case.1 歪んだ愛と呪いの欠片⑦
「みなさん、ちょっといいですか?」
美咲の声に全員の視線が集まる。
それを見計らい、安藤が心の中で推理を告げ、読み取った美咲が述べる。
「私なりに今回のことを考察してみたんですけど、聞いてみてくれますか?」
「悪いな、美咲。いまはふざけてる場合じゃ、」
「ふざけてないですよ!」
声を荒げて、その場の雰囲気を無理やり掌握した美咲。
体育教師も舌を巻くほど圧倒を見せる美咲。
「まず事件のおさらいです。今回の女子生徒はこの音楽室で殺害されていました。両手両足を縄跳びで縛られ、口にはガムテーブ。ならおかしな点がいくつもありますよね?」
安藤の思考を読み取り、容疑者に向かってる3本の指を立てる。
「まずここは完全防音の教室です。口を塞ぐ必要はないですよ。この学校に通う人なら誰でも知ってます」
「じゃあ、学校の外の人が犯人ってこと?」
「いえいえ、まだおかしな点をあげているだけですので。次におかしいのは凶器が不明な点。確かになくなっているのに刃物や毒物の可能性がないんですよ。首には締め付けられたような痕もないので絞殺もない。だとすれば凶器はどこに消えたのでしょう?」
美咲の声に引き込まれるように全員の目が向く。
ある種のお芝居でも疲労しているかのように、心地よい声で周囲を捕まえる。
「あとはこの学校では特定人物でしかありえないものが、この場に存在していることです。ねぇ?結城先生?」
指を、向けられたのは科学教師だった。
「ーーー答え合わせをしましょうか」
安藤は容疑者の反応をうかがっていた。
残念なことにこういった場面に出くわすのは初めてではない。むしろ美咲に目をつけられるようになった原因が、その事件だったのだから。
「まずは1つずつ紐解いていきましょうか。大前提として、音楽室に最初にいた人はどなたですか?」
「私よ」
手を挙げたのは宇佐美だった。
「順に来た人を教えてください」
「真綾、倉持先生、結城先生だけど」
「では、どうして人が倒れているのに教室に入らなかったんですか?宇佐美さんは忘れ物を取りに行ったと聞いたのですが」
「だって、入ろうとした教室に人が倒れてたらびっくりしちゃって」
「ということは、それまで現場は誰も開けてなかったんですよね?」
確定された事項を頭に落とし込む。
推理とは橋渡しに似ている。
事件発覚から解決までの溝を、証拠と言う橋を架けて渡っていく。
慎重に正しい板を並べなければ、穴が開き、綻びそして落ちる。たった1つのミスが文字通り命取りになる。
「次に冷房いじった人います?」
美咲の質問に対し、首を傾げる一同。
当の美咲本人も自分自身に疑問符を向けている。
だが、この質問で安藤の欲しかった情報の9割は手に入った。
「では鍵が掛かっていないにも関わらず、誰も入っていない。これは犯人にとっても誤算だったんですよ。それが図らずも自分の首を絞めるとは知らずに」
再度、指を立てる美咲に視線が集まる。
「犯人が密室にしたかったこと、消えた凶器。これは繋がっているんですよ」
「何だ?毒ガスでも使ったってのか?」
「だからそれはありえません。毒を吸い込んだ際の反応も見られませんでしたし。だとしたら考えられる死因はおそらくーーー窒息死です」
「はっ!教室内で窒息死だって!?笑わせてくれる」
疑いを掛けられた結城先生も声を荒げて、嘲笑う。
美咲も安藤の思考を読み取りながら、若干不安そうな顔になる。
(美咲さん、バトンタッチだ)
「ここからは僕が解説しますよ」
「安藤、お前もか」
「先生、さっき美咲さんがどうして冷房の話をしたと思います?」
「分かるわけないだろ」
「もし、あそこで適当な言い訳をされたら、お手上げでした。今も含め『分からない』という単語が出てきたことは救いでしたよ。だって、今回の事件で使われたのは、あなたが授業で使ってたものなんですから」
そう。
この犯行は教師にしか思い付かない犯行だっただろう。
見えない凶器が呼吸を阻害し、死へと至らせた。
「教室から微かに感じた冷気。それは『ドライアイス』によるものだ」
(ドライアイス?)
事件の概要を読み取っていた美咲だが、安藤の思考は異常だった。
「ドライアイスは知っての通り、二酸化炭素の凝固体。そのままで煙が出て気体になっていく。床に伏せた状態であれば、間違いなく窒息死する。問題は伏せた状態の維持。縄跳びで縛った程度では簡単に逃げられてしまう。だとすればギリギリ動けなくするしかない。それこそ押さえておくとかな。それにドライアイスなんて持ち歩けば、煙が廊下に出て、誰かしらに見つかる。なら見えないように密閉して持ち運ぶ」
安藤は強引に結城の手を掴み、軍手を外させる。
そこには火傷のあとがあった。
「ドライアイスによる低温火傷の症状。いくら持ち運びに気を使ったとしても取り上げる際には触れる必要がある。そのときに負ってしまった火傷を隠すための軍手。違いますか?」
「ち、ちが」
安藤は気持ちの揺らぎを見逃さず、
「《さぁ答えてください》」
すかざず言葉に力を込める。
「こ、これは掃除のために」
「この学園は清掃専門の業者が入ります。その言い訳はできません」
「ドライアイスを運べたのは」
「倉持先生はジャージ、坂本さんは制服だ。隠せたとしてもほぼ直に触れて火傷を受けるにはリスクが高すぎません?」
悉くを論破していく安藤にとうとう観念した結城が膝をつく。たかが学生と侮っていた結城は、
「私がやりました」
安藤は美咲のほうを見ると、彼女も頷く。
(心を読む彼女のお墨付きならこれにて一件落着。あとは)
「倉持先生、結城先生をお願いします。警察もそろそろ来るでしょうし」
「は?事情聴取があるだろうから残らないとダメなんじゃないのか?」
「あくまで任意ですから」
「そうはいかんのだよ少年」
「げっ、」
あからさまに嫌な顔をしながら逃げようとする安藤の首根っこを掴むスーツに身を包んだ女性。
彼女は棒付きの飴をコロコロと転がし、
「まぁたお前か少年」
「僕だって好きで巻き込まれてるわけじゃないんですよ。瀬名さんだって暇なんですか?」
「はは、アラサー目前の女性に向かって憎たらしいわね。で?どうせ解決してるんでしょ」
慣れた様子で会話を進める安藤と瀬名の雰囲気に押され、周りが油断した瞬間、結城が拘束を解き脱走を謀る。
だが。
「バカだな」
安藤の溜め息が漏れる。
結城の逃走経路には瀬名が立ち塞がった。
腕力でなら勝てるであろうと殴りかかった彼の視界が勢いよく下に落ちる。
「は?」
「瀬名さんは警視庁捜査一課の武闘派。素人が手を出していい相手じゃないんだよ」
「おいコラ、どさくさに紛れて帰ろうとすんな!参考人としてつれてくぞ」
理解が追い付いていない結城を尻目に帰宅しようとする安藤を逃がすまいと口で制する瀬名。
有無を言わさず借りてきた猫のようにトボトボと踵を返す。
他の警官に手錠を嵌められて連行されていく結城を見送りながら、安藤も瀬名のスポーツカーに乗り込む。警察でパトカーに乗らずに自車に乗っている時点で彼女の持っている権力の大きさが伺えるというものだ。
「あの~私も参考人として乗っても?」
「あなたは?」
「美咲翼といいます。事件を安藤さんと一緒に見てたので参考人としては適任かと」
「ふーん」
瀬名は安藤と美咲を交互に見比べ、
「なるほど。少年にも春が来たか」
「言っときますけど、そういうのじゃないですから」
「そうです!私達はパートナーです!そんな柔な関係じゃありません!」
「想像以上に飛躍してたわ。アラサー独身には眩しすぎるぜ。まぁいいわ。瀬名真純よ。乗って」