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「はあ!?何を言っているんだい。これは精神魔法の一種なんだ。自らかけろと意気込むやつがあるか」
「ここにあるわよ!あー……職業とか探られると身バレする可能性があるので調整できるならしてほしい」
「それくらい調整できる、けども……」
なんとなくだけど、この人が人を怖がるのは今まで隠し事をする人間ばかりに出会っているからだと思う。
やましいことがあっても隠さずに心を隠さないような友達がいたなら、自殺なんて馬鹿げたこと考えないのではないだろうか。
そんなことを自殺なんて馬鹿なことを考えている私は思う。
「意気地無しね。まずは自分を変えなければ現状なんて変わらないわよ。さあ!」
途端に覗き込んでいた瞳に紋様が現れた。
それはとても幾何学的な形をしている。異国の伝統工芸品を売る店で覗かせてもらった、万華鏡のような。
模様を型どる線が曲がり、繋がり、離れる。
それを見つめていると、まるで自分まで不定形になりそう。
気が付くと万華鏡は終了し、ただただ男性と見つめ合う構図になっていた。
今さらだが恥ずかしいので勢いよく目をそらした。
「それで、どうよ」
「お前が……予想通り楽しそうな人間のくせに、この場所に意気揚々と死にに来たというのは分かった。理解不能な思考回路すぎる。どんなテンションで来てるんだよ」
耐えきれないとでも言うように腹を抱えて笑う。
「ちょっと、人の思考に笑うのは失礼ではないかしら」
「失礼。それから、君が責務を果たそうとする真面目な人間なのも読み取れた。どうもその部分は、職業に触れるようで詳しくは読めなかったが」
「あ、ちゃんと調整してくれたんだ。ありがとう」
実のところ精神魔法は扱いが非常に難しい。
私は聖女なのでかけることはないが、解くことはある。魔法を解くのは、原理を深く知らなければできないので分かる。
その調整ができるって、どんだけ扱い上手いんだよ。
こんなに優れていることがあるなら、人なんて気にすることないんじゃない
「お前、いい人すぎると言われたことはないか」
「ないよ。だっていい人なんかじゃないもの」
「果たしてそうだらうか。俺にはそんな思考は読み取れなかった」
「ううん。私は欲深くて性根が悪い人間なんだよ」
今日だって、怪我をしている人がいるかもしれないのに逃げ出してここにいる。
私にしかできないことをちゃんとやらなければならないのに。
「悪い人は思考を覗けなんて言わない。全部見たから分かるよ」
あぁ、争っても無駄だったのだわ。
いたたまれなくてうつむいた。
それでも本当に悪い人間なんだよ、私は。
「それは、お前の責務じゃない。己が解決できることを手助けすることが、必ずしも役に立っているとは限らないからだ。だから、自分の時間をもっと大切にしても良いと思う」
この力を持って生まれてしまったからこそ、それができなかった。
もっと助けないと、って。
同じような境遇の人にそんなこと言われたら……。
鼻の奥がツーンとする。
足元が滲んで視界に入る。
「いい人すぎて、優しすぎて、生きることに疲れてしまったんだね」
そして頭に暖かくて大きなものが乗ってきた。
驚いて顔を上げると彼からこちらに腕が伸びていた。
要するに頭に手がのせられているわけで。撫でられているわけだ。
我慢しようとしていたはずの涙は関を切ったように溢れた。
「ごめん。ごめんね。あなただって辛いのに」
「撫でたいから撫でた。慰めたいから慰めた。それは他の人では思わなかっただろう。だから気にするな。これは俺が自分勝手でしていることだから」
風が変わった。
蒸し暑いものだったのが、どこか冷たさを含んだものに。
オレンジの光に、もう夕暮れであることを気づかされる。
黄昏時。
誰そ彼。
夕日と明るさの変化で、姿の見えにくい相手に対しての言葉らしい。
───貴方はいったい誰ですか。
なんて。
聞くのは野暮ね。
ネリネの花が風に揺れる。
別名は姫彼岸花らしい。
こんな崖に、彼岸花と呼ばれるそれが咲くとは皮肉なのだろうか。
薄紅の花弁が斜陽を受けて茜に染められている。
夏の終わり。そんな風が吹き抜けて、そこはかとない寂寥感に襲われた。
そろそろ夏も終わりに近い。
その風をただ二人で感じとる。
沈黙がこれほど落ち着く相手はこれが初めてだ。
「魔族と人間が仲良くなれば良いのに」
何気なく漏れた考えだった。
そうすれば、戦争なんてしなければ戦って誰かが傷つくこともない。
私の職務の一つである、戦争負傷者を治療することもしなくてすむ。
人も魔族もどっちも大切な命なのに。
「そうだな。案外戦争をしたいのは民の方なのかもしれない。国の幹部という、権力を握る輩が利益を出すための民が」
「なら、より下の民は悲惨ね。自分たちがしたいことでもないのに始まって、自分たちでは変えられない」
脳内に浮かんだのは、かつて住んでいた孤児院。それから孤児院がある貧困街。
どちらも私の故郷だ。
ろくに支援も与えてくれない国のために、命を散らさなければならないなんて。
「人の上にたつ者は、操られているだけの傀儡なのかもしれないな」
私の国の王。
あれははっきり言って無能。
家臣の言うことを鵜呑みにして、改善もせずに鵜呑みにし、実行した。
その結果、魔族との戦争が起きた。
もともと仲良くて、交易だって盛んに行われていたのに。
「なら、実際に国を治めているのは王ではなくなるわね」
「王は治めたいとも思っていないかも。王族だとかは生まれた時に定められているのであって、望んでその地位にいるとは限らない」
「……ずいぶん詳しいのね」
もしかしたら結構えらい人?
王の家臣とか、それこそ実権を握っているとか。
けれど、彼は頭を振って誤魔化すだけだった。
「そうでもないさ」
怪しい。
怪しいけど踏み込んでは駄目だ。
彼だって私の触れてほしくないところは避けてくれたのだから、私も節度を守らなければ。
「誰かに愛されてみたかった」
「そうね。私だって、私自身をちゃんと見てくれる人に好かれたかった」
みんなが慕ってくれているのは、実際のところ聖女という立場にすぎない。
聖女の力がなければ取り柄すらなくなるのだ。
「こんな世界じゃ、こんな俺じゃあ無理だけどねお前にもっと早く出会えていたら良かった。お前の近くに生まれたかった」
「ふふっ。そんなことを言われたのは初めてよ。私も、あなたに出会えていたらな」
きっと、そしたら友達になれていたかもしれないのに。
こんな世界のせい?
それともこの世界で、私たちにこんな力を授けた神様のせい?
もし、生まれ変わりなんてものがあったら、今度は普通の人に生まれてみたい。なんの取り柄がなくたっていい。
力を目的によってくる人に囲まれるのでもなくて、一人の人間として生きてみたい。
「もしもの世界を考えても無駄よね。私たちったら、さっきからたらればの話ばかりしている」
「現実逃避をしたくなって当たり前だ。俺たちはそこまで思い悩んだ。だからこそ、今ここにいる」
この世界を変えるより、自分を終わらせた方がいい。
私たちはそれに気づいてしまったから。
もう後戻りはできない。
そうだ。私は死ぬ。
けど、今じゃない。
「私、絶対死んでやるの。でも、あと一つだけやらなければならないことがあったわ」
「やらなければならないこと?」
彼はポカーンとした顔をした。
「ちゃんと責務は果たさないとね。私自身が受けた依頼があったの」
さっき言われて思い出したのだ。
まだ完了していない依頼があったことに。
半永久的に続くものはともかく依頼されている仕事は終わらせてからじゃないと。しかも、しぶしぶだけど自分が了承したものだし。
責任を果たさないとこの名前が泣くわ。
「頑張り屋だな。会って一刻も経っていないが、それでもその思考はお前らしい」
「そうかな」
「あぁ。だから、俺も頑張るよ。まだ死ねない。こんなでも流石に部下に丸投げするわけにはいかないからな」
相変わらずお互いに暗い目をしている。
けれど心の奥の芯までが破壊され切ってはいない。
「そういえば名前は?」
ここで別れようかと考えたけど、名前すら聞いていなかったことに思い至った。
「ルース。そう呼んでくれ。かつて家族だけが呼んでくれたものだ」
「分かったわ、ルース。じゃあ、私はリアと呼んで」
「分かった」
お互いに本名でないことは分かっている。ここでは本名よりもっと大切なものが欲しかったのだ。
そうして踵を返そうとしたところで、ルースの声に呼び止められる。
「最後に贈り物を」
頭に手が伸びてきた。
先ほど頭を撫でられたことを思い出してしまう。
だがしかし、今回はその大きく暖かな手が頭に乗ることはなかった。
視線を上にやるとわずかに薄紅の花弁が見える。
「ネリネの花……」
「俺たちの最後の門出を見守ってくれていた花だ。リアが責務を成し遂げられますように」
「……ありがとう」
やっぱり優しい人。
もったいないよ。もうすぐ死んでしまうなんて。
それを私が言う資格がないことも、言ってはならないことなのも既に承知している。
だからこそ笑おう。
私たちのこれからを祝福するように。
「お互い役目を果たしたなら……」
「その時はまたここで、この崖の上で会いましょう」
これは約束。
世界に優しくしてもらえなかった者たちの。
名付けるなら、そうね。
死にたがり同盟、とでもしておきましょう。
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