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第二話 【賢王二十六年冬】 北の街道にて。

 古王国イルバラード。遡ること三年前。

「これはこれは、レイゼン外務卿閣下。ようお越し下さいました。まだ冬の入りとはいえ、道中はさぞ厳しきものでありましたでしょう」


 親しげに名前で呼びながら、おもねるような口調で腰を折り礼を尽くす。しかしその目は本心を映してはいないようで、底の知れぬ光を宿しているかのようだった。外務卿と呼ばわれたその初老の人物、レイゼン・シュミイヌは、羽織っていた外套がいとうの襟元を飾りボタンから外し、雪を払いながら答えた。


「おぬしが先入りとはの、カーラード。てっきりわしは、バーゼリアンあたりが息せき切って、駆けつけておるものと思っておったが」


「まことその通りでございます。ですがこういう場合も想定して、閣下には大変失礼かと存じましたが、彼の侯爵殿・・・・・には兵を集めてもらうため、先んじて動いていただいております」


 胸下で叉手さしゅをし他意はないと示してはいるが、果たしてどうだろうか。なにやらことさらに、バーゼリアン侯爵に対する害意を感じるのだが。シュミイヌは少々不快な念を感じながらも、この男、ロゴス・カーラード伯爵に対してうなずきを返した。


「ふむ、それは重畳ちょうじょうと申しておこう。してどの程度の数を集められそうか? それによってはあちらへの、売れる恩の具合も変わるというもの」


「はい、現状において侯爵殿にしては珍しくも手際よく、カイダル・ヤンゲエ・マッセヌの三諸侯をはじめとする、北部諸侯の大半を手なずけておる様子。そうですな、兵の数にして……五、六千といったところかと」


 カーラードの言に、シュミイヌの表情がやや固いものになる。


「カーラード、それはちと少ないのではないか? あちらへの、『疾風公しっぷうこう』殿への手土産がその程度とは……」


「その点、ご心配には及ばぬかと。この私めがバーゼリアン殿に頼みたるは、主君に対し忠実無比にして、いかなる命令をも従順に遂行・・・・・する者のみを、選抜するようにとの一点でございますから。その上でのこの数。きっとお役に立つことでしょう」


「さようであったか。ならば事起った暁には、先兵となって潔く散ってもらい、王都までを紅き絨毯で導いてもらうとしようぞ」


 その光景を脳裡のうりに浮かべてか、シュミイヌの目がいやらしく歪んだ。それを見てカーラードは、内心を押し隠しながら相槌を打った。どうせ自分の血ではないのだ。盛大に流させてこの王国を、いや大陸東部を巻き込んで、大きなうねりを我が物としてやるのだ。それだけの才覚が、智謀がこの身には備わっている。目の前の俗物を利用し、他国を招き入れるのだ。このような辺境の、うすら寒い北方の中堅諸侯などからは早々に脱し、常に先輩風を吹かすバーゼリアン……ギュンデなどは味方とやり合って相打ちにでもなれば良い。そうだ、そのような策を練らねば。シュミイヌの目も気にせずに、含み笑いを続けるカーラードだった。




 古王国イルバラード。その王国の重臣であるレイゼン・シュミイヌ外務卿が、王国北部諸侯領の一つであるカーラード伯爵領の当主であるロゴスと落ち合ったのが、王国の北東、北の山脈がわずかに切れる谷間たにあいの街道沿いを領する、バーゼリアン侯爵領の領都であるバルゼンテだった。


 己が領都で進められる謀議に、その領主であるギュンデが不在というのもまたおかしな話ではあるのだが、もとより謀議、謀略などにはまったくの才能を示すことのないギュンデだ。自らは盟友と思い込んでいるロゴスの言。間違いもなかろうとさっそく北部諸侯に檄を飛ばすことにしたが、たたらを踏む勢いでまず乗り込んだのが、コーデ領という格式でいうところの公爵領だった。


 コーデ領は元より王族に連なる古い家名を持ち、当代領主は現国王であるサイデン・イルバラードの従妹にあたる女傑、ハルミア・コーデと言う。年の頃は三十路をわずかに過ぎてなおその美貌は衰えるところを知らず、引き締まった長身は馬上にあって槍を縦横無尽に操り。近接では刀剣類はおろか、格闘戦術にも長けるという、まさに武の女神なのだが、ひとつ問題がある。その問題とは……


「やい、ギュンデ! お前のような木端こっぱ貴族が、あたしを捕えるなんざ百年、いんや千年早いんだよ! おい、聞いてるのかい! そのかぼちゃ頭に付いてる耳はお飾りで、頭ん中はスカスカみたいだねえ。ああやだやだ、実の少ないバルゼンテかぼちゃは」


 駄々っ子のごとく暴れる美女。輝く金髪は、一本一本を天使がいたよう。秀でた額は滑らかに、太く意志の強さを示すかの眉毛、そして長く巻かれたまつ毛の生える二重まぶた。大きく見張った瞳は、深い、どこまでも深い海の蒼。鼻は高く、少し上向き加減なのが一層愛らしくもある。唇は採れたてのさくらんぼ色。もし許されて接吻が叶うのならば、きっと甘く、瑞々しいのだろう。


 しかしその果実の唇から放たれる言の葉たるや、聞くにも堪えぬ罵詈雑言。


 とにもかくにも、このハルミア・コーデ。現コーデ公爵は、口が悪い。


「かぼちゃ頭が言うに事欠いて、あたしの従姪じゅうてつアイルをかたりやがって! はん、どうしてもアイルがあたしに会いたいって、息せき切って出奔してきただって? そんな嬉しいこと聞いちゃあ黙ってられないじゃないか! 怖がるから寸鉄ひとつ身に着けずに来いだと? その通りにしちまったじゃないか、え、どうしてくれるんだい? そのせいであたしはすっぽんぽんで、手枷足枷されてどんな羞恥業だい! こんなんじゃあお婿に来てくれる男もいなくなっちまうじゃないか。あ、逆にそそられたりするかもしれないねえ……それはそれでありかも。よし、さあ! 世の甲斐性ある男連中! ここにいたいけな美女が辱めを受けてこんな目に遭っちまってるよ。よおく見て、見て……あいや、み、見るんじゃない! どこ見てんだい、このスケベどもが!」


「……おい、誰ぞこの大猿に、布でもみのでもなんでも良いから被せて黙らせろ。早うするのだ、うるさくてかなわん!」


 己が頭をがんがんと叩きながら、バーゼリアン侯爵ギュンデは従者に言いつけた。しかしどうにも口の悪い、さらにひどいのは、口の回ることだ。まるでばね仕掛けのあやし人形のように、とらえどころがない。


「ところで大猿殿よ。我にとらわれし今の気分はいかがかな? さぞや悔しいであろう、いっかな女傑だとしてもさすがに逃げ出せまい。ここは命乞いでもしてみては? 俺は寛容だからな、きっと許して身辺に侍らせてやっても良いぞ?」


 あまりにも口うるさいので、猿轡さるぐつわをはめたままその美しいかんばせに近づき、耳元で甘くささやいてみるギュンデ。ハルミアの目が潤んでいるように思え、わずかに猿轡をずらしてやる。


 途端、自由になった口がギュンデの耳たぶに噛り付いた!


「こ、この猿めが! 早くこやつを引き離せ、違う、違う、耳がちぎれるだろうが! そうではない、痛い、痛い!」


 こうなるともはや喜劇だ。



 ここは街道を南に少し上り、王都方面にゆるやかに傾斜する坂道。辺りには農家や、牧畜で身を立てる家々が点在しており、けして人通りがないわけではない。皆愛しき大猿の、いや見目麗しき飾らぬ領主様があられもない姿をして捕まってしまったのを痛ましく思いながらも、ああこの調子ならばきっとなんとでもなる。そう思わせる余裕とでも言おうか、貫録が感じられるから不思議なものだ。笑い声さえ聞こえるこの状況に、ギュンデの方が先に参る。


「ええい、もうよい。このままこの大猿めを王都までしょっ引いてくれるわ! 中途で落ち合うことになっておる、あのお方に引き合わせどのようなお顔をなさるかとくと見てやろうではないか」


 そう言って一人高笑いをする。その目は、いやらしくハルミアの肢体に纏わりついていた。



 う~ん、これはちとまずいねえ。あのお方とはおそらく、北の国ソルベリオンのドルメ、名はザンバーだったか。北の諸国を併合してまわったその疾風怒涛の軍略、武威。かような者を自国に引き入れるとは、なんたる恥知らず。しかもあやつは好色家とも聞く。今のあたしのこの姿恰好を見れば、むしゃぶりついてくるに違いない。このままでは純潔が、ああ、あたしは未亡人だったね。まあなんにしても他国の男にいいように弄ばれるのは勘弁だ。どうにか逃げ出すか、はたまたその気を起こさせないように策を弄するか。どっちにしてもあたしには無理な話だね。なんとなればあたしは、逃げるのが大っ嫌いだ。しかしこのままというのもねえ。


 ハルミアは、口が悪いしよく回る。その上、頭もなかなか回ること、この上なかった。

 最新話、お読みいただきありがとうございます。


 この物語は、しばらくの間は読人のいる日本と、異世界のイルバラードの話が交互に出てまいります。互いが交わるまで、しはしこの調子にお合わせください。


 ご意見ご感想など、お待ちしております。

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