第九話 - スライム対ドラゴン / 渦巻く陰謀
「そうして、僕は失った。貯め込んだ財と、共に未来を誓った仲間達をも」
アルヴァは悲しい顔で視線を落とす。仲間達のことを思い出しているのだろうか。
対面するレインは、黙って話に耳を傾けている。
「失うだけなら良かった。だが、まだ続きがあった。事故で稼ぎ頭を失った家族達と、貿易品を当てにして商売をしてくれていた馴染みが路頭に迷った。十三の家族の生活が立ち行かなくなり、内八人が首を吊った」
アルヴァの声に震えが混じってくる。
「なにもかも売った! 馬車も、馬も、店も、家も! 積み上げてきたものをすべて手放した! だが、それでも皆を救うには足りなかったっ!!」
だから。
「だから、ハミィを売った。売らされたんだ! 泣いて嫌がる僕にハミィは道理を説き、倫理を唱え、別離を告げた」
ようやくレインは、アルヴァがローザが狙う理由が分かってきた。
「ハミィを買い取ったリゴール公の使者は、ドラゴンを手に入れることができたらハミィを返してくれると言ってくれた。それが、今、僕がここに立っている理由だよ」
「……そうか」
レインは感情の籠らない声で返事をした。
話に無関心なわけではない。色々な感情が混ざり過ぎて、反応ができないでいる。
「僕はハミィの為なら仲間をも売ろう。オーガにもなろう。デビルにも魂を売り渡そう!」
「それがお前の覚悟か」
レインは腕を硬化し、淡々と歩みを進め始める。
「待てっ! こちらには人質がいる!」
アルヴァは制止の声を上げ、人質の方を指差した。レインは横目でそれを一瞥する。
騎士に抱えられた盗賊の少女、フレイ。
レインは足を止め、細い溜息をつく。
「――俺とは無関係だ」
「君を助けに来てくれたのに、そんな言い方はないだろう。まぁ、関係があろうとなかろうと、今の僕にはどちらでも良いのだけど」
アルヴァは信頼の籠った笑みをレインに送る。
「だって、君。無関係な子も、命を張って助けてしまうタイプだろう?」
レインの顔が渋くなる。身内と言うものは敵に回すと心底厄介だ。
「さぁ、ポゼッションを……いや、先に大事なローザの方を回収しておくとしよう」
アルヴァはローザに向かって平手を翳して、
「ドラゴン・ポゼッション!」
呪句を唱えた。
ローザの体が赤色の光の粒になり、アルヴァの体に吸い込まれる。
白い光の波動。ポゼッションが完了した合図。
「な、にぃ……?」
驚愕の声は変身した当人のものだ。
ポゼッションは不完全だった。
変化している箇所と言えば、肘から先を包んだ鱗の鎧と鋭利な爪。
胸当てのように発生した申し分程度の鱗。それだけだ。
ミラナにも劣る適応度だった。熟練の寄生魔の宿主であるアルヴァがこんなことになるはずがない。
「ローザ! 僕に心を同調しろ! あの子の命は君に掛かっているんだぞっ!!」
アルヴァは必死に叫ぶ。とうとうローザにまで人質の効力を使い始めた。
とはいえ、効果は覿面だ。
ローザは人格者サンドラに仕えていた思慮深いドラゴンである。
無関係な子供を傷付けることなど、断じて許せないはずだ。
アルヴァの体から再び白い光が迸った。
今度の変身は完璧だった。
顔面以外を覆う鱗の鎧。剣の刃のように伸びた爪。長く伸びた角。
ミラナのものより一回りだけ成長したぐらいだ。
「翼はないか……まぁ良い。十分だ」
本来のアルヴァなら、もっとドラゴンの力を引き出せただろう。
しかし、ポゼッションには心の同調が何よりも大切である。ローザとの心の擦れ違いがある以上、これぐらいが限界だ。
「次は君の番だ。さぁ、ポゼッションを解いてくれ」
レインは動かない。
火の手が広がり、いつの間にか足元にまで迫って来ている。
「君と我慢比べをする気はないよ。今までの僕と同じだと思わないことだ。やるといったら、やる」
足の裏が燃えている。水っぽいスライムの体に火が着くことはないが、じゅうじゅうと音を立てて蒸発していく。
「悪いようにはしないさ。ローザが手に入れば、君を拘束する必要もない。さぁっ!」
「そうか」
レインは火から逃れるように、一歩、二歩と前に進む。
アルヴァは満面の笑みになって、
「そうだとも」
「だがな、俺はさっきまで封印錠を付けられていた。ポゼッションを解けないんだ」
レインは言いながら、足を止めずに前に進む。
「バカな。封印錠にそんな効果は……」
「ほら、目を凝らして良く見てみろよ。俺の首に痕が残ってんだろ?」
アルヴァは疑うように目を細めてレインを睨み――はっと、人質の方に振り返った。
アルヴァの目は丁度そのタイミングを捉えた。
吹き抜けの二階から飛び降り、そのまま騎士の兜を蹴り飛ばすミラナの姿を。
「おのれっ!!」
ミラナの方に駆け出そうとしたアルヴァの目の前に、飛んで来たレインが割り込む。瓦礫を掴んだ腕を伸縮させて文字通り、飛んで来た。
「悪い。嘘だった」
「とっくに分かっている、そんなことっ!!」
アルヴァは叫びながら、剣の刃を束ねたような爪をレインに叩き付けてくる。
レインは同程度に指を伸ばして、硬化。受ける。
折れた。
半歩横にずれて、斬撃を躱す。
間髪入れずにアルヴァの二の爪がレインを襲う。
同じように指を伸ばし、硬化して受ける。
再び、折れた。
レインは咄嗟に背後に飛んで、間合いを取る。
「鋼鉄を退ける君の硬化も、ドラゴンの爪には敵わないと見える!」
アルヴァは勝利を確信して、身を起こす。
そこでようやく目の当たりにしただろう。
一呼吸の間に眼前に迫ったレインの大剣。刃渡り二メートル、太さは八十センチ。
左手のスライムも取り込んで片手になりながらの超級サイズ。
「――嘘だろ?」
「俺は姉さん以外の寄生魔の宿主に負けたことねェんだ」
レインは袈裟懸けに大剣化した腕を振り下ろした。
鉄を殴ったような手応えと共に、アルヴァは顔から床にめり込んだ。
ぴくりとも動かない。しばらくは起き上がれないだろう。
「さて、あっちの方は……」
見れば、頬に大傷を作ったミラナが、気絶したフレイを抱えてレインの方に歩いて来る。
その背後の床では、脹脛に二本の包丁が刺さった騎士が倒れている。
不意打ちから入ったとはいえ、全身甲冑の騎士相手に勝ってしまうとは。
「無事だったか」
ミラナは頬から滴る血をぺろりと舐めて、
「それだけ?」
「助かった。お前がいなきゃ、その子は助からなかった」
ミラナはなおも不機嫌そうに、
「謝罪も」
「――悪かった。お前は足手まといなんかじゃねェ。強い女だ」
レインの言葉に、ミラナはようやく気を良くしたように頷いた。
「まったく、乙女の柔肌に傷付けちゃってさ。責任取ってよね」
「それぐらいなら、任せておけ」
「……え」
何故か言い出したミラナの顔が赤くなる。
「え、嘘でしょ? やだ、冗談だったのに……」
「そうなのか?」
「だってほら、あたしと先生じゃ歳の差もあるし……」
「歳の差は、この際関係ねェと思うがな」
そもそも、レインとミラナは三歳ほどしか離れていないはずなのだが。
何故か、ミラナがもじもじしている。
「そのままじゃ困るだろ?」
「いやまぁ……困る。うん、困るわよ。凄く困る。でも、でもさ」
「うん?」
「先生はそれで良いの? それに、スララにだって悪いし……」
「俺は別に構わねェが。スララも良いよな?」
何をそんなに気にしているのか、レインにはさっぱり分からない。
(スラ? 何のお話?)
「ミラナが傷を治したいから、後でポゼッションしてやって欲しいんだが」
(お安い御用スラ!)
「スララも良いとさ。良かっ、ガフッッ!?」
何故かミラナに頭を蹴り飛ばされた。全力で。
スライムでなければ、多分死んでいた。それほどに非情な威力だった。
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火の手が回るリゴール邸を、レイン達は裏口から脱出した。
騎士から服を剥ぎ取ったレインはアルヴァを背負い、ミラナはフレイを抱え、その後ろをスララとローザが着いて来た。傍から見れば敗残の兵である。
森を抜け、壁を越えて隣の貴族の敷地に入り、更に壁を越えて外路に出た。見張りの騎士が立っていたが、顔を見られる前に気絶させた。
「とりあえず一難去ったな」
「だぁりんもローザも助かって、万々歳スラ!」
「それは良いんだけどさ……」
ミラナの物問いたげな視線が、レインの背中に向く。
「その人、連れてって大丈夫なの?」
つい数分前まで敵同士として戦っていた間柄だ。警戒するのも無理はない。
「なにか情報が聞き出せるかもしれねェからな」
リゴール公がローザを狙って事を起こしたことは明白だ。が、何故今になって、強硬策を取ったのか。推測はできても明確な答えは出せていない。
「とか、なんとか言っちゃって」
「あん?」
「別に。良いわよ、あたしもその人には借りがあったし。これでチャラだけど」
ミラナが言う借りとは、街でスライム・ポゼッションに失敗した時の話だろう。
「アルヴァが、スララ達を騙すなんて……悲しいスラ」
「そんだけ追い詰められてたんだろ。最初にこいつを追い込んだのは――俺だろうな」
サンドラの死後、レインが、アルヴァの差し伸べる手を掴んで立ち直っていたら。
きっと、こんなことにはならなかったに違いない。
レインには、決してアルヴァを憎むことはできなかった。
レインにとって、アルヴァはただの被害者だった。
「これから、どうするの?」
「ミーナス騎士団の詰め所を訪ねてみようと思うんだがな……」
ここバーナムには中央騎士団の他にも、各地方軍の一部が収集され配置されている。
その内の一つミーナス騎士団は、エクス第二王子が治めるミーナス領に所属する騎士団である。
キレの悪い返事に、ミラナが目を瞬かせて、
「なにか問題なの?」
「もし今回のことがリゴール公の独断ではなく、国家ぐるみで行われていたのだとしたら……俺達は敵のまっただ中に突っ込むことになる」
「それって、ひょっとしてヤバくない?」
「ひょっとしなくてもヤバいな」
公爵邸に待ち伏せていた騎士は所詮数十人程度だったが、騎士団の詰め所となれば数千人はいるだろう。さすがの寄生魔の宿主でも勘弁したい人数だ。
「じゃあ、やめる?」
「そういう訳にもいかねェ。そいつの手当もしなくちゃならねェし……いつまでも逃げ続けるのも癪だろ」
ミラナは心配そうな顔で、抱きかかえているフレイを覗き込んだ。
ポゼッションの過負荷……特にドラゴンのパワーは体に深刻なダメージを与える。
もう二度と目を覚まさないなんてことも十分にありうる。
レインは背負ったアルヴァの位置を調整し直してから、皆を先導して歩き出した。
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「なっ、何者だっ!」
軽装鎧に身を包んだ四人の門衛達は、レイン達の姿を見るなり目を丸くした。
確かに、変わった大所帯ではあるが。
レインが視線を向けると、それだけで騎士達は腰の剣に手をやった。過剰な反応に、レインは苦笑する。
「東区で便利屋をやってる、レイン・クロフォードという者だが」
「クロフォード……?」
「あっ、まさか、赤ドラゴンの……!」
「寄生魔の宿主であられるか!」
レインは頷いて、背後に立っているローザを指し示す。
「おおっ」と騎士達がどよめく。
「ガレオン団長はいるか? 後、怪我人の手当を頼みたんだが」
「はッ。丁度先週にバーナム入りされたところです。では、失礼して」
騎士達に、アルヴァとフレイを引き渡す。
レインは一応補足して、
「男の方は頭部への打撲。少女はドラゴン・ポゼッションの過負荷だが。大丈夫か?」
「それは医者に聞いてみないと分かりませんな」
目の前の騎士の言う通りだった。ここで気休めの返事を貰ったところで何の解決にもならない。
「それでは、皆様はこちらへ。応接間に案内いたします」
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「ねぇ、先生」
「ん」
「あいつ、応接間って言ってたわよね?」
「言ってたな」
「ここ……物置じゃない!!」
レイン達は屋外の小屋に案内された。最初は明らかに詰め所の建物内を歩いていたのに、途中で別の騎士から何らかの連絡が入りこちらに連行されたのだ。
四方……いや六方を石壁に囲まれ、壁には武器やら甲冑やらが雑多に並べられている。
中央には木製のテーブルとそれを挟んだベンチがあるが、明らかに浮いている。どう見ても急遽持ち込んだようにしか見えなかった。
「いっぱい武器があるスラ~」
スララが嬉しそうにちょろついている。意外な趣味だ。
「あんま触るんじゃねェぞ」
レインは呆れながら言って、用意されたベンチに腰を下ろす。
ローザがちょこちょこと寄って来て、横の地面に鎮座した。
ミラナはその場に立ち尽くしている。
「あからさまに怪しいんだけど……」
「そうだな」
こんな場所に連れて来られるということは、なにか人目を避けたい理由があるということだ。
その事実だけで不穏な空気が漂っている。
ミラナが心配そうな顔で、
「逃げた方が良いんじゃない?」
「アルヴァとフレイを置いて、か?」
「あ……そっか」
もう、レイン達に選択の余地はないのだ。
「俺達は信じる道を選んだ。腹を括れ」
「……そうね」
ミラナは諦めたような笑みを見せた。
「見て見てー! ナイトスララスラ!」
「あんたは本当呑気ね……」
兜をすっぽりと被って、身の丈ほどの長剣を構えるスララ。目がきらきらと輝いていて、なんとも嬉しそうだ。
ぎい、と鉄のドアが開いた。
入って来たのは、軽装鎧を着た恰幅の良いヒゲ面。隻腕だが、にやにやと笑っていて悲壮感の欠片もなく、常に人生を楽しんでいそうに見える。
ミーナス騎士団団長、ガレオン。レインをシブリア戦争に誘ったその人である。
ガレオンの後ろには、魔道士のようなローブを頭からすっぽりと被った従者が二人。
顔は見えず。一人は背が高く、一人は背が低い。
ガレオンは嬉しそうに顔を綻ばせて、
「よーお、レイン君! 久し振りだな!」
「おう、団長殿。二度とそのツラ見ねェ気で別れたんだがな」
「はは、寂しいこと言いなさんな。共に肩を並べて戦った仲だろ?」
ガレオンがレインの対面のベンチに腰を下ろす。従者二人も頭を下げてから、左右を挟むように座る。
ミラナとスララも同じように、レインを挟んで座った。
「一緒に戦ったのは一回きりだ」
「ありゃ、そうだっけ」
「それは良い。そんなことより、聞いて欲しいことがある」
ガレオンは待ってましたと言わんばかりの表情で、二度頷いた。
レインはここ数日に起きた出来事について、語り始めた――。
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「――というわけで、この詰め所に逃げて来たわけだ」
「なるほど。そりゃ大変だったね」
ガレオンは顎ヒゲを撫でながら、まったく気持ちの入っていない労いの言葉を投げかけた。
そもそも、レインの話を興味深そうに頷いて聞いてはいたものの、一度も驚いた表情を見せなかった。
「……知っていたな?」
「まあ、うん。大体な」
わっはっはっは、とガレオンは豪快に笑う。レインは笑えなかった。
不穏な空気が密室内に漂い始める。
「いやいや、違う、違うぞ。ワシらは、というかサントデリア国自体は、君達を害す意志はない」
「……なら?」
「リゴール公の暴走よ。とはいえ、そんな言葉で片付けられるほど、安っぽい問題でありゃ良かったんだが」
レインは口を噤み、ガレオンの話の続きを待つ。
ガレオンはようやく真面目な顔を作って、
「シブリアが戦の準備を始めたそうだ」
「……今は休戦状態じゃねェのか?」
「そういうことになってるが、大っぴらに軍を動かし始めた。確かな情報だ。東端の街メリーは住民よりも騎士の方が多い有様らしい」
ガレオンは懐から、地図を取り出した。
「お嬢ちゃんにも分かるように説明しようか。我が国サントデリアは三つの国と面している。南の同盟国イオリア。北の敵対国リベリオン。そして西の敵対国シブリアだ。今回の焦点はこのシブリアに当たる」
「春先まで戦争してたわよね?」
「ご聡明。だが、膠着して埒が開かなくなった。このままじゃ互いの国力を削り合うだけなんで、向こう一年は休戦――という条約を結んだんだが、まぁ相手さんは破る気満々なわけだ」
「……戦争でやっつけちゃえば?」
「うむ、良い案だ。君をうちの軍師にしたいっ!」
ガレオンはにかっと笑ったが、ミラナの方はバカにされていることに気付いて渋い顔をしている。
「ま、とりあえず三つ子砦に詰めないといかんわな。カザンの兵は北の睨みに必要だから動かせん。ミーナスからも兵は送るがいかんせん距離が遠い。となると、その大部分はバーナムの中央兵と、リゴールの兵になるわけだ」
「え……ええ。そう、ね」
ミラナは理解しているのか怪しい顔でぎこちなく頷いた。
「となると、どんな問題が発生するか!」
ガレオンは嬉しそうな顔でミラナの顔を覗き込む。ミラナは眉を寄せて頭を絞る。
「…………わかんない」
「まぁ、問題なんて起こらないんだけどさ」
「…………殺すわよ」
あれは本気でイラついている顔だ。
ガレオンが宥めるように両手を掲げる。
「だけどね。リゴール公がシブリアに寝返ったとしたら。途端に大問題になるんだ」
いたって軽い口調で、ガレオンはとんでもないことをのたまった。
「……まさか。冗談だろ?」
状況が飲み込めていないミラナの代わりに、思わずレインが訊ねた。
サントデリアの重鎮であるリゴール公が何を思ってシブリア側に付くのか。レインには理解ができない。
そもそもローザを手に入れようとしているのも、シブリアとの戦争の為だと思っていた。元々、あの戦争の発端もリゴール公だったのだ。
「冗談であってくれれば良かったのだがな。黒い証拠だらけだよ。シブリア政府との密通。国内外からの極秘での寄生魔の召集。リゴールの屋敷には|十以上の寄生魔の宿主が潜んでいるとの噂だ」
レインはもう一度、地図を睨む。
「ってことは……」
「シブリアとリゴール方面からの挟み撃ちだ。もう、何を信じれば良いのか分からんよ」
ガレオンは深い溜息をついて、地図を指でなぞる。
「三つ子砦に詰めているリゴール領軍が裏切れば、前線が落ちる。仮にそうならなくとも、|対シブリアに戦力を割いている状態で、背後からの寄生魔の宿主の襲撃を防げるかというと……な」
「……信じられねェ。俺は未だに団長殿が嘘をついてる方が納得できると思ってる」
国の四分の一を所有するリゴール公の離反。国家崩壊の危機。
突如聞かされた話は、あまりにも眉唾な内容だった。
「しかし事実なのです。レイン・クロフォード君」
聞き慣れない高い声がした。発したのは、頭からローブを被った小さな方。
現れた時から、薄々怪しいとは思っていた。
「……誰だ?」
「おっと、つい口を挟んでしまいました」
小さな従者はガレオンの横目に睨まれながら、ばさりとローブを払って頭を出した。
金色の短髪、金色の瞳。少女かもしれないと思わせるような童顔の顔立ちだが、良く見れば男である。
正体が分からず、レインは怪訝な顔になる。
ガレオンが「おほん」と咳払いをして、
「ここにおわすはエクス・リウス第二王子ミーナス公爵殿下であられる」
レイン達は目を驚きに見開く。
この少年が――!?
ミラナがすぐに口を開いて、
「王子様ぁッ!?」
「ええ、そうですよ。今はお忍びですので、親しみを込めてリックとお呼び下さい。偽名ですが」
ほんわかと笑う王子殿下。その雰囲気はどことなくスララに似ている……などと失礼なことを思う。
そういえば、先程からスララが静かだ。気になって、横目で様子を見てみる。
……寝ている。半分溶けている。
「ほらっ、先生! 王子様よ、王子様! やだもう、あたしったらこんな格好で!!」
「お、おう……良かったな」
ミラナにがくがくと揺さぶられながら、レインは生返事を返す。頭の中は大混乱だ。
「お前達に礼儀作法など期待してはいなかったが、もう少しこう、なんとかならんか……」
嘆くガレオンの隣で、王子はにっこりと笑う。
「良いじゃないか、面白い人達で」
王子の心は広く寛大だった。
レインの心は『面白い人達』の中に自分が含まれていることに不満を覚えてしまうほどに矮小だったが。これが身分の違いかと思う。
「さて、レイン君、と――」
「ミラナ!」
「――ミラナちゃん。君達に頼みがあるのです」
レインはふむ、と考えて、
「王子殿下から……ですか?」
「レイン君。今はリックとお呼び下さい。堅苦しい言葉遣いも必要ありません」
「……リックから、か?」
「はい♪」
王子――リックは満面の笑みになった。
眩い。
「僕と一緒にリゴール公爵府を攻め落としましょう!」
「――は?」
理解が追い付かず、レインの口から間の抜けた声が漏れた。
ガレオンが固まるレイン達を見て、
「王子……いやリック様。少々説明不足かと存じ上げます」
「ん……そう?」
そりゃそうだ、と心の中でツッコミを入れる。
リックは人差し指をまっすぐ立てて得意げに、
「なに、リゴール爺さんの作戦はシンプルなんですよ。シブリア方面に軍を動かしたら爺さんが攻めて来る。爺さんの方に軍を動かしたら今度はシブリアが攻めて来る。連携が鍵なわけですね」
「……ふむ」
まぁ、挟撃作戦というものは大体そんなものだろう。
「ですから、軍を動かさずに|、かつ連絡する暇を与えずに、爺さんを捕まえてしまうのが望ましい。もっとも|有効なのは、寄生魔の宿主による奇襲作戦です」
その理はレインにも理解できる。
が、
「何故、俺達の手を借りる必要がある。貴族達の中にも寄生魔の宿主ぐらいいるんじゃねェか?」
リックは当然だと言わんばかりに頷いた。
「理由は二つ。一つは先程も言いました通り、バーナムの戦力の大半は三つ子砦に送られているからです。それは寄生魔の宿主も例外ではありません」
「それでも、零じゃないだろ」
「はい。もう一つの理由は……バーナム内の寄生魔の宿主の動きがマークされているからです。もはや誰がスパイであるかも分かりません」
そこで、リックは初めて不機嫌そうな表情を見せた。
「我がミーナス騎士団も同様でしてね。もう最悪ですよ。何故に主たる僕が身を隠し、しかもお客人を倉庫にお招きしなければならないのか……相当な屈辱です」
「面目次第もなく」
ガレオンががっくりと項垂れる。
「いや、ガレオンを責めているわけではないんだけどね。まぁそういうわけです」
リックは笑顔を作り直して、レインの方に向き直った。
「お手伝い、頂けますでしょうか?」
皆の視線がレインに注がれる。決定を待っている。
情報を整理しよう。
一、サントデリアはリゴール公爵の造反によって崩壊の危機にある。
二、まだ具体的な事件は起きていない。シブリアは国境に軍を集め、リゴール公は領地に寄生魔の宿主を隠し持つにとどまっている。叛逆の意図が本国にバレていると知れば、ただちに両者は動きだすだろうが――。
三、どこにスパイが潜んでいるか分からない為、軍も国有の寄生魔の宿主も動かせない。複数の寄生魔の宿主が待っているであろう牙城に忍び込めるのは、無所属のレインとミラナ。そして――目の前の王子。隠密を徹底して首都入りしたのであろうミーナス公爵。
「……あんたも寄生魔の宿主なんだよな?」
「勿論です。そこにいるのが私の相棒ですよ。父上や兄上のようなドラゴンではありませんが……最強の一角だと自負しています」
未だ顔を隠している大きな方は、軽い調子で手を振って見せた。
彼がリックの寄生魔。今の状態では人型であることしか分からなかった。
任務の達成自体は不可能ではないだろうと思う――数字だけを見れば、三対十以上だが。
レインは並の寄生魔の宿主が束でかかってきても負ける気はしなかったし、ミラナも大分ドラゴン・ポゼッションを制御できるようになっている。元々持っている戦闘感覚も加味すれば、対複数の戦闘もこなせるはずだ。
そして第二王子たるリックも戦力としては申し分ないだろう。王や第一王子のように武人としての高い評判があるわけではないが、それは平和なミーナスに籍を置くからこそだ。聖王家の所有する多くの寄生魔の中から優れたものを選び、領主として王家に連なる者として日々鍛錬を積んで来ているに違いない。
勝てる戦だ、とレインは思う。
「――一晩、考えさせて貰えるか」
それでも、すぐには踏み切れなかった。
挑むべき理由はある。国家の危機。自分を罠に嵌めた相手への復讐。
愛国の戦士かプライドの高い性分の者なら、即断即決の場面だったのかもしれない。
だが、レインは違った。寄生魔の力を戦争に使うことと、ミラナの命を危険に晒すことを嫌う気持ちの方が強かった。
「……仕方ありませんね」
内心落胆しているはずのリックだったが、笑顔は崩さない。
なかなかにしたたかだ。
「一旦家に戻りたいんだが。服も着替えたい」
「では、馬車を用意しましょう。すぐにお戻りになられますよね?」
「そこまでして貰わなくても構わねェが」
「させて下さい。そこまでに貴重な人材なんですよ、貴方達は」
リックはガレオンに馬車の用意を命じた。
ミラナの物問いたげな視線が、レインの頬に刺さっている。
レインはそれを無視して、隣で爆睡しているスララに本気で肘打ちを食らわせた。