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百合の短編小説

きたるべき日のためにネットで調べながらちゅーの練習をする小学五年生の話

作者: 綾加奈




 シロは家に帰ると同時にランドセルをハンマー投げのハンマーみたいに玄関に投擲して、そのままマンションの隣の部屋である私ん家まで小走りでやってきた。シロはきっとランドセルのことを武器かなにかだと勘違いしていて、日に十回近く投擲されているランドセルは表面が傷だらけで、角もベコベコ、歴戦をくぐり抜けてきた猛者みたいな姿をしているのだった。


 背後からシロママが怒る声が聞こえてきたけど、シロはそのまま私の家に逃げこんだ。


「危ないとこだった。あの鬼ババに見つかったらなんもしてないのに怒られるんだもん」

「……私、シロがなんも悪いことしてないところなんて見たことないんだけど」

「え? シロ、悪いことなんかしてないよ!」

「いや、まあ……シロからしたらそうなのかもしれないけどさ」


 うん。


 まあ『悪いこと』とまでは言わない。しかし今のランドセル投げにしてもそうだけど、シロは基本的に言動が粗野で、ものは投げるし口調は乱暴だし、生き様は適当だし、母親からしたら叱る要素しかないのはよくわかる。こないだなんて、私の家が隣だからって、お風呂あがりにタオルを巻いたままの状態で私の家にきた。あと数ヶ月で五年生になるにもかかわらずだ。


 シロにとってそれは『悪いこと』じゃないから、いくら言ってもムダなんだけど。

 今さらこんなことを気にしたところで始まらない。


「それで内緒の話ってなに?」


 玄関で履き潰していた靴を蹴散らしながら、シロが声をひそめようともせずに言う。内緒の話の意味を理解しているのだろうか? ここは私の家なんだから、声をひそめる理由もあんまりないんだけど、情緒とか雰囲気みたいなものをもっと大事にして欲しいものだと思う。


「先に部屋で待ってて。ジュースとか持ってくから。あ、手ぇちゃんと洗いなよ!」

「はーい!」


 シロに手洗いうがいをさせて、私もそれに続く。


 ジュースとお菓子の準備をして部屋に戻ると、靴下を脱いで、ベッドの上でくつろいでいるシロの姿があった。部屋の主である私ですらそこまでの速度でくつろいだことはなかった。


「それで内緒の話って?」


 部屋に戻ってくるなり、先ほどと同じ言葉でシロが聞いてくる。私がヘタに『内緒の話があるから部屋にきて』なんて言ってしまったせいで、シロの好奇心が爆発しているらしい。私だって、話したくてウズウズしてるのは確かだったから、さっさと話してしまうことにした。


「隣のクラスのミヨちゃんに彼氏ができたんだって!」

「彼氏って……あの彼氏? 恋人とか、そういう?」

「うん。そういう」


 肯定するとシロのやつは「へぇー!」と大仰な返事を寄越した。興味がない話題には『ふーん』と返してくるから、ミヨちゃんの彼氏という話題にそれなりに興味を示したらしい。


「まあ、付き合い始めたのは三ヶ月くらい前らしいんだけど」


 ふむふむとシロが頷いているのを確認してから続ける。

 この行程を省くとたまに無視して寝てたりするから始末に負えないのだった。


「それでね、昨日、ミヨちゃんが満を持して、彼氏とちゅーしたんだって!」

「へぇー! ちゅー! すごい! ドラマみたい!」


 ちゅーというセンセーショナルなワードにシロが色めきだつ。


 ついこないだまで『ちゅーなんてきったねー!』とか言ってた気がするんだけど、子どもの成長速度はずいぶんと速いらしい。いや、私もシロと同い年のはずなんだけど、シロが同い年なのに子どもっぽくて妹っぽすぎるから、つい私のほうが姉ぶってしまうのだった。


「でもね……」

「でも……?」


 私がそこで会話を区切ると、焦らされたシロがぐぐぐ……と顔を寄せてくる。


 その反応が想像以上で面白かったから、私もつい必要以上に焦らしてしまう。ぐぐぐ……と唸るシロが迫りすぎて、鼻と鼻がくっつきそうになったところで、私はそれを口にした。


「ミヨちゃん、キスがヘタだからってフラれちゃったんだって!」


 その言葉に、シロが「えー!」と大声で反応する。

 さすがのシロも恋やキスといった話題には色めき立つのかと思っていると、


「ちゅーのことキスって言うのなんか大人っぽい!」

「そこかよ」


 シロがそんなトンチキなことを言うものだから、ズッコケそうになる。確かにシロの言う通り『キス』って言葉にはなんと言うか大人っぽい、ちょっとえっちな雰囲気が漂ってるけど。


 シロと価値観が合ってしまうということは、私もまだまだ子どもの証拠かもしれない。


「大人になって彼氏を作るにはちゅーがうまくないといけないんだな」


 大変だなーなんてシロは他人事のように呟いてる。


 まあ、たまたまミヨちゃんが大人びていて、ませているだけで、私たちにはまだまだ他人事に違いないしな――そう思っていると、シロが思い立ったようにピョン! と跳びあがった。


「な、なにさ。シロ。急に興奮し始めて」


 発作か!? と私のほうまでつい過剰に反応してしまう。


「そうだ! 私もちゅーの練習しなきゃ!」

「えっ!?」


 謎の結論に至ったシロに対して、戸惑いと驚愕の声が漏れてしまう。


 ……えっ、いや、だって、なに? なんでちゅーの練習なんて必要なわけ?


 も、ももも、もしかして――


「シロ、好きな男子いるの!?」


 そんな話、私は聞いてないぞ!


 何組の男子だ! お姉ちゃん、シロに彼氏なんて認めないぞ!


 と、脳内の『シロの姉』を気取っている私が暴走する。でも、だって、シロなんて色恋とは対極に立っていると思っていたから、そんなことを言われたら驚くに決まってるじゃないか。


 私の疑問に対する反応を確かめるようにシロの顔をジッと観察する。

 しかしシロは相変わらず動物じみた顔でけろりとしていた。


「いないけど?」


 そして子犬みたいに澄んだ目で私を見つめ返しながらそう言った。


「はあ?」


 じゃあ、なんでちゅーの練習なんかするんだよという想いを『はあ?』の二文字にこめてみる。普段は察しが悪いクセに、今回はなぜか私の意図するところをすべて理解したらしい。


「鬼ババがよく『シロも大人になったら結婚するんだから淑やかにしろ』って言ってるもん」

「むぐぐ……」


 シロママがそんな古い価値観の持ち主だとは知らなかった。うちのママはバリバリのキャリア・ウーマンで、とりあえず自立した女になれと耳にタコができるくらい聞かされている。もしかしたらシロママは、シロがキャリア・ウーマンになることをすでに諦めているのかもしれなかった。だからせめて専業主婦にでもなって貰わなければ困ると、そういう話なのか。


 今の時代、専業主婦も厳しいとは思うんだけど。


 ……最悪、私がシロのことを養えばいいか。


 なんて姉を通り越して保護者になり始めた脳が妙なことを考え始めたので私は頭を振る。


「でも、ちゅーの練習なんてどうやってするつもり?」

「んー……」


 シロは小さく唸る。

 どうやら考えなしの発言だったようで安心する。


 キスの練習なんてそう簡単に行えたら、ミヨちゃんだって苦労しなかったはずだ。シロの頭でまともな練習方法なんて思いつくはずもないだろうと私は自分で用意したジュースを啜る。


 途端、シロはそうだ! となにかをひらめいた。


「アカだって、もしかしたら奇跡みたいなことが起きて、彼氏とかできたり結婚とかしたりして、将来ちゅーする可能性が少しはあるんだから、今のうちにちゅーの練習しときなよ!」

「奇跡ってお前」


 どんだけ私のことを低く見積もってるんだ。


 少なくともシロよりは彼氏だって作れる気がするし、結婚だってできる確率が高いと思う。ただ気になる相手がいないってだけで、もう少し大きくなったらウハウハだ。ウハウハ。


 と言うか今の言葉、それより大事な意味を含んでいた気がする。

 シロは今、私にも『今のうちに練習しときなよ』と言ったのか?

 つまり、それの意味するところと言えば……


「……それってもしかして……私とシロでちゅーするってこと?」

「うん。だって女子でもちゅーしてもいいなって思えるの、アカぐらいだもん」


 あっけらかんとした調子で告げられて反応に困ってしまう。


 ……えっ、なにこれ。喜べばいいの? 怒ればいいの?


 言われてみれば確かに、私もまた、べつにちゅーぐらいいいかな? って思える相手はシロくらいだった。たぶん彼女が友だちと言うより、家族に近しい存在だからだと思う。


「それで練習するの? しないの?」


 煮えきれない私の反応に痺れを切らしたように、グイグイとシロが顔を寄せてくる。

 練習すると言ったら、そのままキスでもしてきそうな雰囲気だった。

 顔が近すぎて、それが気恥ずかしかった私は、ぐッ! とシロの体を引き剥がす。


「なーんだ。アカは私とちゅーの練習したくないの?」


 ――その言葉の選び方はおかしいだろ。


 と思うけど具体的にどこがおかしいのかまでは今の私にはわからなかった。


「いや、やる。練習、するけど。ちょっと、先に……準備とか、してくる」


 なぜか心臓がうるさくて、その音のせいで声が細かく刻まれてしまう。

 鈍感なシロはそんな私の変化には一切、気づかなかったらしいけど。


「えっ? ちゅーって準備とかいるの?」

「は、歯を磨いたり! 準備体操みたいなもの!」


 そんなルールが存在するのかは知らなかったけど、今日のお昼は給食を食べてそのままだったから、ちゅーの練習をするなら、せめて軽く歯磨きぐらいはしておきたかった。


「はぁー、そっか。そうだよね。歯磨きは大事だ」


 私のトンチキ発言になぜかシロも納得したらしく、磨いてくる! と言い残して、自分の家に戻っていった。ほどなくしてシロママの怒鳴り声が聞こえてきたけど、私はそれをスルーして、いそいそと歯磨きを終えた。甘いイチゴ味の歯磨き粉が私の気をシュッと引き締める。


 五分ほどして、いたたたー……と頭を押さえながら、シロが戻ってきた。


「歯ぁ、ちゃんと磨いてきたよ!」


 にぃっ! とシロは自分の歯を見せびらかしてくる。私は歯医者さんではないから、歯を見ただけじゃ、歯磨きがどの程度行われたのかまではわからなかった。だけど無駄に歯並びがよくて白いシロの歯は清潔感が漂っていて、その中で鋭く尖った犬歯が妙に浮いていた。


 その鋭さに視線が奪われて、なぜかドギマギしてしまう。


「それじゃあ練習しよ!」


 なんでそんなにやる気に満ちあふれてるのか知らないけど、シロは私をベッドの縁に座らせて、自身もその横に並んで座った。考えなしのことだろうけど、なんとなくそれっぽい。


 少女マンガとかで見たキスシーンは、だいたいこんな感じのイメージがある。

 私たちは間近で見つめ合って、シロは照れたようにえへへーと笑う。


 私もそれにつられて、むふっ……と笑ってしまう。


 そこで少しだけ緊張が解れたのか、シロは一度真剣な顔つきをしてから、


「んちゅー」


 タコみたいに口をすぼめて、そのマヌケな唇を近づけてきた。


「ちょっ! タイム! タイムタイム!」


 なんだそれ。

 私は今から中身でも吸いあげられるのか。


 私からタイムを食らって、唇をそのままに目だけを見開くシロ。すぼんだ口と見開かれた目がいよいよもってタコみたいで、私は笑いを堪えるのに必死になる。と言うか無理だった。


「ぷっ……いや、シロ、映画とかドラマとかでちゅー見たことないの?」

「ある。あるけどひとのちゅー顔を笑うなー!」


 私が笑ったのが気にくわなかったのか、シロは珍しく「こらー!」声を荒げて怒る。

 だけど『こらー!』なんてバカみたいなことを言えてるうちは大丈夫だろう。


「いや、ちゅー顔って。そんな大層なものじゃないよ、シロのは。映画でもドラマでもいいんだけど、シロが見たちゅーって、そんな『むっちゅー』なんてして唇とがらせてた?」

「うん」

「……そっか」


 どうやらシロの脳内では、映像の中のちゅーと、先ほどの自分のちゅーは同じものだったらしい。本人がただしいと思ってなきゃ、あんなヘンな顔なんてしないかと私も納得する。


「軽くでいいんだよ、軽くで。ふぅーって、息を吐くときぐらいの唇だと思うよ」

「ふ、ふぅー? こ、こう……?」


 シロが軽く唇をすぼめて見せる。やっぱりタコ感は残ってたけど、これ以上口で説明してもシロを混乱させるだけな気もしたので、そのままちゅーの練習とやらを済ませることにした。


 ――ちゅっ。


 と、軽く唇と唇を触れさせる。

 終わり。

 それでちゅーの練習が終わった。


「えっ、終わり?」


 拍子抜けでもしたようにシロは目を白黒させていた。


「なんか、こんなもんかって感じじゃない? こんなのにウマいもヘタもないじゃん」

「確かに」


 なんかヘンだということで、今度はシロからちゅーをしてくる。先ほどよりも長く、唇と唇が重なっていたけど、まあ、それだけで、当然だけどそれ以上のなにかが起きるわけもない。


「やっぱりアカが間違ってるんだよ」

「えー」


 自分でもなんとなくそんな気はしてたけど。

 それをあらためてシロから指摘されてしまうと面白くはない。


「私が見たの、もっと長いちゅーだったし、やっぱりちゅーって吸ってた気がするもん」

「んー……? いや……あれ? そうだったかも……」


 確かに言われてみればそんな気がしてきた。こんなママが子どもにする『おやすみのちゅー』みたいな感じじゃなくて、もう少しトロッとした感じのちゅーをしていた気がする。


「アカん家、パソコンあるんだから、それで調べてみようよ」

「そうだね。せっかくだから調べてみよっか」


 わざわざ歯磨きまでしたんだから、こんなところで引きさがるのはちょっと情けない気がしたし。うちのパソコンはえっちな動画とかはフィルターがかかっていて見られないんだけど、ちゅーのやり方ぐらいなら調べられるだろう。と言うわけで、ふたりでリビングに移動する。


 さっそくグーグルさんで『ちゅー やりかた』で調べてみる。


 トップにでてきたのは『キスのやり方 テクニック 20種類まとめ』という記事だった。


「へぇー! ちゅーってこんなに種類あるんだね! 見てみようよ!」


 シロにブンブンと肩を揺られ、言われるがまま、そのリンクをクリックする。


 シロは鼻先がくっつきそうな勢いで画面を見つめてる。どんだけちゅーに興味津々なんだ、この娘は。お姉ちゃん、シロの将来がちょっぴり心配――と言うのは置いといて、それじゃあ私が画面が見えないので、シロの横に割り込んでほっぺをくっつけながら画面を見る。


「ライトキス……バードキス……スメルキス……」


 と上から順にシロがちゅーの名前を音読してゆく。


 ……鼻をくっつけたりするだけのちゅーもあるんだなー。


 なんて思っていると、5を超えたあたりから、ちょっとずつ大人の雰囲気がでてくる。


「すいんぐきす……へぇー、唇を唇で挟むんだって!」


 なるほどなーとふたりで頷きあって、どちらともなく唇を重ねた。先ほどノーマルなちゅーは経験してたから、それ自体にはさほど緊張せず、普通に普通のちゅーができた気がする。


「はむ」


 私がシロの上唇を、シロが私の下唇を挟んで、軽く食む。


 ただ触れ合わせるだけのちゅーよりもシロの唇の柔らかさが際立ってしまって、なんだかドキドキしてくる。より鮮明に、その唇のふにふに感を味わいたいという気持ちになってくる。


 シロじゃないけど、このまま唇を吸ってみたい気持ちにもなった。


 シロもまたちゅーに夢中になっているのか徐々に吐息が荒くなってきてるのがわかる。なぜか頭の奥がじわじわーっと痺れるような感じがしてきて、なんだか目の奥が熱くなってゆく。悲しいわけでも苦しいわけでもないのに、なぜか涙がこぼれそうになっている私がいた。


 そして――


「痛い痛い痛い! 唇で挟むだけだから! シロ! それ! 噛んでる!」


 ――私の下唇はシロの歯によって、思いきり噛まれたのだった。


「あ、ご、ごめん! なんか夢中になってたら、つい……」


 わざとではなかったのか、私に怒られて、シロも一気に萎縮してしまう。


「いや……でも、あのままだと、なんか戻ってこれなさそうだったし……」


 あのままシロが唇を噛んでくれなかったら、自分がなにをしていたかわからなかった。だから現実に戻ってこられたのはシロのおかげなんだけど……さすがに感謝する気にもなれない。


「戻ってくるってどこから?」


 当のシロはと言うと、相変わらずケロッとした顔で、そんなことを尋ねていた。


「……なんでもない。と言うか私の唇、血とかでてないよね? めっちゃ痛いんだけど」


 いまだにヒリヒリし続けている唇をぺろりと舐める。それは完全に無意識だったんだけど、先ほどまでその唇にシロのそれが触れてたんだと思うと、途端に心臓が大きく跳ねた。


 舌は唇とはまた別の感じがしたから。


「さすがにでてないって。そこまで強く噛んだわけじゃないし!」


 なのにシロは私の気なんて知らないでケロリとしているから少しだけ腹が立つ。


「シロは強く噛んだ気してなくても、私はメチャクチャ痛かったから!」


 それともそれは、唇に意識とか神経が集中してたから痛みも強く感じただけなのかもしれないけど。私の剣幕にさすがのシロも素直に謝ってきたので、次のキスを調べることにする。


「ピクニックキスだって!」


 その華やかで子どもっぽい響きにシロが色めき立つ。先ほどのシュンとした雰囲気は一瞬で消え去っていた。どうしてこの娘はこんなに楽しそうにちゅーを調べてるんだろう。


 でもなんだ、ピクニックキスって。サンドウィッチでも食べるのか。


「サンドウィッチでも食べるのかなー」

「………………そんなわけないじゃん」


 図らずもシロと同じことを考えていたことが恥ずかしくて、つれない返事をしてしまう。

 シロはシロで、そりゃそうだよねとひとりで納得しながら、その内容を音読し始めた。


「舌をだして、唇ではなく、舌と舌だけを触れ合わせる」


 えっ! と私とシロの驚きの声が重なる。


「えー! 舌と舌って! ばっちぃでしょ」


 ばっちぃばっちぃ、うへーとシロはなぜか舌をだす。そんなにばっちぃを連呼されると、私の舌が汚いと言われているみたいで、なんだか釈然としなかったけど言いたいことはわかる。


 つい先ほど、唇と舌は別だと感じたばかりだったからなおさらだ。


 ――さすがにやめる?


 と言いかけた私だったけど、先にシロのほうが口を開いた。


「まあでも、アカならいっか」


 そう軽々と宣言すると、シロは、んべー! と舌を前へと突きだす。


 ……シロ、舌なげー。


 伸ばしたら舌先が鼻につきそうになるほど長いのは知ってたけど、こうしてあらためて見てみると、圧巻というかなんと言うか、妙に意識してしま――って、そうじゃなくて!


「ここまでやるの……?」

「えー? だって、ちゅーの練習なんだから、やれるとこまでやりたいじゃん」


 アカがイヤならいいけどさ。

 と、シロはあくまで何気ない調子で告げる。


 そのシロの雰囲気が、私にはなぜか『大人の余裕』みたいに感じられて、少しだけイライラした。いや、それが『大人の余裕』なんかじゃなくて、『なにも考えてない子ども』のそれだってことは私にだってわかってはいるんだけど。まあ、だからこそ、私が断ったら、この女は別の子とちゅーの練習を始めるんじゃないかという不安もあった。シロは子どもだし、考えることとかが苦手だから。いや、べつに、こんなの別の子と勝手に練習すればいいんじゃないの? とは思うんだけど、おバカなシロに付き合わされる子が、あまりにも可哀想だったし。


「ま、まあ、シロがどうしてもって言うならいいけど」


 だから仕方なく私がシロに付き合ってあげることにした。

「ほんとー!? やったー! そしたら、はい。んべー!」


 なぜかシロは異様に喜びながら、シロは先ほどと同じように舌を披露する。そこまで喜ばれると、そこに深い意味などないとわかっていても、私まで喜んでしまいそうになる。


 ……まあ、うん。練習するなら、一番仲良しの幼なじみがいいに決まってるよね。


 ツンとした舌の先端が部屋の灯りを浴びて、ぬらぬらとナメクジみたいに光っている。さすがにこれは、唇同士を触れ合わせるのとは比較にならないくらいの勇気が必要だった。


 その証拠に私の心臓はオバケ屋敷に入る直前みたいにドキドキしていた。


 ……こんなのマジマジと見るもんじゃないって。


 観察なんてするから恐くなってくるんだと、私は目をつむってシロの舌先を舐めた。


「ひふっ……!」


 舌が触れた瞬間、シロがこれまで見せたことのない反応をしてくる。生温い吐息が舌に触れた私は驚いて目を開けてしまうけど、シロは相変わらず目をつむって、私に身を委ねていた。


 ……な、なんだ、これ。


 なんでシロ相手にこんなにドキドキしてるんだ。

 ドキドキしすぎて心臓が口から飛びだしてしまいそうだった。

 こんなの、オバケ屋敷のときも、学芸会のときも、なったりはしなかったのに。

 自分たちが今、もの凄く悪いことをしているんじゃないかっていう気がしてきてしまう。


 ……で、でも、練習なんだから、ここで怯んでちゃダメだよね。


 練習ですらこんなに緊張しているのだ。


 これが本番ならこんなのとは比較にならないくらいドキドキするに違いない。だからこそミヨちゃんはちゅーに失敗して彼氏に嫌われてしまったのかもしれない。なんとなく世界の真理のようなものに近づいた気がする。だからこそ、この練習で退くわけにはいかなくなった。


 再び舌と舌を触れ合わせると、背骨に勢いよく電撃が走ったみたいに、腰が震えそうになった。初めての感覚に体が恐くなってきて、シロの体をギュッと抱きしめたくなってくる。


 その感覚をグッと堪えて、シロの舌をぺろぺろする。


 だけど舐めようとすればするほど妙な力が入ってぎこちなくなってしまう。思うように舌を動かせずにまどろっこしく思っていると、シロも私の舌に応えるように舌を動かし始めた。


 互いの舌が、互いの舌先をぐるぐると舐め合う。互いの舌が新しい場所に触れるたび、腰へと送られる電気が増えたり減ったりして、それがどうにももどかしくて苦しくて切ない。


「はあ……ちゅっ……んん――」


 夢中になるあまり、シロの吐息がどんどん荒くなってくる。生温い吐息が舌や唇に触れるたび、頭に麻酔でも打たれているみたいに、思考というものが溶けていく感じがした。


 唾液が舌先を伝って、唇へと落ちてゆく。


 普段なら涎を垂らすなんて絶対に許せないのに、今はもう自分がどれだけ汚れようと気にならなかった。いや、むしろ私の体全体がシロの唾液で汚れてしまえばいいのにとすら思う。


「あかぁ……」


 シロがやけに蕩けた声で私の名前を呼ぶ。


 それだけで頭に注がれていた麻酔の量が増えて、ドクンッ! と頭の芯が震えた。シロも私と同じ感覚を味わっているのかはわからないけど、私たちはどちらともなく唇をくっつけた。


 そのまま唇の隙間に舌を差しこみ、互いの口の中を舐め合う。


 ――いたっ。


 敏感になっていた舌先がシロの八重歯に刺さってビックリする。だけどそのチクチクとした痛みが今まで軟体みたいな舌を相手にしていた身からすると面白くて心地よかった。


 そのまましばらく夢中になってシロの八重歯を舐める。


 シロも負けじと私の口の中に舌を差し入れてくる。その長い舌が歯の隙間を抜けて、上顎をざらざらと撫でる。普段、他人に触られることなんて絶対にない場所だから、こそばゆくて堪らない。敏感すぎて、直接、頭の内側を舐められているような不可解な感覚が襲う。足の裏が床から離れているような心地がして、その浮遊感をどうにかしたくて、私はシロの服の裾をギュッと握る。本当は彼女の手を握りたかったけど、それは小さなプライドが許さなかった。


 うまく呼吸ができなくて息苦しくなってくる。

 息の荒さ的に、シロも同じ状況であるはずだ。


 口を離せばこの息苦しさからも解消されるはずなのに、まるで私たちは互いの口を介してしか呼吸ができないとでも言うように、夢中になって相手の唇とその中身を貪っていた。


「ひ……ほぉ……」


 なぜか名前を呼ばずにはいられなくなってシロの名前を囁く。拍子にぬるりと舌先が滑ってしまい、八重歯の隣の空洞を舐めてしまう。そう言えば、最近、歯が抜けたばかりだとシロは言っていた。ぼこりと穴のようになった歯茎の部分に、舌先がすっぽりと収まった。


「ふっ……んぅ……やっ……」


 肩をビクンと震わせながら、シロは悶えるように身動ぎをする。


 ――そう言えば抜けたばっかりの部分って自分で舐めててもくすぐったいもんね。


 そうは思うものの、シロの反応が可愛かったせいで、私はそこばかり舐めてしまう。シロも負けじと私の歯茎や上顎を舐めようとするけど、私にせめられているせいで思うように舌を動かせないらしい。先ほどまで、なかばされるがままだったから、私は一気に攻勢に転じた。


「んぅ……」


 シロが私の背中に手を回し、なにかを堪えるように、ギュッと体を抱きしめてきた。

 そのままシロは私に体を押しつけるようにして、びくっ……と何度か震えた。


 ……やっぱり体が震えそうになるんだなぁ。


 と他人事のように思っていると、シロはそのままずるずると崩れ落ちてしまった。


「……勝った」


 思わずそう呟いてから、そうじゃないだろと気づく。


 シロは普段なら絶対にしないような女の子座りをして、恨めしげな目で私を見あげていた。その目は涙が爆発する直前みたいに潤みまくっていて、だらしなく開いた口からは唾液が垂れている。私が掴んだせいか、抱きついたせいか、衣服の裾がグチャグチャになっていた。


 ――なんだこれ。


 先ほどとはまた違うドキドキが私を襲っていた。

 ちらりと覗く白い脇腹に視線が吸い寄せられる。


 今なら好きなだけ息ができるはずなのに、なぜか先ほどよりも息苦しさを感じていた。


「ちょ……シロ、口、拭きなよ」


 このままじゃいけないと思って、シロにティッシュを手渡しながら、服の裾を直してやる。彼女はティッシュを受け取る気力もないのか、赤ちゃんみたいに私にされるがままだった。


 ――ああ、どうしよ。


 いまだに心臓がドキドキしていて、燃料を与えすぎた列車みたいに、私の中のなにかが暴走していた。この感覚をどうにか解消したいんだけど、その手段がわからない。いや、私が今、一番やりたいことはわかってるんだけど、こんな顔をしたシロに、そんなことできるわけもない。そうやって、私がなんとか自制していると、シロがガバッ! と動物みたいに跳ねた。


 と言うか立ちあがった。


「私……帰る」

「え、あ、ちょ」


 そのまま踵を返すと、シロは小走りで玄関へと向かった。私から逃げるような機敏さだったから、私が立ちあがったのは、ドアが閉まる音が聞こえてきたタイミングだった。


「……さ、さすがにやりすぎたかな」


 自分の想いに振り回されるあまり、シロのことをなにも考えてなかった。


 ……シロ、泣いてたし。


 でもシロが泣いてしまった理由がいまいちわからない。歯を失ったばかりの部分を舐められて、泣いちゃうほど痛かったのだろうか。それとも、それとはまた別の理由なのか。


 私がわけもなく泣いてしまいそうだったように。

 シロも私と似たような感覚に襲われてたのかもしれない。

 でも、だからって、『この涙』の理由がわかるわけではなかった。

 私は自分が泣きそうになっていた理由すら満足に把握できてないのだから。


 私が悶々と思い悩んでいると、玄関のドアが再び開く音がした。ママが帰ってくるには早すぎると怪しんでいると、軽い足音がトタタタ――とリビングに迫ってくる。何事かとそちらを見やると、先ほどでていったばかりのシロが、なぜか戻ってきていた。例の涙はとまっていたけど、依然としてその目は潤んでいて、なにを思ってかその顔はまっ赤に染まっていた。


 その顔を見てると、鼻のてっぺんが熱くなってくる気がして、頬がふにゃふにゃしてきて、むず痒くなってくる。だから私はシロの顔をまっすぐ見れなくて、シロの足元を注視する。シロはシロで、普段以上に落ち着きがなくて、地団駄でも踏むように足踏みを繰り返していた。そして彼女にしては珍しく、余裕のない声音を振り絞るようにして、こう叫んだのだった。


「ほ、他の子と練習したらダメだから! アカはまた私とちゅーの練習するんだからね!」


 言いたいことを言い終えると、また踵を返して私の家から逃げていった。


「……な、なんだったんだ」


 あんな顔で帰って、シロママに心配されないだろうか。


 そうは思うものの、私も頭がボーッとしていたから、考えるのはもうやめることにした。どうやらちゅーの練習は続くらしいから、難しいことは別の機会に考えればいいはずだ。


 私は私で、自分を、この『怪しい熱』の対処方法を見つけださないといけない。

 そうしないと私はもう、シロの顔を直視できない気がしたから。


 ――ちゅーってこんなに難しいんだ。


 私たちはきっとあまりにもちゅーがヘタクソだった。


 ヘタクソなちゅーをすれば、こんなふうに身も心もグチャグチャになってしまう。もしかしたら隣のクラスのミヨちゃんも、こんな感じになって、フラれてしまったのかもしれない。それは困る。だから私たちは練習をして、この体をちゅーに慣らしていかないといけないのだ。


 きたるべき本番のちゅーに向けて。

 私たちの練習はまだまだ始まったばかりだった。





 いつも評価やブックマークありがとうございます。

 作者の綾加奈です。


 この短編はpixivで開催されていた『百合文芸』の再録になります。

 他の小学生百合についてはKindleで配信されている『モカチーノ 小学生百合短編集』という書籍で読むことができますので、今作が気に入った方はそちらも覗いてくださると嬉しいです。

 今作の続編である『ヘタクソな私たちは今日もキスの練習をする。』という作品も載っています。


 下にある表紙画像をクリックすると詳細ページに飛べます。


 それから『私は君を描きたい』という高校生百合の長編小説をなろうで連載しています。

 こちらもラブコメ百合です。

 今、物語が佳境に入ったところなので、導入だけでも覗いていってくださると嬉しいです。


 綾加奈でした。


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『モカチーノ 小学生百合短編集』で他の短編も読めます!

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― 新着の感想 ―
[良い点] 直接的な表現を使わずお互いへの想いを表現できている所が良いです。 状況描写も分かりやすく、心情も上手く描写されているのが良いですね。 [一言] 文章力も表現力も高く、実力のある方だと思…
[一言] 最初は可愛らしいな〜って読んでたんですがだんだんコラー!あんたら小学生だろ〜っ快楽覚えるのまだ早いぞ!てなったw
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