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よりによって学校は半日かけたスポーツテストの日だった。
泣きそうになるのをぐっと堪え、無言でテストをこなしていた。
「100メートル走かぁ。俺、10秒台出すわー」
「50メートルの間違いちゃうか?」
クラスメイトたちが楽しそうに笑っている。和巳は一緒に笑みを浮かべることはできなかった。
スタート位置についた時、和巳は目を瞑った。この体勢で14年間、毎日シン、ヒョウ、セイと走ってきた。もう、会えない。こらえていた涙が一粒落ちた。
ピストルの音が、シンの咆哮に聞こえた。
いつものように飛んだ。地面すれすれを飛ぶ燕のように、水平に畳んだ上体が空気を切り裂く。先に進んだ足へ上体が追いつく。数歩で隣を走るクラスメイトの足音はもう聞こえなくなった。
和巳は泣いていた。シン、ヒョウ、セイとの思い出だけを思い浮かべながら走っていた。忍など、どうでも良かった。
風となった和巳は音すらたてずに100メートルを駆け抜けた。皆が唖然としていた。しばらくして、隣を走っていたクラスメイトもゴールする。
和巳はゴールして30メートル離れた場所にうずくまっていた。担任がその姿を心配しつつも、興味に勝てずストップウォッチを持った生徒に尋ねた。
「な、何秒だ? 今の」
「…………8秒37……です」
和巳は人目を憚らず泣いた。
担任の教師もクラスメイトもどうすれば良いのか分からず、立ち尽くしていた。あまりの衝撃に次の走者を走らせられない。皆で和巳の周りに集まる。
「……うぅ……シン……ヒョウ……セイ……うぅ」
和巳は三匹との別れを受け止めきれず、名前を呼びながら号泣している。
目の前にウサイン・ボルトの記録を大幅に超えた世界記録保持者がいる。その世界一速いクラスメイトが、おいおいと泣いている。どうやら世界記録を出して、それに感動しているようでもないらしい。
皆、思った。
カオス過ぎる、と。
スポーツテストが終わった。
学年中がざわついていた。
それもそのはず。この滋賀県の何もない公立高校で、おそらく3つの世界記録が生まれていた。
数百メートルの距離を投げた白烏結人、背筋計を引きちぎった道河原玄武、そして世界記録を1秒以上も上回った犬走和巳。
野球同好会主将、副島は忙しかった。
隣のクラスで泣いているという犬走のもとへ急ぐ。二年生の体育祭で見たあの走りはやはり本物だった。バットにさえ当たれば、全てヒットとなる最強一番打者になる。