だが誘ったのだ。「ええ、ぜひお供させてください」と返事をもらい。その日は走って帰った。次の日の散歩はあの娘の所へは立ち寄らず、ルートを守って散歩を終えた。業務を終え、自由時間が始まってからジタバタと身なりを整え、7時以降開ける事が許されていない戸と反対の裏口からこっそり出て、塀をよじ登り、あの娘の所へ走って行った。赤看板の前で立つあの娘を見つけ、駆け寄る。「ずいぶん、待たせてごめんよ。それで、あんなに話してたのに名前聞いてなかった…」と言うと、「ふふ、そうね、美帆よ。あなまは?」「靖だ、風間靖。」「靖さんでいいかしら」「はい、美帆さんでいいかい」「ええ、そのように」と会話が終わると同時に歩き出した。ここ一帯は料亭はおろか、屋台さえ無い。本当にあてもなく歩き始めたのだ。それは彼女が一番知っていただろうに、何も言わないのは少し意地悪である。しかし、このまま歩いているわけにもいかないので貴婦人の家へ忍び込むことにした。家に近づくと、彼女はおもむろに足を止めた。「どうかしたのかい」そう聞くと、「ここは正枝夫人の家だわ。私行けない。」そう言った。「大丈夫さ、ここはもう僕の家になったんだ。」と返すと。「本当?なら、大丈夫なのね。」と言い再び足を進めた。裏口に着くと、「どうして、正面から入らないの?」と言われたので「玄関には番犬がいて、夜に人が来ると吠えてみんなを起こしてしまうんだ。」とごまかしたのだ。明かりのついていない台所に灯を灯し、椅子に腰掛けさせた。「軽く得意な料理を作るよ。」初めてのデートで家に連れ込むのは御法度かもしれないが、ここでは料理屋がないので仕方がない。彼女は「気長に待ってます。」と愛想良く返した。

冷蔵庫に適当にあったものを取り出し、一方では茹でてもう一方では炒めてと一人暮らしで培った力を発揮した。二十分ほどで全て出来上がり、テーブルに運んだ。彼女がお茶を注いでくれて、夫婦のようになっている二人は手を合わせた。「いただきます」声を揃え目を合わせた。やはり、彼女は美しい。

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