延命
夕日を浴びながら、椿の花びらを齧り、私は1人ブランコを漕いでいた。
眩しさを凌いで下を向いていた私の前に、すっと誰かが近づいてくる。
「そんなの食べてちゃ汚いよ。これを食べな。」
黒く長い髪を追って見上げると、そこには血色感のない少女が立っていた。
瞳はまるで宝石のようで、まるで腕のいい人形職人が丁寧にあつらえた人形のようだった。
少女が手渡してきたそれは、花びらに砂糖がまぶしてある菓子だった。
「こんな高そうなもの、いらない。」
「そんなこと言わずにさ。ほらあの猫だって、餌を与えれば食べるだろ?人間だって食べ物を貰ったら食べればいいのさ。その権利がある。」
その子は、アリスと名乗った。
アリスは、私が菓子を食べると嬉しそうにそして満足げに去っていった。
もう、空は暗く、星たちが輝いていた。
そろそろ、起きる時間だろうか。
そんなことを考えていると、耳元で大きなあくびが聞こえた。
「ふああ〜よく寝た。今日はなんだかいい匂いがするね。」
私の肩ににちょこんと、座っている。
「フェイ、おはよう。」
フェイは幽霊だ。形態は人間ではないけれど。
確か、私が小さい頃にはこんな幽霊はいなかった気がする。
いつから、幽霊はこんなに親しみやすくなったのだろう。
フェイはふわふわとした前足で、毛並みを整えながらいった。
「ねぇねぇ!来年で18歳だよね。そろそろお願い事考えた?」
「まだ考えてないよ、願いたいことなんて何にも。」
願いなんて、ない。願っても仕方ないと思い知らされるだけ。
どんなに願ったって、夜は私を置いていってしまう。
朝日を浴びるたびに私は絶望し、途方もない時間にも絶望した。
そんなふうに、考えること自体馬鹿らしい。
飽きる理由なんてそもそもない、けれど死ぬ理由もない。
理不尽に産み落とされて、あとは生きる以外の選択肢がない。
せめて愛してほしいなんて、両親に言ったらきっと悲しい顔をするのだろう。
せめて、苦しいと泣くことができればよかったのだけれど、
泣けば消える絶望なんて私は持っていなかった。
また、朝がきた。
朝日が、私を救おうとしている。けれど私は目を細めて、拒絶するばかりだった。
昨夜、ベットに横になったはいいものの、目を閉じればアリスの顔が浮かんで、うまく眠ることができなかった。菓子を手渡してもらった時に少し触れた指先の感触が、私の手のひらにまだ残っている。触れた箇所からじんわりと温かいものが流れ込んでくる。そっと私は鼻に手を近付ける。あの子の香りがする気がした。
また私は、公園のブランコを漕いでいた。
すると、背後からひんやりとした手が私の頬に触れた。
「また、1人でこんなところにいるの?」
アリスは、冷たさに驚いた私を見てケタケタと笑いながらそういった。
なんだが、少し痩せている気がする。
私はまた会えたことへの嬉しさと恥ずかしさで言葉が出なかった。
「ねえ知ってる?誰かが言っていたんだけど、健全な肉体には健全な精神が宿るんだって。健全な肉体ってなんだろうね。足がなくても健康な人は健全?御体満足でも、肺が悪ければ不健全なのかな。そしたら精神まで不健全になっちゃうのかな。難しいね。」
アリスはそう言うとにこりと笑った。
そして私を見つめ、キスをした。
「私は、不健全だからさ。」
アリスは小さい声でそういうと、バイバイと去っていった。
そして、それからいくら待ってもアリスは来なかった。
「ねぇ!明後日で18歳だね!お願い事決まった?」
フェニはいつもと変わらないテンションで私にそう聞いてきた。
「何も決まってないよ」
「そういえば知ってる?君があの公園であっていた女の子、入院しているんだって。あのこの幽霊が一昨日伝えにきたよ。」
フェイは、いつもと変わらない調子で私にそう告げた。
「なんで早く言わなかったの、病院は、病院はどこ?」
そこからの記憶があまりない。フェイが言うには、私は大きな病院から小さな病院まで駆け回ってあの子を探したらしい。
そして、50件目の大学病院でやっとその子を見つけた。
「来てくれたんだ。嬉しいけど、ちょっと複雑。こんな姿見られたくなかったな。」
アリスは弱々しく微笑みながら私にそう呟いた。
綺麗な黒髪は短く切り揃えられ、痩せ細ったからだからは色とりどりのコードや管が繋がっていた。
「アリ・・・ス・・・」
「私ね、もうきっと死ぬの。わかっていたけど。
私が話したこと覚えてる?ねぇ、私の精神は健全だったかな。」
私は、涙で言葉が出なかった。
アリスの手を握り、アリスを感じようとした。
アリスの頬に触れ、私は言葉を選んでいた。フっとアリスの頬が緩み、こういった。
「ありがとう。」
握っていたアリスの手から、力がなくなった。機械音は変わらず鳴り響いている。
「フェイ・・・」
「はーい!なぁにかなあ!」
フェイは、いつもの調子でそう答えた。
「アリスをこの世界に呼び戻して」
「それは無理だよ、残念だったね。規約として個体数に干渉はできないんだ〜!魂に干渉するならまだしも、死ぬ人間を助けることなんてできないよ。」
フェイは、いつも通りの調子で話し続けた。今日は、私の18歳の誕生日だった。
私ははっと気がつき、フェイを見つめて頷いた。
そして病室に、抑揚のない機械音が鳴り響いた。
病院の外に出ると、朝日が私を迎えた。
そして、こんな時でも私のお腹は空腹だと鳴いている。
こんなにも、朝日は気持ちいいものだなんて知らなかった。
私は微笑んで呟いた。
「ありがとう。」
以上