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唸る。
その言葉は獣が低く声を出し、威嚇する際などに使われる。
高校野球が行われるグラウンドでは、低い音より高い音が多く鳴る。金属バットがボールをとらえる甲高い音。グローブにボールが収まる時に鳴るパシーンという皮の高い響き。実況で直球が唸りをあげるという表現が使われるが、実際はそんな低く威圧的な音は鳴っていない。
ただ、この日の皇子山球場では、唸りが聞こえていた。白烏の投げるボールが空気をねじ開ける音だ。
白烏の指を離れたボールが、虎が唸るような音を球場に響かせる。鋭いスピンがかかったそのボールは、空気を切り裂くのではなく、空気をねじ開けて進んでいるように見える。もちろん空気など見える訳もない。それでも、この唸りはそんな錯覚を起こさせる。
滝音がミットに収めると、滝音の身体がバックネットの方へ押し込まれる。砲撃音のような音が鳴る。滝音のミットが悲鳴をあげている。
ストオォォライッ!!
主審が高く右手を上げてコールする。ついつい手が高く上がってしまう。ついついストライクのコールに力が入ってしまう。主審はそんな自覚があったが、身体が自然に反応してしまうから、仕方がない。こんなに唸りをあげながら迫ってくるボールを見たことがない。ついついいつもと違うテンションになってしまうのも当然だ。
それほど、すごいボールだ。それほど、圧倒的だ。主審として失格かもしれない。それでも、間近でこのボールを見られたことは誇りと言ってもいい。主審はそんなことまで思っていた。
「……待たせたな、これが白烏家の投てきや」
指をくいくいと2回曲げ、白烏は滝音にボールを要求した。早く、次の球を投げたい。
「どうしちゃったんだろ、白烏くん」
「わたしも分かんない。正直、あのボールであのコースに決まるのなら、プロでも打てないかもしれない」
桔梗と伊香保がぽかんとマウンド上の白烏を見つめている。チームメートでもこの驚きだ。滋賀学院にとっては衝撃の大誤算であった。
「あのピッチャー、速いけどノーコンやったんちゃうんかい」
「あんなん、遠江の大野より速いで」
「まだ川野辺以外、誰もバットにすら当たってへんぞ」
回を追うごとにベンチが慌ただしくなっていく。
回は3回裏。この回先頭の七番打者が打席に入っている。2回まで三者凡退で片付けられたのは、滋賀学院にとって今大会初めてのことだ。しかも、6人のうち5人が三振を喫している。バットに当てたのは三番打者のヒットメーカー川野辺だけであった。その川野辺でもボテボテのファーストゴロに倒れていた。
「悔しいけど、ええピッチャーや。この試合、ゼロでいかんとまずいな」
川原は思わぬライバル出現に、ぎりと奥歯を噛む。それでも、心理戦で負けたらおしまい、と慌てて深呼吸をし、精神を統一する。
まさか遠江とあたる前にこんな奴らがおるとは……。