5、エゴイスティックな祈り
私の祖母は、本人曰く、とても素晴らしい女学生だったらしい。何事も、負けてなどやるもんか、と、必死に意地になり、励んだ結果だと。その祖母が、我が家では、一番信心深く見える。そして、彼女は言うのだ。
「あなたが結婚できるように、仏様にお祈りしたわ」
ぞっとした。
時折、彼女の勤行を聞いてしまうことがある。低くぶつぶつと、まるで、魔女が呪いをかけるように読経し、そのあと、彼女は、私を含め、家族の、自分にとってもっとも都合よく、理想的な形を、仏に向かって、お願いするのだ。私の思い通りでありますように、と。
恐ろしい。彼女は、無意識だろうが、家族をコントロールしたい、他人を、なんとかして自分の支配下においてやりたい、という祈りを、毎日、仏に向かって行っているのだ。そして、困ったことに、私の父親が狂い出してから(もとよりアンバランスな人だ)、祖母と全く同じことを言いだした。何を見るにつけても不満をいい、相手のあらばかり探し、そして、こんなに頑張っているのだから!これほどまで、辛い思いをしているのだから、苦しい!痛い!と毎日のように言い、こちらの気をひこうとする。そして、気がひけないと知ればよりもっと大きな声で訴え、癇癪を起す。子供が、大人に甘えている様子にそっくりだ。
さて、自分を振り返ってみよう。家族を含め、相手に、自分のエゴイスティックな祈りを、相手にこすりつけ、相手をコントロールをしたい、そんな思いや祈りはないだろうか。少しばかりは、いいかもしれない。ただ、あまりにも大半が、そういった願いの場合は、注意してほしい。あなたが本来的に持つ願いがかなわないから、あなた自身の生の意義を見出せないから、迷いや苛立ちをなんとかして晴らそうとして、周りの相手を自分の思い通りにしようと、相手に理想を押し付けはじめる。相手に、自分にとっての有益な存在として存在することしか許せない。相手に、自分にとって必要な価値しか、認められない。相手が、自分の理想でなければ、生きている価値がないと、判断している。言葉を失うほど、熾烈なエゴイスティックな祈りだ。
だからこそ、勝手な理想を押し付けてくる大人ほど、要注意だ。彼らは、自分のしたいことができなかった、夢を諦めたやつらだ。私たちが、夢をかなえたい、生の意義を見出したいなら、生き生きと、夢を追う大人のあとに続くべきだ。そして、理想を押し付けようとする大人(私を含め)は、子供(内なる子供)にそっぽを向かれていることに、そろそろ気づくべきだ。子供は、こちらの意図に敏感だ。コントロールしようとすればするほど、反発する。なら、簡単だ。彼らの喜ぶように、祈ればいい。そっと、祈ろう。祈るぐらい、すぐさま、大人にだって、できる。祈ろう、全ての子供に、私たちの精神の子供、つまり魂そのものに。彼らが、なによりも自由で、幸せで、幼子のように、稚く、明るく素直で、あらんことを。