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 ───伊香保由依は甲賀高校きっての才女である。成績はいつも5番以内をキープしており、特に理数系に強い。分析に優れているのが伊香保の特徴だ。同じく学年5位以内をキープする滝音も伊香保の存在はもともと意識していた。


 伊香保に告白されてから、少しずつ滝音は伊香保と学校で話すようになっていた。主に勉強の話をする程度だったが、ふと滝音が伊香保に意外なことを告げた。


「俺、野球部入ったんだ」


「えっ、野球部?」


 最終学年で部活を始めることに伊香保はかなり驚いたようだった。


「ま、色々あって」


「そっか、うん、でも部活してる方が勉強もスケジューリングしやすくなったりして良いのかもしれないね」


「ん、まあね。それに、どうせやるんなら甲子園目指そうと思って」


 滝音は頭をぽりぽりと掻いた。笑われるだろうと思ったからだ。


「うんっ! どうせなら甲子園目指そうよ! あたしも高校野球だいぶ好きだから。高校野球ってプロ野球と違って数字で計れないところがある不思議なスポーツなんだよ。だから、甲子園行く可能性はゼロでは決してない。と、思うよ」


 伊香保の意外な面を見て、滝音は驚いたと同時に、良い意味で伊香保の言葉が引っかかった。


「数字で計れないって? どういうこと?」


 伊香保は嬉しそうに紙とペンを取り出し、何やら書き始めた。


「ここに……Aくんというピッチャーがいます。地方大会の防御率はなんと0.00。4試合を投げて、奪三振なんと52個。1試合13個三振取ってるピッチャーだね。一方、こちらはBくん。同じ4試合を投げて、防御率は3.45。奪三振は28個。……さて、滝音くん。甲子園で対戦したAくんとBくん。たまたまチームの打率も3割後半と、同じくらいの成績を持っていました。どちらが勝ったでしょう?」


 滝音は少し考え込んで、答えた。


「そう言うってことは、Bくんのチームが勝ったんだろ? ……うん、でも……」


「理由が……分かんないかな?」


「ああ、よく分からない」


 伊香保は紙の上に日本地図を書き出した。棒人間で書かれたAくんとBくんがそれぞれ山陰あたりと関西地方に収まっている。


「あたしはね、世の中すべて数字で計ることができると思っているの。数字から分析していくと、その通りになる確率は高くなる。でもね、このAくんとBくん、数字だけでは分からなかった点は、どの相手に対しての成績だったかってこと。こう言っちゃなんだけど、A くんの相手は今まで弱かったのね。決して山陰地方が弱いって言ってる訳じゃないんだけど」


「なるほどね……でも、それも実は数字で予測できることだ」


 伊香保の目が輝く。伊香保は更に滝音を好きになっていく。


「ご名答! そう、これも対戦相手を数値化すれば辿り着けるかもしれない。ただ、あたしが高校野球をすごいと思うのはここからなの」


 そう言って、伊香保はAくんとBくんの横に書いた数字を消し、そっくりそのままの数字をAくんとBくんで入れ替えた。


「これなら、どっちが勝つと思う?」


「そりゃ、さっきより高確率でBくんのチームだね」


 伊香保は書いた紙を折り曲げて、せっせと紙飛行機を作り出した。


「そうでしょ? 当然Bくんが勝つ確率は高いはずなのよ。……でも」


 伊香保は校舎の窓から紙飛行機を飛ばした。ゆらりゆらりと左右に揺れて、徐々に紙飛行機は下降していく。


「この紙飛行機と一緒。どこでどんな風がいつ吹くのか分からない。数字で計れないことが甲子園では起きるの。あたしにとって、甲子園は数字への挑戦だわ。こういうのって何て呼ばれてるか知ってる?」


「さあ……分からない」


「甲子園の魔物って言うの。甲子園の魔物はいとも簡単に人類が築きあげてきた数字という文化を破壊する。あたしはそれを突きとめたくて、毎年、高校野球を分析してる。それでも、一度たりとてベスト8に進む8校を当てたことはないわ」


 紙飛行機は左に大きく旋回したと思えば地上付近でまた舞い上がり、右へ急カーブして結局滝音たちの真下に着地した。


「……伊香保」


「なあに?」


 滝音は顎に指をあて、何やら考え込んでまた口を開いた。


「伊香保、一緒に甲子園に行かないか?」


「えっ?」


「俺らの部は全部副島が切り盛りしてる。俺も手伝えることは手伝ってるけど、伊香保のその分析力はおそらく大きな力になる」


 滝音は伊香保にひとつのお願いをした。滋賀県の出場予定校の分析だ。


「分かった。もともと毎年やっていることを県大会でやるってことだから、問題ないわ。でも、甲子園に出る高校の分析はデータが集まりやすいけど、地方大会出場校ってなるとデータが集めにくい。時間がかかっちゃうと思う。どうせやるなら、ちゃんと分析して、それの出来でマネージャー、考えてみるよ。あたし、中途半端にはしたくない」


「うん、できる限りでいい。伊香保がその気になってくれるなら、俺らはありがたい」


 滝音が校庭に目を向ける。副島の声が聞こえた。


「その気になるに決まってるよ」


 伊香保は窓辺にもたれて校庭を見ながら言った。


「勉強もあるのに、大丈夫か?」


「その気になるに決まってるって言ったよ? あたしが挑戦したい甲子園の魔物に本当に挑戦できるんだから。……それに……」


「それに?」


 滝音に向いている伊香保の後頭部がくるりと回る。淡い色の髪がなびく。振り向いた伊香保はまっすぐに滝音の目を見た。


「君のことが好きだからだよ」

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