シアワセ
最近、フィリップ様が色々な女性と出かけているらしい。
公爵であるフィリップ様の妻の私が諌めなければならないけど、それを言う勇気がない。
第一フィリップ様は私を大事にしてくださっている。
そんな方に多少の噂で目くじらを立てるのも狭量な気がして余計に言い出せない。
今日だって、ほら。
「あの……フィリップ様。」
「ん? 何だい、リナリー。」
「その、えっと……他家のご婦人方やご令嬢方とお出かけするのを少し控えていただきたくて……」
すると、すっと抱き寄せられて……
「愛してるよ、リナリー。 君は私の最愛の妻なんだ。 君が心配することなんて一つもないよ。」
と、そう言われると自分が一番愛されているんだと感じて、諌める気がなくなるから。
私がフィリップ様の一番だというささやかな優越感が感じられるから。
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最近、夫が使う家のお金の金額が増えた。
多くの他家の方に贈り物をしているという噂を、使用人たちから聞いた。
夫に聞いても、自分の入り用として使っているだけだという答えしか返ってこない。
私への贈り物の頻度が増えたから、噂のようなことはないと信じたいけど……それでも。
「最近……よく贈り物をされていらっしゃるとお聞きしましたわ。」
「ただの社交だよ、問題ないさ。」
「ですが……」
「愛してるよ、リナリー。 安心して、君を裏切ったりはしないから。」
その瞬間に、不安だった気持ちが霧散してフィリップ様は大丈夫だという気持ちになった。
やっぱりフィリップ様は、学生時代から虐められて内向的な私にはもったいないお方。
たった一言で不安がなくなったけど、もう二度とあってほしくない。
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最近、あの人の外泊が増えた。
どこに泊まっているのか聞いても、機密の仕事だと言い張って教えてくれない。
でも私は知っている。
あの人に噂が出る前より、茶会や夜会に行く頻度を増やしたから色々な話を耳に挟むことが増えたのだ。
あの人は未亡人やご令嬢、果てにはご夫君が外出しているご夫人方の屋敷に入り浸って、夜な夜な情事にふけっているらしい。
所詮噂だと自分自身に言い聞かせているが、毎回毎回裏切られた気がして心がすり減っていく。
その心に比例して、あの人の外泊は多くなっていくばかり。
今日は久しぶりに朝食の席が一緒になったから、今日こそ問い詰めてみようと思う。
「……色々な方と肌を重ねてらっしゃるんですってね。」
「…………は?僕が?あっ……」
「随分動揺されているのね、図星かしら?」
「まさか、私がリナリーを裏切ったことが今までにあったかい?」
「……いいえ、ですが心配ですの。」
「私の心がリナリーから離れていくことが、かい? 大丈夫、愛してるよ、リナリー。」
そう言ってふわりと抱きしめてくれた貴方の腕の中で、私がどんな顔をしていたかを貴方は知らないでしょう?
私には貴方しかいないのよ、虐めから守ってくれていたあのときからずっと。
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今日は久しぶりにお忍びで街に行ってみようと思う。
仲のいいメイドのエマと一緒に行って、最近人気のカフェで嫌なことは忘れてしまおう。
「エマ、お忍びで人気のカフェに行ってみない?」
「リナリア様とですか? わ、嬉しいです! すぐに準備いたしますね!!」
エマは私が生家にいるときからのメイドだから、気安く喋れて安心する。
今日は愚痴も聞いてもらおうかしら?
浮気者は家に帰ってきていても、顔を合わせることがないから報告なんてしなくていいだろう。
なるべく貴族らしくない服を着て、るんるん気分で街へと繰り出す。
浮気男のせいで屋敷全体が微妙な空気になっていたから、とても心地良い開放感を感じている。
「ねぇ、エマ。 あそこのお店行ってみましょうよ!」
「リナリア様、あんまり走ると危ないですよ!!」
「やだエマったら、様なんて付けたらバレちゃうじゃない。 リアって呼んでちょうだい。」
「せめて、リア様でお願いします。」
「まあ! しょうがないわね。 あ、ほら見て、あれガラス細工のお店よ! エマに似合いそうなものを見繕ってあげるわ!!」
「あっ、お待ち下さい、リア様!!」
可愛いアクセサリーに置き物、物珍しい異国のお土産屋やおいしそうな露天の食べ物……どれもが貴族として過ごしてきた私には珍しいものだった。
たくさん買い物をして、カフェでパフェなるものを食べていたときにそれが起こった。
満面の笑みだったエマの顔が、一点を見つめて強張ったのだ。
何事かと思いそちらを見ると、そこにはフィリップ様と知らない女性が寄り添って笑い合っている姿があった。
フィリップ様が? わたくし以外の女性と……?
次の瞬間、頭の中が怒りで真っ白になった。
「―――!――――――!!―――!」
あのとき何を口走ったのかは分からないが、気づいたら傷だらけの足で自室にいた。
エマが泣きながら足を綺麗にしてくれている。
大きな怒りが通り過ぎた後は、虚しさと悲しさしか残っていない。
今まで信じていたものがガラガラと崩れ落ちていくような感覚。
もう嫌だった、何もかもが。
あんな奴のために今まで何をしていたのだろう。
慣れない社交を頑張って、自由を制限された生活を耐えて、常に気を張った動きをして……何のためだったんだろう。
こんなことなら、こんなことなら……
バンッ
「っ!?」
部屋のドアを開けて、忌々しいあの男が私に近づいてくる。
咄嗟に突き飛ばそうとして伸ばした腕を絡め取られ、数多くの女どもを何度も受け入れた胸に抱き寄せられて左の耳元で囁かれる。
「愛してるよ、リナリー。」
「あ……」
リナリアの思考が段々とぼやけてくる。
靄がかかったようで何も考えられなくなっていく。
(こんなことなら……? 私は今、何を考えていたのかしら?)
今の今まであったフィリップに対する憎悪や憤怒が、浄化されたかのようにさっぱりと消えていった。
やがてリナリアの瞳から光が消え、いつものような笑顔になる。
「……リナリー。」
「あら、フィリップ様? こんな時間に屋敷にお帰りになられるなんて、珍しいですわね。」
「ああ、久しぶりに休暇をもらってきたんだ。 今日は一日中、私とのんびりして過ごそうか。」
「まあ、それはいいですわね! 最近あまり休まれていなかったでしょうし、今日はわたくしがお茶菓子を作りますわね!!」
「それは楽しみだね。」
リナリアは小さく鼻歌を歌いながら、前にメイドたちと一緒に作った自慢のスコーンを焼く為に、厨房へと走っていった。
パタパタと小走りに遠ざかる足音を確認し、フィリップは紙の束を鞄から取り出す。
そこには、今までフィリップと噂になっていた婦人や令嬢の名前が、びっしりと書き連ねられていた。
フィリップは先程まで一緒に歩いていた女性の名前を赤線で消すと、ゆるりと口角を上げる。
彼の瞳の奥は暗く淀み、リナリアを見る時の目はどろりと甘く濁っていた。
彼が今まで会ってきたリナリアが学生時代に同級生だった女性たちは皆、何かしらの形で不幸になっていることを彼女が知ることはない。
そして新しく追加された名前は……エマ・ウィロウ。
リナリアと共にいたメイドだった。
久しぶりの投稿です!
楽しんでいただけたら幸いですm(_ _)m