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Bチームの練習に顔を見せた高鳥は、そのまま資定にボールの投げ方を教えていた。まるで少年野球の一幕であった。
「あの素人、高鳥監督に指導受けとる。ええなぁ」
周りからそんな声が漏れていた。ブルペンで高鳥と資定がキャッチボールしている。その姿を羨む部員たちの中で、一人の1年生がぽつりと呟いた。
「あほどもめ、あの素人の圧倒的な素質がわかんねえのか」
「おいっ、伊賀崎! 何をぶつくさ言うてんねん。いくぞお!」
中川コーチが伊賀崎を一喝し、意地悪なくらい高いライナーを打った。伊賀崎は身体を懸命に伸ばしたジャンプでその打球を抑えた。
「ふんっ、さすがやな。伊賀崎、お前はAチームからお呼びや。明日からあっちで暴れてこい」
伊賀崎が嬉しそうに拳を握る。ついにAチームだ。
「はいっ、ありがとうございます!」
伊賀崎は練習後、荷物をまとめていた。明日の朝練からAチームだ。その高揚感を荷物とともにバッグに詰めながら、振り返ってブルペンを見た。ブルペンでは、野球教室のような基礎練習がまだマンツーマンで行われている。高鳥は資定に手取り足取り野球の基本を教え込んでいた。
やはり、高鳥監督はちゃうな。伊賀崎は改めて高鳥に敬意を払い、指導を受けている先輩の姿を目に焼きつけた。あの人もいずれAチームに上がってくるやろ。大伴さんか。ありゃ怪物や。それに……あの動き……おそらくは上忍や。
おもろくなりそうやな。
高鳥はAチームの指導後、日課としてBチームのグラウンドに姿を見せるようになっていた。小学校から教えなくとも、素質、肉体、頭脳、そして素直な心があれば、短期間で飛躍的に実力は伸びる。野球に限ったことではない。勉強でも仕事でも同じことだ。
何人ものプロ野球選手を輩出してきた高鳥にとって、大伴資定というダイヤの原石は初めての衝撃であった。資定は頭脳も明晰で、高鳥にとって資定を1から教えることは楽しい時間であった。
引き際にふさわしい出会いと言えるのではないか……。スポンジのように毎日吸収していく資定と締めのキャッチボールを行いながら、高鳥はそんなことを陽が落ちた空に向けて思った。
「高鳥さん、君ももう70歳目前だ。来年の甲子園で決勝にでも行けなければ、そろそろ後進に道を譲ったらどうだい?」
理事長にそう言われたのは、今夏の甲子園から戻った時のことだ。25年前、甲子園に初出場した際は英雄としてもてはやされたが、時の流れは欲を生む。いつの間にか優勝できない監督という陰口も聞かれ始めていた。高鳥自身も、生徒たちと楽しく白球を追ったあの頃の情熱を失っていたように思う。
こうして、資定という初心者に野球を教えることが最後にできて良かった。勝つことではなく、野球を楽しく教えたかったのだと、25年経って初めて気が付いた。高鳥自身、こうして引退するのも悪くないな。そう思った時のことだった。突然、資定から鋭いボールが投げられてきた。
「監督、良くないです。監督がこの理弁和歌山に希望をもたらせてくれた。和歌山に元気をくれた。私は高鳥監督を最高の形で送り出したい。そう思っております」
キャッチボールを交わす資定が突然そんなことを口にした。高鳥は目を丸くして訊ねた。
「……大伴、お前……なんで俺の考えてることが分かった?」
「申し訳ありません。……心眼。失礼ながら、そういう術を使わせていただきました」
とっぷりと陽が暮れたグラウンドに秋の風が吹いた。
大伴資定、この人間を越えた存在を甲子園に連れていけば何が起こるのだろう。高鳥は年甲斐もなくワクワクが止められなかった。




