俺、トマトになる。
現代に生きる人々は、俺自身も含めて常に明日があると確信して生きている。
しかし、実際人間という生き物は酷く脆弱で、ふとした瞬間にコロリと死んでしまうものだ。
例えば思いもよらない出来事が、今この瞬間運悪く起こらないとも限らない。
もしかすると通り魔に殺されることだってあるかもしれないし、つまづいて転んだ先で交通事故に遭うかもしれない。
はたまた病死という未来だって存在する。
……つまり、今日まで生きてこれたのは奇跡だったということが言いたいのだ。
人は連続して同じことを経験すると、それを法則として認識するようになる。
それが当たり前として無意識に疑わなくなり、確信となる。
それが、邪神の企みであるとも知れずに。
⚪⚫○●⚪⚫○●
ある日、俺は事故にあった。
場所は、都内某所の交差点。
たまたま友達と東京へ日帰りの旅行にでかけたその日の内に、俺は信号を無視して突っ切ってきたトラックに数メートル引き摺られて死んだ。
……死んだらしい。
らしい、というのは、どうにも記憶が曖昧で、目が覚めたら病院のふかふかベッドの上でも、真っ白な変な空間でもなく、森の中に転がっていたからだ。
「なんでやねん」
反射的に、俺はこの現状にツッコミを入れた。
いやいや、誰だってそうなるよ、きっと。
俺は、背中に直接伝わってくる地面の土の冷たさに驚きながら、ゆっくりと体を持ち上げた。
驚くほど澄んでいるが、しかしカラリと乾いた暑さを滲ませる空気が、俺の全身にまとわりつくのを感じる。
──ハラリ。
ふと、俺の視界に長い銀色の糸束が垂れてきた。
「うおっ!?」
驚いてその場から飛び跳ねると、その糸束もつられてゆらゆらと動き、視界の中を浮遊する。
同時に、何か長い髪のような感触が背中に触れるのを感じて、再度俺は驚きの声を発した。
「うわっ!?」
そして更に、その自分が発したはずの悲鳴が、全くの別人の声で耳に伝わってきたことに三度びっくりする。
「だ、誰だよ!?
誰かいるのか!?」
透き通るような声音だ。
鈴をならすような、というのは少しイメージが違うが、とにかく幼い子供特有の、甘い響きをその声に感じる。
しかも、その声はまたしても俺の言葉に重ねるように喋るのだ。
……しかし、よく考えてみるとおかしい。
もしここに別の誰かがいて、台詞がハモっているのだとすれば、声は二重に──聞きなれた自分の声も重なって聞こえたはずである。
なのに、それが聞こえないということは──?
……どうやら、認めるしかないみたいだな。
何度も何度も、その同じ声しか聞こえないし、それに聞き慣れた筈の自分の声をまだ一度も聞いていない事から、それを確信できた。
「マジかよ……」
凛と響く少女の声が、俺の言葉を真似して言う。
いや、認めよう。
これは俺の声だ、間違いなく。
「だとしたら……何か?
俺は車に引かれて銀髪少女にでも転生した……って事なのか?」
俺は、自分の視界に垂れる糸束──その光を織り込んだかのような銀色の髪を手で掬いあげてそれをじっと覗き込みながら、ポツリポツリと確認するように呟く。
……いやいやいやいや。
おかしいだろこれ。
絶対おかしいだろこれ。
輪廻転生の話はそれこそ紀元前に遡るほど昔からある思想だ。
例えば機織りの女神に喧嘩を売って、蜘蛛に転生させられたギリシャのアラクネの話は有名ではある。
しかし、俺には神様に喧嘩を売った記憶は欠片もない。
というかむしろ、喧嘩なんて一回もしたことないかもしれない。
「そうだよ、おかしいだろこんなの。
……そうだ、きっとこれは夢なんだ。
本当の俺の体は病院のベッドで寝ていて、目が覚めるのを待ってる。
きっとそうだ、そうに違いない!」
違ったらこれ、完全に俺死んじゃってる事になるからな……。
……。
俺は、自分にそういい聞かせるように思考停止の言葉をぶつぶつと呟く。
しかし、いくらそんなことを試みても、この肌に感じる風や、森の木々の匂い、乾いた暑さや木陰の涼しさは否応なしに現実を伝えてくる。
「あはは、ワロエナイ最高……」
どうやらこれは、夢とかじゃなくて現実であるということに間違いないみたいだな……。
俺は受け入れがたい現実にがっくりと肩を落とすと、項垂れるようにして視線を地面に落とした。
するとそこには、未発達な白い柔肌が上下する女の子の裸体があった。
「……!?」
自然、自分の口が引き吊り、目が見開かれるのを自覚し、数秒の間、思考が停止した。
もしかしたら呼吸も心臓の拍動も止まってたかもしれない。
「……」
俺は、股間に感じる違和感の正体を確認すべく、視界に映っているその女性が女性たる象徴に向かって手を伸ばした。
ここでは具体的な描写は避けるが、しかし一言不毛の地であるということだけは告げておこう。
……にしてもしかし……うん、無いね。
17年間ずっと連れ添ってきた我が相棒が、どこにも存在しない。
どうやら、目の錯覚でもなんでもなかったみたいだ。
「……」
他のことに気をとられて、すっかり考えることを後回しにしていたけど……これは、本当に認めるしかないようだ。
ていうか、髪と声で気づけって話だよな、ハハ……。
「……ありがとな、相棒。
これまでの17年、本当にありがとう。
あと、使ってあげられなくてゴメンな、相棒。
元気でいろよ」
……って、いやいやいやいや。
「なんでさ!?
俺こんなこと望んでないよ!?
女になりたいだなんて願望は一欠片もなかったし、第一TSさせるならもっとナイスバディにしてくれよ!
これじゃあ生前童貞だった俺の相棒になんの労いもできないし、まるで俺がロリコンみたいじゃないか!
確かに銀髪は好きだ!
好みだよ!
でも幼女にする必要あった?
寸胴おこちゃまボディにする必要あった?
いや、それを言うならナイスバディにする必要を問われるかもしれないけど、それでも少しは労おうとする心持ちをだなぁSie ist ohne Ehre!」
神よ、俺にこんなことをするお前に名誉なんかあるものか!
約一分後──。
「ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ……」
おそらく一生分になったであろうツッコミと嘆きを含んだ雄叫びから立ち直ると、俺はぜぇぜぇと肩で息を整えながら、とりあえず現状を受け入れることにした。
いや、受け入れるしかないのだ。
受けいれないと、いつまで経ってもこのままだ。
……まあ、考えても無駄だから思考を放棄したとも言うが。
それはさておき。
これが現実となってくると、目下の課題として一番先にやらなくちゃいけないことが見えてきた。
まず、こういった森の中で裸で過ごすのは拙い。
何が拙いかって、寝る時にそのままだと、体温を地面や木から吸われて低体温症になる危険性があるからだ。
そのためにはすぐに衣類となるものを確保しなければいけないわけで……。
……なんで俺、森の中でぶっ倒れてたんだろ?
「ま、いっか。
それはそれとして、まずはどうするか……」
──と、そんなことを考えていた時だった。
ガサガサッと、近くの茂みが揺れる音を聞きつけた俺は、突然のことにビクッと肩を跳ね上がらせながら、反射的に後ろを振り向いた。
「ギギッ!」
「うおわっ!?
何こいつ、キモっ!?」
すると、そこには俺とほぼ同じくらいの身長のヒト科っぽい生物が存在していた。
深緑色の肌を持ち、長く大きな鷲鼻が特徴的な変な生き物だ。
大きなギラついた黄色い目は、獲物を見るような目つきでこちらを見つめている。
装備は、ボロボロのシャツを一着着ているだけで他には棍棒っぽい棒切れを握っているぐらいか。
……これ、俺何か聞いたことあるぞ。
醜悪で肉欲が強く、繁殖力が大きい小さな人のような姿をした生き物……というか、魔物。
そうだ、ファンタジー定番のゴブリンだ!?
「やっば!?」
俺がさっき叫んでたから、それに呼び寄せられたんだきっと!!
その声を皮切りに、ゴブリンはニヤリと笑ってその手に持った棍棒で殴りかかってきた。
心なしか、棍棒が赤い光を纏っているように見える。
俺は、本能的にそれを弾くのではなく回避することを選択すると、バックステップを使って、その振り下ろされる棍棒を回避する。
「うわっ、あっぶね!?」
すると、さっきまで俺のいた地面が大きく爆ぜた。
多分だけど、あれはスキルとかなんかそういうやつだ。
「……ってことは、それっぽい予備動作に気をつけて回避すれば無問題ってわけか!」
避けられたことに苛ついたのか。
ゴブリンはキーキーと鳴き叫ぶと、また棍棒に赤い光を纏わせてこちらに突撃してきた。
「うおっと!?」
今度は大振りな横薙ぎだった。
問題なく回避した俺は、このままじゃ埒が明かないと考えた。
このまま逃げ続けても、たぶん仲間を呼ばれる。
いや、もしかするとコイツは斥候で、本体が後ろから向かっているのかもしれない。
もしそうなら、俺一人でしのぎ切ることは不可能だろう。
「だったら、やることは一つしかないな……!」
俺は、そう気合の言葉を入れると、再三振り回してきた棍棒の動きを見切って、相手の懐に潜り込んだ。
「ギギッ!?」
まさか潜り込まれるとは思っていなかったのか、ヤツは驚愕の叫び(?)をあげてこちらを見下ろした。
「とった!」
俺は、そのままやつの棍棒を持つ方の腕を引きながら、空いた腕を使って、顔面に向かって肘打ちを食らわせた。
すると、ゴブリンはギラギラした黄色い瞳をホワイトアウトさせると、気を失ったのか、その場に倒れた。
「よっしゃ!」
喧嘩なんてしたことはないが、これでもいつ不良に絡まれても対応できるようにと、日頃体の動かし方は研究している。
……といっても、主にアクション映画を見て、だけど。
でもまぁ、見様見真似でなんとかなったし、何とかなるでしょ。
俺は、気絶して動かなくなったゴブリンを見下ろすと、着ていたボロボロの服をちょいと拝借してその場から去ることにした。
……いや、だってさ。
せめて、何か着るものが欲しかったし。
このまま人里に降りたら、ただの痴女扱いにしかならなさそうだもん、しょうがないじゃん?