第三話 サイト仲間。
書いた小説にもらった感想に腹を立てて、そのまま投げ出した読人は……
カランコロン。
「……いらっしゃいませ」
いまどき自動ドアじゃないってのも珍しいんじゃないか、町中のコンビニで。
俺は品出ししている手を休めずに、入ってきた客の顔も見ないで声だけ出した。
家からそんなに遠くない、大手チェーンに属さないでやっているコンビニ。そこが俺のバイト先だ。
元が雑貨屋だった店はそんなに大きくもなく、品数だって豊富じゃない。雑貨屋だった頃の売れない商品を捌くのに、他の売れ筋、清涼飲料や弁当なんかを置いている庶民的な店、良く言ってな。
当然だけど、一人勤務で品出しするだけでも大変なんだ。俺はその上に、家で書いた小説への感想を読んだ後の、あの苛立ちや怒りがまだ収まらなくて、考えるだけでも胃がムカムカしてくるのが続いていて。いっそ休んじまうかとも思ったけど、さすがにそれはできなかった。まあもしも俺が休んだとしても、オーナーなんかが穴埋めするんだろうけどな。どうにかなるとは思うけどそこは一応雇ってもらってる身だからな、だからこうやって出てきてるってわけだ。
夕方もだいぶん過ぎて、辺りは少しだけ暗くなり始めていた。
あの日、投稿した小説に書かれた感想を見て以来、ここ数日はサイトを開くこともしていなかった。どうせ感想なんて増えていないか、増えていたとしても同じような注意や指摘ばっかりじゃないかと思うと、むしゃくしゃしてどうしようもなくなるから。そんなんだったら見ない方がいい。嫌な思いをわざわざする必要はない。
でもなんだろう、ただむしゃくしゃするだけじゃなくって、なんだか少し違った感情が、心の中にある気もするんだ。それがなんだかが分からなくて、よけいにイライラしてくる。
どうやらさっき入ってきたお客は、書籍コーナーで雑誌を立ち読みしているみたいだ。関わらないように、見て見ぬふりをしておく。どうせ買いもしないで、それっぽい雑誌の隙間から袋とじを覗き込んだり、テープを剥がして中身を見だしたりするんだ。そういうやつに下手に声でもかけてみろ、舌打ちされてなにも買わずに店を出ていくのがオチだ。
わざわざ嫌な思いをする必要がどこにある? 俺は単なるバイト。店のオーナーでもなければ店長でもないんだ。下手に責任なんて持ちたくもない。
なるたけ見ないように、見ないようにして品出しを続けていたら、そのお客から声がかかる。俺は仕方なくレジカウンターに向かった。
「お待たせしました……」
お客が出してきた雑誌は、袋とじなんかのない、公募ガイドだった。
「あの。これ欲しいんですけど?」
「あ、し、失礼しました」
しばらく固まっていた俺は慌ててしまい、お客から預かった商品の公募ガイドを床の上に落してしまった。急いで書籍コーナーから新しいのを持ってきて、袋詰めをして代金をもらう。お客の顔は見たくなかったが、そのお客が俺に向かって小さく頭を下げながら、
「わざわざすみません」
と言って店を出ていくのを、俺はなんだか信じられない気持ちで見送った。
どうして俺に謝るんだ? 呆けていた俺が冊子を落としたばっかりに、余計な時間がかかってしまって迷惑したのはお客であって。悪いのは俺の方だ、そのくらいの道理は俺にだって分かる。
ああ、もしかしたら嫌味で言ったのかも。あてつけがましく、良い人ぶって裏で毒を吐いているのかもしれない。
ずっと続いている、あのむしゃくしゃする気持ちから逃げるように、俺はそう思うことにした。そうだ、俺が悪いんじゃない。急がしたのはあの客だ、あの客が謝るのが当然だ。
その後も気の抜けた状態で仕事をなんとかこなしながら、俺の頭の中では書いた小説につけられた感想への不満や苛立ち、それとはちょっと違う分からない気持ちに、今さっきのお客の態度や買っていった公募ガイドのことなんかが渦巻いていた。いつも以上に疲れたバイトの時間だった。
家の玄関を開けて履いていた靴を無造作に脱いで、自分の部屋に直行しようとして階段に足をかけた途端に、居間のドアが開いて声がかかった。
「よっちゃんお帰りなさい、お疲れ様。今からお茶しようと思ったんだけど、どうかしら一緒に?」
居間から声をかけてきたのは、母親だった。俺は階段を上がろうとする足を下ろして、向きを変える。
「うん。そうする……」
「そう! じゃあちょっと待っててね、お隣の笹井さんのところから美味しそうなお菓子、いただいたから」
なんであんなに嬉しそうな顔をするんだ? たかが息子とお茶を飲むだけなのに。
俺は居間のソファに座り、なにげなくテーブルの上に置かれていた、母親のノートパソコンに目をやった。電源が入ったままになっているのか、デスクトップ画面にアイコンが並んでいるのが見えた。背景は、恥ずかしいことに俺たち家族三人の写真。確か、三、四年前に出かけた箱根のどっかの美術館で撮ってもらったものだ。
母親の美代子は、女手一つで俺と姉貴の穂積を育ててきてくれた。仕事は事務職で、度々帰りが遅くなることがあった。今でこそ残業は少なくなってきたみたいだけど、仕事が早く終わればこうやって俺なんかの世話を焼きたがる。気が休まる日なんて、まったくないんじゃないか?
「あ、ごめんね、パソコン邪魔じゃないかしら? 今片付けるから」
そう言って母親がスタートから電源シャットダウンを選んでる時に、ふと並んでるアイコンに目がいった。その中に、俺が投稿しているサイトへのショートカットがあったのを見つけたんだけど、まさか俺の書いたのを読むために……いや、それはないと思う。大体俺のペンネームは誰も知らないはずだ。
「あ、あのさ、もしかしてWEB小説とかって読んだりするの?」
パソコンを横に片付けて、お茶と菓子を俺の前に置く母親にそれとなく尋ねてみる。
「え、ええ。時間がある時にちょっとね。でも、無料で読める割にはかなり面白い作品も多いのね。書いている人って、皆さんまだ無名の人ばかりでしょ? すごいなあって感心しちゃうわね」
そう言って湯呑みからお茶をすする。うちは母親がお茶好きで、姉貴は紅茶派だ。俺はなんでも飲めるがどちらかと言うと、コーヒー派だ。それを知ってるからか俺の目の前には、マグカップに琥珀色の飲み物が湯気を立てていた。
「……どんなのを読んでるの?」
俺の投稿しているサイトはけっこう偏っていて、あんまり年齢がいった人が読んでも、面白くないんじゃないかと思っていたがそうじゃないのか。
「そうねえ、昔からそんなにこだわりがないから、ファンタジーや歴史物なんかはけっこう数読んでるわよ?」
そう言ってにこにこしている姿は、とても四十を超えてるようには見えず、まるでラノベとかが好きな少女みたいな笑顔だった。それにしても、ファンタジーも読むってことはもしかしたら……
「も、もしかして俺のしょう――」
「うん? もしかして、よっちゃんもこのサイト利用とかしているのかしら? 良いわよねえ、登録しなくても読むことが出来るし、書いた作者さんも感想とかもらえたりして」
良かった、ここで書いてるのがバレているわけではないらしい。もし書いてるのがバレたりしたら顔も合わせられなくなってしまう。恥ずかしいからじゃないぞ、そうじゃなくって、俺が書いて成功したいって思ってるのは……ってそんなのはどうでもいい。それよりもこの際だ、少し聞いてみよう。
「あ、ああそうだよ、ただで読み放題だからな。でもさあ、思いっきし下手くそなやつとかも多いよなあ、投稿してくんじゃねえよってのとかさ」
「そうねえ……でも、元々書いたり読んだりして楽しむためのサイトなんだろうし、良いんじゃないかしら。それに作者さんにとっては、書いたものに感想とか意見がもらえる、とても良い体験が出来る場所だと思うの。褒められたり、厳しい意見もらったりしてね。それをバネにどんどんいい作品になっていくのなんかも、読んでいて感じられるのも楽しいのよねえ」
なんだか、母親の視線がいつもより強い気がするのは、俺の思い過ごしだろうか。なにか俺に伝えたい事があるんじゃないかって思える。
「でもさあ、意見言ってるやつとかってさ、けっこう上から目線だったりしない? もう少しこう、なんて言うかさあ、優しく分かりやすく伝えてあげてもいいんじゃないかなって」
「うーん、中には誹謗中傷って言うのかしら、好き放題書いてる人もいるみたいだけど、一言二言でも間違いを指摘してくれたり、長い感想、意見の最後まで読み進めると、しっかり自分の作品を読んでくれた上での言葉だったんだなあなんて、思ったり感じたりするんじゃないのかしら」
私は、小説とか書いたことがないからよく分からないけどね、と微笑みながら、いただきものの菓子にフォークを刺す。
最後まで読み進めるって……そう言えば、俺はあの感想の最後まで読んだっけ? 頭に血が上って、途中で投げ出したんじゃなかったか。
「感想や意見を書いてもらえるってことは、それだけ気になっていてくれてるって証拠だし、わざわざ時間を割いてくれたんだから、作者さんからしてみたら、とても嬉しいものなんじゃないかしらね」
そう言う母親の目が、優しげなんだけど厳しくも感じた俺は、思わず視線を外してコーヒーが入っているマグカップに移した。そして少しぬるくなったコーヒーを、一口ごくんと飲み込んだ。
飲み込んだコーヒーは、いつもより苦い味がした。
文字好き、本好きは遺伝する……のか?