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第四話 【賢王二十六年冬】 丘での一騎打ち

 連行されたハルミア。いよいよその身体は、侵略の首領の前に。

 笹の葉を唇にあてがい、のんきに街道をそぞろ歩く老人一人。


 道端に小花を見つけて近寄り、香りを確かめては目を細め。先に水たまりがあれば覗き込み、空が映ってはおらぬか真剣に見遣っている。その姿はまるで童子か愚者のようなのだが、纏っている旅装はけして粗末なものではなく、質素だが良質な素材で丁寧な手がかかっていることが分かる。


 白絹の光沢、幾何学的な刺繍の施された貫頭衣(チュニック)に同じ色合いの下衣、鹿革の幅広の黒の帯革(ベルト)。小物入れがいくつか括り付けられている。綿入りで熱を逃さぬ長衣をその上から羽織り、更には萌黄色の鮮やかな外套、足には裏に綿を縫い付けた鹿革の長靴。樫だろうか、節くれだった杖を草薮に突き入れては、楽しげに掻き回している。


 そうこうするうちにふと遠くに目を向け、浅く被っていた頭巾を後頭に下げた。そのまましばし動きを止めていたが、やがてしわがれた声で独りごつ。


「凶鳥が群ろうておるか……なんぞ起こそうと言うのかの、ただでさえ緑の恩恵が薄い季節じゃのに。領民にはたまったもんではないわい」



 老人が憂えているその頃。王都に向かい南下する街道沿い、小高い丘並みの影を進む集団があった。

 その出で立ちは物々しいものであり、騎兵数百、重装の歩兵数千はあろうか。着装する鎧、兜などは統一されてはおらず、寄せ集めた感が否めないものだった。ある程度の固まりで集団を形作っているところから、おそらく領ごとの単位ではないだろうか。それぞれの集団間を、伝令役の者がひっきりなしに往来しているのが見える。


 その集団の集う場所に、新たに加わらんとする一団があった。


「ふうー、ようやく追いつきましたな。道中の難儀、大変お疲れ様でございました、殿。しかしそれもこれまで、あの厄介なお荷物様を、早う『疾風公』様へ献上なされませい」


 副官からの労いの言葉を受け、バーゼリアン候ギュンデは兜の面覆いを上げ息をついた。


「そうだな、彼の方ならばあの大猿めを大人しゅうしてくれよう。あのように暴れなんだら、まっこと男好きのする(しり)を両の手で鷲掴み、竿立てて思う存分に腰振ってくれようものを」


 心の底から惜しがるように腰元を振るわす様に、副官はそれとは知られぬよう、小さく舌打ちをするものだった。なんとなれば、この若殿は家督を継ぐ前より常日頃、思慮するよりもまずその並々ならぬ精力でものを言わす性質だったからだ。副官である我が身は慎ましくも、古女房と多くの子を抱えて清貧に尽くしているというに。


 伝令の馬が近づく。


「総指揮官閣下の直下、伝令のハリィであります! こちらにおわすは、バーゼリアン『豪龍候』様とお見受けいたしますがいかに?」


 その問いかけに自尊心をくすぐられたか、ギュンデは見るからに大仰なほど馬上の背を反らす。その姿は、畏敬あふるるものではなく、むしろ滑稽でさえあった。気づかぬは当の本人のみ。


「さよう、この俺様が『豪龍』よ。そなた『疾風』殿へ、急ぎ貢ぎ物を献上しに参ったと伝えるがよいぞ」


 副官はその口上に頭を抱える思いだった。あの『疾風公』、名の通り疾風のごとく、両の手に持つ片手斧二本を自由自在に振り回し、馬上にあっては並び立つ者のないと噂される公爵閣下、ザンバー・ドルメ様を同格のように考えているとは。我が主君はいささかどころか、大いに頭を使って口を動かす必要がある。腰を振っている暇など微塵もないのだ。どうせ私の助言、諫言などまともに聞いてはくれないであろうが。


 何卒(なにとぞ)よしなにお伝え願えるよう、離れんとする伝令ハリィと申す者の馬に寄せた手を、すっと懐に軽く忍ばせる。己の懐になにやら金属の擦れる音を聞いたハリィは、笑顔が浮かびそうになるのを必死にこらえてうむと頷くと、


「相分かり申しました! しかと伝令、努めますゆえご安心召されませ!」


 そう言い放ちながら、本陣のあるであろう場所に向かって馬を走らせた。



 この一部始終を、それほど離れてはいない場所から窺い見る者がいた。

 その者は他の領の一群の中において、一兵卒として紛れ込んでいた『影働き』の一人。しかしてその事実は誰にも知られることはなく、また、けして気づかれぬよう用意周到に、長い年月をかけて仕込まれたものだった。本来であればイルバラード古王国六座の一、『緑』を冠する国の同胞(はらから)。地方領とはいえ、恩恵を受けるのに違いはないはず。それだのに、こうして影が入り探ることになろうとは。


 『影働き』の任について十余年。何事もなければこれまでのように、平穏にこのマッセヌ子爵領で静かに骨を埋めるはずだった。此度のような変事をも予想し、こうして配されたお館様の深謀を改めて思う。かくなるうえは、この身がどうなろうとも役目を果たすまで。すべてはあの奔放で何事にも飾らぬお館様をお救いするため。

 慎重に慎重を重ねるにしくはない。もし万に一つ、この身が滅されようとも間違いなくお館様の事だ、他にも同様に『影働き』を配しているはず。しかしそれを考えては己が動きが鈍る。しかと心に留め置くこととしよう。



「ほう、かように活きの良い(おか)の魚がおろうとは。いやこれは失礼、大猿……山猿の君とでもしておこうか。どれ、その勇ましき姿をじっくりと見せていただこうか」


 冷たく沈んだ灰の瞳。まるで死人のを覗き見るような、かような瞳にいささかの感情も表さぬ偉丈夫。けして造作が悪いのではない。むしろその(かんばせ)、立ち居振る舞いはさすがに一国の公爵に叙せらるるほどの高貴さを醸し出してはいる。醸し出してはいるのだが、いかんせんその表情、目の輝きは受け入れられるものではない。この者が『疾風公』ドルメ。初めて顔を見たがなんとも怖気(おぞけ)の走る面容と、いかな豪胆、豪放磊落のハルミアも本能が、この者には得体のしれぬ魔物が憑りついていると警告を与えているのを無視することもできずにいた。


 このままじゃあまずいねえ。生まれたままの姿かたちを見られるだけなら平気の平左、でもあの冷たい死人の目で視姦などされようものなら、まぐわる嫌気よりも先に逝ってしまいそうだ。なんとか(かわ)す手立てはないものか。走って逃げれないではないけども、いかんせんこの格好、さすがにいかなあたしでも風邪を引いちまう。なんかこう、おっきく目が動く、そんな博打めいたことでもなけりゃ。


 鍛えているとはいえ女子(おなご)の柔肌、北の寒風に素肌をさらされ、身に巻きつけられているのは目の粗い麻布である。しかも大の男が縄を打ち、けして逃がすまいと力を込めている。人の目を気にしないのもいかがなものかと並みの者なら考えそうだが、このハルミア、常人離れすること大方の想像の斜め上をいく。そのハルミアが思いつくことといったら。


「ちょいと待ちなって、色男さんよ。せっかく美男美女の初逢瀬、ここは情緒良くいかないかい? ほら、さすがにこの格好じゃあ勃つもんも勃ちゃあしないだろ、ねえ少しは着飾らせておくれでないか? ついでに身体を清めてそのさ、美味しく召し上がってもらいたいじゃないか」


 目を潤ませ唇をわななかせるその手管。このような無粋な場所でなければ上手くいったやもしれないが。着替えを済ます際に近くの者どもをなぎ倒し、逃げの一手を打とうと思ったが当てが外れた。


「何を言うかと思えば。構わぬ、私は汗臭かろうが、泥にまみれていようが、おぬしがたとい山猿であろうとも、女子である限りなんの(いと)いも感じぬぞ。むしろ野の趣があって血が(たぎ)るというもの」


 これはもう進退(きわ)まれり。どうにもこの目の前の死んだ目の男は、その嗜好も腐っているようだ。もう降参して、大人しく凌辱されるを我慢して機を待つしかなさそうだ。


 俯き、諦観の相を示すハルミアを見る目が少し逡巡して後、初めて生気を得た。


「ではこうしよう、山猿の君よ。そなたの得意な獲物はなんだ? ふむ、槍か。おい、たれぞ槍を持てい」


 その死んだ色の瞳を異様に輝かせ、ドルメが思いついた趣向とは。



「おい、これはなんの羞恥業だい! これで私にどうしろと?」


 今更隠す必要もなし、また隠すほどの羞恥心など戦場には不要とばかり、ハルミアは寒風吹きすさぶ丘並みの草っ原で、その裸身をさらす。常に鍛える腕まわり、細く締まった腹にはほどよく筋肉の筋が浮き立っている。健康的な肌は寒さのためにか、鳥肌だっているがそれが逆に色めいた感をいや増させる結果になろうとは。

 対するドルメも裸である。大の大人がこともあろうに、衆人目にする中で一糸纏わぬ産まれた姿で対峙しているのは、見様によっては絵にもなるが滑稽に映ってしまうのも致し方なかろう。しかもその裸身には不釣り合いな獲物を、双方が手にしていたとあってはなおのこと。


「ふふふ、我が一物(イチモツ)をおぬしの股にぶっ挿すのも、この槍を腹にぶっ刺すのもさして変わるものではない。寸鉄一切合切、身に着けずに仕合おうではないか、山猿の君よ」


「おいおい、いったいいつからあたしは山猿の姫になったんだい? そんな覚えはこの身体、とくと見ればないのも分かるもんだろう、あ、いや見るな! その目で見られると、えも言われぬ怖気が走るのでな。仕方ない、その代り、仕合うのに条件をつけさせてもらおうじゃないか。そんくらい構やあしないだろ、え?」


 手にした槍をわざと扇情的に(しご)く。その様を見たドルメは、一つ舌なめずりをする。


「よかろう。こう滾ったままではすぐにでも、おぬしに襲い掛かり首を刎ねた後で貫くのみ。それではいささか興醒めというもの。なんぞ条件のあった方が面白かろう。言ってみるがよい」


「へへ、そうこなくっちゃあ! それじゃあこうしよう、あたしが負けたらそうさね、降参したり死んだりしたら好きにしていいよ。口であろうが、股の穴、尻の穴、そうそう、()(さば)かれた腹でもどこでもさ、そのあんたの得物(えもの)を抜き差しすりゃあいい。そんでもしあんたの手から、その槍が離れたらあたしの勝ちってのはどうだい? そん時はあたしを解放しな。どうだい、公正なもんだろ?」


 そう言い終えるとハルミアは、自ら乳房を揉みしだき、股を指でゆっくりとなぞり上げた。


「そうか、開いた腹の中に放つのは、今までついぞ為したことがない。感謝するぞ、滅多にない至福の時を得られそうだ」


 ぶるんと己が中心を振るわせ、期待と狂気のはらんだ灰の瞳を輝かすドルメ。


 これよりここに、前代未聞の男女全裸による一騎打ちが繰り広げられようとしていた。

 お読みいただき、ありがとうございます。


 次回は、読人サイドの話になります。

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