第六話 祐筆現る
「さて、これからどうしようか・・・。まずは二度寝しても良いが・・・」
まだ眠気から少し束縛されていたので、まずは改めて寝床につくことにした。
しかし改めて寝床につくと、色々考えてしまい中々寝付けなかったりするものだ。
「ええと・・・今は確か閏月があって・・・それから・・・」
季節は春で既にどこも田植えが終わりつつあるのだが、正確に何月かまでかは解らない。
「大体四月の終わりぐらいだろう・・・。いや、既に五月か・・・?」
この時代は小氷河期に入り、全体的に平均気温が低い。
ヨーロッパではライン河が凍るほどだ。
考えれば考えるほどキリが無い。
一応、ゲーム世界らしいが、それを確認できる術があるとすれば「三国志オマージュ人物の登用権」とやらだけだろう。
「若・・・。そろそろ・・・」
「ああ、既に起きている。すぐに参るから皆を評定に集めさせよ」
爺の嵩兵衛が起こしにきたので、義志は目を擦りながら布団から出た。
と、同時にあることを思い出した。
「関羽って商売の神様の扱いも受けているから、財務を任せても良いのかな・・・?」
さて、大広間に向かうと既に皆が座して待っていた。
昨日まで半裸の褌姿であった甘寧太郎、董襲左衛門、陳武右衛門も正装している。
「わ・・・お館様。瓚大夫、申し上げたき儀がございます」
「うむ。申してみよ」
嵩兵衛と瓚大夫は未だに「お館様」と呼ぶのが不慣れであるらしく、正式な評定の場なので、言い直した。
「それでは・・・。先日、洛陽から賢人がこの地に立ち寄っているとのこと」
「何? 洛陽?」
義志は一瞬「中国からわざわざ?」と思ったが、すぐに「ああ、京のことか」と思い直した。
「上洛」という言葉は京を洛陽に見立てていたことを思い出したからだ。
「・・・で、瓚大夫よ。その賢人とは?」
「玄蕃允殿にございます」
「・・・ふむ」
「洛陽が乱れたので、ここまでいらっしゃったのでしょう」
瓚大夫によると玄蕃允を名乗る人物は、最近まで公家の家庭教師をしていた書博士らしい。
これが三国志系のオマージュとすると、下の名前が玄の者であろうか?
「よし! 会ってみよう! 丁度、書に明るい者が必要だったからな」
「はっ!」
「右筆もいないのでは、この先が思いやられるしな」
場内は笑い声で包まれたが、実際は笑い事ではすまされない。
右筆の存在は無くてはならない存在だからだ。
「鄭玄蕃允康成にございまする」
「うむ」
一時ほどしてから、初老の気品溢れる人物が登城してきた。
義志は「鄭玄だったか」と心の中で呟いた。
しかし、字が康成ゆえに「やすなり」とは、なんと普通の日本人の名前っぽいのだろう。
「鄭先生。何故、わざわざ常陸の国まで下向なさったのですか?」
「筑波にて庵をこしらえ、そこで余生を過ごすつもりだからです」
「・・・ほう?」
「東下野守殿の歌に感銘を受けましてな。富士も確かに見事ですが、私は筑波の景色が気に入りました」
東下野守とは東常縁のことである。
美濃から下向して関東を転戦した人物だ。
原胤房や馬加康胤を討ち取るなど活躍をしている。
「鄭先生。その若さで庵を構えるとは余りにも惜しい。私にご教授して下さらんか」
「・・・しかし」
「書が出来る者はおりますが、書ければ良いというものではありません。故に先生には右筆になって頂きたい」
「・・・ううむ」
「私はまだ幼く、武の指南役はおりますが文の指南役がおりませぬ。どうか何卒・・・」
「そこまでおっしゃられたら致し方ありませんな。不肖の身ですが老骨に鞭を打つことにしましょう」
「おお!」
「加えて私の弟子もお願いしたいのですが・・・」
「構いませぬ。先生のお弟子であれば間違いありませんからな」
玄蕃允が呼ぶと、弟子であろう品の良さそうな若者が静かに広間に入ってきた。
そして深々と頭を下げると同時に名乗りをあげた。
「鄭先生の門下、崔琰之進季珪にございます」
「・・・ん」
義志は「崔琰か・・・。また微妙な・・・」と頭の中で呟いた。
鄭玄も崔琰も三国志通からしたらメジャーかもしれないが、全体的に見ればドマイナーな分類に入る。
それでも双方ともに優秀であることには違いないだろう。
マスクではあるが、パラメータが存在している以上、その疑いはない。
「近くに良い禅寺はないだろうか・・・」
義志は崔琰之進に寺子屋の講師をさせ、少しでも領内の識字率を上げようと思った。
まずは「隗より始めよ」という訳だ。
ただ、昨今の小貝川の氾濫や村同士のいざこざで、良い講堂がある寺は皆無に等しい。
一番の古刹は大円寺で、時代は推古天皇の時代まで遡るが、宗派は曹洞宗である。
途中で改宗されたのだろうが、義志は特に気にも止めなかった。
「まずは龍光院で良いだろう。その後、新たに高僧を招いて開山させても良いしな・・・」
龍光院は現在では廃寺となっている所だ。
廃寺になったのは明治の頃なので、詳しいことはほとんど解っていない。
だが、この世界では存在するし、一番広い講堂を持つのが龍光院というだけだ。
ただ開山させるにしても、まずは金がなければどうしようもない。
なので、ここはまず布川城を落とし、街道筋を確保しなければいつまでもジリ貧だろう。
更に他にも湿地帯が多いこの地では大規模な干拓事業が必要だ。
人口を増やすにも、まず供給出来る食料を増産する必要がある。
その為には湿地帯を改良し、田畝を増やすしかないのだ。
ただ一番の問題は全体的に水嵩が高く、田畝にするにはかなりの苦労が必要である。
この辺の水嵩が低くなったのは、浅間山の天明三年の大噴火により火山灰が降り注いだ以降だ。
「この地は特に特産品と目されるものもない・・・。故に簗田に従属しなければ無理だったのだろう・・・」
義志は下総相馬氏が没落していった理由を理解していた
それは内紛で低下したのもあるが、この特筆すべき何もない場所だからだろう。
「だが、俺には他の大名には無い利点がある。まずはここで勢力を肥大化させ、佐竹までも屈服させた上で北条と向き合えるほどになれば・・・」
机の前に座りそんなことを考え込んでいると、不意に後ろから声をかけてきた者がいた。
新参者の兄弟の兄である夏侯惇一郎だ。
「お館様。何を考えていたので?」
「うむ。布川の攻略もそうだが、沼や湿地帯をどう田畝に変えようかと考えていた所よ」
「それならば拙者に良い適任者がおります」
「ほう?」
「浩之進という庄屋の次男坊です」
「その者が何故、適任なのだ?」
「はい。庄屋の後を継ぐ長男の玄左衛門は、ただの馬鹿正直の頑固な働き者ですが、次男坊は武勇もあるだけでなく、干拓にも詳しいのです」
「そりゃまた何故?」
「ちょいと前に家出同然に飛び出し、諸国を廻って文武に励んでいたとか。先日、親父が病死したので、慌てて帰ってきたてな具合です」
「そうか。庄屋の次男坊であれば私に仕えても問題あるまい。早速、浩之進を連れて参れ」
惇一郎によって付き添われてきた若者の名は、韓浩之進元嗣という者であった。
当然ながらモデルは韓浩である。
政治軍事ともに活躍し、屯田を推進させ曹操に賞賛された韓浩がモデルと解った義志は、当然喜んで迎い入れたのであった。