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着いたのは崖だった。
走って来ても半日以上かかった。
時間ももう少ししたら夕暮れだ。
「よく走ったわね私」
ものすごく疲れた。休みなしで半日走れるという、私のような根気があるならやってみてほしい。
目的がないと、こんなの絶対走り切られない。
それでも来たかったのだ。
ここは王都のはずれであり、故郷へと繋がる場所でもあり、魔族の国との境界だ。
覗き込むと下から風が吹いてきて吸い込まれそうになる。
下の方から、限りなく小さくだけど川が流れる音がする。
この川を下流まで辿ると、私の生まれ故郷である孤児院があったりする。
あの穏やかで自然が多く、優しい院長と友達と過ごした場所が。
「ここを飛び降りれば身体だけは故郷に帰られるかもしれないわね」
そんなことを呟いた。
輪廻転生があるならもう一度、あの場所で育ちたい。だけど、輪廻転生が夢物語で現実にはないことなんて知ってる。
「さあ、いざゆかん!天にある幸せの国へ」
「ちょっと待て」
「ぎゃーあ」
飛び出そうとしたところを強い力で引き戻された。
人が新天地を求めて旅立とうとしたときに、なんという邪魔をしてくれるのか。
もう一度飛ぶ前に顔くらい見ておいてやろうじゃないか。あの世で末代まで祟ってやろう。ふふっ。
「うわーお。綺麗な顔」
その人は今まで見たどんな人よりも、整ったご尊顔をしていた。
黒いローブに暗いブーツと全身真っ黒けだが、その衣装も彼の月光みたいな銀髪を引き立てているに過ぎない。
紅い目がこちらをじっと見ている。
「なに?何か用?」
「綺麗なのはお前の方だろう」
どこを見て言っているのか。
この人の目はふし穴か?
今の私はごくごく普通だよ。むしろ街にいる娘よりも地味ーーーな恰好してるよ。
「地味な女の子に対する嫌味なのかしら」
「嫌味ではない。真実、心からそう思っているよ。俺の目は特別だから」
「はぁ……」
気の抜けた返事をしてしまった。
やっぱりふし穴か。
「まあ、それは置いといて。私に何か用だった?」
「あぁ、死のうとしてたから止めた」
「偽善者」
思わずそう漏らした。
普段の私なら心の声がそのまま口に出るなんてことはないんだけど、この人見てるとつい。
事情も知らないくせに止めないで欲しい。
「偽善者といえば偽善者かもな。そこから飛び降りたら、崖が段差になっているから死ねない。そう言おうとした」
崖の下を指差される。
ベクトルが全然違った偽善かよ。
うん。よく見たら確かに段差みたいになってる。しかも、段差に木が生えていて良いクッションになりそうだ。
これは、落ちても痛いだけで終わるやつだ。もしも、落ちていたら生きながらえて痛みに耐える生活がしばらく続いたことだろう。
「本当だ。……ぷっ。ふふ」
「何がおかしい?」
「いや、だって、普通は死ぬことを止めようとするじゃん。なのに死ぬアドバイスとか、笑えるよ」
笑った。ひとしきり笑った。
笑いの沸点どうなってるのかと疑問を感じながら笑った。
こんなに笑うの何年ぶりだ。
「すごいね。死のうとしてたの分かったんだ。それも、目の力?」
「いや、お前の独り言の力だな」
「独り言、言ってた?」
彼は頷く。
なるほど、心の声とやらはかなり漏れていたようだ。そもそもだれもいないと思ってたしね。だってここ、辺鄙で他に何もない崖だもの。
「そういえば、あなたはどうしてここに?崖しかないのに」
「そうだな。その崖に用があったから」
「崖に?」
「お前と同じ理由で、ちょっと飛び降りてみようかな、と」
男性への感想としては不適切だろうが、花のようだと思った。
崖を見る横顔に影がさして、触れれば散ってしまいそうだ。
「なるほどね。何があったか聞いてもいい?」
どうせお互い死ぬなら聞いても聞かなくても不利益はないはず。
同じ日、同じ時間に、同じ場所で人生を終わらせようとしたのもきっと縁だから。どうせなら聞いてみたい。
「別に構わない。お前も事情を語るなら」
「それは良いわよ。どっちみち死ぬもの。これがリアル墓場まで持っていく、ってやつだね。じゃあ、聞かせて」
「遠慮が皆無だな。俺は、この目が原因だ」
「目って、さっき言ってた「俺の目は特別だから」ってのと関係あるの?」
「おおいにある。この色は血のような気持ち悪い色だろう……」
「そう?そうかしら?薔薇のようでとても美しいけど、そんなこと言う阿呆な奴もいるのね。それについでに髪も月のようで綺麗ね」
「いる。薔薇のようだとは初めて言われたが。色だけが忌避されるのではなく、魔力が宿っているから」
聞くところによるとこうだ。
曰く、目に高い魔力が宿っている。
曰く、自制はできるがやろうと思えばいつでも人の考えを読める。魔術や道具を使って偽っても真実の姿が見える。
曰く、自制できるにも関わらず他者からは怖がられ避けられる。思考を読まれるのは人にとってすごく怖いことなのだ。
まとめるとこの三点らしい。
「この目のせいで、これまでまともに友達ができたことはない。できたとしても、好奇の心に負けて思考を除いてみれば、下心があるか、暗殺を目論む人間しかいない」
「そんな奴こっちから願い下げだわ」
ひどい話だ。
私なら人間不信になってしまうだろう。いや、彼はなってしまったからこそ、ここにいるわけで。
「心を読まなければ、無知のままに友達でいられたかもしれないな」
話して自嘲気味に鼻で笑った。
誰か、大切だった特定の人物を思い出しているのかもしれない。
具体性と憂いを帯びた声音に胸を締め付けられるような気がした。
それと同時にお腹の中が暑くなってくる、
「本心を知らずにうわべだけで関わるならそれは友達とは呼ばないわ。こんな言い方は良くないけど……。それ以上傷つくよりマシだったのではないかしら」
「……そうかもしれない」
一呼吸おいて同意する言葉を返される。
「その出来事がきっかけで人と関係を持つのが怖くなった。どうせ仲良くなっても、と考えてしまうからだ」
「そうよね。怖くなって当然だわ」
「こんな俺が人をまとめる立場にいていい訳がないのに、ずっと現状を維持してきた。俺はもう疲れたんだ」
自然と漏れてしまったようなため息が聞こえた。
「お前は気持ち悪くないか?」
「なにが?」
「人の心を読める人間が側にいて。しかも、さっきだってうっかりとはいえ特殊な力を使ってしまったんだぞ」
「それって、事故なんでしょう?わざとではないし、自制しようとすればできないことはないのでしょう?」
「わざとなんてするわけない。さっきのもすぐに断ち切った」
「そもそも読まれてもやましいことはないから全然構わないし」
読まれて困る人間、嫌がる人間はきっと嫌だと感じる理由があるからだ。
相手に対して負の感情を持っているとか、バレたら困る悪事をしているとか、またはその全部に当てはまるとんでもない屑野郎とか。
「やましいことはない、か。みんな口ではそう言うさ」
「口だけではないことを証明しようか?」
どうせ死ぬんだ。失うものはない!
便利だなこれ。どうせ死ぬから、と先程から吹っ切れているが。
「どうやって」
「こうやってよ」
顔をグイーっと近づける。
身長が頭二つ分も足りなかったので背伸びしてやった。
顔を近づけたいというよりどちらかというと瞳の方。
「さあ、私の心を読みなさい!」
お読み下さりありがとうございます。
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